08望まぬ再会
「ど、どうする? いくらから入れるか」
未だ静まり返ったままの会場に焦れ、アルトはすぐ隣の席の髭中年の肩を揺する。だが問われたレッドグースは平然としたまま微動だにしなかった。
「落ち着きなされアルト殿。こういうモノは序盤から参加せず、最後の方で掻っ攫うのが賢いやり方と言うものですぞ」
「おー、その発想は無かったにゃ」
その言が正しかった様に、かの傷顔の騎士もまた鋭い視線で会場の動向を窺っている。アルトは「そ、そうか」と弱々しく頷いて、まだそわそわする腰を椅子に下ろした。
だがそんな彼らの賢いやり方など知ったことか、と言わんばかりに声を張り上げた者がいる。かの赤男達のリーダーらしき髭の痩せた男だ。
「4万銀貨」
まさに堂々たる入札である。
2万から開始だと言われているのに、いきなり予想落札価格で入札とは、やり方がいかにも富豪然としているではないか。これはかなりの資産を背景にしているに違いない。アルトなどはそう驚愕に慄いた。
「おっといきなり高額入札ですね。さて他にはいらっしゃいませんか。えーと、はい、ビットはいりました。4万1千銀貨です」
「はい?」
特に誰かが声を上げたわけでもないのに、進行役のタジェル氏が難なく金額を上げ、意味もわからずアルトは素っ頓狂な声を上げた。
「入札した事をあまり知られたくない人もいますからな。そう言う場合はあらかじめビットサインを決めておき、それを見て司会が代わりに宣言するのです」
財産持ちである事が知られると、それだけでトラブルになることもある。
貴族の場合は背後に国家がいることもあり、簡単に襲われたりはしないだろうが、特に後ろ暗い商売をしている者などは自ら危険を呼び寄せるようなものだ。
そう言った者以外でも、高い地位の者が、お忍びで参加する場合などにも使われる方法である。
「ほへー、おっちゃん詳しいな」
「ま、紳士のたしなみですな」
「さすが髭の兄貴は博識であります」
さて、これで現在の金額が4万1千銀貨。対して赤男達はすぐさまひっくり返すような金額を提示するに違いない。とアルトは思っていた。
ところがだ。ふと彼らを見れば、真っ赤な法衣と裏腹に、その表情を真っ青にし、急いでお互いの財布を覗いているではないか。
「もしかして彼らは、予想落札価格と即決価格を勘違いしてたんじゃないですか」
まさしく、薄茶色の宝珠が言う通りだったのだろう。
その後、数分をかけて赤男達は100銀貨単位で価格を更新し、その度に謎の入札者に跳ね除けられ、ついには4万1千800銀貨で力尽きた様にガックリと膝を突いた。
そんな彼らにフンと鼻を鳴らして嘲笑を送りつつ、ついに参戦に意を露にしたのが、ライバルと予想されていた傷顔の騎士。
「4万2千銀貨」
想像の通り低く渋い声が上がると、会場はにわかに沸いた。予想落札価格を越える商品がこれまであまり多くなかったので、この白熱した入札合戦に皆手に汗を握り始めたのだ。
さて、我らが冒険者達の予算は69,475銀貨である。
もちろん全額使っていては儲けが無くて困るわけで、出来れば最低1万8千銀貨は残したいのだ。
なぜなら借金返済の為である。
アルト、モルト、レッドグースは、『錬金術師』ハリエットに、それぞれ7千、6千、5千銀貨と言う借金がある。
今回、報酬の高さに釣られてこの依頼を引き受けてしまった訳だが、せめて借金帳消しくらいにはしたいのが人情だ。
もちろんそれだけでは今後の生活費に困るわけだが、最低限質素な生活を送って何とかすると言う力技は、この数ヶ月で嫌と言うほど染み付いた。ならやはり問題なのは借金なのだ。
つまりこのオークションは5万銀貨強というラインが最終防衛線だ。
ちなみに今回の報酬をまるまる借金に充てると、マーベルやティラミスの取り分がなくなるわけだが、実の所これはすでに納得済みだった。
借金の背景が隊行動の末の事なので、借金の無い2名も返済を優先する事を承諾したのである。
「そ、そろそろ参戦するか?」
こうしている間にもジワジワと上がる値に、ジリジリと尻の先を焦がされる様な気分になりつつアルトが仲間達を見渡す。借金の無いマーベルやティラミスを除いて、どちらの顔にも迷いが見えた。だがまだ賛同の返事は無い。
「ビット入りました。ただいま4万8千銀貨です」
そしてついに、ここまで競っていた傷顔の騎士が折れた。すでに彼自身も資産の限界を突破して入札していたのだろう。諦めと共に少しばかりの安堵を見せつつ、ゆっくりと力なく椅子に腰を下ろした。
ここが参戦どころだった。ここで参戦せねば、もう謎の入札者の落札が決定してしまうからだ。
「いくらだ、いくらで入札したら良い?」
会場の雰囲気にすっかり飲まれて我を見失っているアルトが焦って立ち上がる。それに答えるのは、同じ焦りを見せている中でも比較的冷静さが見えるレッドグースだ。
「ここはワタクシが引き受けましょう。タジェル殿、5万銀貨ですぞ」
会場が沸いた。先ほどの控えめなどよめきではない。今度は誰もが興奮気味な声を上げているのだ。
このドラゴンの卵に入札してきたのが、赤男、騎士、冒険者と、どれも裕福層とはかけ離れた容姿の連中ばかりである。
謎の入札者だけはどうか判らないが、とにかくそんな面々の競りが、まさかここまで予想落札価格を越えるとは、誰も思っていなかったのだ。
「おい、入れすぎじゃないか? 4万9千で良かったんじゃないか?」
いきなりの2千銀貨アップ入札に、アルトは慌てて隣の酒樽紳士を揺する。だがすぐに姐分でもあるモルトが彼を戒めた。
「ええんやアル君。こういうギリギリの所では勝負をかけるもんやで」
はたして、彼女の言葉が正しかったかのように、そこで入札はピタリと止まった。さすがに謎の入札者もここらが限界だったのかもしれない。
アルトはほっと息をつきながら自分の席にへたり込む。と同時にタジェル氏は最後の煽りとばかりに口を開いた。
「さあさあ、もうありませんか? どなたも懐が厳しいでしょうが、ここが最後の頑張り所です。もう、ありませんか?」
それからタジェル氏はたっぷりと時間を使って、鋭い目を会場内にぐるりを回す。誰ももう口を開かず、ただ事の行方を固唾を呑んで見守っていた。
そしてもうこれで終了だ、と、司会を含む誰もが思い至り、ついに「落札」の言葉を告げようと口を開きかけた時、タジェル氏の唇の端が僅かに上がった。
「ビットは入りました。5万と500銀貨」
歓声が上がった。もう無いと思っていたアンコールが始まったことにより、会場の興奮度はさっき以上だ。
だが、これで本当にカーテンコールだ、と言わんばかりに、すぐさまレッドグースは立ち上がり、煌びやかなステージ衣装の右腕を振りかざして言葉を放った。
「5万1千500銀貨」
タジェル氏がもう一度、ゆっくりと会場を見渡す。そしてもったいぶる様に目を伏せてから高らかに宣言した。
「ドラゴンの卵、5万1千500銀貨にて落札です」
拍手が起こった。
この拍手は相槌ではない。面白いものを見た、という喝采である。端から見れば「何がそんなに」と言うような成り行きであったが、会場の熱が篭った雰囲気もあり、中には立ち上がって喝采を送る者までいた。
「いや申し訳ない。25銀貨の赤字ですな」
実のところ予算オーバーである。先日、景気づけに『煌きの湖畔亭』で食事をしなければ、キッチリ収まったことだろう。
だが落札は成った。これで後日受け渡しが無事に済めば、依頼完遂である。手元に入る金は無いが、それでも借金完済で、晴れて綺麗な身となるのだ。
アルトたちはホッと一息吐きながら、各々の席に深く腰を落ち着けた。
と、その時だ。
静まりかけた歓声と喝采を引き裂くように、下品で不快なでかい笑い声が割って入ったのだ。
「はっはっはっは、さすがはこのワシを墜とした連中だ。なかなかやるじゃないか」
しわがれた中年男の声がそう言うと、会場の視線はその主を探して彷徨う。
いち早くその者を見つけたのはタジェル氏で、彼の意味ありげな視線から、どうやらその中年男が、かの謎の入札者のようだ。
小太りの中年男。顔はノッペリとした仮面で隠しているので判らないが、少ない髪を精一杯広げたそのハゲ頭に見覚えがあった。以前見た時より髪の量が減った様だが間違いないだろう。
「お、おまえ、ガメッツィーニか」
見覚えはあったが、その人物がこのような場所にいるはずが無い。そんな理性が働き、アルトは信じられないと言った表情で身を乗り出す。
そう、その人物とは、アルトたちの仕事上での敵で、現在はボーウェン治安維持隊の留置所か、または帝国の正式な牢獄にでも繋がれている筈の、悪徳商人ガメッツィーニの事である。
そんなアルトの態度に満足したのか、堂々とした、いや、ふてぶてしい姿勢でふんぞりかえる小太りの中年は、勿体つけるようにゆっくりとした動作で仮面を外した。
仮面の下から現れたのは、やはり、ガメッツィーニだ。
会場の裕福な貴人達の内、数人がその事実に眉を寄せ嫌な顔をする。それほどまでに、ガメッツィーニの悪名は高い。もしかすると過去、彼の被害を受けた者もいるのかもしれない。
驚きながらも、アルトはすぐさま立ち上がり、仲間を庇う様に間に構える。そして灰色の布で包んであった『胴田貫』を露にした。未だ抜刀には至らず、しかし油断無く鯉口付近を左手で握る。
またそれに倣う様にアルトの横に並ぶのは、白い法衣に徒手空拳のモルトだ。つい並んだは良いが、今は武器も防具もつけていない事に気付きつつ、それでもその場に踏みとどまる。どうせ相手は商人だ、と思ったからだ。
だが、どうにも様子がおかしい。
当のガメッツィーニが、『傭兵』と『警護官』を前にして、余裕の態度をまったく崩さないのだ。
いつの間にか額には脂汗が滲み出ていた。なぜか、かの悪徳商人から強者の持つ様な圧力を感じた。
その時、対峙する両陣とはまた違う場所から声が上がった。
「貴様、どうやって留置所から出て来た?」
ごく直近に聞き覚えがある低く渋い声。各々が視線を巡らせれば、声の主は競売のライバルであった、立派な髭に覆われた傷顔の騎士であった。
銀色に輝く『鎖帷子』の上から、グリフォンと麦穂をあしらった紋章のサーコート。左手には、先ほどは持っていなかった、鞘に収まったままの『両刃の長剣』を提げていた。一目見て、いかにも魔法の剣か名剣だ。
彼は問いながらゆっくりとした速度で歩いてくる。不安そうに行く末を見守っていた貴人達も、彼の登場にホッとしつつも急いで道を空けていた。
だがガメッツィーニは答えず、ただいやらしい笑みを浮かべるだけだ。
「ちっ、マーカスめ。何かヘマしやがったか」
歴戦を物語る傷多き騎士の顔が歪み、ふてぶてしい悪徳商人の無言の返答に舌打つ。
騎士は悪態の中で『マーカス』と言った。その名でアルトはピンと来た。この男、帝国騎士だ、と。
治安維持隊の隊長である帝国騎士マーカス・マクラン卿よりも2周りほど年嵩で背も低いが、鍛え抜かれた身体は、まるで岩の様に頑強そうだ。
「いやいや、マクラン卿を責めるのは酷というものだ」
苛立つ騎士とは裏腹に、余裕を崩さないガメッツィーニがやっと口を開く。傷顔の騎士の眉がその言葉でかすかに上がった。
「なに?」
その声には怒りにも似た重い迫力が込められている。アルトたちを含め、会場の誰もが会話の行く末を邪魔する気にはなれなかった。
「我が主、真なる支配者様の手にかかれば、あのようなあばら家を抜け出すなど、造作もないのだよ」
「真なる支配者、だと? どうやら取り調べがいがありそうだな。おい誰か、マーカスの手下どもを呼んでおけよ」
髭顔の騎士はガメッツィーニの言にそう頷き、手にした『両刃の長剣』を抜き放つ。
鈍色の中に怪しくも禍々しい輝きを湛えた剣身が露になると、会場のほとんどの者が小さな悲鳴をあげ、数少ない者がタジェル氏に何ことか言伝てから飛び出していった。おそらく傷顔の騎士の言葉に従い、治安維持隊を呼びに走ったのだろう。
「おや、ワシの仇はそちらの冒険者なのだがね。退いてはいただけないかジャム大佐」
いつか見た卑屈で臆病そうな態度は一切見せないガメッツィーニ。対するジャム大佐と呼ばれた傷顔の騎士も怯む様子はまったくない。いつしか、アルトたちと対峙していたガメッツィーニは、すっかりジャム大佐と向き合う態となった。
「あれ? オレらやんなくて良い流れ?」
出来れば戦闘などしたくない、という思想は未だに根底に流れているアルトが、そんな様子に呟くが、これにはすぐさま横並びにいる姐分からの肘鉄で諌められた。
「ここは騎士のおっちゃんと共闘して顔を売っとく流れやで。今回の事でコネの大事さがようわかったやん?」
おお、なるほど。と少年サムライは『胴田貫』の鯉口を握りなおす。
ジャム大佐なる騎士がどれほどかはわからないが、かの帝国騎士マクラン卿を呼び捨てる御仁だ。彼以下の実力と言う事はないだろう。ならば確かに、ここは勝ち筋の尻馬に乗って、さらにコネを作る絶好のチャンスだ。
はっきり言って打算だ。だが、この物騒な世の中を無事に生き抜く為に打算は必要なのだ。
「台詞の方はいいですかな? なんならワタクシめが台本を作りましょうかの?」
脳内で幾つかの計算を終えようとした時、アルトの耳に聞きなれた中年声が囁きとなって届いた。
アルトは一瞬、頷きかけてから急いでブルブルと首を振った。レッドグースなどに任せたら、どうせ後の笑い種にされるのは目に見えてる。さすがにこれまでの経験でアルトも学んだのだ。
「いや、自分で行く。みんな準備頼むぜ。特にマーベル」
「わかったにゃ。GM、勇気の精霊召喚するにゃ」
「承認します」
会場のざわめきにまぎれ、視線や顔を動かさない短い打ち合わせを経て、マーベルは前衛の背を目隠しにしてこっそりと宣言した。
いつもとは違い、「こっそり召喚」がテーマなので、草色ワンピースの胸の前で小さく掌を広げる。すると召喚主の意思に応える様に、静かに六角形の光が現れた。これは精霊界から勇気の精霊がやって来る為の小さなゲートだ。
現れるのはコブシほどの大きさのミツバチ。彼こそ、勇者を死後に導くと言われる勇気を司る精霊ブレイビーだ。
アルトは背後の気配で一つの目的が達せられた事を感じ、この瞬の間もにらみ合う傷顔の騎士の横に進み出る。
「お前たちがガメッツィーニの言っていた冒険者だな?」
視線もよこさず、歴戦の騎士は並び立った若サムライに言葉を投げかける。質問の態をしているが、すでに確信を込めた声色だ。
「くっくっく、5人、いや6人がかりか。いいだろう。これくらいは想定の内だ」
アルトが騎士に返事をするより早く、眼前で不敵な笑みを浮かべていたガメッツィーニが呟き、自らの両肩を抱く様にして身を屈めた。
誰もがその時、ガメッツィーニが降伏でもするのかと、頭を下げたのかと勘違いしかける。だがアルトとその仲間にとって、この光景には既視感があった。
『ミスリル鍛冶師』メイを見つけたあの遺跡、そこで戦った黒いエルフを思い出させたのだ。
「おい、あの『ワーウルフ』だ。気をつけろ」
その記憶に思い当たり、アルトはすぐさま抜刀。油断無く視線を外さぬままに、いつでも斬りかかれるようにと八双に構えた。
ワーウルフとは、つまり狼男の事だ。
我々の世界では肌が黒色化し、獣のように多毛となる『狼男症候群』と言う奇病があるが、メリクルリングRPGの世界でのこの病は、さらに深刻な熱病である。
この世界ではこの熱病に罹患すると、狼に似た顔の魔獣、ワーウルフとなる。性格は粗野、乱暴になり、生命力や回復力、筋力など肉体能力が高まり、正に怪物として恐れられる存在となるのだ。
アルトたちも例の灯台遺跡探索後に調べ、その存在を知るに至った。だがあの遺跡で会った『ワーウルフ』は普通のワーウルフではなかった。
結局、その事については調べがつかなかったので、ひとくくりに『ワーウルフ』と呼ぶことにしたのだ。
そして記憶と重なる様に、ガメッツィーニの身体が変化する。
小太りの身体が一回り大きく膨れ上がり、身を包んでいた高価そうだが品の無いタキシードが耐え切れずに弾け飛んだ。次に薄かった頭が灰色かかったかと思うと、全身を硬そうな獣の体毛が覆った。
そうして見る見るうちにガメッツィーニは一匹の魔獣となる。その姿は例えるなら2足歩行の狼だ。
一見、ただのワーウルフだが細部が違う。頭部には丸い硬質な複眼がいくつか散見され、額には気味の悪い多角形の模様が刻まれていた。
「やはりただのワーウルフではありません。といいうか、この世界の怪物かどうかも怪しいです」
マーベルのウエストポーチから上がったそんな言葉に、誰もが身を引き締めて構えた。世界のあらゆる情報を手に入れることができる元GMたる彼が言うのだ。おそらくその通りなのだろう。
いよいよ、戦闘フェイズの開始である。
「いくにゃ『勇気の精霊』、ブレイ…」
すかさず隠していた召喚精霊を掲げ、隊最速のねこ耳童女が叫びを上げかけた。誰もが彼女の『精霊魔法』がまず轟くのだろうと疑わなかった。
だが、その信頼は崩れ去る。マーベルが魔法の宣言を吐く前に、飛び出した者がいたのだ。
はじめ何が起こったのか誰もわからなかった。それは灰色の風が吹いたかの如きスピードだ。何を隠そう、人狼化したガメッツィーニである。
「うぬぼれるなよ小娘が」
尖った犬科の口を禍々しくも楽しげに歪めつつ両手を突き出す。するとその掌から細く白い閃光がビュッと伸びた。閃光は瞬く間に精霊を使役しようとしていたマーベルを絡め採るのだ。
「そうか、蜘蛛だな」
傷顔の騎士ジャム大佐が一瞬にしてその様に見抜いた。確かにそれは獲物を逃さず食い散らかす、死の糸だ。
気味の悪いあの複眼も、額に浮かんだ多角の模様も、言われてみればまさしく大蜘蛛を思わせるではないか。
「マーベル、大丈夫か」
「ベトベトするにゃ」
頬に一筋の冷や汗を垂らしつつ、すかさず安否確認するアルトだったが、どうやら動けない以外は無事のようで安心だ。ならば良し、と彼は再びガメッツィーニを見据えて構えなおした。
しかし、直視したくない気持ち悪さだ。
特にあのテラテラとした、何を映しているのか解らない硬質な複眼が、異形に拍車をかけている。
アルトはそう思いながら、喉を詰まらせる様に込み上げる胃酸を飲み込む。そして小さく決心して、八双に構えた『胴田貫』と共に飛び出した。モルトは回復魔法に備えて行動遅延をするようだし、ガメッツィーニは対マーベル行動でこのラウンドは終了だ。
ならばここで仕留めて仕舞いにする。
『胴田貫』が跳ね上がり、雷鳴を纏ったかの様な鋭さを持って人狼に襲い掛かる。
「『ツバメ返し』行くぜ」
「承認します」
アルトの刀が、かの魔獣を袈裟懸けに斬り裂き、さらに反転して逆袈裟にしとめる。そのビジョンがすでにこのサムライの脳裏には映し出されていた。
しかしだ。その幻想は甲高く上がった金属音により打ち壊された。
「え?」
信じられず、思わず間抜けに声を上げて目を見張れば、彼の愛刀は人狼が背から生やした8本の蜘蛛脚により受け止められていたのだ。
一撃必殺すら可能とするサムライの奥の手『ツバメ返し』。それが白刃取りの餌食である。アルトの驚愕たるやいかほどだろう。尋常ならざる回避力だ。これが複眼のもたらす恩恵だろうか。
だが、この隙を見逃さぬ者もまたこの場にいた。傷と髭で顔を埋めた歴戦の騎士だ。
「小僧、よくやった。後は俺に任せろ」
アルトを体よく目隠しとする様に、ガメッツィーニの複眼から逃れて飛び出したジャム大佐は、脇構えの『両刃の長剣』を素早く振り上げた。
ここからがまるで嘘の様な動きであった。
まずジャム大佐の身体が唐突に霞んだ。そして幻像を残しつつも雷光の様な素早さでアルトの前へ躍り出たかと思うと、息も尽かさずガメッツィーニの胴を横薙ぎにした。
さらに、それだけでは終わらない。
続けて反転した『両刃の長剣』が逆袈裟、袈裟懸けの軌道を小さく描いてかの胸を2度裂き、最後にくるりと独楽の様に回転しつつ、もう一度、肩から胴へと薙いだ。
人狼となったガメッツィーニだが、これはさすがに堪らない。堪らず、息も絶え絶えに床にその身を伏した。歴戦の勇者が放つ重い攻撃。それが一瞬の内にこうも連続で入るのだ。
誰もが目を見張る。
アルトの『ツバメ返し』の実態は命中率とクリティカル率の上昇を目論むスキルであるが、運がよければ袈裟、逆袈裟と続く2連撃になる。
だが今のは何だ。目の良い者にしか判らぬ素早さなれど、確かに4連撃だった。
「あれは『セイバーアクセル』です」
ねこ耳童女と共に、蜘蛛の糸に絡め取られていた薄茶色の宝珠が、そんな誰かの疑問に静かに答えるのだった。
『セイバーアクセル』は『傭兵』のうち、『片手武器修練』を使う者が修めることの出来るスキルだ。
このスキルを一言で表すなら「連撃スキル」。スキルランクに1を加えた連撃を、1回の攻撃ラウンドで浴びせることができるのだ。
さて、凄まじい連撃にオークション会場はいつの間にかシンと静まり返っていた。皆一様に、歓声を上げるでもなく、悲鳴を上げるでもなく、ただ驚愕したのだ。
普段、戦いなど見る機会もない貴人達ならいざ知らず、冒険者であるアルトたちも息を飲んでいるのだ。
「ふん、『セイバーアクセル』程度で驚かれてもな」
そんな周囲の様子に、ジャム大佐は呟く。
確かに『セイバーアクセル』自体は「脅威のスキル」と言うほどのものではない。取得条件が『片手武器修練』を持つ者なので、アルトよりも低いレベルの『傭兵』でも、4連撃くらいは手に入れる事ができる。
では先程のジャム大佐の何がそれほど脅威なのか。
それは威力である。
本来、片手武器に類される武具の打撃力は軽いのだ。
軽いが故に回数で補う。その為の『セイバーアクセル』なのだが、彼の場合、その一撃一撃が、熟練した『サムライ』の打撃力に迫る程だった。
生命力に長ける、つまりHPの高い魔獣であるワーウルフを、こうも容易く下す殲滅力。これは刮目に値するだろう。
と、そこへ幾人かの帝国軍人たちが会場へ飛び込んで来た。彼らはすでに終結した戦場をキョロキョロと見渡してから、アルトたち同様に目を見開いた。
「ジャム大佐、殺してしまったのですか」
中でも年嵩の帝国軍人がすぐさま駆け寄りつつ、目だけで横たわるワーウルフを窺う。その身体にはすでに幾つもの剣による傷が見えたので、本来ならば聞くまでも無い。
プレイヤーキャラクター以外には生死判定などの救済措置が無いので、剣で斬られて倒れれば、それはすなわち死亡と言う事なのだ。
なのでアルトたちは各々が得物を納めつつ、その不思議なやり取りに首を傾げた。
「死んでないにゃ」
そしていち早くそう声を上げたのは、いつの間にか伏するガメッツィーニの傍らで、彼の脈を確認しているマーベルであった。
その言葉に帝国軍人たちはホッとしてから身柄確保の為に集り、ジャム大佐は憮然とした表情で腕を組んだ。
「俺の魔剣『生殺与奪』がそんなヘマするか」
何か良くわからないが、そう言うことらしい。アルトたちはひとまず「はぁ」と納得の意を示すのだった。
結局、その後のオークションは延期となり、会は解散となった。
残念な終了ではあるが、結果的に災厄を呼び込んでしまった原因の一端を担うアルトたちにも、特にお咎めも無く、無事に『ドラゴンの卵』購入権利を手に入れたのだった。
次第に人が減っていく会場でただずみつつ、白い法衣の乙女はポツリと呟く。
「で、結局、ジャムおじさんって何者やったん?」
かの傷顔の騎士は、幾らか増えた帝国軍人、つまり治安維持隊と入れ替わる様にいつの間にかいなくなっていたが、あの剣の腕からしても只者ではないだろう、と誰もが考えて首を捻った。
「あれは西部方面軍の騎士連隊総長だ。当然ながら俺より強いぞ」
と、これまたいつの間にかやって来た、巨漢の若き帝国騎士マクラン卿が答える。
つまり、この街を含むレギ帝国西部地域で、最も位の高い騎士、と言うことになるだろうか。そんな勇士と顔合わせ出来たのは僥倖だったと言えよう。
ちなみにこれは後々の後日談だが、ドラゴンの卵を何に使うつもりだったか訊ねると、ジャム大佐はこう答えた。
「育てて騎乗馬代わりにしようかと、な」
なかなかお茶目な御仁である。




