第36話
聖さんの事務所を出て、友人との待ち合わせ場所に行く道でも、クリスマスホリデーランチを予約した店でも、皆が私を…いや、大きな襟巻きに驚嘆の表情を見せた。
「確かに凄いもの!」
友人達もそう言って、狐の尻尾を撫でる。
「でも、何で銀狐?」
「昔ね…彼、やんちゃしてた頃『Silver Fox』って呼ばれてたらしくて」
「…あ〜、何となくイメージあるね」
「それにしても、良かったの?クリスマスは、聖さんと過ごされると思ってたわ」
「そうだよ、萌奈美…王子様と今から待ち合わせなら、昼は聖さんと一緒の方が良かったんじゃないの?」
「いいの…今年は…。だから、さっきプレゼント渡して来たし……もしかしたら、夜一緒に過ごすかもしれないし…」
「聖さん、怒らなかったの?」
「え?」
「普通さ、恋人なら…怒ると思うよ?クリスマスで誕生日に、彼女が他の男と会うって…然も、2人にとって初めての記念日にさ」
「…彼の親友にも、そう言われた」
「そうでしょ!?私だったら、凄く怒ると思う!!」
「…待ち合わせに誰も来なかったら、その後にデートしようって…」
「聖さん、滅茶苦茶いい人じゃん!何で?萌奈美にとって、どっちが大切な人なの!?」
「……選べないよ、そんなの…」
「どうしてぇ?」
「だって……一緒の人なんだもん」
驚いた顔をする友人達に、私は全て話した。
聖さんとの出会い、命を狙われ拉致されて告白され…いつしか、自分も彼を愛し始めた事…。
そして、彼の名前が『ナイト』というのを知り…私が、彼の昔のアルバムで確認をした事…。
今よりも幾分華奢で髪の短い…白いスポーツカーの前に、黒いロングコートを着て写真に収まる彼を見て、私は確信したのだ。
ただ…私が昔の事を話しても、彼は何一つ覚えてはいなかった。
それどころか、昔と正反対の事を言って、私を甘やかせ…昔の自分に敵意を剥き出しにしたのだ。
「…話してないの、聖さんに?」
「言ってない…聖さん覚えてなかったし。私も最近迄は…昔の事はもう忘れた方がいいのかもって…自分の胸の奥だけに、思い出として仕舞って置こうって思ってた」
「…」
「私だって…聖さんに会って直ぐには、思い出せなかったんだもん。名前聞いて…初めて…」
「なら、何で今になって!?」
「……色々あって…ちゃんと自分を…今迄の様に、強く前を見詰める自分を取り戻したくて…」
「…」
「それにね、聖さんにも申し訳ないし…ケジメ着けたくてさ」
「ケジメ?」
「きっと、今の聖さんが本当の聖さんだから…子供の頃に会った幻想を…私の中でリセットしたかったんだよ」
「…そっか…さよならして来るんだ」
「そう…来て貰えなくても…今日あの場所に行く事が、私のケジメ…今迄のお礼言って、さよならして…強くなって帰って来る」
そう言って、私は笑った。
「帰って来たら、ちゃんと聖さんに説明してやんなよぉ〜」
別れ際にそう言われ、苦笑混じりに友人に手を振ると、私は待ち合わせの公園のベンチに向かった。
冬の日暮れは早い…特に今日は天気も悪く厚い雲が広がっているから、いつもより余計に暗く感じた。
時折あの時の様にカップルが散策に来るが、今日の寒さに直ぐ暖かい場所へと異動して行った。
「…来ない人を待つって…寂しいものだね、ギンちゃん」
狐の頭を撫でながら、私は名前を付けた襟巻きに話し掛けた。
それにしても、何て自己顕示欲の強い人なんだろう…。
「…私が『騎士様』に会うって知ってて、ギンちゃんを贈ったんだよ、きっと…」
恋敵に、自分の女だと見せ付ける為に……そんな間柄ではないと説明したのに…。
「焼き餅妬きだからね…聖さんは…」
いつの間にか、空からチラチラと白い物が落ちて来た。
こんな所迄あの時と同じなんだ…そう思った瞬間、背後に光を感じて振り返った。
この時期だけのイルミネーション…昔と違うのは、LEDライトが使われている事位だ。
折り畳みの傘を開き、私はぼんやりと夜景を眺め思いを巡らせた。
今日のランチは、態と友人との予定を入れた…聖さんとランチを共にしていたら、絶対にここに来ることを阻まれるか、若しくは付いて来てしまうから…。
それじゃ意味がないと頑なに思っていたのだけれど……昼間の聖さんの顔を思い出して胸が痛くなった。
あんなに、寂しそうな顔をさせたかった訳じゃない。
彼は何一つ覚えてはいないのに…訳がわからずに恋人の行動に振り回され、心を痛め……本当なら、いつ別れを切り出されて捨てられても、おかしくない状況なのだ……なのに…。
「…『王子様』と会えたら、無視してくれて構わない…誰も来なかったらデートしようって…私と共に過ごす事が最優先って…どこまで優しくて、お人好しなんだか…」
愛されているのだ…必要だと、離さないと…その愛の重さに時折怖くなるけれど、離れて暮らしても別れよう等と一度も思わなかったのは、私も彼を深く愛して…一緒に居たいと思っているからだ。
私が取り戻したい強さは、1人で立つ強さではない…ヤクザの組長として生きて行く決心をした聖さんの隣に立ち続ける強さなのだと、改めて思った。
今度彼の腕に抱き締められたら…ちゃんと顔を見て好きだと伝えよう…そして、彼の望みを何でも叶えて上げよう…そう思った。
遠くからカツカツという靴音が近付く…この寒さの中、私以外にも待ち合わせしている酔狂な恋人達がいるのだろうかと、傘をずらして覗いた途端、あり得ない人物が立っているのを見て思わず立ち上がった。
「……嘘…」
「………萌…奈美」
真っ白な息を上げながら、ツカツカと私に近付くと…聖さんは、思い切り私を抱き締めた。
「……萌奈美…萌奈美…済まない……俺は…」
「…It's been so long.(ご無沙汰しています)」
抱き締めた腕の中で、俺の胸に手を付いて離れると、彼女はニッコリと笑った。
「……It sure has.(こちらこそ)」
萌奈美は…あくまでも『王子様』と会話をする積もりなのだろうか?
「正直、来て頂けるとは思っていませんでした」
「…済まない…遅くなって…」
「いぇ…10年前の、たった1度しか会わなかった子供との約束なんて…忘れていて当然です。それに、待ち合わせの時間を決めていた訳ではありませんでしたし」
「だが、萌奈美は覚えていた」
「私には、特別な出来事でした…だからずっと貴方に会って、お礼が言いたかったんです…ありがとうございました」
「…」
「あれから、日本語の勉強も一所懸命に頑張って、私なりに強く生きて来たんです。色々嫌な事を乗り越えて来れたのも…全てあの日、貴方に叱って頂いたお蔭です」
「…いゃ、あれは……俺は…萌奈美に八つ当たりしただけで…」
「…例えそうでも、感謝してます…本当に」
「…」
「私は…イイ女になれましたか?」
「あぁ…予想以上だ。それは、断言出来る」
「良かった…そう言って頂けて」
そう言うと、萌奈美はヘニャリと笑った。
「私、最近色々あって…少し…自信なくしてたんです。今迄培って来た物がズタズタにされて…再び立ち上がる決心をするのに、とても時間が掛かってしまいました」
「…もう、大丈夫なの?」
「正直、まだ少し怖い…でも、再び貴方に会えたら……いぇ…貴方に来て頂けなくても、ここに来れば……あの時に強くなりたいと思った気持ちを、取り戻せる気がしました」
「…」
「……好きな人が…出来たんです」
「!?」
今迄、堂々と話していた萌奈美が、少し恥ずかし気に俯いて言った。
「こんな私の事を…好きだと言ってくれる、とても優しい人です」
「…」
「自己顕示欲が強くて、嫉妬深くて寂しがり屋で…でも、私の事を凄く大切にしてくれる…過保護な位に甘やかせてくれる…そんな人です」
「…」
「ただその人、ヤクザの組長で…今迄も沢山命狙われたり、私も危険な事に巻き込まれたりしたんです。本人はそんな稼業を嫌って、いずれ組を解散させる積もりだった様なんですが……最近、ヤクザの組長として生きて行く覚悟を決めた様です」
「…棗に聞いた?」
「…私は…そんな彼の……隣に立ち続ける強さを……持ちたいと思います」
「…」
「…彼の事……愛してるから…」
「…萌奈美」
「この気持ちを、大切にしたいと思います。…だから……貴方に会って、ちゃんと……お別れを言おうと思いました」
「……どういう…事?」
「子供だった自分に、ケジメを着けたいんです。だから…『騎士様』には、もう頼らないと決めました」
「…」
「私が共に歩みたいのは『騎士様』ではなく……『聖夜』という人物だから…」
「萌奈美…」
「…これからは、何があっても…彼と共に乗り越えて行きます」
「…」
「今迄、本当に…ありがとうございました」
そう言って深く頭を下げる萌奈美の腕を取り、再び抱き寄せた。
「…物凄い…愛の告白…」
「ケジメ着けたかっただけだよ」
「…これ以上…俺を惚れさせて、どうする積もり?」
「そんな事、考えてないもん…ただ…」
「ん?」
「ちゃんと、目の前で言って置きたかっただけ…諸々ね…」
「自惚れてもいい?」
俺は、持って来た膝掛けを彼女の頭に被せ、顔を覗き込んだ。
「何を?」
「萌奈美に…物凄く愛されてるって」
「気付いてなかった?」
「いつも、醒めてるからね…わかっていても、時折自信なくしてた」
「……性格だもん……今日は、お誕生日だから…特別だよ」
「特別?」
「そう…特別に……聖さんの好きに…していいから」
「…」
「…聖さんのしたい事…何でも叶えて上げる」
「本当に?」
「…うん」
「幾つでも?」
「…いいよ」
見上げる萌奈美の顔が、イルミネーションの光に浮かび上がる。
「じゃあ…先ずは、キスして」
「ここで?」
「そう」
キョロキョロと辺りを窺い、誰も居ない事を確認して…萌奈美は俺の首に手を掛けた。
「…届かないよ」
俺が彼女の躰を抱き上げると、萌奈美はケラケラと笑い声を上げる。
「お姫様抱っこで?この場合は、王子様からのキスなんじゃないの?」
「いいんだ……約束してたろ?ずっと待ってたんだ…」
俺の言葉に、胸を痛めた様な顔をして、彼女は見詰め返す。
「Please kiss me….」
萌奈美は両腕を俺の首に回して、柔らかな唇を重ねて来た。
遠慮がちに啄む様なキスは、やがて熱い吐息と共に深く激しい物に変わる…。
唇が離れると、トロンとした瞳の萌奈美は、俺の首筋に顔を埋めた。
「ホント、キスに弱いんだね?」
恥ずかしがって首筋を甘噛みする彼女に、笑いながら俺は言った。
「これ以上煽ったら、ここで君を押し倒すよ?」
少し膨れて見上げる瞳に、真剣に向き合う。
「萌奈美…縛ってもいい?」
「……そんな趣味なの、聖さん?」
「違う…萌奈美の人生を…縛り付けたいんだ」
「…結婚って事?」
「嫌?」
「ゆっくり考えてって…言ってたじゃない」
「……」
「…不安なの?」
「そうだね…」
「逃げないよ?」
「証が欲しい……正式に、婚約してくれる?」
少し目を細め、間髪入れずに彼女は言った。
「…わかった」
「本当に!?」
「自分で言わせといて、疑うの?」
「…相変わらず、決断が早いと思って」
ヘニャリと笑う彼女に音を立ててキスをすると、俺は彼女を下ろして手を握った。
「降りよう…下で、棗が待ってる」
「棗さん?一緒に来たの?」
「路駐出来ないからね…車で待ってくれてる。それに10年前にも、この場所に棗は居たんだ」
「え?」
「…俺は棗に呼び出されて、ここでアイツを待ってたんだよ」
「……そうだったんだ」
納得する彼女に、俺はニヤリと笑って言った。
「目を三角にした棗が、萌奈美を待ってるよ」
「嘘ぉ!?」
「ホント…かなり怒ってる」
「何でぇ?」
「『王子様』が俺だとわかってて、秘密にしてたろ?」
「だぁってぇ…」
ゴニョゴニョと口ごもる彼女は、上目づかいで俺を見上げた。
「守ってくれるよね、聖さん?」
「さて…どうしようか?」
「守ってくれない様な人と、婚約しません!!」
笑いながら公園の出口を出ると、運転席から憮然とした棗が降りて来た。
「無事に見付けたか」
「あぁ…心配掛けた」
「……ごめんなさい」
俺の後から隠れる様にして顔を出し、萌奈美は小さく棗に謝った。




