06紅き闇の魔王
「そら魔法くらい使うわ。使わんやったら、幽霊、攻撃方法無いやん」
背後で次に使うアイテムを考えていた白い法衣のモルトが面倒そうに返答するが、アルトは納得できずにさらに言葉を続ける。
「でも、なんか凄そうな魔法名でしたよ」
「いやアルト殿、落ち着きなされ。あれ、ただの『ライトニング』ですぞ」
「確かに『ライトニング』って呟いたにゃ」
すかさず回答を挟んだ背丈半分コンビの言に、アルトは怪訝そうな表情でもう一度、男爵令嬢に向き直った。
ライトニングは『魔術師』が使う、3レベルの緒元魔法だ。以前にも浴びた事がある魔法だったので、言われてみれば記憶と比較してその正体は納得できた。
なにが『天駆ける眷属の怒り』だ。ビックリさせやがって。と、アルトは落ち着きを取り戻して額の汗を拭う。
さて、続いて何かの退魔アイテムを使用するつもりだったモルトは、変更してすぐさまアルトの回復に努めた。神聖魔法『キュアライズ』による傷の治療である。
さらに次の手番になるアルトが、万が一の肉弾戦に備えて戦闘オプション『防御専念』を宣言し、最後のレッドグースが『盗賊』のスキル『ハイディング』により姿を消して第1ラウンドは終了となった。
巡って第2ラウンド。これまで出会った者の中でも最速を誇る、ねこ耳童女の出番である。
「GM、『ドンケルビート』行くにゃ」
「承認します」
躊躇いも無く叫びを上げたマーベルが、ベルトポーチの脇に持っていた小袋の口を開ける。すると中から闇が飛び出した。
比喩ではない、それは正に『闇』としか例えようがない。
開いた小袋の口から、全ての光を通さないかの様な、漆黒の何かが飛び出すと、投網のように広がってかの男爵令嬢に襲い掛かるのだ。
「く、おのれ。『紅き闇の魔王』である我に闇属性などっ」
そう叫びながらも、男爵令嬢は苦痛に表情を大きく歪め、脱力したかのように片膝をついた。
『精霊使い』の使う2レベル『精霊魔法』、ドンケルビート。
『光の精霊』と対を成す『闇の精霊』をぶつける事で、対象のMPにダメージを与える魔法である。
魔法使いが相手の場合にも有効だが、それ以外でも実体を持たない敵に対しても非常に役に立つ。と言うのも、通常の生物はMPがゼロになると気絶状態となるのに対し、幽霊などの場合はMPがゼロになると消滅してしまうからだ。
「よくもやってくれたな、地を這いずる蟲どもが。深淵の底で後悔するが良い。『邪神の加護を受けた神聖なる捌きの矢』!」
またもや少女の高い声が、大仰な叫びと共にボソリと何かを呟いた。
すると、まるで弓を引き絞るような仕草をした左右の拳から光が発し、瞬く間に一筋の光の矢が生まれる。そして光の矢は飛翔し、真っ直ぐにアルトの肩を射抜いた。
「またオレかよっ」
魔法なら後衛にも射掛けることが出来そうなものなのに、ご丁寧にまたアルトが標的である。HP的にも彼が受けるのが最も被害が少ないわけだが、やはり痛いので愚痴の一つも言いたくなる。
「ちなみに今のは、『マギボルト』って呟いたにゃ」
獣の耳を持つマーベルには誤魔化せないのであった。
『マギボルト』は『魔術師』の最も基本となる、攻撃的『緒元魔法』で、そのレベルは1である。
他のゲームで言う所の『マジックミサイル』や『エネルギーボルト』の様なもので、低レベルの戦士系が1度に与える事のできるダメージより、少しだけ強い。
「お、『ドンケルビート』が効いとるわけやね」
マーベルの呟きを効いて、すぐさまモルトがニヤリと笑う。『ドンケルビート』のMPへのダメージで、MP節約に走ったと読んだのだ。
その考えは図星だった様で、男爵令嬢は必死な笑顔をさらに引きつらせた。
「ほな、もうちょっと嫌がらせさせてもらうで。『イクソシズム』」
「承認します」
薄茶色の宝珠が返事をすると、幽霊に取り付かれた男爵令嬢の足元に光の聖印が浮かび上がる。そして瞬間、光が無数の矢のように士法へ拡散したかと思うと、次に男爵令嬢へと降り注いだ。
不死の怪物を打ち倒す破魔の魔法である。
だがこれはモルトが言う通り、嫌がらせ程度にしかならなかった。なぜなら低レベル魔法であるイクソシズムでは、そこそこレベルのある今回の相手には、大きな効果を発揮するに至らないからである。
それでも幾らかのペナルティ付与は残せたようで、男爵令嬢はその身をくの字に曲げて片膝を付いた。いちいち片膝を付くあたり、半分は演技臭いのだが。
「ふはははは、この程度で『古の真なる邪神』である我は倒せぬぞ」
「『紅き闇の魔王』はどうしたよ」
アルトは思わず呟いたが、頬を真っ赤にした男爵令嬢のひと睨みで、大変申し訳ない気分になったので、静かに口を閉じた。
などと言うやり取りの隙に、部屋の中を忍ぶ男がいた。誰あろう、ドワーフ中年紳士、『吟遊詩人』にして『盗賊』のレッドグースである。
「背後を貰いましたぞ」
男爵令嬢がアルトの呟きに気をとられたその隙だ。『ハイディング』を解除してその姿を現した酒樽紳士は、目にも留まらぬ手業で令嬢の首筋に銀色に光る何かを巻き付けた。目を凝らして見れば、非常に細い銀で編まれた鎖である。
「出し惜しみしていてはいつまでも終わりませぬからな。切り札を使わせてもらいましたぞ。『悪霊祓いの首飾り』、1万銀貨」
「のーっ」
部屋の方々から悲痛な叫びが上がった。
男爵令嬢に取り付いた幽霊は『悪霊祓いの首飾り』の効果による、依り代から引き剥がされる苦痛からの叫び。仲間内からは報酬が目減りする事の衝撃への叫びである。
さらにここで第3ラウンドへと移り、ダメ押しとばかりにマーベルが『ドンケルビート』を浴びせたからたまらない。ついに令嬢の身体から引き剥がれた幽霊本体が天井下へと晒された。
それは10代半ばの男爵令嬢より、さらに幼い感じの、左目を眼帯で隠した少女の霊であった。
少女の霊は目いっぱいに涙を溜めつつも、眉間に力を入れてその涙が零れ落ちぬよう堪えている様子だった。
「もう、殺す。絶対殺す」
あまり迫力の無い剣幕で怒鳴った少女の幽霊は、必殺の魔法をアルトたちの頭上に降らせるべく、天井付近で両腕をいっぱいに広げた。
「これで終わりだ。『深淵より生まれし地獄の業火』!」
最前衛で身体を張るアルトはまたもや身をこわばらせる。確かに名前が大仰過ぎるが、その正体は『緒元魔法』である。それ以上でもそれ以下でもない。
だが、それが解ったとしても侮る理由にはならないのだ。なぜなら、ただの『緒元魔法』であれ、攻撃魔法はやはり危険だからだ。
アルトは魔法に抵抗すべく身を強張らせて集中する。その中で嫌な予感にかすかに身を震わせた。
彼の知る少ない『緒元魔法』の中で、炎の攻撃魔法は一つしかない。4レベルのファイアボールである。それは6レベル『傭兵』となったアルトですら、運が悪ければ即死もありうる破壊力を秘めているのだ。
「くそ、まさかここで」
『防御専念』に、意識的にさらに集中して身構えつつも、アルトは思わず目を瞑った。瞑りつつ、破壊の炎が降り注ぐのをじっと待った。
だが、その瞬間はついぞあらわれなかった。
長い一瞬が過ぎ去り、何も起こらない現実を怪訝に思いつつ、アルトはそっと目を開き周囲を見渡す。
もしや誰かの横槍で、魔法使用を阻害されたのだろうか。
そう思いもしたが、当の少女幽霊は紛れも無いしたり顔である。もし邪魔されていたなら、あそこまで輝かしい得意顔も無いだろう。
などと不思議に思っていると、アルトの尻の辺りがなにやら熱い。
「うぉ、なんだ?」
慌てて振り向けば、彼のズボンが燃えていた。
「え?」
だが、それだけだった。
炎は小さく、焦り気味のアルトがパンパンと叩いたら消えてしまう程度だ。
それは『緒元魔法』初歩の初歩、藁などに着火する事を目的とした『イグナイト』と言う魔法である。別名『火打ち魔法』。当然、攻撃魔法ではない。
すでにMPの付きかけた少女幽霊の、最後の切り札だった。
その後はもうただの捕り物である。
リノアさんから借り受けた『ファンタズマリング』を使って少女幽霊を実体化し、全員で圧し掛かる様に捕縛する。
ロープでぐるぐる巻きにされた少女の幽霊は、ベッドの上で正座し、涙を堪えながら上目遣いでアルトたちを睨む。もちろん迫力などかけらも無い。
ちなみに解放された令嬢は、気を失っていたこともあり安全の為、別の部屋へと移してもらった。
さて、幽霊少女である。
彼女は何かにピンと来た様に、不敵な笑いを漏らして面を上げた。
「ふっふっふ、この私をここまで追い詰めるとは。貴様らまさか、『古の絶対騎士』か!」
「いや、誰やねん」
もうツッコむのも疲れるが、かといって理性が放置を許さなかった。
「コイツどうする? 解放するのもなんか危ない気もするし、どうやったら幽霊って消滅するんだ?」
肉体よりも精神的に大いに疲労したアルトが面倒そうにのたまえば、幽霊少女は「ひっ」と小さな悲鳴を上げた。
幽霊が消滅するという事は、すなわち魂の消滅と言う事である。
それは復活、または神霊界など死後の世界への転生も叶わぬ、未来永劫において完全な消失だ。
つまり、この世に漂う幽霊ですら恐れる事態なのだ。
幽霊少女の焦りと恐れは幾程だっただろう。彼女は急ぎ震える唇を開いた。
「ま、待つのだ、『古の絶対騎士』」
「まずその名前やめて」
「あ、はい」
こめかみ辺りをぐりぐりと揉み解しつつアルトが言えば、幽霊少女はシュンとして肩をすぼめた。
「あ、あの私、決して悪霊とかそう言うのじゃないんです。その、えと、私、ボーウェン市内の商家の生まれで」
「いや、生い立ちとかも興味無いんで」
「え、あ、はい」
取り付く島もない冒険者達の反応に、ますます小さくなる幽霊少女だった。
ちなみに幽霊を消滅させるには、ドンケルビート連発でMPを削る以外にも、6レベルの神聖魔法が存在する。我らが『聖職者』モルトではまだ到達していないレベルだ。
結局いろいろ面倒になった一同は、もう騒ぎを起こさないようにと充分に言い含め、幽霊少女を解放することにした。
そうして名も知らぬ幽霊は、トボトボとメイプル男爵の屋敷を後にした。徒歩で。
「そう言えばさ」
と、幽霊少女を見送りひと段落、と言うところで『鎖帷子』の若サムライが一つ疑問を思い出す。
「さっき、『ドンケルビート』だっけ? あれ使った時。『闇の精霊召喚』ってやらなかったよな?」
一同は一瞬だけきょとんとし、アルトの言の意味が脳に浸透すると共に「ああ」と手を打った。
つまりはこうだ。
『精霊使い』の使う『精霊魔法』は、その名の通り万物に宿る精霊を召喚使役して魔法を行使する。その為、魔法発動に先駆けて必要な精霊を召喚しておかなければならない。
戦闘時においては、この召喚だけで1ラウンド使ってしまう。
だが、先ほどのねこ耳『精霊使い』は、いつもの「召喚するにゃ」「承認します」のやり取りをせず、闇の精霊を腰の小袋から発生させた。これがアルトを初めとした仲間たちの疑問として今、問われたわけだ。
「それは『精霊使い』のスキル、『プレサモン』を使用したからです」
「ほほう?」
その疑問に答えたのは、この世界における森羅万象の一部を管理する、元GMの、薄茶色の宝珠だった。
『精霊使い』は魔法の行使直前に関連精霊を召喚しなければならない。これは通常は精霊界に住まう精霊が、この人間の住む物質界に長く滞在できない事に由来する。
だが他の力を介在させる事によって、これを可能とすることができる。その一つがスキル『プレサモン』だ。
このスキルを持つ者は、召喚した精霊をスキルランクと同じ時間だけ待機させる事ができる。ランク1なら1時間、ランク2なら2時間と言う具合だ。
ただし、一度に使役できるのは1種類まで、と言う原則は変わらないので、使うことが決まっている精霊の召喚をしなければあまり意味がないと言えるだろう。
さて、そうして対幽霊戦の後片付けが終わると、一同は改めてメイプル男爵と向き合った。
「皆さん、良くぞやってくれましたな。感謝します」
娘の奇行がこれで終わるとわかった為もあり、メイプル男爵は満面の笑顔である。だがアルトたちはもう精神的な疲労もあり、ははぁと苦笑いを浮かべて頷くだけだった。
そんな様子を少し怪訝に思いつつも、メイプル男爵は報酬についての話を始めた。
これについてはアルトたちには思惑があったのでスムーズに進んだ。すなわち、タジェル商会のオークションに参加したいから、その「名前だけスポンサー」になって欲しい、と言う話である。
言って見れば信用の保証人になって欲しい、と言う話だが、彼らは治安維持隊隊長マクラン卿の紹介でもあるし、このたび世話になった事もあるし、と、メイプル男爵は快く引き受けてくれた。
これで心置きなくオークションに参加できるので、一同はひとまずホッとした。
「ではそろそろお暇させていただきましょう。もしかすると何かオークションの書類を持って来るかもしれませぬが、その時は良しなにお願いしますぞ」
レッドグースの言葉を皮切りに、面々は手荷物などを確認して帰る準備を始める。
そんな様子に、メイプル男爵は慌てて扉側に立っていた御用伺いのメイドを手招して呼びつけた。
「おい、シーダはどうした? もう元気になったのなら呼びなさい。皆さんにちゃんと挨拶せねば失礼だ」
だがメイドは畏まりつつもこう答えた。
「お嬢様は枕に顔を埋めてジタバタしておいでです」
冒険者各位は「しばらくそっとして置いてあげて」とだけ告げて、メイプル男爵邸を辞するのだった。
翌日、早速メイプル男爵の委任状を持参してタジェル商会を訪れると、きれいに刈り揃えられた髪と油断ならない鋭い目付きのタジェル氏は、破顔一笑、一も二も無くアルトたちのオークション参加を承認した。
これで後はオークション当日を待つばかりだ。
とは言え。
「まいったなぁ」
「そやねー」
まいどまいどの冒険者の店『金糸雀亭』で、昼間からすることも無く一つのテーブルを占領してのたくる一同の中、アルトとモルトが互いに溜め息を付き合った。
彼らの目の前には、豪華な装丁のオークションカタログが広げられている。
「何がまいったにゃ?」
見た目通りに無邪気な問いを発するのは、ねこ耳童女マーベルだ。見れば、先の2名だけでなく、酒樽紳士レッドグースもまた天井を見上げて「あー」と唸っていた。
「上手くやれば、割の良い仕事やと思ったんやけどね」
今回の『ドラゴンの卵を入手せよ』というミッションにおいて、報酬は必要経費込み8万銀貨だ。経費を抑えれば抑えるほどお得と言うわけなのだが。
「もう1万と500銀貨使ってしまいましたな」
図書館の使用料100銀貨、『当麻の護符』100銀貨、『金糸雀亭』での情報料300銀貨、そして『悪霊祓いの首飾り』が1万銀貨である。さらにこの後、予想落札価格4万銀貨が控えているのだ。
約3万銀貨残っているので、それでも破格な報酬と言えないことも無い。だがここまでの経緯を見れば、まだ何が起こるかわからない。
「と言うか、私がGMなら確実にもっと金を使わせますね」
と、これは元GMの宝珠の言だ。
それでも、である。
この世界がTRPG「メリクルリングRPG」を元にしているのはもはや確かではあるが、さすがにこれまでの冒険が誰かのシナリオとは思えない。いや思いたくない。そうじゃなければ良い、と強く願っている一行としては、まだ望みはあるはずだ、と、自分達に言い聞かせる様に、もう一度深く息をついた。
今度は溜め息ではない。踏ん切りと勢いをつける為の深呼吸だ。
「よっしゃ、景気づけに美味いもんでも食べ行こか」
「『煌きの畔亭』でありますな。しばらくぶりであります」
『煌きの畔亭』は人形姉妹の一人、『料理姫』マカロンが料理長を勤める大衆食堂である。彼女が料理を作るようになってからは「安くて美味くて満腹」を標榜に大繁盛だ。
以前貰った食券がなくなってしまって以来、自炊の粗食ばかりだったので、一同は俄かに沸き立つ。
「なんなら『特製ランチ』でも良いんじゃない?」
そこへ口を挟むのは『金糸雀亭』のおばちゃん店主だ。だがもう勢い付いて立ち上がった面々は即座に振り向きながら答えた。
「のーさんきゅーです」
『金糸雀亭特製ランチ』も確かに美味いが8銀貨。『煌きの畔亭』なら同レベルの定食が5銀貨ほどで食べられるのだ。
そして、報酬の消滅まで、あと『69,475銀貨』となった。




