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20 セラフィナの部屋にて②

「……これってもしかして、ヴィクトル王の伝記だったりする?」

「んー、五十点ね。陛下やその臣下たちの活躍を物語風にしたものなの。おもしろかったわ!」


 トリスタンに勧められてから、就寝前などに少しずつ読み進めて先日読破したところだ。ヴィクトル王の活躍を描いた書物は他にも読んだことがあるが、この「英雄王の軌跡」は登場人物たちの心理描写が細やかで、まるで自分も戦場の一兵卒として存在しているかのような気持ちにさせられた。


 先代国王の息子ではあるが妾妃の子で、しかも国王に愛される妾妃に嫉妬した王妃により妾妃は姦通罪の濡れ衣を着せられ、処刑された。王子ヴィクトルは追放され、王国北部のディアス領というところで育った。


 そのヴィクトルが成長し、悪逆王とささやかれていた父王を討つべく革命を起こした。それが五年前の革命戦争――通称「英雄王戦争」だ。


(私は田舎貴族の娘だから、そこまで先代国王の圧政の影響を受けなかったけれど……王都の人からしたらヴィクトル陛下はまさに救世主で、今でもすごく人気があるのよね)


 ヴィクトル自身はディアス領の領主の娘だった王妃・ルセリアだけを愛しており、妾妃を持つつもりはさらさらないようだ。だがあわよくば若く麗しい国王のお手つきになれたら……と願う女性たちはそれなりにいるそうだ。もちろん、大問題になる前に「不敗の軍師」ことシメオンたちによって鎮圧されるようだが。


 ジルもこの話題には関心があるようで、興味深そうに文面を追っている。


「へえ、なかなかおもしろそうじゃないか」

「でしょう!? しかも、ここに出てくる男性たちが格好よくて……」

「……まさかシメオンが好きだとか?」


 調子よくしゃべっていたセラフィナだが、急にジルの声が低くなったためぎょっとした。


(えっ? なんだかすごく不機嫌に……って、ああ、そうだ! この前、ちょっと揉めているみたいだったわ!)


 国王のお使いか何かでシメオンが第二書庫に来たところにセラフィナも居合わせたのだが、シメオンはジルからネチネチネチネチ何かを言われた様子だった。いくら伝説の軍師、現在は近衛騎士団長といえど、書庫の番人であるジルには勝てないのかもしれない。


「確かに軍師様も素敵だし、国王陛下も格好いいと思うわ。それに、王妃様も素敵よね。陛下のために荒れた土地を歩き人々に食料を与えた、まさに『奇跡の聖女』の名にふさわしい方だと思うわ」

「……ふぅん? じゃあ、みんな格好いいって?」

「もちろんみんな素敵な方だけど、私はこの、『百人斬りの剣士』がミステリアスで素敵だと思うの」


 ジルから受け取った本のページをめくり示したのは、「百人斬りの剣士」ことクローヴィスの最大の見せ場である。


 王侯貴族である他の三人と違い、クローヴィスだけはディアス領で暮らしていた平民だった。だが彼は卓越した剣術の才能を持っており、その剣技で国王たちの進む赤い道を切り拓いていったとされる。


「ここ見て! クローヴィスが剣を構えたら最後、彼の前に立っていた者たちは一瞬のうちに事切れていた。その剣の動きを目に留めることはできず、銀の奇跡が赤く染まる中、クローヴィスはただ主君や仲間たちのためだけに道を突き進んでいた……ですって!」

「……」

「剣士様はもうお亡くなりになっているし、肖像画も残っていないのが残念よね。……でも生きていらしたら絶対に、騎士団で活躍する大英雄になっていたわ! きっとこんな、スマートで格好いい武人なのよね……」

「……」

「……ジル?」


 有頂天で推しについて語っていたセラフィナだが、対するジルは次第に眉間に深い縦皺を刻んでいき、最後にはぷいっとそっぽを向いてしまった。


「……そう。セラフィナは、そういうスマートで運動神経のいい男が好きなんだね」

「え? ええ、それはまあ、ね。やっぱりほら、すごく頼りになりそうだし……」

「……」


 ジルはこちらを向いてくれない。どうやら……彼は剣士クローヴィスのことがあまり好きではないようだ。


(……確かにジルは運動が苦手らしいけど……そんなにあからさまに不機嫌になるほど嫌いなのかしら……?)


「……もしかしてジルって……」

「っ……」

「……昔、剣士様に会ったことがあるとか?」


 さては、と思って聞く。


 ジルは五年前に第二書庫の司書になるよりも前は、王国各地をふらふらと旅していたそうだ。もしかするとその道中でクローヴィスと出会ったが……あまりいい思い出は作れなかったのかもしれない。


 セラフィナの問いかけにジルはかなり黙った後に、ゆっくりうなずいた。


「……そうだよ」

「へえ……!」

「すっごく、嫌なやつだった。……もし生きていたとしても、絶対にセラフィナとは意見が合わないだろうから、あんまり夢を見すぎない方がいいよ」


 ジルは素っ気なく言うと、残っていた茶をぐいっと一気に飲んで立ち上がった。


「お茶、ごちそうさま。……そろそろ僕は帰るよ」

「え、ええ。……あの、ジル」

「何?」


 さっさとコートを着たジルが振り返る。不機嫌そうだ……と思っていたが、振り返ったときのジルはまだ少し眉間にしわは残っているが、口調は優しかった。


 セラフィナは本をぎゅっと胸に抱き、ジルを見つめた。


「……今度は、あなたの好きそうな本を探しておくわ。だから、その……」

「セラフィナ」


 コートに袖を通したジルは一歩距離を詰め、そっとセラフィナの肩に触れてきた。ふわり、と心の落ち着くような芳香が漂う。


「……楽しみにしている」

「……うん! あ、そうだ。推理ものとかなら一緒に楽しめそうだから、とっておきのを選んでおくわね」

「ありがとう。期待しているよ」


 そう言って、ジルはほんのり笑った。もう眉間のしわは残っていないようなのでほっとしたけれども――どうしてジルが急に不機嫌そうになったのかについては、最後まで分からなかった。

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