15最後の空中戦
荒々しく獣臭い涎を撒き散らしながら三つ頭の黒犬が襲い来る。迎え撃つは鈍色の『板金鎧』と『凧型の盾』でカッチリと身を守る、『警護官』アスカだ。
「『ディスターブショット』。迎撃するデス」
が、その牙が戦乙女へと届くより早く、そんな声と共に淡い緑色の光弾が3つ頭の内の1つを迎え撃ち、破裂した。
ダメージが発生するほどの威力はない。だが弾丸はケルベロスの行動を僅かに阻害するだけの力を持っていた。
具体的に言えば、3回攻撃の1回を無効化したのだ。
もちろんアスカを姉と慕い共に行動する人形少女の一人、クーヘンの仕業である。得意気にタータンチェックの鹿追帽を指でくるりと回し、右手に持った『スリングショット』をガンマンの如き動作で腰のホルダーへと戻す。
そんなクーヘンに軽く親指を立てて賞賛を送り、アスカはいよいよケルベロスを迎え撃つ。
彼女もまた、ただ迎え撃つ気など無い。その右手に持つ『両刃の長剣』の刃は、すでに怪く赤い光を湛えている。『警護官』のスキル、反撃の刃『ネメシスブレイド』が発動を待っているのだ。
「グオオォン」
軽く一吼えしつつ地獄の番犬の2つの頭が牙を剥き、鈍色の乙女に噛み掛かる。
「むっ」
犬と言えど熊ほどの大きさである。圧し掛かるその重量は並みではない。アスカは低く呻くような声を漏らしながら捌きかかるが、全てを避け切れるものではない。
まず左から襲い来る頭に『凧型の盾』押し付けて制したところで、右二の腕に噛み付かれた。牙が篭手を貫通し、乙女の鮮血が僅かに舞う。
『警護官』の防御力でもこれは痛かった。さすがに相手は推定高レベルの魔獣である。全てを防ぎきるなど不可能だ。
そうしていくらかHPにダメージを負うが、ここからがまた『警護官』の本領だった。
「反撃発動」
息をつく間もなくアスカが呟けば、赤光を湛えた『両刃の長剣』に導かれ、彼女の身体が滑るように動き出す。
一瞬の出来事だ。
右腕に噛み付いたケルベロスをいつの間にかスルリと外し、隙の無い軌道を描いた『両刃の長剣』が、かの魔獣の胴を薙ぐ。
「ぎゃうぅん」
そして復讐の刃を受けた地獄の黒犬はたまらず、可愛げも無い悲鳴を上げて飛び退るのだ。
「さすがですわお姉ちゃん」
「姉チャマ、かっこいデス」
後方から人形姉妹たちの賞賛が飛べば、アスカは右腕の痛みを堪えつつも、また得意げに親指を立てて応えて見せた。
「10周年って、おかしいやん。ウチらこっち来たのは『メリクルリングRPG』発売してすぐやで」
白い法衣の裾が絡まぬ様に少し持ち上げて階段を走るモルトが疑問の声を上げた。
ちなみに先頭のマーベル、中間のアルトとモルト、そして最後尾のレッドグースの間にはすでに走力による差が広がりつつある。なのでこの会話はすべて大声で叫び合っているような状態だ。
そんな事を話している場合ではないとも言えるが、気になったのだからしょうがない。そもそも後回しできるなら、レッドグースもこのタイミングでキヨタの使った魔法『プロスクリスィ』について訊ねなかっただろう。
「つーとあれか? もしかしてオレたちがこっち来てから、元の世界じゃ10年経ってるとかそう言うことか?」
「それどころか20年経っている可能性もありますぞ?」
「え?」
アルトがミスリル銀の『鎖帷子』をシャラシャラと良い音で鳴らしながら、当然思いついた予想を述べてみる。確認もしようも無いので返答は期待していなかったが、最後尾をドタドタ駆けるレッドグースの言葉に思わず絶句した。
まだ高校生のアルトにとって20年は気が遠くなるほどの長さだ。
この世界に来て半年しかたってないはずなのに、元の世界で20年経っていた、などと言うことになっていたら、もし戻った時にいったいどうなってしまうのだろう。
「最悪にゃ。帰ったら父ちゃんが爺ちゃんになってるにゃ!」
そんなアルトの困惑を代弁する様に先頭のねこ耳童女が叫びを上げる。そうなればちょっとした浦島気分である。
「ちょい待ち。その20年ちゅーのはどっから出てきたんや」
「ん? そう言えば」
10年と言うのは元GMからの情報、「メリクルリングRPG10周年で発売された、上級ルールにある魔法」から来ているとして、レッドグースの言う「20年」が引っかかったモルトだった。言われて、アルトもまた首を傾げた。
「これはあくまで会話を勝手に総合した推測なのですがの」
鈍足ドワーフがドタドタと階段に振動を与えながらそう前置き、自らの考えの理由を述べ始める。
「キヨタ氏が発言の中で『騒乱の種を撒くのは創作家であるが為』と言いましたな。つまり彼としては今もってなお『メリクルリングRPG』の物語を紡ぎ続けているつもりではないかと思ったのです」
ここまでは先の会話で理解した内容なので、皆静かに頷き話の続きを待つ。まぁ理解はしたが共感はできない、と言うところだが。
「そして同じ話の流れの中でこうも言いました。『20年かけて紡ぎ続けた俺のコンテンツが、もう終わりだと奴は抜かしやがった』と。つまりキヨタ氏は元の世界で『メリクルリングRPG』を20年紡ぎ続けた、と言う意識なのではないか、と想像した次第なのですな」
結論として、だから元の世界で20年経っている可能性もある、と言うのがレッドグースの想像らしい。
「それおかしいにゃ。あの『魔術師』、この世界で800年暗躍してるって話にゃ? 時間の流れがめちゃくちゃにゃ」
「確かに」
素直なアルトは納得しかけたが、マーベルが反論を投げるとやはり素直に頷いた。
この酒樽紳士の想像を時間軸でまとめてみると、つまりはこうだ。
まずアルトたちがこの世界に来た時を元の世界のゼロ時間とすると、キヨタはゼロ時間より20年後の未来から、この世界の800年前にやって来たことになる。
異世界間の行き来や未来過去のアレコレで非常にややこしい。
「まぁ、そもそもこの世界と元の世界で時間軸の繋がりがあるとも限りませんけどね」
結局はマーベルのベルトポーチから発せられた、元GMの身も蓋も無いご意見で、この話は終了するしかなくなった。
さて、そんな会話をしながらも全力で駆け上がると、人形少女ティラミスを乗せて先頭をひた走るマーベルがいよいよ階段終点にたどり着いた。
普通ならここで息を整える為の一休みをしたいところだが、ダッシュしても息が切れないのがゲーム世界のいいところである。マーベルは構わず狭い踊り場を進み、突き当たりにある扉へと向かう。
無機質に白塗りされた金属の扉には部屋の名前を示すプレートがついてはいるが、残念な事に彼女には魔法語が読めないのでわからなかった。
だがすでに聞いているこの塔の構造からして、この部屋が『制御室』なのは疑いようも無い。
もちろん頭上にいるティラミスは読めるし、この塔を設計したのが彼女なので訊けば明らかだが、その必要すら感じなかった。
ちなみにマーベルがここに至るまで3ラウンドが経過している。
つまりは最下フロアでの戦闘では4ラウンドが終了した所になる訳だが、チラリと眼下を見渡せば、まだキヨタも魔獣も、そしてアスカたちも欠けることなく健在だった。
ただがぷり四つの戦いを繰り広げていると思われるアスカとケルベロスは、共に満身創痍に見え、いつどちらが倒れてもおかしくない様子ではあった。
「急がにゃいと」
いつに無く真剣に表情を引き締め、マーベルはすぐさま白い扉を引き開けた。
「警察にゃ、動くにゃ!」
背負っていた『小弓』を抜いて矢を番えたマーベルは、身構えながら一瞬何と言おうか迷いつつ、つい口をついたのがそんな台詞だった。
アルトが聞いていれば「遊びかっ」とでもツッコまれただろうが、彼もまだここまでたどり着いておらず、ただマーベルは雑然として見える薄暗い部屋に素早く視線をめぐらせる。
猫っぽい形はしているがケットシーに暗視能力はない。なので部屋の暗さに慣れるまでにはほんの数秒だが時間が必要だった。
慣れて、六畳一間程度の狭い部屋を凝視すると、中央の台座に彼女の頭ほどの大きさがある真っ赤な楕円形の石が鎮座し、そのあちこちからコードかチューブの様な線が部屋のあちこちに延びている。
またその線を追って見れば、その先には何の役目を負っているのか判らない、数々の魔法装置が所狭しと置かれていた。
「あれが『天上の石』にゃ?」
「間違いないであります」
あからさまな中央の赤い石に視線を止めてねこ耳童女が呟く。どうすればこの『理力の塔』の機能を停止できるのかわからないが、あれについた線を引きちぎるか、石自体を叩き壊してしまえば何とかなるだろう。そう判断して一歩踏み出し、そこで彼女はふと、気付いた。
件の赤い石を載せた台座の前に、おそらく操作用のコンソールと思われる石版があり、その向こうに小さな、本当に小さな人影がチラリと見えた。
その当人もやはり気付いたようで、ゆっくりとした足取りで石版の影から姿を現す。
大きさは14センチメートル程度だろう。人と言うよりは人形のサイズだ。
それは、黒と見紛うほど濃い紫の長い髪を後ろでシニヨンに纏め上げ、やはり同じ色の瞳は魔女の様に怪しく鋭く、十字のデザインを多くあしらった細いロングドレスを優雅に纏った少女だった。
「シュトルーデル!」
姉妹だと見止め、同じ人工知能搭載型ゴーレムであるティラミスが声を上げると、応えて口元に薄い笑みを浮かべる。
「久しぶりだねティラミス。それから初めましてねこ耳の君。ようこそ『理力の塔』制御部へ」
人形姉妹の長女シュトルーデルは、少女と言うには低い声でそう告げながら、右手を腹部に添えながら大仰にお辞儀をして見せた。
「ベルにゃんどうや!」
「ナトリさんがやられたぞ、急げ」
マーベルとシュトルーデルが顔を合わせた直後、モルトとアルトが続けて制御室へとなだれ込んできた。
どちらも『理力の塔』停止作業の進行を問う言葉を吐くが、マーベルは答える程の内容を持ち合わせておらず、ただ視線だけで2人を振り返った。なにせまだ彼女も部屋の状態を少しばかり把握しただけなのだ。
ただアルトの言葉にはさすがに焦りを覚えずにはいられない。ナトリが倒れた、と言うことはキヨタを食い止めているアスカ隊の崩壊が始まったと言う事だ。
彼女達が敗れれば、キヨタはすぐこちらに駆けつけて彼らの前に立ち塞がるだろう。
またNPCであるナトリがやられた、と言うことは、すなわち死亡を意味する言葉でもあったため、彼女を一方的にライバル視していたマーベルには幾らかの動揺が走った。
「ティーにゃん、早く塔を止めるにゃ」
「がってん承知であります」
急ぎ『天上の石』を奪ってしまおうとも思ったが、動揺から来る震えで一瞬上手く動けなかった。なのでマーベルはせわしなく視線を頭上に向けた末、飛行帽を被った人形少女に指示を出す。
ティラミスも心得た物で、ぺろりと舌で唇を撫でると頭上のゴーグルを下ろしてねこ耳の頭から飛び降りた。飛び降りて、着地もそこそこに散らかった床を走り出す。目指すは『天上の石』前の石版だ。
だが当然だが彼女の前を遮る者がいる。彼女の姉であり、また『理力の塔』管理者でもあるシュトルーデルだ。彼女は薄い笑いを浮かべつつも鋭い視線でティラミスを制し、傍らに立てかけてあった長い『魔術師の杖』を手に取る。
「ふふふ、私もこの塔の管理を任されている者として、そう易々と君を通す訳には行かないね」
その威容は小さいながらも、冒険者達を怯ませるだけの迫力があった。
「邪魔するって言うなら、まかり通るまでだ」
アルトもまた、一瞬、シュトルーデルの言い様に息を呑んだが、すぐさま気を建て直して腰の差し料に手を掛ける。
先に聞いていた情報ではシュトルーデルの二つ名は『魔術修士』。大魔法文明期に、デピスの助手を務めたと言う『魔術師』である。
階下にいるキヨタと比べてどうかはわからないが、それでも易々と降すというわけには行かないだろう。
対『魔術師』2連戦。さて、どうするか。
アルトは油断無く視線をシュトルーデルに固定し、額に出る脂汗を拭う事もできずに様子を伺ってピタリと止まった。
止まったのはアルトだけではない。視線で制されたティラミスも、自分の役割を果たそうとするシュトルーデルもやはり動けずに互いを牽制する。動揺から立ち直ったマーベルもまた、この状況でどう動くべきかと考えあぐねた。
その隙だ。
具体的に言えば戦闘フェイズにおいて、マーベルより遅くアルトより早い手番である。白い法衣に『胸部鎧』を重ね合わせ、明るい茶の髪の上にピルボックス帽を乗せた乙女が短い言葉と共に右掌を突き出した。
「『オーラブリッド』!」
「承認します!」
モルトの言葉とGMの返事が重なるほど早く発せられ、直後、小さな破裂音と共に掌上から小さな光弾がはじけ飛んだ。
『聖職者』の持つ数少ない攻撃魔法である。
「この射線、もろたで」
小さく聖なる光弾は対峙する面々の間を縫う様に飛ぶ。目指すは部屋中央に鎮座する、台座の上の『天上の石』だ。
全員が言葉も出ずに目を見開く中、『オーラブリッド』は件の赤い石にぶち当たり、そして台座から弾き飛ばした。『天上の石』は繋がった数々の線をぶっちぎりながら短い距離を飛翔し、狭い制御室の壁に当たるより前に、ゴトンと重そうで硬質な音をたてて落下する。
そして引き外された数々の線は、その断面から一瞬だけ赤い光を発してから、力なく垂れ下がった。
これから一戦交えようかとしていた面々は一様に目を点にし、1人、モルトだけがひと仕事やり終えた良い笑顔で額の汗を拭うのだった。
「壊すほどの威力はあらせんけど、ふっとばす位は出来るんやで」
「ふ、ふふっ。あはははは」
幾らか自慢気な口調でモルトがそう言えば、それ以外の者の間で流れていた沈黙は、ただ1人の大変可笑しそうな笑いで破られる。誰の笑いかと言えば濃い紫の髪のシュトルーデルだ。
「いや参った。管理対象が停止してしまっては、直るまではどう仕様もない」
シュトルーデルが続けてそう言うので一同は顔を見合わせる。そしてその中の1人、ティラミスが皆の視線を集めた上で頷いた。これでアルトたちの脳に理解が染み渡った。
つまり、『理力の塔』を機能停止させると言う任務に成功したのだ。
一方その頃、まだ最上階までたどり着いていない途上の中年紳士レッドグースは、眼下で起った惨劇に目を見張り、つい足を止めた。
仲間のねこ耳童女が制御室に突入した4ラウンド終了時にはまだ良い勝負に見えたが、第5ラウンドで貫通の電撃魔法『ライトニング』をアスカ諸共に浴びたナトリが倒れ、続く第6ラウンドの総攻撃でケルベロスを屠ったものの、ラウンド最後に放たれたキヨタの魔法でアスカもまた倒れた。
そして迎えた現在第7ラウンド初頭。アスカが倒れた事で『ワーニングロア』の頚木から放たれたキヨタが、残る者たちに『ブリザード』を使ったのだ。
忘れもしない、過去にあの『魔術師』と戦った時、何度か全滅をも覚悟させられた、戦慄の猛吹雪である。
未だ自らの脚で立っていたのは『魔術師』マリオンと人形姉妹のクーヘン、エクレアだったのだから、この『ブリザード』が巻き起こす大ダメージを凌げる者などいなかった。
こうして第7ラウンド中盤、すでに1階広間に立っている者はたった一人、すらりと無駄な筋肉のない長身をデニムパンツと灰色のシャツに包み、眼鏡をかけたエルフの青年、カリストの身体を操る悪の魔道士キヨタだけとなった。
すべてが意識無く平伏したフロアで、キヨタは満足そうに頷いて、そして頭上で螺旋を描く階段を見上げた。見上げて、つい足を止めてしまった中年ドワーフを視界に入れてニタリと笑った。
獲物を見つけた猛禽類の目だ。
「マズイですぞ、これは非常にマズイ」
レッドグースは身体の毛穴と言う毛穴から冷や汗が噴出す様な感覚に、震える唇でそう呟いた。眼下では尚も獲物をどう仕留めてやろうか、と舌をなめずる黒の『魔術師』が、一瞬たりとも見逃さぬとでも言う様にねめつけて来る。
確か『魔術師』が使う『緒元魔法』には、空を飛ぶ魔法があった。その事を思い出し、レッドグース自慢のカストロ髭が毛羽立つほどの鳥肌が立つ。
「つ、次に殺されるのは、ワタクシですかな」
そう口をついて悲観的な言葉をもらしたその時だ。それまでいかにも愉しげだったキヨタの顔が凍り付く様に固まった。
その後、唐突に自らの胸を押さえ、自分に起った事を理解すると見る見るうちに表情が憎悪に染まる。
この瞬間にいったい何が起きたのか。レッドグースはそう疑問に思いつつ、ヒントを探して視線をめぐらせ、そして階段終点に見える制御室の白い扉が目に入るとやっと理解した。
先に行った仲間達がその役目を全うしたのだ。
すなわち『理力の塔』が機能を停止し、キヨタがせっかく手に入れた無限の魔力を失ったのだ。
「おのれ、まだ邪魔をするか。いいだろう、なら貴様ら全員殺してから我が世界を守ろう! 『パリオート』」
憎々しげな呻きと共に、レッドグースとその先の物言わぬ制御室を睨み、キヨタはふわりと宙に身を躍らせる。
これまでも度々話に登る、『魔術師』の使う飛翔魔法『パリオート』だ。その飛翔速度と来たら、人が走る速度など楽々と越えるのである。
つまりレッドグースに死をもたらす者が、息も尽かさぬほどのスピードで真っ直ぐに飛んでやって来るのだ。
「ぬおっ、もう来ましたぞ。しかし」
階下から迫る死、そして上階では未だ姿を現さない仲間。レッドグースはもう進退窮まり上下に視線をせわしなく動かす。
そして誰も助けに来ない事を悟り、心を決める。
「もう、こうなれば便所の火事ですな。ナムサン」
言うや否や、自称『音楽家』の『盗賊』が、螺旋階段中央の吹き抜けに向けて身を躍らせた。
高さにしてビルの6階程のあたりからのダイビングだ。もともと運動も得意でなく、肝が据わっている割に大した根性の無い酒樽中年にとって、これはまず恐怖との戦いだ。
軍隊において落下傘部隊は「命知らず」の称号で呼ばれることが多い。また飛び降り自殺する者は、だいたい落下中に気を失うという説も聞いた事がある。
すなわち落下と言う行為は、それほどの恐怖という事なのだろう。
レッドグースもまた頬を切る空気の流れに恐怖し、だが自らの目論見を成功させる為に無理やりに勇気を鼓舞する叫びを上げる。
「あーいきゃん、ふらーいっ!」
まさかの肉弾ダイビングに上昇を続けるキヨタもさすがにギョッとした。自らの上昇速度もさることながら、落下するドワーフとの相対速度は想定外の勢いだ。
そんな短い瞬きの様な時の中、戦士職ではない『魔術師』は当然ながら身をかわすなどと言う判断に至らず、落ちてくるレッドグースの小さくも重い身体を受け止める破目になった。
「ほげぇっ」
ドワーフのケツに顔面を押し潰される勢いで、キヨタは思わずおかしな悲鳴を上げる。上昇と落下、真逆のエネルギーが正面衝突だ。これだけでも互いのダメージは軽くないだろう。
しかも相手の『盗賊』は、その職業の持つ基本スキルにより落下ダメージを軽減されると言う、非常に不公平な状況である。中年のケツ圧を受けるハメになった不快感と相まって、キヨタの表情は得も言えぬほどの苦味を醸し出した。
「ええいどけぃ」
「なんの、逃がしませんぞ」
『パリオート』の上昇速度が2人の重みで弱まる中、レッドグースはもがくキヨタの身体を押さえようと必死で絡みつく。
戦士職であれば基本スキルの『格闘』により、押さえ込むか振り切るか出来ようものだが、ご存知の通り『魔術師』も『盗賊』も戦士系ではない。なので互いに修正値無しのダイス目勝負だ。
これはもう拮抗するばかりで勝負がつかなかった。だがそれは結果として「行動を阻害する」と言うレッドグースの目論見を成功させているのだ。
そうしている間にもラウンドが変わる。とは言え、こうなればもう『戦闘フェイズ中』とはとても言えない有様だ。
キヨタの番に『振りほどき』を試みれば失敗。レッドグースの番に『押さえ込み』を試せばやはり失敗。そうこうしている間に、ついに上階にある制御室の白扉からアルトたちが姿を表した。
「うわ、酷い有様であります」
まずねこ耳頭の上にいたティラミスが眼下の惨状に声を上げ、他の者達もすぐに状況把握の為に視線を巡らせる。
そして目に入るのは死屍累々の最下層と、中間地点より少し上の空中で、ゆっくりと上昇しながら、罵りあいつつ揉み合う小さな中年とノッポの青年だ。これは地獄絵図といっても過言ではない。
そんな中、いち早く身体を動かしたのが、最速の敏捷度、ねこ耳童女マーベルだ。
「がっちょさん、いま助けるにゃーっ」
叫び、何を思ったか彼女もまたその小さな身体を宙に躍らせた。
「ちょ、ベルにゃん!」
すかさず掴もうとしたモルトの手が空を切り、マーベルが等加速度運動の虜となる。そして彼女が、すぐそこまで上昇していたもつれ合う2人に激突するのもまた一瞬だ。
「ぬふっ」
女子小学生並みの体重とは言え、勢いのついた衝撃に2人は同時に息を漏らた。互いが互いに集中していた事もあり、彼女の襲来に気付かなかったのだ。
これはもう、ちょっとした不意打ちである。その不意をついた童女はすぐさま身軽な身体を翻し、キヨタ操るカリスト手を掴んだ。
「何を企んでいる、小娘め…うっ?」
言いかけて、キヨタはまたしても自らの身体に起こった異変に眉をしかめる。マーベルの小さな手元を見れば、今まさに金と銀の線が絡み合うようなデザインの指輪に、カリストの指を差し込んだところだった。
『ハリーさん工房』の謹製品であり、幽霊メイドのリノアさんから借り受けてきた、実体化の指輪『ファンタズマリング』である。
正確に言えばキヨタはリノアとは違い幽霊ではない。ゆえにこれはマーベルたちの賭けではあった。
一応、製作者である『錬金術師』ハリエットから、「理論的には実体を持たぬ精神体なら効果がある」と聞いていたが、所詮は怪しげな異界の技術である。
だがその賭けは勝ちだった様だ。
瞬間、表情をゆがめたカリストの顔が霞んだ。いや、霞んだのではない。カリストの体内に重なる様に潜んでいたキヨタの精神体が、実体を持つ事で弾き出されたのだ。
ちなみにこれで精神体を追い出せるなら、男爵令嬢戦で使った『悪霊祓いの首飾り』はまったく無駄だった事になるのだが、とりあえず誰も気付いてないので良しとしよう。
さて、一見人間の脱皮シーンにも見える異様な光景に吐き気を催したアルトだったが、そんな暇もなく、傍らで同様に眼下を見ていたモルトに手を引かれた。
「え、何?」
何か用事があって無言で呼ばれたと思い振り向く、が、そう言うわけではなかった。つまりそんな生易しい引き方ではなかったのだ。
「アル君、今やで!」
戸惑うアルトなどお構い無しに、モルトは引いた手をそのまま振り抜き、なすがままに振り回されたアルトは次の瞬間、階段から宙へと舞った。
「アっくん、やっちゃうにゃ」
落下が始まる自分の身に焦りながらも、下から聞こえたその声で我に返った。返って視線を下に向ければ、レッドグースとマーベルと言う『背丈半分』コンビを乗せて、重みで上昇できなくなりゆっくり降下する気を失ったままのカリストの身体と、その頭上に、ついに姿を現した初老の男がいた。
「よ、よし任せろ」
すぐに気を引き締め、アルトは半身を翻して全身を下に向ける。いや、正確に言えばキヨタと正対したのだ。
そして抜き身の『胴田貫』を腰構えに置き、落下の瞬間の中で振り抜くタイミングを測る。キヨタはこの後に自らの身に起きるだろう最期を予感し、憎悪に目を見開いた。
「おのれおのれおのれ、どこまでも邪魔をする。
ちくしょう、ふざけるな。俺はまだ死ぬわけにはいかぬのだ。まだ終わらぬ。
この世界を生み出したのは確かに奴だ。だがデザインしたのは俺だ。
この世界は俺の物だ。奴の好き勝手にはさせ」
だが彼の叫びは最後まで紡がれる事はなかった。
どこまで続くか判らないキヨタの戯言は、『ミスリルの鎖帷子』を着た若サムライの振るった一撃が止めたのだ。
逆袈裟に振り抜いた『胴田貫』はキヨタの命を断ち、人を斬る感触にアルトは顔をしかめた。
「これだけは何度やっても慣れねぇ」
敵を倒した爽快感などはない。ただ苦い罪悪感の様な嫌な気分が残るだけだ。
そして、アルトの気分などお構い無しに再び落下が始まる。
「お?」
ゆっくり降下する『背丈半分』たちを乗せたカリストの身体が、アルトの視界を足早に通り過ぎた。いや、本当に過ぎたのはアルトの方だ。
「あかーん、アル君、頑張れ!」
「アっくんマズイにゃ。二段ジャンプにゃ」
「無理言うなぁ!」
心配ながらも無責任な言葉を投げる女性陣。またレッドグースなどはすでに手をすり合わせて拝み始めていた。
「ちくしょう、何で、どうしてこんな事に!」
理不尽な目にあった時、ついその理由や責任の所在を探してしまうのは、アルトの思考的なクセと言えるだろう。だがそんなものがどこにも無いからこその理不尽である。
だから彼は、この問いに誰も応えてくれない事も知っていた。そこまでワンセットで彼のクセであった。
また、つまりはこのクセは「もうお手上げである」という彼の諦めの境地にあって発せられるものでもあった。
もう、何の手段も持っていないただのサムライであるアルトは、床との激突を待つだけだ。あといくつも数える間に、最下層のフロアに横たわる面々の仲間入りするのだ。そう諦観に瞳を閉じかけた時、その時ばかりは彼の言葉に何かが応えた。
『キーワード「どうしてこんな事に」を確認。隠し機能を起動します』
それは声ではない。だがアルトだけになぜか理解できた。
耳や脳じゃなく、身体に直接染み渡るような、そんな言葉だった。
そしてアルトが身に着けた金緑色の『鎖帷子』が眩く光り出す。
「おおワタクシの祈りが奇跡を起すのですな」
上空から聞えるアホ言に反応している余裕など無い、ただアルトは慌てて自分の身体を見回す。そして自らの鎧が光を発している事に気づいた途端、その『レコルト工房』製の『ミスリルの鎖帷子』に真っ白な翼が生えて飛翔した。
これこそレコルト親方が隠していた追加機能だ。
「おおっ?」
上からその情景を眺めていた面々は、この時、アルトが助かったと歓喜に表情を緩め、次の瞬間には困惑に眉を寄せた。
そう、翼の生えた光り輝く『ミスリルの鎖帷子』だけが、スルリとアルトの身体から抜け出して羽ばたいたのだ。
「って、お前だけ飛んでどうするよ」
アルト、断末魔のツッコみであった。
「くっそ、こんなアホな最期は嫌だ!」
諦観も怒りもこの時もう彼の頭からすっかり消え、ただ生への執着がひょっこりと顔を出した。
そして必死に伸ばした手で、飛翔する『ミスリルの鎖帷子』を掴み取る。
今度こそ助かった。最後の最後で幸運を掴み取ったのだ。そう、思った。
だが、好事魔多し。
『ミスリルの鎖帷子』のおかげで落下速度が大幅に減少した途端、強い衝撃がアルトの後頭部を襲う。
つまり、もう床まで着いてしまったのだ。
そしてアルトは高い戦士のHPをすべて失い、混濁の中に意識を落とした。
起動キーワードは「なんで(どうして)こんな事に」とか「なんで(どうして)こんな目に」です。
アルトが弱音を吐いた時に緊急脱出(鎧だけ単独で)してくれるスグレモノです。
あと戦闘シーンをかなりすっ飛ばしたので、オマケに戦闘ラウンド中何が起こったのかを表にしました。
興味のある方はどうぞ。
※小説家になろうとは別ページです※
http://project-amd.sakura.ne.jp/05act.htm




