22 思いがけない出会い①
セラフィナは、足取りも軽く第二書庫への道を歩いていた。
(おもしろそうな本がたくさん見つかって、よかった! ジルは、どれなら気に入ってくれるかしら……?)
鞄は本でずっしりだが、それが気にならないくらいセラフィナは調子がよかった。
呪術の犯人こそ見つからないものの、体調は良好。昨日検査に行ったときにもラモンから「ひとまずこの調子でいればよさそうだね」と言ってもらえたし、ジルに勧められそうな本もたくさん見つかった。
セラフィナは架空戦記などの物語も好きだが、推理ものなども好んで読む。さすがに血みどろ殺人事件などは少し手を出しにくいが、主人公がわずかな証拠を手がかりに犯人を追い、とき推理に失敗したり犯人に逃げられたりしそうになったりしつつ、最後には仲間の協力を得て事件解決……というストーリーが好きだった。
(今の時間なら、あまり人もいないはずだし……って、あれ?)
「軍師様……?」
第二書庫の入り口にいる人を見て思わずセラフィナが声に出すと、その人はくるっとこちらを見た。
やはり、前にもここで顔を合わせ少しだけ会話したことのある、「不敗の軍師」ことシメオン・クレベルソンだった。
「お? 君は確か前、ここで会った可愛いお嬢さんだな!」
「ごきげんよう、クレベルソン閣下」
王城でのルールに則りセラフィナが仕事用ワンピースのスカートをつまんでお辞儀をすると、シメオンの向こうから「あら?」と女性の声がした。
「あなたはもしかして、ここの司書の恋人ではなくて?」
「え? ……あ、あー! そっか、そうだな!」
女性の声を受けて、シメオンが今気づいた、とばかりに手を打った。
「悪い悪い! もしかして君も、あの司書に会いに来たのか?」
「え、ええと、そうです。でも、閣下の方がお先に――」
そう言って……セラフィナは、シメオンの向こう側にいる女性の顔をはっきり見た。
大柄なシメオンにすっぽり隠れてしまいそうな小柄な女性で、黒いつややかな巻き毛と秋晴れの空のような薄青色の目を持っている。着ているドレスは装飾こそ少なめだが、ふんわりとした柔らかそうなガウンも上品な刺繍が裾に施されたスカートも、極上の素材で作られた一級品だと分かる。
王宮使用人でしかないセラフィナでは、近くに参ることも許されない――セラフィナの憧れの一人である女性が、シメオンの隣でおっとりと笑っていた。
「ごきげんよう。わたくしは、ルセリアと申します」
ルセリア。セラフィナが知る中でその名を持つ人物は、ただ一人だけ。
「ご、ごきげんよう、王妃殿下! ご機嫌麗しゅうございます!」
慌てて挨拶をしてお辞儀をしたが、健康状態だというのに心臓はばくばく鳴っているし手汗がひどい。
(まさか、「奇跡の聖女」とお会いできるなんて!)
冷遇されてきたヴィクトルを父であるディアス領主が受け入れ、ルセリアは彼を献身的に支えてきた。そして戦争が終わってしばらくして王妃として迎えられ、去年には待望の第一王子を産んだばかり。
ヴィクトル王がただ一人愛する妃であるルセリアがまさかこんなところにいるとは思っていなくてセラフィナは目を回しそうになるが、シメオンの快活な笑い声で我に返った。
「あはは! 君、すっごく緊張しているな!」
「まあ、困らせてしまったのならごめんなさいね。実はわたくしも、こちらの書庫に用事があって……」
「さようでしたか! では、お先にどうぞ!」
どうぞどうぞ、とセラフィナはずざっと後退しながら言う。シメオン相手でも先に譲つるつもりだったのだから、王妃ともなれば譲るどころかセラフィナがその場に這いつくばってその上を歩いてもらっても構わないくらいの気持ちだった。
ルセリアは「ありがとう。ではお先に失礼しますね」と微笑んで言い、シメオンを伴って第二書庫に入っていった。
(……ふはぁ! 緊張した!)
ドアが閉まって何秒も経ってからようやく体が動くようになり、セラフィナは近くにあった木にどさっと寄りかかった。まだ心臓は早鐘のように鳴っており、額にもじんわりと緊張の汗が浮かんでいた。
(シメオン様にまたお会いできただけでもびっくりなのに、王妃様にもお会いできるなんて! 私もう、一生分の運を使い果たしたかもしれないわ……!)
王妃と会話をしたなんて、使用人仲間にも自慢できることだ。おっとりと優しそうなルセリアだが革命戦争の英雄の一人に数えられるだけあり、男女問わずかなりの人気を集めている。使用人仲間の中でも、「もし王妃様が危機に陥ったら、身を挺してお守りしてしまうわ」「私のドレスで靴を拭いてくださっても構わないわ」と言う者が結構いる。
ほわほわと夢見心地に浸るセラフィナだったが、しばらくして書庫のドアが開いたためはっと体を起こした。だがそこにいたのはシメオンだけで、彼はセラフィナを見るとにっと笑って自分の背後を示した。
「お待たせ。君も入りなよ。ルセリア様の用事はもう終わって、今は本を選んでいるところだから」
「あ、ありがとうございます」
彼はルセリアの護衛だが、それを言うためにわざわざ出てきてくれたようだ。彼の気遣いに礼を言い、セラフィナは第二書庫の建物に入った。
本当は今日、ジルに推理小説をお勧めしようと思って来たのだが――残念ながら彼はルセリアの本選びに付き合っているようで、セラフィナには背を向けて何やら話し合っていた。さすがに王妃相手だからかいつもなら気だるげなジルもきちんとした言葉遣いで、「こちらの書籍は……」「発行は古いのですが、それでもよければこちらを……」といろいろ説明しているようだ。
(……王妃様も、こういうところに来られるのね。もしかして本好き……だったりして?)
もしそうなら、本好き仲間――と言うのは無礼ではあるが――が王族にもいてなんだか嬉しい。もしかしたら、もっといろいろな本が配架されるように取り計らってくれるかもしれなくて、本好きとしては喜ばしい限りだ。
……喜ばしい、はずなのに。
(……なんだろう。ちょっとだけ……もやっとする)
ジルとルセリアの間は、人間二人分ほどは離れている。だが本についてあれこれ意見を交わす二人を見ていると……本好き仲間が増えて嬉しい、という気持ちより、ジルと話をしているルセリアがうらやましい、という気持ちの方が勝ってしまった。
ジルとああやって話ができるのは、セラフィナだけの特権だと思っていたのに――




