29 甘くて甘い時間①
ジルと想いを交わし合ってから、セラフィナは気づいたことがある。
「……あの、ジル。私、こんなに食べられないわ」
「……そうか、ごめん。君はどれが気に入るだろうかと思って買ったから、量が多くなっているとは思っていた」
「う、うん。でもせっかくだからちょっとずついただいて、後は持って帰るわ」
「そうして」
今、二人は第二書庫の司書室にいる。本来ならば仕事用の部屋なのに思いっきり逢い引きの場所にしているのはいいのか、と思ったが、ジルが「ここは僕の城だから、僕がよいのならそれでいい」と俺様発言をしたのでよいそうだ。かつて彼に追い出された恋人たちは、文句を言いそうだが。
セラフィナの前には、大量の菓子が並んでいた。今日書庫にお邪魔して司書室に入るなりこの量の菓子が目に入ったので、ジルは菓子屋でも開店するつもりなのかと思ってしまった。
これらはジルが恋人のために用意したものらしく、甘いものがあまり好きではないジルはゆっくりと菓子を口にするセラフィナを静かに見守っている。時折自分もつまむが、どれも苦めのものばかりだ。
「ジルは甘いお菓子が苦手なのよね」
「食べられないわけじゃないけれど……大量に食べると胃もたれがする。僕の胃は、粗食に慣れているから」
「そうなのね。じゃあもしジルのためにお菓子を焼くことがあっても、苦めの味付けにするわ」
「いや、セラフィナが作ってくれるものなら何でも食べる」
「そう言ってくれるのは嬉しいけれど、無茶はしないでね……」
セラフィナとしても、大好きな恋人が真っ青な顔で菓子を食べる姿は見たくない。
だがジルも菓子自体には関心があるようで、「どれがいいかな……」と甘さ控えめそうなものを探している。
(……あ。さっき食べた、これなら……)
「ジル、これはどう? プレーンだから甘さ控えめよ」
セラフィナがつまんだのは、クリーム色のクッキー。先ほど一枚食べたのだがほんのりミルクとバターの味がするくらいの控えめな甘さで、ほろりと崩れるような食感もよかった。
顔を上げたジルはプレーンのクッキーをしげしげと見て、うなずいた。
「よさそうだね。それ、もらうよ」
「ええ、どうぞ」
気に入ってくれそうで、よかった……と思いながらセラフィナがそのクッキーをさくりと食べると、ジルは「え?」と低い声を上げた。
「……なんで食べるの」
「なんで、って……まだあるわよ?」
「ない。セラフィナが持っていたクッキーはもう、なくなってしまった」
セラフィナはクッキー缶を手で示すが、ジルは据わった目で首を横に振る。
最初、彼が何を言っているのかよく分からなかったが――
(……ああ! もしかしなくてもこれは、「あーん」をご所望だったのね!?)
彼と真剣交際を始めて、知ったこと。
ジルは、ベタな展開が大好きである。
先日彼の手袋を買いに一緒に城下町に行ったのだが、ジルはセラフィナと肩を並べ歩調を揃えて歩いてはくれるが、手を握ったり抱きしめたりといったことはしなかった。少し足下がぬかるんでいたり段差があったりすると紳士的に手を貸してくれるが、それくらい。
だが……司書室や誰もいない書庫で二人きりになると、彼は積極的にスキンシップを求めてくる。これまでも横に並んで本を読みつつセラフィナに匂いを嗅がせてくれていたが、今は近い。すごく近い。どれくらいかというと、二人の太ももがぴったりとくっつくくらい、近い。
そして、二人きりだと手を握ったり髪に触れたりしてくる。この前なんて、「ちょっと疲れたから寝たい」「分かったわ。枕代わりは必要?」「うん、君の膝がいい」なんてことをさらっと要求してきた。
そのときはさすがにセラフィナも焦ったが、ジルがとても澄んだ灰色の目でじっと見つめてくるものだから、すぐに膝を差し出してしまった。セラフィナの膝の上に頭を載せたジルは、とんでもなく幸せそうな寝顔だった。
ジルは恋愛小説などはあまり読まないとのことだが……むしろ読まないからこそ、定番中の定番といった感じのふれあいを求めるのかもしれない。彼の要求はどれもいやらしさの欠片もない初々しいものばかりなので、なんだかんだ言ってセラフィナも付き合っていた。
そんな彼の今回のご要望は、「あーん」のようである。
「……私がつまんだクッキーなんて、汚くない?」
「汚いはずがない。というか、セラフィナの体で汚いところなんて一つもない」
それはさすがに異性に対して夢を見すぎではないかと思うが、彼の目は真剣である。
そして……普段はつんとしているのに二人きりだとデレデレになるこの恋人のことが可愛くて甘やかしたいと思ってしまうセラフィナは、その眼差しにあらがうことなんてできなかった。
「……分かった分かった。はい、あーん」
先ほど自分が食べたのと同じプレーンのクッキーをつまんで、ジルの方に差し出す。彼はなぜかすぐには食べず、少し身を引いてセラフィナの姿をじっくり見てから顔を近づけ、さくりとクッキーにかじりついたが。
「っ!」
「あっ! これ、柔らかいのよ」
「ご、ごめん」
クッキーの欠片がぽろぽろと零れ、セラフィナの膝に落ちた。ジルは手のひらで口元を覆いながらもろもろになったクッキーを食べ、セラフィナはクッキーのかすを集めてハンカチで包む。
そして――顔を上げたセラフィナは、思いのほか近いところにジルの灰色の目があったため、ぴくっと身を震わせてしまった。
「っ……」
「……」
「……あ、あの。クッキー……どう?」
「めちゃくちゃおいしかった。これまでの人生で食べたあらゆる料理の中で一番おいしかったかもしれない」
「褒めすぎよ……」
かなり大げさだろう発言にセラフィナは思わず突っ込んだが……手ずから食べさせてあげたクッキーがそれほどおいしく感じられたのだと思うと嬉しくて、いそいそとハンカチをしまいながらも口元はついにやけてしまった。




