10清田の野望・創造
今より500年以上昔に、大魔法文明と呼ばれる時代がある。
『魔術師』たちは、この文明の中心地である魔法帝国で、すでに失われた数々の魔法を駆使した大規模な実験をあちこちで行っていた。
その中から数々の便利な魔法や装置が生まれたわけだが、そんな大規模魔法を可能とする為には、莫大なエネルギーが必要であり、それを賄うには人間個人それぞれが持つMPではまったく足りなかった。
その足りないエネルギー『マナ』を補う為に、各地に建設されたのが『理力の塔』と言う魔法装置である。
『理力の塔』は螺旋状の尖塔で、頂の一室には自然界のマナを蓄積、制御する事ができる『天上の石』が備え付けられ、蓄えた膨大なマナを『所持者の証』を持つ者に自動供給する。
つまり、塔の所持者は通常では考えられないほどのMPを使う事ができると言う仕組みである。
そんな『魔術師』にとっての夢の装置は、魔法帝国の崩壊と共に蛮族の手で破壊しつくされ、今はすでに廃墟が残るばかりである。
「マズイんじゃないか?」
話を聞き終え、自分のベッドの上で胡坐をかくサムライの少年が、深刻そうに眉をひそめた。
だが話が難しかったのか、いまいちピンと来ていなかったねこ耳童女が首を傾げる。
「にゃにが?」
説明を引き継ぐのは背は低いが腹は太い、髭面のドワーフだ。
「『理力の塔』を利用されたら、それこそ無限に近いMPを得る、と言う事ですぞ」
「ほんでキヨタ氏は高レベルの『魔術師』やしな。強力な魔法バンバン使うて来るで」
最後に白い法衣を着た、明るい茶の髪の乙女が論を締めくくる。これでやっとマーベルはねこ耳を立てて納得の表情を露にした。
キヨタ・ヒロムは、アルトたちと同じ日本からやって来た仲間・カリスト・カルディアの身体を乗っ取り、あちこちで暗躍している『魔術師』である。
その正体はわからないが、以前、その養女であるナトリが語ったところ、他人の身体を乗っ取る事を特技とした、800年を生き抜く精神体だという。
遥か異世界より飛来した、実体を持たない『イスの偉大なる種族』。などとも言っていたが、こちらはさすがに彼女一流の冗談だろう。
そんな彼らの敵が『理力の塔』でさらに強化されるわけで、そうなるとカリスト救出もより困難を極めるに違いない。
「ちなみに、キヨタ氏の目的が『理力の塔』、と言う根拠はあるのですかな?」
皆が深刻な表情でうーんと考え込む中で、レッドグースがふと顔を上げる。その問いの行く先は、彼の傍らでちょこんと座っている、人形少女ティラミスである。
「大蛸退治の後の事、憶えているでありますか?」
その言葉に、一同は揃って顔を上げて、各々の記憶内を検索する。どの出来事についてなのかまだ判らないので、検索結果はたくさんあるのだが。
ひとまず、そんな面々を見渡してから、小さな『魔法工学士』は話を続けることにした。
「あの時、銀髪殿は鞄を2つ持っていたであります」
そう言われてやっと何を指しているのかに思い至る。
確かに『ロゴロア』退治の後、『金糸雀亭』にて、ナトリは2つのアタッシュケースの内、一つをマリオンに譲り渡した。
鞄の中身は、マリオンが身代わりとして兄に差し出した、人形姉妹が末妹、ミルフィーユ嬢だったはずだ。
ならばもう1つのかばんの中身は、と言う話である。
「まだオレたちが会っていない、人形姉妹の長女か」
そんなアルトの呟きに、ティラミスは真っ直ぐに頷いた。
「あれはおそらく、長女シュトルーデル。『魔術修士』であります」
シュトルーデルは、魔法帝国においてゴーレム魔術の第一人者であったパーン・デピスが、最初に作り出した人工知能搭載型ゴーレムだ。
彼女の役割は、デピスの行う魔法実験において助手を務めることであったが、4番目のティラミスが作られた後は、彼女と協力し、アルセリア島におけるデピスの最重要拠点となる、彼の為の『理力の塔』建設に従事した、との事である。
「そして『理力の塔』完成後は、シュトルーデルが塔の管理者となったであります。そのシュトルーデルを手中に収めたという事は、兄貴殿たちの敵『魔術師』が、おそらく『理力の塔』をも手に入れた、と考えるべきであります」
一同はこの話を聞いて愕然とした。
『理力の塔』の主制御因子である『天上の石』を今更作成していると言う事は、おそらく見つけた『理力の塔』は壊れていたのだろう。
だが、このまま手をこまねいていれば、今まででも手に負えなかったキヨタが、さらに大きな力を手に入れてしまうのだ。
「断固阻止にゃ」
皆に一歩遅れて話を理解したマーベルが、決意の瞳を持って小さなコブシをベッドに叩きつける。相手がやわらかい為、ポスンという音が間抜けだったが、一同は気を引き締めて頷いた。
そうだ、なんとしても阻止しなければならない。
世界や国がどうなろうとも知ったことではない。いや、彼らの安全を保障してくれている間は協力もやぶさかでないが、とにかく最も大事なのは自分達の身である。
ここで言う「自分達の身」とは、仲間全員を含む。すなわち、最優先事項はカリストの救出であり、その最大障害がキヨタなのだ。
断固阻止。その為に何をすれば良いか。
その日の会議は最終的にその様な話に終始した。
とは言え、未だ得体の知れない『錬金術師』ハリエットにケンカを売るのは怖いので、勝負はナトリが『天上の石』を手に入れてからである。
『錬金術師』ハリエットの朝は、微妙に遅い。
秋の、少し遅めの日の出より、たっぷり時間が過ぎてから、髪も服も何やら疲労でヨレヨレになった眼鏡の少女が、『ハリーさんの工房』の店前に姿を現す。
金儲けに貪欲な、同じ『商業地区』の面々は、この時すでに忙しそうに走り回っている頃である。
ただ先にも言ったが、朝だというのにハリエットの姿には爽やかさが微塵もない。どうやら徹夜だったと見える。
『錬金術師』という職人でもある彼女にとって、徹夜は割りと日常茶飯事だ。
欠伸交じりで出て来た店の前でハリエットは何やら体操を始め、縮こまった身体を充分に伸ばすと肩を回しながら、また店内へと帰っていく。
声は聞こえないが、「さぁもうひと頑張りだネ」とでも言ってるいのだろうか。
さて、そんないつもと変わり映えのしない『ハリーさんの工房』を、少し離れた裏路地からじっと見守る男がいた。
酒樽の様な縦短横太の髭紳士、レッドグースだ。何をしているかと言えば「張り込み」である。
「ふむ、さすがに早過ぎましたかの」
「監視はやり過ぎくらいがちょうど良いのであります」
頭に乗せた人工知能搭載型ゴーレムと呟き合いながら髭を撫でる。寒いせいかいつもより毛並みが硬い気がした。
と、その時、彼らの潜む路地裏に似合わぬ、白い法衣を着た乙女が静かに現れた。
片手に小さな茶色の袋を提げた、酒神キフネに仕える『聖職者』モルトである。
「おっちゃーん、朝ごはん買うて来たで」
「おお、ありがたいですな」
さすがに日の出前からここにいるだけあって、さっきから朝飯を求めて腹の虫が合唱中だった。無機物のはずのティラミス嬢でさえ、なぜかグーグーと腹を鳴らしていた。
「それ、何の音やの?」
「さて、昔から偶に鳴るでありますが」
それはともかく。レッドグースは早速手渡された小袋を開けてみる。中にはこの世界ではおなじみにありふれた、丸い黒パンが3つ入っていた。
パンが黒いのは材料のせいで、精製の荒い黒麦を使っているからだ。
「あはは、さすがにアンパンは無かってん。あとコレな」
そう言って差し出すのは、小さな携帯ポットだ。中身は絞りたて白牛乳である。
「いやいや、この黒パンもなかなかいけますぞ」
「ケーキとは言わないでありますが、せめてマフィンとかパウンドケーキが欲しかったであります」
充足、不満、正反対の意見が呟かれるが、どちらにしろ贅沢を言っている場合ではないので食べるしかない。なにせ、彼ら隊の面々の財布は、どれをとっても軽いのだ。
「む、この黒パン、いつものと違うでありますな。端的に言うと美味であります」
黒パンは先にも述べた通り精製が荒い粉を使うので、口当たりはあまり良くない事が多い。粉に胚芽や籾殻が混じり、充分にすり潰されず残っているのだ。
またパンにするには膨らみにくい性質もあり、だいたい硬く焼きあがる。
だがこの黒パンは不純物が気にならぬほどふっくらとした口当たりで、酸味と甘味のバランスがとても良く、なにやらモチモチしていた。
レッドグースも言われるまでもなく気付いたが、おそらくこの製パンレベルと嗜好は、現代日本のそれに近いのではないかとさえ思えた。日本人はモチモチが大好きなのだ。
「最近見つけた、ドワーフ職人のやってるパン屋さんやねん。なんでも下町で偉い評判らしいで」
「ほお」
黒パンを頬張り白牛乳を流し込みながら、2人は感心げに唸った。濃厚な麦の味と、絞りたて白牛乳の味が、これまたよく合うのだ。
さすが女子大生、パンとかお菓子の美味しい店をよく知っている。興味があるのは酒だけではなかった様だ。
そうして短い時間で腹を満たすと、張り込み再開である。いや食べながらももちろん監視は続けていたが、これは集中力と気分の問題だ。
はたして、それから数十分もすると、目的の人物が店先へと現れた。銀髪痩身の『精霊使い』、ナトリである。
ナトリはいつもと変わらぬ、感情を露にしない表情でゆっくりと周囲を見回すと、特に気にした風もなく『ハリーさんの工房』の扉を押して中へ消えた。店内からは「イラッシャーイ」という、さっきの姿からは予想できない様な、元気な挨拶が聞こえた。
「入ったで」
「入ったであります」
裏路地の面々は互いに視線を合わせながら頷きあう。待ち人来たりである。
「打ち合わせ通り行きますぞ」
「おっちゃんが尾行するんやろ?」
それが昨晩、打ち合わせた作戦の第一段階だった。
とにかく彼女とその養父の居場所を知らないことには、この後どうにも行動しようがない。それならいっそ、尾行して突き止めよう。と言う訳だ。
ナトリなら、訊ねれば案外ポロっと教えてくれそうな気もしたが、藪をつついて蛇が出るのも困るので、ここは慎重を期すべきだ、と会議は結論した。
つまりここからが勝負どころである。
「ではワタクシは準備して待ちますかの。『ハイディング』」
どこかで「承認します」と聞こえた気がした。聴きなれた薄茶色の宝珠の声と台詞である。
するとレッドグースの樽の様な身体は、たちまちスーッと空気に溶けるのだ。『盗賊』の持つスキルの一つ『ハイディング』。これで対象者に見つからず尾行が出来ると言うわけだ。
これにて支度は完了、後はナトリが出てくるのを待つばかりとなった。
ところがだ、それからたっぷり1時間は経過したが、一向にナトリは姿を見せない。
「まさか、やってしまいましたかの?」
言葉はすれど姿は見えず、を地で行くレッドグースが呟く。それはこの段階まで来て、皆が薄々思っていた事だった。
「えと、ほ、ほなウチがちょっとさり気なく様子を見てくるわ」
額に浮かぶ汗を引きつった笑顔で誤魔化しつつ、モルトはそっと裏路地から出て、『ハリーさんの工房』へと向かう。
「おはよーさーん」
少々ぎこちない挨拶をしながら入店してみれば、そこに見たのは一仕事やり終えて茶を飲みつつ寛ぐ、ハリエットの姿だった。予感通り、たった一人で、である。
「あ、おはようサン。今日は何をお求めカナ?」
「あの、ナトリさんはどこやろか?」
「そう言う商品は扱ってないカナ」
上の空でハリエットとやり取りしつつも必死に視線を巡らせば、モルトは店の奥にある勝手口を見つける事ができた。いや、何度も来ている場所なので知っていたはずだ。だが意識になかったのだ。
「こっちは失敗やー。アル君、ベルにゃん、後は頼んだでー」
白い法衣の乙女は、頭上に載せたピルボックス帽ごと、頭を抱えてしゃがみ込んだ。
港街ボーウェンは外縁をぐるりと立派な壁で囲っているわけだが、その壁を通り抜けるための門がいくつかある。
アルトたちがこの街にやって来た時にくぐった北門の他、西門、東門の3つだ。南には無いのか、と思うかもしれないが、そちらは港なので門は無い。
そして、このうち北と西の門は、近隣の村や郊外に用事のある者がくぐるのみで、それほど多くの人は通らない。
それに比べて、毎日、朝から夕方、開門から閉門まで、多くの人や物が通るのが東門である。東門はボーウェンから東に広がる帝国領の、幾つかの大きな街へと連なる大街道があるからだ。
その東門のすぐ近くの街壁上から、2人の若者が門を通る様々を見下ろしてた。それぞれが完全武装を整えた、アルトとマーベルである。
男子部屋会議にてティラミスから聞いたところ、アルセリア島に建設された『理力の塔』へ行くには、この門を通るのが最も近い、との話だからだ。
「でも本当に通ると思うか? 目立たないように他の門から出て、郊外で進路変更って事もあると思うんだが」
「知らんにゃ。こんなの山を張っただけにゃ」
すでに日の出から数時間。刻が進むにつれてそわそわし出した若サムライが、もう何度目かの同じ問いを口にする。だが彼とは逆に、じっと人の流れを眺めているねこ耳童女は素気無く返した。この問答もすでに数回繰り返されている。
確かにアルトの言うのも正論で、ナトリが何かを警戒してその様な道程をとる可能性も高い。が、その思惑が読めない以上、マーベルの言もまた正論なのだ。
後はレッドグースの尾行が成功するか、もし失敗した場合はこの門を通ってくれる事を祈るしかない。
「だけど」
と、またアルトは落ち着きも無く繰り返すのだ。
さすがにマーベルもそろそろ苛立ちマックスの様子で、狩人の鋭い眼をギロリとアルトに向けた。その彼女の瞳は金色に光っている。『精霊使い』のスキル『オーラスキャン』を使用している時の色だ。
「うるさいにゃ、いい加減にするにゃ。そんなに言うにゃら、もう全員でかかって身柄を押さえれば良かったにゃ」
これは会議中で何度かマーベルが主張した案だ。
現状、この街で活動している目標はナトリただ一人なので、隊全員で襲い掛かれば勝利は容易いだろう。その上で、情報を聞きだすなり、『天上の石』を奪えばいいのだ。確かに最も手っ取り早いだろう。
しかしこの案は却下された。
なぜなら、この街の警察組織『ボーウェン治安維持隊』から指名手配されているわけでもないナトリに、街の中でその様な無体を強いれば、犯罪者との謗りを受けるのはアルトたちである。
なので、掛かるにしても、治安維持隊の関与しない街の外でなくてはならないのだ。
それをこんこんと言い含めれば、マーベルも渋々と言った具合で、往く人々の監視業務に戻るのだった。
ちなみに監視にオーラスキャンを利用しているのは、『精霊使い』であるナトリが、常に何らかの精霊を使役状態にしている可能性が高いからだ。
人間達の住む物質界では姿を消していることも多い精霊だが、オーラスキャンを使えばその姿を見ることできる。それを利用して、人込みの中から精霊を使役するナトリを発見しようと言う魂胆である。
そうして何度か同じやり取りを行い、東に昇った太陽も充分に地から離れた頃、マーベルが、かの銀髪の少女を発見した。
「いたにゃ」
彼女が指差す先を、手の平で日の光を遮りながら目を凝らすと、確かにお馴染みの銀糸刺繍を施した『長衣』を着たナトリの姿が見えた。今はちょうど、退門手続きの為、係りの官吏と何事か話しているところだった。
「おっさんはどうだ、いるか?」
「それはわからんにゃ」
「そ、そうか」
手筈通りなら、『音楽家』を名乗ってはばからない仲間の『盗賊』が後をつけている。だが当のレッドグースが『ハイディング』している限り、この人込みでそうホイホイ見つけられるものではない。
ただ予定通りに事が進行しているなら、ここでアルトたちが見ていることも知っているので、何らかのアクションがある筈でもあった。
だが、官吏との話を終えてナトリが別れようとするこの間際になっても、期待の動作はついぞ見つける事はできなかった。
「がちょさん、失敗したにゃ」
マーベルは苦々しく言い放つ。かなりの落胆と不本意を精一杯込めているのだが、姿形が児童然としているので、苦手なピーマンを誤って噛んでしまった女子小学生くらいにしか見えないのが玉に瑕である。
とにかくだ。仲間が失敗したなら、尾行はこちらで引き受ける必要があるだろう。作戦パターン2だ。
2人はそう含めて互いに頷いた。
と、その様に決まったと思った直後、ナトリは予想外の行動を始めた。東門をくぐらずに、その脇にある街壁昇降用の階段を昇り始めたのだ。
当然、その階段の先、街壁上で物見しているアルトたちは焦った。焦って、急ぎ物陰を探し飛び込んだ。
幸い、門の為の柱が近隣にそびえていたので助かった。
「どうするにゃ? 2人でやっちゃうにゃ?」
もうじき壁上へ到達するナトリから視線を離さず、マーベルは傍らにいる『傭兵』の袖を引っ張る。だがそんな決断を迫られても、アルトだって即決できるわけが無い。なにせ所詮は日本の学生だ。責任を伴った発言など、これまでの人生で発した例があまり無いのだ。
そんな様子でアルトがマゴマゴしていると、ナトリはいよいよ階段を昇りきり、街壁上から郊外を見渡した。
そして、しばし、そのまま風に吹かれ、景色を堪能しているような仕草を見せたかと思うと、おもむろに両手を空に向かって伸ばし、あらかじめ使役していた精霊の名を呼ぶ。声は聞こえないが、その唇は『風の精霊』と呟いた。
美しい銀の髪が優しい風にはためき、地の砂埃がふわりと舞い、翼の様な手足を持つ透き通った乙女が、ナトリの身体に纏わりつくようにその姿を現す。それは風の精霊シルフである。
「ヤバイにゃ。『ソアリング』する気にゃ」
『ソアリング』は『風の精霊』の力を借り、風に乗って滑空する魔法である。もしここで空を渡って去られては、彼女らにはもう後をつける術が無い。
正しくその様子を察したねこ耳童女は、見つかることを憚らずに声をあげて物陰から飛び出した。
「ちょ、マーベル」
慌てたアルトを後目に、呼ばれたマーベルは振り向きもせずベルトポーチを開く。中には元GMである薄茶色の宝珠が納まっていた。続けて女児の叫びが上がる。
「『バニッシュ』にゃ」
「承認します」
その瞬間、言葉と共に、マーベルは突き出した人差し指を『風の精霊』に向けた。その向けた指先から眩く白い光が閃き周囲を覆い、そしてすぐさま消える。例えるなら高出力のカメラフラッシュだ。
「成功です」
ほんの一瞬、視力を奪われつつ耳にしたのは、薄茶色の宝珠が放ったシステマチックな平坦な声。
そして視力が戻ると、ナトリの傍らにいた筈の『風の精霊』は、忽然と姿を消していた。
『精霊使い』のスキル、『バニッシュ』。これは対『精霊魔法』スキルである。
この閃光を浴びた使役状態の精霊は、契約の頚木から解放され、その上で強制的に精霊界へと送還される。なお、使役者が『精霊魔法』を使用する為には、再び召喚しなおさなければならない。
当然、使役者との対抗ロールを行うことになるが、レベルが拮抗する同士なら、かなり高い確率で成功する事ができるのだ。
アルトたちの存在には気付いていなかったのだろう。自らが使役していた精霊をいきなり消されて、銀髪の少女は目を皿の様に広げてスキル使用者を瞠った。
「何か用?」
もうこうなれば開戦しかない、とアルトも腹を括ってマーベルの横へと進み出る。
「ナトリさん。悪いことは言わない。『天上の石』を置いて行ってくれ」
本来の計画では、彼女の後をつけて、『理力の塔』完成前にキヨタ・ヒロム共々一網打尽、と行きたい所であった。
だが、すでに計画は失敗だ。このまま彼女が帰らなければキヨタもさすがに何かを察して姿を晦ますだろうし、帰らせれば帰らせたで情報が伝わり、やはり姿を隠すだろう。
ならば、と口にしたのが、アルトが思いつく精一杯の次善の策だ。
すなわち、せめて『理力の塔』完成だけでも阻止しよう、と言う訳だ。
「残念だけど、それは無理。『風の精霊』召喚」
予想された返答。そして彼女は躊躇無く、すぐさま再び精霊への呼びかけを口にする。一度は消えたつむじ風の乙女が、また彼女の身体に纏わりつく。
「もうやっつけるしかないにゃ。『勇気の精霊』召喚」
「承認します」
続いてもうやる気充分なマーベルが呼びかけると、声に応じて、宙に六角形のゲートが開く。その内より飛来するのは、拳ほどの大きさの蜜蜂。『勇気の精霊』である。
「戦闘フェイズ開始されました」
元GMからの警告。お互いがすでに臨戦態勢を整え、ようやくここで空気が変質した。張り詰めた空気が冷たくアルトの耳を撫で、彼もまた意を決して『胴田貫』を鞘から抜き放つ。
「お願いしますナトリさん。『天上の石』を手放して下さい。そしてカリストさんの居場所を教えて下さい。そうすればこんな事…」
未練である。
アルトが初めてナトリに会った時、まさか敵とは思わずにトキメキを感じてしまった。それどころかありえない未来を想像し、心を弾ませた。この一種の感動は、未だアルトの心の奥底で燻っている。
その後も命のやり取りをしたり、時には共闘もした。どこか抜けているナトリと言う人物は、知れば知るほど、敵と認識しづらくなっていた。
だからアルトはまだ、敵として対峙する覚悟が成っていなかった。
しかし彼女の平坦な表情は揺れず、ただ戦いの中で自分を利する機を見つめるだけであった。
「アっくん、ゴチャゴチャうるさいにゃ。そう言う話はたたんでからするにゃ」
そんなアルトの尻を軽く蹴り上げつつ、マーベルは頭上のねこ耳をピンと立てて右手を広げて高々と掲げる。
「『ブレイブニードル』にゃ」
「承認します」
マーベルの言葉が世界に承認され、そして魔法が発動した。
頭上で滞空していた『勇気の精霊』が、一瞬だけ大きく羽を広げ、くるりと空中で旋回上昇すし、描かれる螺旋は次第に細くなり、いつしか一本の『騎兵の尖槍』となる。
「行っくにゃー」
そして投擲するかの様にマーベルの右手が振り下ろされ、蜜蜂の『騎兵の尖槍』は真っ直ぐに飛翔し、ナトリの銀糸刺繍を施した『長衣』を貫いた。
「ほぐっ」
息を詰まらせた様な奇声が上がる。いや、正しく肺をかすめて詰まらせたのかもしれない。ナトリはその一撃で右の胸と口から赤い体液を吐き出した。
『ブレイブニードル』は5レベルの『精霊魔法』だ。
『勇気の精霊』を光り輝く『騎兵の尖槍』と化し、一度定めた標的を必ず撃ち抜く。
上位精霊を使役する魔法を除けば、『精霊使い』最強の攻撃魔法だ。
「や、やりすぎじゃね?」
さすがにここまで強力な攻撃魔法を味方が放った例が無く、アルトは『胴田貫』を構えつつも、得も言えぬ気分になった。ぶっちゃけるとドン引きしたのだ。
なにせ「出来れば傷つけたくないな」などと思っていた相手が、一撃で血ダルマになった訳で、これには「剣を握れば余事から解放される」と言う『傭兵』の魔法の様な効果も薄かった。
だが、ナトリにはそんなアルトの心情は届かない。彼女にとって、自分の障害が押そうが引こうが関係ないのだ。
それどころか、今は自分の命が危険に晒されている。これは他事に構っている場合ではない。
彼女は胸を貫いた痛みに耐えつつ、この状況から生き延びる為の術に邁進する。これはすでに数十秒前からの確定事項だ。
「『ソアリング』」
かくして、腰壁を乗り越えて身を躍らせたナトリは、瞬く間に風に煽られて、空高く飛翔した。
「作戦、完全に失敗にゃ」
舞い上がる銀髪の少女を見送りつつ、マーベルは不機嫌そうに呟くのだった。




