13釣り上げられた2人
月の明かりだけが窓から差し込む質素な部屋に、一人の帝国騎士がいた。
部屋は10メートル四方で、外に通じる玄関ドアと、さらに別々の部屋に通じると思われるドアが2つある。
少し広めの2DKアパートと言った風情だ。
その帝国騎士がいるのは玄関から入ってすぐのダイニングキッチンに当たる部屋だが、食器棚や食卓などはあらかた壁際に片付けられている。
そして玄関の正面奥に、帝国制式の野戦装備を身に着けた帝国騎士が、食卓で使う椅子を一つだけ使って座っていた。
座り、部屋の隅の暗闇をギラつく瞳で睨みつけていた。
彼の名はバーター中佐。このレギ帝国西部都市、港街ボーウェンに本部を置く『西部方面軍』の参謀総長である。
バーター中佐は自らの住居を捜査本部と定め、妻子を避難させ、来るべき時を今か今かと待っているのだった。
と、やけに静かな時を破り、玄関のドアが軋む音をたてて開く。
月明かりの逆光を受けてドアの外に立つのは、鉄色の『鎖帷子』を身に纏った若いサムライだ。
「バーター中佐、捜査の方は進んでいますか?」
ガチャリ、と『鎖帷子』と腰に差した『無銘の打刀』を鳴らしながら玄関からゆっくりと入ってくる若サムライ。その顔は正しく、特別捜査官に任命されている冒険者の一人、アルト・ライナーという少年であった。
だがバーター中佐は微動だにせず、ただ腕を組み憮然として目だけを動かし彼を睨み付ける。
若サムライはおどけた表情で溜め息を付き、そしておもむろに腰の差料を音も無く抜いて、流れる様な軌道を描いて斬り付けた。
抜刀術、抜き打ち術、居合い、様々な呼び名があるが、つまりは奇襲である。
だが相手が充分に警戒していたなら、それは奇襲になり得ない。対するバーター中佐もまた、彼に倣う様にいつの間にか抜いた『両刃の長剣』で『無銘の打刀』を受け止めていた。
静かだった部屋に、激しい金属音が響き、一瞬の火花が散る。
「どうしたんですかバーター中佐? 部屋で『両刃の長剣』なんか抜いちゃ危ないですよ」
「釣れたか、と言いたい所だが、お前だけか?」
ギリギリと拮抗する刀と剣を挟み、バーター中佐は若サムライの言など全く無視して、低い声で問いかける。
アルトの顔のその少年は、ただニヤリと不敵な笑みで応えた。
その時、月明かりが差し込んでいた窓が、木枠ごと吹き飛んだ。
いやただ枠が破壊されただけではない。その破片と共に部屋へと飛び込んできたのは、蓬色の怪人であった。
あちこち節くれ立ち、人間では考えられぬ方向に曲がる関節と、頭部に妖しく光る真っ赤な複眼。だがその立ち姿は人の形を取る異形の者だ。
その姿を見て、バーター中佐はやっと口元を少しばかり歪めた。
「首魁がいないのは残念、だがっ」
言いつつ、鍔迫り合いを続けていた若サムライの腹を、右足で蹴り押して間合いを開ける。
「まずはお前らの首を貰う」
そして改めて愛用の『両刃の長剣』を正眼に構えた。
「威勢はいいけど、2対1だぜ?」
押されて後退りはしたが特にダメージも無い若サムライの少年は、対して自らも正眼の構えを取り舌をなめずる。
この帝国騎士の実力はどうやら自分と拮抗する様だが、こちらはもう一人、未知の実力を秘めた怪人がいるのだ。そう言う余裕が彼にはあった。
しかし、次の瞬間に、彼の表情は僅かに歪む。
その人間の皮をかぶった、アルトの顔をしたサムライが入って来た玄関から、さらに何者かが登場したからだ。
「なら7対2ならどうだ」
先頭で入って来たのは身幅厚い剛刀『胴田貫』をすでに抜き放った、『ミスリルの鎖帷子』を纏うサムライの少年、アルト本人であった。
そう、もうお判りであろうがバーター中佐が対峙していたアルトは、ドクター・アビスによって作り出された『変化ゴーレム』だ。
続いて4人、アルト隊の面々が、アルトの後ろに姿を現す。
「7人だと?」
「ティラミスもいるでありますからな」
そう応えて胸を張るのは、最後尾にいたレッドグースの帽子の上に仁王立ちする、『人形姉妹』が四女、『機械仕掛けのティラミス』だ。
「確認。偽者は間違いなくデク人形であります」
ひとしきりポーズをキメ、ティラミスは自慢のゴーグルを掛け、そして鉄色の『鎖帷子』を着たアルトを指差した。
「よし、偽者はオレがやる。ひとまず怪人の方を、パーター中佐、お願いします」
「承知した」
一瞬迷い、アルトはそう声を上げた。
並んだ敵、2体ともそれぞれに対し、アルトは複雑な感情がある。
まず蓬色の怪人。
人類かどうかも怪しい異形だが、先日遭遇した時、彼はアルトが元いた『ライナス傭兵団』で使われていたハンドサインを見せた。
すなわち、この妖しい『合成獣』の素材として使われた人間が、『ライナス傭兵団』出身者の可能性があるのだ。
そも、この世界でのアルト・ライナーと言う少年は孤児である。
そして彼はアルセリア島の東部で活動する『ライナス傭兵団』の英雄団長に拾われて、傭兵団の子供となった、と言う事になっている。
この歪な世界において、アルトという少年はその様な成り立ちで出来ているのだ。
もちろん当のアルトにもうっすらとした記憶があるし、義理の家族たちに対する感情もいつの間にか湧き上がっている。
だからこの蓬色の怪人を敵に回して存分に斬りつけるには、まだ迷いがあった。
対して偽アルト。
こちらはすでに判明している通り、はっきりと人類ではないし、生物でもない。
ティラミスが「デク人形」と言い表したが、この偽アルトは先にも述べた通り未知の技術で作られたゴーレムだ。
ただ自分と同じ姿形をしているが為にやり辛い、というその程度の訳だ。
この2つの感情を並べて比べた時、アルトがまず選択し易かったのが、偽アルトと戦う道であった。
まぁ、少々後ろ向きな選択だった事は否めない。
そんなアルトの心を知ってか知らずか、偽アルトは再びニヤリと笑った。感情の揺らぎがあるアルトに対し、自分にはそもそもそんな感情が無い、と、必勝を予感したのかもしれない。
「侮るなよ偽者め。オレの顔してるからって遠慮なんかしないからな」
アルトは自分の身が大事である。これは大前提としつつも、いくらか矛盾した気持ちではあるが、彼は自分の事が嫌いなのだ。
そうなると、目の前に自分と同じ姿の敵が現れたとして、複雑な感情はあるものの、いや複雑な感情があるからこそ、その中の一部に「こいつを目茶目茶に斬り刻みたい」という思いも含まれるのだ。
また、他人を斬り刻むのは良心の呵責から気が引けるが、自分相手ならなんら困る事は無い。ようは自分が自分に迷惑をかけているわけだから。
つまるところ、この偽アルトを向こうに回し、アルトには遠慮も会釈もあったものではない、と言うことだ。
「30秒だ。3ラウンドでケリをつけてやるぜ」
いつに無く慢心抜きで強気の発言をしつつ、両アルトは互いの差料をそれぞれの構えで閃かせた。
さて、話の流れに重点を置いたせいで、アルトが好き勝手に戦っているかの様にも見えるかもしれないが、そこはメリクルリングRPGのルールに支配された世界である。当たり前に彼らの行動は敏捷度順に裁かれる。
だがそれぞれの戦いを個別に追って行く都合上、あえて今回はこの形式をしばし進めてみよう。
という訳で、向き合った本偽両アルトは、それぞれの差料を八相に構える。
偽アルトにせよ、どういう理屈か本物のアルトをコピーしているので、能力的にはほぼ同じであり、また得意とする嗜好も近い。
なので咄嗟に取った構えもまた同じだった。
当然ながら鏡写しとは行かない。互いに右利きなので対角になるのだ。
「まずは行くぜ、『ツバメ返し』!」
「承認します」
テレビのヒーローとは違い、もっともダメージを期待できる技を初めに持ってくる。これはRRというシステムの為でもあるが、こうした行動もまた、当然両アルトはシンクロした。
向き合うサムライが、八相の構えから大上段へと愛刀を振り上げ、そして交差する様に袈裟懸けに振り下ろされる。
その動き、寸分違わずのタイミングである。見る者は思わず戦闘中であることを忘れて感嘆を上げた。
だが、動きや能力こそ同等でも、装備、そしてダイス目まで同じとは限らない。
袈裟懸けで下方に降り抜ける刀は、より軽い『無銘の打刀』を使う偽アルトの方が僅かに早い。そのせいもあり、両刀はかち合うことなくすれ違い、そして下段から逆袈裟に跳ね上がった。
互いに仰け反り、斜め上方へと身体を通り抜けた相手の刀を憎々しげに睨み付ける。
見ればアルトは胸についた袈裟、逆袈裟の傷跡からは鮮血が噴出し、対する偽アルトは深く斬り傷が覗くだけで血流はない。
この事からアルトの方がダメージが大きい様に見えた。
だが剣速こそ『無銘の打刀』が一歩リードするが、打撃力は『胴田貫』の方が圧倒的なのだ。
これはあくまで、偽アルトには血液が流れていないが為の情景であった。
そう理解して両者を見れば、鉄色の『鎖帷子』を着たアルトの方が、より深い傷に晒されているように見えるから不思議なものだ。
「ちぃ、相打ちと言うわけには、やっぱりいかねーか」
頬を歪めつつ偽アルトが呟けば、同様に胸傷を負ったアルトはニヤリと笑って『胴田貫』を素早く払う。血飛沫には晒されていないが、つい癖が出た。
そしてそんな余裕の態度のまま、アルトは後方にいる仲間に声をかける。
「カリストさん、やっちゃってください」
「よし来た」
返事をして銀の指輪の着いた拳を突き出すのは、このラウンドの行動を遅らせて待っていた『魔術師』カリストだ。
彼は突き出した腕はそのまま、空いた手で『外套』を大仰に振り払う。
「『魔法強化』『ライトニング』」
「承認します」
その刹那、暗い部屋に青白い光が迸った。
中位の『緒元魔法』にして単体攻撃の標準魔法ともいえる、閃光直進の雷撃魔法だ。
また、スキル『魔法強化』併用する事でその威力は、相手が戦士系でなければ一撃必殺も可能である。
咄嗟の事か、もともと生物でない為に防御本能が薄いのか、偽アルトはただ目を見開いて、その雷撃に貫かれるままになる。
貫かれ、偽アルトの腹部には、ぽっかりとした風穴が開いた。
彼はゴーレムなので行動に制限がかかるような事は無いが、それでも先の『ツバメ返し』と併せて、かなりのダメージを受けただろう。
そんな自らの身体の様子に焦り交じりの視線が周囲を這う。
そしてその視界に映るのは、やはり行動を遅らせていたねこ耳『精霊使い』の魔法によって、傷を癒されつつあるアルトの姿であった。
『精霊使い』が傷を癒す、と言う光景に違和感を感じた方もいるかもしれないが、実の所、回復魔法は『聖職者』の専売特許と言うわけではない。
『精霊使い』が使う回復魔法、その名を『レヴンヒール』と言う。
生命を司る精霊レヴナーの力を借りたこの魔法は、HPに負ったダメージを回復するという意味では『聖職者』の『キュアライズ』と同じだが、発動において傷を治す対象に接触していなければならない、と言う制約があり、この点で『聖職者』の魔法に劣ると言える。
「おい、ずるいじゃねーか。一対一じゃなかったのかよっ」
いくらアルトと同能力とは言え、装備で優れた本人に加えて魔法使い2名が後ろに控えては、さすがに勝ち目が無い。
そんな焦りから、偽アルトはつい声を上げた。
だが今度はアルトが不敵な笑みを返す番だ。
「へっ、そんな事は全然言ってねーぜ」
「いやさっき自信満々で『偽者はオレがやる』って言ったじゃねーか」
「それはバーター中佐に言ったんだ。こっちの仲間は別に決まってるだろ」
「きたねぇ」
売り言葉に買い言葉、なにやら程度の低い言い合いになっていた。
「だいたい『侍は勝つ事が本にて候』とか言うだろうが。もしアレが嘘だったとしても別にいいんだよ」
「く、なにやらカッコイイこと言いやがって。誰の言葉だ?」
「…ええと、島津豊久?」
「おおっ」
良く知らなかったので、こちらに来る前に読んだ漫画のイメージで語り、そしてなにやらお互い腑に落ちたように頷きあった。
「なんちゅーか、あの2人結構気が合うんちゃう?」
「そりゃま、同じ人ですからな」
そんな2人を見て苦笑混じりに呟き合うモルトとレッドグースであった。
モルトはバーター中佐への回復役として、レッドグースはやる事が無く、互いに行動を遅らせ待機中だ。
さらに先ほど魔法を放ったカリストが、呆れた顔をして溜め息をつく。
「アルト君。『武士は犬ともいへ、畜生ともいへ、勝つことが本にて候』、朝倉宗滴の言葉だよ」
「…誰?」
言われても歴史に疎い両アルトは、揃って首を傾げるのだった。
とまぁ少しばかり和んだりもしたが、3ラウンド目に互いの攻撃が成されると偽アルトはついに膝をついた。
アルトの予告どおり、と言うことになる。
アルトと同じ能力と言えど、装備の差、追加で攻撃してくる『魔術師』、そして自軍に回復役がいないというのはやはり致命的だった。
「くそう、どうしてこうなった。何でこんな事に」
最期、偽アルトはいかにもアルトらしい台詞を吐くと、ゆっくりと地に伏せ、やがて姿を元の素体人形へと還した。
自分と同じ姿が倒れ死んで行く様に、当のアルトもさすがに滅入るものがあった。
だが目を逸らす間も無くその姿を変えたのでホッとする事ができた。
そしてこの3ラウンドは、アルトたちにとっては偽アルトを退治する時間だが、同時にその向こうで繰り広げられる、バーター中佐対バッタ怪人というカードが進行する時間でもあった。
こちらの戦いは蓬色の異形怪人の、一方的な展開となっていた。
素早さで勝る怪人の拳が、バーター中佐の鎧越しに強烈なヒットを放ち、バーター中佐の反撃はスルリスルリと避けられる。
もしモルトが遠距離からの『キュアライズ』で回復役を請け負ってくれなければ、バーター中佐は偽アルトと同様に床を舐める事になっただろう。
だが何とか持ちこたえ、4ラウンド目になるとバーター中佐とアルト隊が、蓬色の怪人を前後で挟撃する形となった。
だが、異形の赤く大きな目は、いかほどにも動揺したようには見えなかった。




