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24 揺れる関係①

 ある日、いつものようにジルと一緒に書庫での時間を過ごした後、珍しく彼の方から「食事でもしないか」と誘ってきた。


「前に行った、居酒屋。あそこが今日、お客様感謝デーとやらを実施しているらしいんだ」

「もしかして、いつもよりお安くおいしいものが食べられるとか?」


 セラフィナもつい声を弾ませてしまう。ジルと一緒に作戦会議をするために行ったあの店は、肉も魚も野菜もおいしかった。


「うん、そんなところだけど……君、貴族の令嬢なのにそういうのにがめついんだな」

「い、いいじゃない! それにうちは貴族といっても隅っこ族だもの。倹約は大事よ」

「それもそうだね」


 ジルは書庫の戸締まりをするので、セラフィナが先に外に出て彼を待つことにした。


(今日は何を食べようかな。この前はお肉メインだったから、今日はお魚中心に注文しようかしら?)


 そういえば、ジルは細身でいかにも偏食しそうな見た目ではあるが案外健啖家で、おまけに食べるのがものすごく早かった。もっとゆっくり食べればいいのに、と言っても「昔の癖だ」ということでやめられないらしい。

 食事のマナーもそれほど洗練されているわけではなかったが……とてもおいしそうに食べるので、居酒屋の店員は豪快な食欲を見せるジルを嬉しそうに見ていたものだ。


「……そこのおまえ、ちょっとお待ちなさいな」


 もぐもぐと料理を平らげるジルの姿を思い出していると、女性の声がした。最初は無視しそうになったが……周りに誰もいないことに気づいたため、セラフィナははっとして振り返った。


 第二書庫手前の並木道に、ドレス姿の女性がいた。さらりとした長い銀髪に、神秘的な紫色の目。ラミレス家と天地ほどの差があると分かる高位貴族らしい装いの令嬢だが、その姿に見覚えはない。そもそも下級貴族のセラフィナには、こんなに豪華な見目の友人はいない。


(どなたかしら……?)


 疑問に思いつつ、礼儀として挨拶をすることにした。


「お初にお目にかかります。わたくし、ラミレ――」

「ラミレス家のセラフィナでしょう。わたくしは、レベール家のグリセルダ」


 さっと扇を広げて口元を隠した令嬢が、セラフィナの自己紹介をぶった切って言った。

 十分失礼な振る舞いだが、レベール家は予想通りフォルテシア王国でも歴史の古い名家だ。田舎貴族令嬢ごときが「無礼」と言える相手ではない。


「ごきげんよう、グリセルダ様。私に何かご用命でしょうか」

「ええ、おまえにしかできない頼み事があるの」


 初対面だというのに「おまえ」呼ばわりしてきたグリセルダは、つんと澄まして言った。


「おまえ、トリスタン・ガロの主人でしょう?」

「……トリスタン・ガロは我がラミレス家の私兵の息子です。彼が何か、不始末をしましたでしょうか」


 トリスタンの名が告げられたため、ひやり、と胸元を嫌な汗が伝う。もしもトリスタンがこの令嬢に無礼なことをしたのならばセラフィナが彼女に謝罪した上で、トリスタンを罰するよう父親に報告しなければならない。


(でも、女性が苦手なトリスタンが何かをするなんて……)


「いいえ。……おまえ、わたくしとトリスタン・ガロの間を取り持ちなさい」


 頭の中でいろいろ考えていたセラフィナだが、続くグリセルダの言葉にきょとんとしてしまった。


(とりもち……取り持ち……ええっ!?)


「え、そ、それはつまり、グリセルダ様はトリスタンのことを……?」

「ええ、気に入ったわ。……あんなに見目がよくて物腰が柔らかいのに平民でいるなんて、もったいない。それに、剣術の腕前も確かだと聞いたわ」


 グリセルダは扇の先で自分の顎先をとんとんと叩きながら、楽しそうに言っている。てっきり、貴族令嬢が平民の兵士との叶わぬ恋に悩んでいるのかと思ったが……あまりそういうふうには見えない。

 それに、グリセルダはセラフィナとあまり年が変わらないだろう。それなら、婚約者がいてもおかしくない。


(……結婚するまでの火遊びの相手にする、ということかしら)


 そこまでではなくとも、彼女が本気でトリスタンを愛しているわけではなさそうだということはすぐに分かった。彼は言い寄ってくる女性が苦手だからセラフィナとしては、そんなトリスタンを優しく受け入れてくれる女性と一緒になってほしいのだが……グリセルダにそういうことを願うのは無理だろう。


「……申し訳ありませんが、いくら彼の雇い主の娘といえど私にそのような権限はございません。トリスタン本人の意思も分かりませんし……」

「……ではおまえ、トリスタンにわたくしのことを聞いてきなさい。彼、いつもわたくしから逃げているのよ」


(それはつまり、嫌がられているってことなのに……)


 そこでふと、セラフィナは以前トリスタンと話をしているときに、令嬢に追いかけられて木陰に隠れたことを思い出した。もしかすると、あのときトリスタンを追っていたのもグリセルダだったのかもしれない。


「彼は女性に不慣れなのです。ですから、グリセルダ様を前にすると緊張してしまい……」

「不慣れ? ……そのくせ、おまえとは親密そうに話していたでしょう」


 どうやら立ち話をしているところも、見られていたようだ。

 グリセルダの目尻がきゅっと上がり、扇を閉ざした彼女はその先をセラフィナに向けた。


「おおよそ、おまえがいるからトリスタンはわたくしを見てくれないのでしょう。だから、おまえの方からトリスタンを説得するのが筋よ」


 そんな筋、聞いたことがない。


「……彼の気持ちが分からないので、私の一存ではどうにもできません」

「……つべこべうるわいわね! このわたくしがしろと言っているのが、分からないの!?」


 苛立った様子のグリセルダがずいっと詰め寄り、扇の先でセラフィナの胸元をとんっと押してきた。令嬢ごときの力はしれているが、豪華な扇子は頑丈な作りになっているようで、チクッとした痛みが走った。


「っ……!」

「セラフィナ!」


 思わず胸元に手を当てて後じさると、背後から軽やかな足音が近づいてきた。ふわり、と優しい匂いが漂う。

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