16 ジルの提案①
――気がついたらセラフィナは、黒っぽい部屋に寝かされていた。
「……あ、れ……?」
「ああ、目が覚めましたね。すぐにアルコルタ様をお呼びします」
どこかに横たわった状態のセラフィナを、黒いローブ姿の女性が見下ろしていた。彼女はセラフィナの視界からいなくなり――間もなく、彼女の代わりにラモンが顔をのぞき込んできた。
「セラフィナさん、体調はどうかな? ……ああ、無理に体を起こそうとしなくていいから、楽な姿勢になって」
「は、はい……」
ラモンの顔を見て一気に脳みそが覚醒したセラフィナは、寝ていたベッドから上体を起こした。
ここは……おそらく、呪術研究所のどこかの部屋だ。いつもラモンの診察を受けていた部屋とは違うが、壁の種類や雰囲気が同じだから同じ建物内だろう。
「ここしばらくのこと、覚えているかな?」
ラモンに尋ねられたセラフィナは、目を瞬かせた。
「え? ……ええと……。……呪術の症状が重くなったから、ジルを待ち伏せしようと門の方に行って……」
(……あれ? それから、どうしたっけ?)
いまいち思い出せない。ただ、温かくて安心できるものに包まれていた覚えがあるし、今のセラフィナの体調はかなり安定しているようなので、無事にジルに会えたことは間違いない。
セラフィナの反応からだいたいのことが分かったのか、ラモンは少し困った顔で目をそらした。
「……何があったかは、ジル君の口から聞いた方がいいだろうね」
「ジルもいるのですか?」
「ああ。途中で寝てしまった君をここまで運んでくれたんだよ」
(……ええっ!? あの細身のジルが!?)
それは、大変申し訳ないことをした。運んでくれた、ということはおそらく肩に担いだのだろうから、彼の繊細な肩甲骨や背骨が折れていないか心配である。
ラモンが席を外し、すぐにジルが入ってきた。いつものキャラメル色のコートではなくシャツにスラックスという姿のジルはセラフィナを見て、眼鏡のブリッジを指先で持ち上げた。
「……どうやら起き上がれるくらいには回復したようだね」
「ええ。ごめんなさい、迷惑を掛けたようで……」
「……ラモンさんから聞いたけれど、君、僕と再会したあたりからの記憶がないようだね」
空いている椅子に座ったジルが淡々と言ったので、セラフィナはうっと言葉に詰まって頭を下げた。
「……そ、その節はご迷惑をおかけしました……あ、いえ、覚えていないのだけれど……私を担いでここまで運んでくれたのでしょう?」
「……体調不良の女性を肩に担ぐほど、僕はがさつではない。僭越ながら抱えて移動させてもらったよ」
なぜか少しむっとしたようにジルに言われたので、セラフィナはそうだったのか、と一瞬納得しかけ――
「……え? 抱えて?」
「そう」
「……まさかこう、小脇に抱えたの?」
「馬鹿言うな。両腕で抱えたに決まっているだろう」
ますます不機嫌そうに言われて――セラフィナは、自分がいわゆる「お姫様抱っこ」をされたのだと今知った。
(……ええええっ! ジルが、私を、お姫様抱っこ……!?)
「そ、そんな運び方をしたの!?」
「そんな、とは失礼だな。それが一番君の体にとって負担が少ないんだよ」
「そ、そうよね、ごめんなさい。……誰にも見られなかった?」
「……」
ジルが、黙った。それだけでだいたいのことが分かり、セラフィナはさっと血の気が引く思いをした。
「……え? 見られた……の……?」
「……通行人ももちろんだし、別件で城外に出ていて僕と同時に城に帰ってきていた騎士たちにも、見られた。というか、皆が見ている前で君が僕に抱きついてきた」
「……」
セラフィナは愕然と身を震わせ……ゆっくりと体を折りたたむように、上掛けの中に顔を突っ込ませた。
(な、何、それ……!?)
「私が、ジルに、抱きついた……? 皆の前で……?」
「そう」
「私、そんな、全然覚えて……」
「そのようだね。そのときの君はおそらく呪術の影響で、半分我を失っていたのだろう」
「……な、なんて、ことを……」
「終わったことについてとやかく言っても、仕方がない。あのときの君が極限状態だったのは分かっている。……僕たちが今やるべきなのは反省会ではなくて、これからどうやっていくかの打ち合わせだ」
動揺して舌を噛みそうになるセラフィナとは対照的に、ジルはどこまでも落ち着いた声で言った。
「……君の方から僕に抱きついた姿は、多くの者に見られた。僕も……さすがに動揺してしまったし、周りの連中の誤解を解くより君の体調を優先させたから、やつらは君が僕のことを異性として愛していると思っていることだろう」
「……面目ないです……」
「それで、だ」
毛布に顔を突っ込んだままだったセラフィナの肩を掴んで体を起こさせ、ジルは眼鏡を外した。灰色の目はしっかりと見開かれており、その表面にげっそりするセラフィナの顔を映し出している。
「僕たちはこれからも呪術と戦うべきで、そのためには僕は定期的に君と体を近づける必要がある」
「う、うん」
「となると……今の皆の勘違いを現実にしてしまうのが一番楽で、むしろこれから動きやすくなるのではと思った」




