25 揺れる関係②
「大丈夫か、セラフィナ?」
「ジル……」
「何、そいつ? ……ああ、そういえばトリスタンの主人は、蜘蛛の巣まみれの書庫番を恋人にしているのだったかしら」
トリスタン関連のこととなると博識らしいグリセルダは薄く笑い、セラフィナを背後からそっと抱き寄せてくれたジルをせせら笑うように見つめた。
「トリスタンを侍らせるくらいのおまえの恋人なのだから、どんなものかと思ったら……なんとも冴えない男ね。そいつがいるのに、トリスタンも自分のものにしているわけかしら?」
「冴えなくて結構。……僕の恋人を悪く言わないでいただきたい」
ジルが静かに……だがかすかな怒りを込めて言うと、グリセルダは何かに気づいたように目を瞬かせ、小さく笑った。
「……分かったわ! おまえ、トリスタンと逢瀬をするのを隠すために、その冴えない書庫番を隠れ蓑にしているのね! まあ、なんて性根の悪いことかしら……!」
「……何をおっしゃるのですか!」
思わずセラフィナは声を上げた。耳元で「やめなよ」とジルが注意を促すが気にせず、じっとグリセルダをにらみつける。
「トリスタンのこととジルのことは、全くの無関係です! だから、私の恋人を……大好きな人をそのように言わないでください!」
「セラ――」
「……。……なんだか、興が冷めてしまったわ」
グリセルダは肩で息をするセラフィナをつまらなそうに見て、きびすを返した。ひとまず今日のところは引き下がってくれるようだ。
(……何、何、何よ! いくら高位貴族のご令嬢だからって、何を言っても許されると思わないでほしいわ!)
グリセルダが去ってもなおセラフィナはじっと彼女の後ろ姿をにらんでいたが、きゅっと肩を掴まれた痛みで我に返る。
「……ジル?」
「……あ。ごめん、痛かったか?」
「ううん、気にしないで。……それより、ごめんね。なんか巻き込んでしまって……」
「君の責任じゃない。僕こそ、こんなもっさりした男だから君に不名誉を着せてしまったし思ってもないことを言わせてしまった」
ジルが静かに言うので、セラフィナはむっとして彼の手を握った。
「そんなことないわよ! というか、思ってもいないことって、何? 好きな人を馬鹿にされたら腹が立つに決まっているでしょう!」
「……。……それだよ」
「何?」
「……君、本気で僕のことが好きなのか?」
ジルに指摘されて……ようやく、セラフィナは自分の発言に気づいた。
今、セラフィナはジルのことを「好きな人」と呼んだ。そして、グリセルダとの会話中はかっとなっていたのであまり覚えていないが……そのときも、「大好き」と素直に言ってしまった気がする。
あ、と思ったのも一瞬のこと。
(……そう、だ。私は……ジルのことが、好き……)
冷静に自分の中でつぶやくと、「好き」の言葉がすんなり落ち着いた。
ジルのことが、好き。
好きだから……一緒にいて楽しいし、好きな本をお勧めしたいし……一緒に食事に行きたい。
呪いで彼の匂いに惹き付けられるようになっているが……きっとそれよりも前から、自分はこの誠実な青年に惹かれていたのだ。
じわじわと自覚してきて顔が熱くなってくるが、そんなセラフィナとは対照的にジルは冷めた顔をしている。
「……ええと、ジル?」
「……嘘は、結構だよ」
「う、そ……?」
「……さっきの令嬢の言葉はとんでもないけれど……でも、君があの兵士と仲よくしているのは、僕も知っている」
ほんの少し冷たい風が、二人の間を通り抜けていく。ジルの手を握っているのに、心の距離は遠く離れているかのよう。
「トリスタン……だっけ。あいつと君は、ただのお嬢様と私兵の関係じゃないんだろう?」
「っ……」
「図星なんだね……」
思わずセラフィナが言葉に詰まると、ジルは目を伏せた。眼鏡を掛けているので、彼の目元はよく見えないが……見えなくてよかったかもしれない。
「無理はしなくていいよ。君は呪いのせいで、好きでもない男にくっつかないといけなくなった。君が愛を捧げるのは、本当に好きな人一人でいい」
「ち、違う! 呪いのせいとかじゃなくて、私はジルのことが……」
「じゃあ、あの私兵とはどういう関係なの?」
「……」
「……言えない、んだね」
「……。……今は、言えない」
セラフィナの返事を聞き、ジルは落胆したかのように小さく嘆息した――が。
「でも、少しだけ時間をちょうだい! こっちの方で話が付いたら……絶対に、あなたに教えるから!」
「……話?」
「うん。だから……ちょっとだけ、待ってくれる? ……ううん、待っていてください」
セラフィナが言い直して頭を軽く下げると、ジルがぎょっとした様子で「顔を上げなよ」と言い、気まずそうに視線をそらした。
「……分かった。……今日はちょっと落ち着かないから、ここで解散……でいいかな」
「……ええ、そうしましょう。また、会いに行くわ」
「……待っている」
言葉少なではあるが、ジルが「待っている」と言ってくれたことが嬉しくて、セラフィナはほっと頬を緩めたのだった。




