08悪の錬金術師
参謀本部長バーター中佐は混乱した。
曲者を追って飛び出したコナ中尉が、その曲者と戦っていると思って警備の兵を手勢に駆けつけてみれば、現場となる屋上にいたのは特別捜査官に任命された冒険者達だ。
しかもその冒険者達は、今しがた打ち倒したという人間サイズののっぺら人形を指して「これがコナ中尉だ」などとのたまうのだ。
これだけで状況を把握できるわけが無い。
「念の為訊きますけど、コナ中尉は確かに人間でしたか?」
まだ混乱から覚めぬバーター中佐、また共に駆けつけた城主ベイカー侯爵の心境などお構い無しに、2人の冒険者の内、黒い『外套』の『魔術師』が質問を投げてくる。冒険者カリストだ。
「と、当然だ。騎士叙勲される時に家柄なども徹底的に調べられるからな」
参謀本部長といえば、西部方面軍において情報を扱うプロの筈だが、それでも混乱中なので何も頭が回らず素直に答える。
情報漏えい意識が低い、などと評価してはいけない。そもそも情報化社会に住まう現代地球人とは、意識そのものが違うのだ。
「するといつの間にかすり替わっていた、と言う事ですかね」
そう呟きながらカリストと、傍らの若サムライ・アルトが、物言わぬのっぺら人形に視線を落とす。素材が何かわからない薄汚れた人形は、何か薄気味悪く見えた。
「ちょっと待ちたまえ。もう少し解り易く説明しなさい」
バーター中佐以上に状況がわからないベイカー侯爵が、引き連れてきた警備の兵に周囲警戒を指示してから訊ねる。カリストは自らの眼鏡をツイと押し上げて頷いた。
「我々の調査でコナ中尉が人間では無いという事が判明しました。が、バレたことで正体を現し襲い掛かってきたので倒してみれば、この通り、実は木偶人形だった、というわけでして」
「調査て」
この黒魔道士の言い様に、思わずアルトが声を上げた。
マーベルの戯言を抑える為に送った監視役のティラミスが、偶々気づいた事だというのによくもまぁ、さも仕事してますなどと取り繕えるものだ。
だがそんなアルトの思惑など関係なく、ベイカー侯爵は「優秀な捜査官を雇った」と、自分の手柄にご満悦な様子であった。
「それで、その人形は結局何なのだね?」
状況とは裏腹に少しばかり気を良くしたベイカー侯爵が、自慢のコールマン髭をひと撫でしつつ次の質問を投げかける。
だがカリストは、残念そうに首を振り溜め息を付いた。
「『学者』の知識に引っかかりません。なので想像の域を出ませんが、これは人間そっくりに化けるゴーレムの一種かと」
「また『未知の存在』か」
これを訊いてバーター中佐がウンザリとした表情で呟いた。
先日現れた『人間をベースに使った合成獣』といい、さっきまでコナ中尉の姿をして闊歩していたと言う『変化ゴーレム』といい、攻撃を受ける軍の要人としては頭が痛い事この上ない。
「つまり我が軍は未知の技術を持った暗殺者に狙われており、なおかつその暗殺者とは話に聞く『合成獣』だけではない、と言うことだな」
「その通りです閣下」
冒険者からの報告をベイカー侯爵がそうまとめて、カリストが畏まり腰を曲げて深く頷くと、「更なる捜査を続けよ」との言葉の元にこの場はお開きとなった。
コナ中尉が未知のゴーレムとすり替わっていたという事は、本物のコナ中尉はすでに殺されている可能性も高く、そうでなくてもこの場にいない以上は彼の穴を埋めなければならない。
また、この『変化ゴーレム』とやらがもし量産できるものならば、急ぎ配下の者たちを検査選別しなければならないのだ。
したがって、一つ事にいつまでも時間をかける余裕が軍首脳には無い。まったく頭の痛い問題が増える一方である。
すっかり日が短くなり、夕方となるとすぐに暗くなる。秋の陽はつるべ落としの如く、と言う訳だ。
陽が落ちればもう今日のお仕事も終わりとばかりに、お馴染みの連中もまた『金糸雀亭』へと引き上げてくる。アルト隊の面々も同じである。
「ささ、本日の報告会と行きましょうかの」
本格的に夜となれば、『本業』の『手風琴』ライブが控えているレッドグースが、ちゃっちゃと進行しようと手を広げて各々に着席を促した。
言に従い、何気なくいつもの席と化しているテーブルに皆が着席すれば、『金糸雀亭』の太目のおばちゃん店主が腰に手を当ててやって来て注文を取って去って行く。
皆一様にその背を見送ってから、改めてモルトが口を開いた。
「まーず、アル君らはどうやった?」
早速視線と水を向けられたアルトだったが、これに対する正解を持っていないので、途端に言葉に窮した。
なにせ彼らに課せられた今日の任務は「被害者・犠牲者の洗い出し」である。
「あー、その件なんだけど、ちょっとゴタゴタがあってまだ調べて無いんだ。ただ、暫定犠牲者は増えたよ」
言い辛そうにしているアルトに代わってカリストがそう応えると、一同は苦々しくも興味深げに耳を傾けた。
「誰にゃ?」
「参謀本部付き騎士中隊隊長のコナ中尉、だよ。正確にいえば『行方不明』だけど」
そう切り出しつつ、眼鏡の黒魔道士が淡々と今日の出来事を語る。
曰く「我々が会っていたコナ中尉が、いつからか判らないが人間ではなかった」
曰く「魔力で動き、人間そっくりに化けるゴーレムの一種と思われる」
曰く「本物のコナ中尉はすり替わられて、今は行方不明である」
そんな話を聞いて一同はより難しい顔をするのだった。
「モルトさんたちはどうだったんですか?」
と、アルト・カリスト組の報告が終われば、次とばかりに白い法衣の乙女とねこ耳童女へと話を振ってみる。
だがこれもまた、二人揃って肩をすくめ首を振る。
「あかんわー。ハリやん留守やってん」
「留守?」
「帝都に行くからしばらく休むにゃ、って書いてあったにゃ」
休む『にゃ』とは書いてなかったがそれはそれ、皆理解して再び難しい顔だ。
「帝都と言うと、今我々がいる、このレギ帝国の首都のことですな。確か東へ半月ばかりの所にあるのでしたかの?」
アルセリア島南半分を領土とするレギ帝国は大きく分けて3地方ある。
1つが我らがアルト隊のいる西部方面。もう1つは中部に広がるガイグル砂漠。そして帝都のある東部地方だ。
それぞれは綺麗に舗装された街道で繋がっているのだが、徒歩や馬車で旅すればだいたい10日から15日という道程である。
つまりハリエットがたった今、帝都にいるとすれば、最低でも10日は会えない計算になるだろう。
「未知の『合成獣』に未知のゴーレム。ほんで街におらん『未知の宝庫』ハリやん。これ、怪しない?」
「怪しいにゃ」
またか、と思わないでもないが確かに怪しい。と言うかハリエット自体怪しい人物なので、疑い始めればきりが無い。
しかしその疑念に一石投じたのは、たまたまテーブル近くを通りかかった銀髪が美しい『精霊使い』の少女だった。
今はアスカたちの隊に加入し、『金糸雀亭』を拠点とする冒険者となったナトリ嬢である。
「あの『錬金術師』がいないのは、私が彼女の『敵』に関する情報を教えたから、だと思う」
これを聞き、しばし考え込んだ一同だが、ハリエットの素性を改め思い出して手を打った。
すなわち、師匠と共に敵を追ってこの世界にやって来た、アルトたちとは別の異世界の住人。という話である。
どういう経緯でナトリがそれを知り、そして情報を流したのかをアルトたちは知らなかったが、とにかくそれで疑念は幾らか晴れて合点がいった。
「しかしそうなると『合成獣』とゴーレムの件はどう調べていいのやら」
合点がいったところで、カリストが眉根を八の字に寄せて腕を組む。
実は偽コナ中尉との戦いの後、のっぺら人形を引っさげて『魔術師ギルド』へ取って返したが、解明に繋がる資料もなく、聞いた事がある者すらいなかった。
また『ゴーレムの第一人者』である大魔法文明期の『魔術師』デピス、その娘を自認する、『人工知能搭載型ゴーレム』ティラミスとその姉妹たちも、この様なゴーレムは見た事も聞いた事も無い、と言うことだった。
結局、半日費やして、犠牲者・被害者の人数と、謎が増えただけと言う惨状だ。
「迷宮入りにゃ」
「早いなおい。もうちょっと努力しようぜ」
呟く高校生コンビだが、そうは言ってもどの方向へ努力をしていいのか、トンと判らないのだった。
さて、まさに迷宮化した思考の最中、未だ本日の報告をしていない者がいる。この報告会を真っ先に促したドワーフの酒樽中年がそれだ。
「ではワタクシが『盗賊ギルド』から得てきた情報をば」
レッドグースは機は熟した、とでも言わんばかりに勿体つけながら口を開く。
「判ったのは街に侵入した暗殺者の首魁。ニューガルズ公国は『ラ・ガイン教会』の新法王キャンベルに仕えているという噂の怪しい男。名を『ドクター・アビス』と言うそうですぞ」
この話に、皆「おお」と小さく歓声を上げる。
なにせ完全に行き詰って、後は囮作戦くらいしか無いんじゃないか、などと思い始めていた矢先の情報である。
名前だけだが相手はどうやら有名人のようだし、そこから辿れば何か判るかもしれないのだ。そう言ういう細い蜘蛛の糸の如き一筋の光明で、アルト隊の占拠するテーブルが俄かに活気付いたわけだ。
そしうて良い情報は重なるとでも言うかの様に、更なる言葉がもたらされる。
それはとっくに通り過ぎたと思っていた、無表情な銀髪少女から降って湧いた。
「それ、ビンゴ」
何が当たりなのかともかく、彼女が何か知っている事は明らかだった。
ドクター・アビス。アルセリア島内の裏社会では名の知れた『暗殺者』である。
だがその実態を知る者はは少なく、ただ幾つかのあだ名や二つ名が流れるばかりだ。
特に有名なのが、『狂った暗殺者』または『悪の錬金術師』である。
そして『錬金術師』の称号から想像される方もいるかもしれないが、何を隠そう彼こそは、ハリエットとその師が異世界から追って来た敵の1人なのだ。
ちなみに、以前、アルトたちがこの港街ボーウェンにやって来たばかりの時、『金糸雀亭』のおばちゃん店主が口にした「新法王キャンベルの配下にいる暗殺専門の怪人」とは、このドクター・アビスのことだった。
「やっぱ『錬金術』やったんやな」
ナトリがボソボソとその様な話を聴かせると、いかにも誇らしげに白い法衣のモルトがその豊満な胸を張った。
ハリエット、ひいては『錬金術』がらみなんじゃないかと言う、大して根拠の無いなんとなくな予想だったはずだが、当たってみればさも「ウチにはわかっとったよ」といわんばかりの態度である。もちろん共に行動していたねこ耳童女もそれに習い薄い胸を張る。
だがその態度に男性陣の誰からもツッコミは入らない。なぜならこのどうしようも無い男どもの視線は、その隆起する双子山にぴったりと釘付けだったからだ。
「ナトリはなんでそんなヤツのこと知ってたんだ?」
いつの間にかナトリに続いてアルト隊のテーブルに寄り、料理皿に手を伸ばしていた黒髪の『警護官』が訊ねる。現在ナトリと隊を組む、鈍色の戦乙女アスカだ。
ナトリはそんな質問にも特に表情は乱さずに答える。
「養父が以前、一時期だけキャンベルと組んでいた事がある。その時に会った」
彼女の養父といえば、先日アルトたちの活躍で打ち倒された、様々な陰謀事件の黒幕キヨタヒロムのことだ。
そう言えばニューガルズ公国から逃げ出す原因は、この養父養女にあった、とアルトは思い出して少しムッとした。
「そこまで判れば、後はそのドクター・アビスの足取りを追えばいいね。なに、僕たちには無理かもしれないけど、『盗賊ギルド』ならきっと大丈夫」
と、これはさり気なくアスカと料理皿を奪い合う攻防をしているカリストだ。必要経費はベイカー侯爵持ちなので、下請けに出す気満々である。
「しかし『盗賊ギルド』では領収書は出してくれないのですが、果たして経費で落ちますかな?」
ただ唯一『盗賊ギルド』との繋がりを持つレッドグースの言葉に、「ぬかった」と口ほどにモノを言う表情のカリストであった。
追うべき首魁の名を知った一行は、翌日、さらに調査を進めるべく街のあちこちへと散った。
モルトとマーベルは『ドクター・アビス』の足取り探し。カリストとレッドグースはまだ全容が見えない犠牲者・被害者の確定調査だ。
では余ったアルトはどうするかと言うと、人形少女ティラミスと組み、ある場所で確認と見張りをすることになった。
彼らの役割は騎士連隊周辺に近付く怪しい者がいないかを見張ること、そしてティラミスの持つ魔法のゴーグルを使い、偽コナ中尉同様に「体温の無い者」が紛れ込んでいないか、を確認することだ。
今日、一通り騎士連隊を見て回り、怪しい者がいなければ、明日はまた別の軍関係者を当たる、そういうつもりである。
まぁ、どちらかといえばティラミス嬢が主役であり、アルトは言わば彼女の護衛役だった。
そう言うわけで本日彼らがやって来たのは港街ボーウェン郊外にある騎士連隊の訓練場である。
街の東門から出て大街道を少し逸れ、馬の蹄で踏み均された小道を行く。この地方一帯は基本的に草原平野なので目印さえ見つかれば迷うことも無い。
ベイカー侯爵から貰った『特別捜査官身分証』のお陰で、門をくぐる度に払うべき通行税が免除されるのは何気にありがたいし便利だなぁ、などとアルトは感心しながらしばらく歩くわけだが、そうするとじきに訓練場が見えてきた。
広さはサッカーグランド2枚分ほどはあろうか。
建築物らしい物はといえば、隅に休憩所兼物置らしい掘っ立て小屋があるだけで、後は平らに均し砂を敷き詰めた広場を粗末な木杭の柵で囲った、いわゆる馬場である。
その柵へと近付き寄りかかり馬場内を覗けば、『騎兵の尖槍』と『胸部鎧』を中心にした前面防御重視の装備を身に着けた騎兵が約40名ほど見えた。
約40騎、と言うと西部方面軍騎士連隊長ジャム大佐率いるほぼ全ての騎士である。その40騎が傷顔の厳ついジャム大佐の号令で素早く東西へと均等に別れる。
それぞれ6人づつ3列の横隊。また、ちょうど角辺りに1人だけ突出しているのは東西それぞれに別れた隊の中隊長なのだろう。
そう思ってよく見れば、東軍側の中隊長は見慣れた巨漢騎士マクラン卿であった。
ジャム大佐から更なる号令があがり、従って各中隊長が復唱すると、両陣より6騎づつが前に出て、向かい合う形で整列する。この6騎というのがどうも『小隊』という単位らしい。
アルトはこれを見て野球やサッカーの、試合前後の挨拶場面を思い出した。
この仕儀は正しくその通りだった様で、騎士たちは揃った動作で『騎兵の尖槍』を掲げ、数秒の停止の後にグラウンドを大きく使うように間を取った。
そして東西の騎兵小隊が同じ様に横隊を組み、遠くから徐々に馬足を上げて駆け出すわけだ。
つまりこれは古式に則った騎兵同士の戦いを模した訓練なのだ。
アルトもこれには手に汗握る。
TRPGで遊ぼうと集り、いくつかある職の中から『傭兵』を選ぶくらいであるから、騎士に幾ばくかの憧れがある。
そんな彼が、騎士たちによる馬上槍試合じみた訓練を目の当たりにして、心躍らせないわけが無い。
などとアルトからの熱い視線も気にせず、いよいよスピードの乗った騎兵小隊同士が、グラウンド中央で激突した。
突き出された『騎兵の尖槍』を互いにかわす者もいれば、カウンター気味に受けて落馬する者もいる。もっとも『騎兵の尖槍』は訓練用に尖端を丸めてある様で、『胸部鎧』を貫かれる程の傷を負うものはいなかった。
落馬した数名は、駆け抜ける馬に踏まれぬ様、素早く馬場を転がって抜け、その先でジャム大佐から叱咤と指導を受ける。その後はすぐに馬と装備を整えて、駆け抜けた小隊へと合流を果たし、東西に分かれている集団の最後尾へと回った。
さらにジャム大佐が号令をかけ新たな小隊が前に出て、再び向かい合い『騎兵の尖槍』を掲げるのである。
こうして順に繰り返され、騎士たちは何度も激突するのだ。
「いやこれは、いやはや」
ぶつかり合う騎兵の一挙手一投足を輝かせた目で追いながら、アルトは興奮の断片を意味もなく言葉としてもらした。聞く者といえば同行しているティラミスのみだ。
「サムライの兄貴殿、お役目を忘れてはダメでありますよ?」
彼の肩上から半眼閉じた冷たい視線でそう言われ、アルトは恥ずかしげに咳払いをして姿勢を整える。
「わ、解ってる。大丈夫だ。で、怪しいヤツはいるのか?」
「今、見るであります」
と、軽く返事をして、肩の上で脚をブラブラさせていた人形サイズの少女は、早速、帽子上から魔法のゴーグルを降ろしてかけた。
「ふむー、皆、ちょっと高めの体温でありますな」
それもそうだろう。ここに揃った騎士たちは運動しているのだ。さらに言えば戦闘を模した訓練中である。気を抜けば大怪我だってありうるのだから、緊張から弥が上にも体温はあがるだろう。
と、言うことはである。
「つまり怪しいヤツはいない、と言うことか」
「そのようでありますな」
アルトはそうやり取りを終えてホッと息をついた。
なにせ紛れているかもしれない敵を発見するのが役目とは言え、ここでもし見つければ彼の責任において、追跡や報告、場合によっては戦闘をしなければいけない。
そんな緊張を持っていたからこその安堵である。
と、気持ちが弛緩したこの時、ティラミスの乗るのとは違う肩をポンと叩かれた。
「ひっ」
何しろ急な事でアルトは思わず短い悲鳴を上げる。同時に起ったビクッという振動で、ティラミスは肩からズレ落ちそうになるのを耐えながら彼の背後に視線を向けた。
もちろんアルトも同じ様に背後へと振り返るのだが、そこにいたのはアルトよりふた回りは背の小さい老人だった。
骨と皮だけ、という喩えが正しくマッチする老爺だったが、深い眼孔から覗くギョロリとした瞳が強い生命力を、言葉悪く言えば生き汚さの様なものを感じさせた。
「おっと、驚かせたな。すまんすまん」
しわがれた低い声が骸骨の様な口から「ひっひっひ」という下卑た笑いと共にもれ、アルトは警戒しつつも一瞬の怯えを恥じて溜め息を付いた。
騎士連隊に近付く怪しい者、という観点から言えば充分怪しい。何せここは騎士たちの訓練場以外は何もない居場所だ。そんなところにひょっこり現れた謎の老人が怪しく無いわけが無い。
「人間か?」
「体温は正常であります」
だが小声で確認を取ればその様に返答があり、アルトは再び息をつきながら警戒を解いた。
相手が人間であればただの爺など、6レベルに達した『傭兵』である自分の敵ではなかろう。よしんば何か事が起ったとして、すぐ近くには約40名の騎士がいるのだ。そうそう危険に陥ることもなかろう。そう思ったからだ。
「馬がお好きかな? いや、騎士の方かね」
そんな若サムライの感情変移など気にも留めぬ様に、世間話などを始める。アルトにして見れは確かに老爺の言う通りだったのだが、いかにも何か含む笑みを見ると素直に「そうだ」と言いたくない心境になった。
「オレは仕事中なんだ。悪いけど爺さんの相手なんかしてる暇無いよ」
無視してしまえば良いのだろうが、それもなんだか後味悪い気がして、アルトはそう言いつつ騎士たちが訓練を続けている筈の馬場へと振り返りなおす。
なおして、言葉を失った。
「なっ」
広々とした馬場、その上に広がる青空、そして草原平野。それらは全く変わらずそこにあるのに、ただ約40名の騎兵が景色から忽然と姿を消していたのだ。
絶句、そして混乱からアルトの頭は数秒ほど空白となった。具体的に言えばそれは10秒の間であった。
つまり、戦闘ラウンドにおける1ラウンドの間である。
そしてアルトは焼け付くような刺突痛を腰部に感じ眉をしかめた。反射的に首だけで振り返ると、敵ではないと相手にしなかった老爺が、いかにも楽しげな表情で彼の腰部に『短刀』をつきたてて抉っている所だった。
「な、にを」
何をする、との言葉が痛みで途切れると、老爺はたった今アルトに気付いたかの様に視線を向け、惜しげに『短刀』を引き抜き合間を取った。
「ワシの仕事の邪魔なのでな」
ただそれだけを聞き、アルトは察して脳裏に浮かんだ名前を呟いた。
「お前、ドクター・アビスか」
「いかにも」
短く応えた老爺は血濡れの『短刀』を大事そうに鞘に戻し、代えて懐から幾つかの薬ビンの様な物をを取り出して構えた。投げつける気なのだろう。
向こうもやる気の様だがアルトとて逃がす気は無い。
確かに腰を刺されたが、HPという観点から見れば微々たるダメージである。
ともあれ、アルトもまた自らの差料に手を掛けて、勿体つけずに一気に引き抜いた。
ちなみにアルトの肩上にいたティラミス嬢は、雰囲気をいち早く察していずこかへと姿を晦ましていた。
かくして、アルト対ドクター・アビスの戦いは第2ラウンドへと移行するのだった。
毎週楽しみしてくださる方がもしいたら申し訳ありませんが、しばらく隔週更新にいたします。
なので次回は29日です。
よろしくお願いします。




