28 心からの笑顔を
居酒屋での食事と話を終えて、店を出る。
フォルテシア王国は一年中を通して比較的温暖な気候だが、夜になるとさすがに冷え込む。セラフィナは仕事の後すぐに店に来たのでうっかり防寒具を忘れてしまったのだが、ジルは何も言わずに自分の手袋を差し出した。
「……これ、ジルのよね?」
「僕はコートを着ているからいい。君は、薄着じゃないか」
「うっ……夕方は、まだそれほど寒くなくて……」
「……女性は冷えやすいというだろう。僕ので悪いけれど、手だけでも温められるだろう」
「ありがとう。……悪い、なんて言わないで。温かいし……あなたの匂いがして、すごく落ち着くわ」
男性用なので両手に着けるとぶかぶかになったが、ふわりと漂うジルの匂いが心を癒やしてくれる。
ジルはついっとそっぽを向いて歩き出したが、きちんとセラフィナと歩幅を合わせてくれる。馬車が近くを通ったらかばうようにさりげなく身を寄せてくれるし、城の門を通るときにはセラフィナがもたつかないよう、先に身分証明書を出してくれる。
「……あ」
もうすぐ宿舎というところで、二人はほぼ同時に声を上げた。なぜなら、宿舎の入り口に知った顔を見つけたから。
彼は二人の姿を見ると片手を上げて近づいてきて――ちらっとセラフィナの手元を見てから、微笑んだ。
「こんばんは、お嬢様。そして……ジルさん」
「こ、こんばんは、トリスタン」
「……どうも」
つい、声が裏返ってしまった。トリスタンがこの辺にいるのは全くおかしなことではないが……居酒屋であの話をした後だからか、それとも晴れて両思いになったジルと一緒にいるところを見られたからか、今は少しだけ異父兄の顔を見るのが気まずかった。
だがもじもじするセラフィナとは対照的に、ジルは臆することなくまっすぐトリスタンを見ていた。トリスタンはジルの視線を受けてうなずいてから、セラフィナの方を見た。
「そのご様子では……よいお話ができたようですね?」
「……ええ」
トリスタンには、「次にジルと会うときに話をする」と言っているので、今がその帰りだと分かったようだ。
彼は微笑み、ジルに向かって「……そういうことなので」と言う。
「俺はこれからも、お嬢様のことを見守ります。……ですが、その後のことは。……お嬢様のことをよろしくお願いします、ジルさん」
「……はい。僕の恋人は、何があっても守ります」
ジルがはっきり言うとトリスタンは満足げに微笑み、「よい夢を」と言って去っていった。
(トリスタン……)
セラフィナが城で働くようになってからの四年間、ずっと彼は側で見守ってくれていた。皆の前では兄として振る舞えず、「お嬢様」と呼ぶことしかできない妹のことを、いつも気に掛けてくれた。
これまで散々トリスタンの迷惑になっていたのだから、これから彼には彼だけの人生を謳歌してほしい。いずれ……グリセルダとは全く違う女性と一緒によい報告をしてくれたら、セラフィナも嬉しい。
そんなことを思いながらトリスタンの背中を見送っていると、そっと肩にジルの腕が触れた。
「ジル?」
「……あの人には、勝てそうにないな」
「そうね。トリスタン、あんなに細いけれどとても強いのよ。女の人はちょっと苦手みたいだけれど……」
「そうなのか。……そういえばこの前、派手派手しい令嬢に追いかけられていたな。……これからは、彼を書庫にかくまったりしようと思う」
「ふふ。彼、きっと喜ぶわ」
小さく笑ってから、セラフィナは手袋を外して揃えてジルに差し出した。
「ここまで送ってくれて、ありがとう。これ、返すわ」
「あげるよ」
「……えっ」
「……。……ごめん、今のなし。それ、返して。今度新品を買って贈るから……」
「やだ」
こちらに伸ばされたジルの手から逃げるように手袋を胸に抱き込み、セラフィナは微笑んだ。
「くれるのなら、これ、もらうわ。……ふふ。恋人になって初めてのプレゼントが手袋だなんて、素敵だわ」
「いや、だから、新品を――」
「ううん、これがいいわ」
ジルに取り返される前にとセラフィナは急いで手袋を着け直し、にっこり笑った。
「これ、寒い日に使うわ。……でもそれだと他の人に冷やかされちゃうわね。だから、あなたと夜のデートをするときにだけ着けたいの。いい?」
「……だめ、ではないけれど……」
「……でもそれだと、あなたのがなくなっちゃうものね。それじゃあ今度、素敵な手袋を買って贈るわ。それならいい?」
手袋を着けた両手を握ったり開いたりしながら言うと、ジルは両手で顔を覆って何やらうめき始めた。
「……何なの、君。想いが通じ合った途端、こんなに大胆になるとか聞いていないけれど……」
「だめだった?」
「いや、すごくいい」
ジル、正直な男である。
「それじゃあ今度のデートのときに、新しいのを……ああ、そうだわ。一緒にジルの手袋を選ばない? 今の時期ならきっと、お店にいろいろなものを並べているわ!」
いわゆる、お買い物デートだ。もちろん、ジルが人前でそういうことをしたくないのなら引き下がり、事前に買っておいたものをラッピングして渡すだけにするつもりだ。
だがジルはそれまで顔を覆っていた手を下ろすと、深い深いため息をついた。一見すると脱力しているかのような動作だが――ぼさぼさの髪の隙間から見える耳は、真っ赤に染まっている。
「……そうだね。君はセンスもよさそうだし、いいものを見繕ってくれるよね」
「ええ! ……楽しみだわ」
「……うん。僕も……君と一緒に行けるのなら、楽しみだよ」
ジルはそう言って、ふわりと微笑んだ。
それは、彼と知り合って二年経つセラフィナも初めて見る――心から嬉しそうな笑顔だった。




