05突撃、水晶宮
中二病という言葉をご存知だろうか。
とある有名タレントがラジオで言い出したのが最初で「思春期特有の背伸び発言や行動」を指す言葉だった。
しかしそこからさらに意味が拡大し、今では「思春期にありがちな、本人はカッコいいと思っているが端から見ると酷く滑稽な発言や行動」などを指す言葉となっている。
またその中でもベクトル別に分類化が進んでおり、自分が超常能力の持ち主、または超越者の生まれ変わりや化身だと過ぎた空想妄想を繰り広げ、ついには公共の場でもその様に振舞う者を、諸先輩方にちなんで「邪気眼」と呼ぶこともある。
いずれにしろ、後に思い出すと枕に顔を埋めて「全て滅びろ」、とジタバタする破目になるのが特徴だ。
いっそ本当に精神疾患か何かだったら、どれだけ救われるだろうと思う。
ちなみに最近は、思春期過ぎてもこの妄想から覚めない困った御仁も多いという。
戯言はさて置き。
「ウチの『メディカライズ』やと、何ともならんで」
もう慣れ親しんだといっても良い、マクラン邸の執務室の客用ソファーに腰をかけた白い法衣の乙女は、ため息混じりにそうもらした。
病気だと聞いていたメイプル男爵のご令嬢が、本来の意味での『病気』ではなかったための撤退である。
もとより魔法一発で解決すると軽く考えていた事もあり、一通り話を聞きはしたが、成す術も無いのが現状だ。
「恋の病はお医者様でも、などと言いますが、アレも治しようがありませんからの」
自慢のカストロ髭を撫でながらレッドグースもまた、モルトに同意して頷く。その様子に、皆一様に眉根を寄せた。
実体験あり、見聞あり、みな何かしら心当たりがある病である。そしてその病は、患っている間は他人から何を言われようが気にならないのである。
あたかも、自分は他者より高みにいる、と思い込んでいるからだ。
つまり上位者の行動が、愚かな大衆に理解されないのは当たり前だと、勘違いしているのだ。
この病を癒す特効薬は自らの成長しかない。
「どうにか、いやどうにも、うーん」
とは言え、無理にでもここでコネが欲しい。そんな思いを込めて頭を捻るアルト。
彼もまた、少なからず心当たりがあるだけに、真剣に考えれば考えるほど心の平静が乱れる。
中学時代、修学旅行で購入した日本刀型のペーパーナイフの刀身に、ルーン文字を刻んでバッグに忍ばせた続けた日常は、まだそれほど遠い過去ではないのだ。
そんな中、キョトンとしている者が2名いた。
まずは若さ故の過ちとは無縁の存在である、人工知能搭載型ゴーレムのティラミス。そしてもう一人がねこ耳童女マーベルだ。
「マーベルはまだそう言うお年頃じゃないんだろ」
アルトはそんな8歳児然としたマーベルに対し、皮肉を込めた言葉をぶつける。ぶつけて少し自己嫌悪に陥った。これはただの八つ当たりだからだ。
だが当のマーベルは、そんな言葉を平然と受け流しながらも全員を見回し、口元を歪めて「ふう」とわざとらしく溜め息をついた。
「みんな間違ってるにゃ。アレは中二病とかそんなチャチなものじゃないのにゃ」
「な、何か知っているのか?」
もったいぶった態度で平らな胸を張るマーベル。一同は期待と不安を込めて彼女に注目し、隣に座っていたアルトはすぐさま詰め寄った。
マーベルは胸倉を揺すられながらも余裕の態度でその手を振り払い立ち上がり、精一杯の得意顔で言い放つ。
「アレは不死の怪物の仕業にゃ」
おしなべて目が点になった。
その中でいち早く声を上げたのは、メイプル男爵と最もかかわりの深い、帝国騎士マクラン卿だった。
「ばかな。男爵令嬢だぞ? それがゾンビや骸骨だとでも言うのか?」
驚愕と言うより反発だった。
この街の中枢人物の身内に、その様な事があるはずは無い、いやあってはならないという気持ちからの悲痛な叫びだ。
「いや、不死の怪物といえば、他にも吸血鬼や首なし騎士もいますがな」
「いや首あったやん」
「あ、もしかして中二病の上に腐ってるって意味? 腐女子ってヤツか?」
「はぁ、不死の怪物を不浄子と呼ぶとは、最近ではなかなか洒落た言い方するでありますな」
思わず緊張感無く茶々を入れる一同だったが、帝国騎士のひと睨みですぐ口を結ぶ。この街の治安を与るマクラン卿としては、冗談では済まない事態である。それだけに迫力はいつも感じる数倍の圧力を有していた。
「え、マジに不死の怪物?」
一度はおどけたアルトだったが、一部のピリピリとした雰囲気で事の深刻さに当てられ、恐る恐る訊ねる。マーベルは自信ありそうにねこ耳をピンと立てて頷いた。
「マジにゃ。『オーラスキャン』でこっそり確認したにゃ」
腰のベルトポーチから取り出した薄茶色の宝珠を、フォーシームで高々と掲げる。このまま振りかぶれば、さぞ綺麗なストレートを放るに違いない。
「証言しましょう。確かに不死の気配をマーベルさんが確認しました」
GMからの後押しで、一同はもう一度絶句して、ゴクリと喉を鳴らした。
『オーラスキャン』は『精霊使い』のスキルの一つで、視界の中にいる精霊力を確認する。応用的でありながらも使用勝手が良いのが、このスキルを使っての不死の怪物探査である。
生命に関わる精霊の働き方から、不死の怪物の存在の有無を知ることができるのだ。
「で、でもあのお嬢さん、ゾンビには見えなかったぜ?」
これまでにアルトも数度、不死の怪物とは対峙している。その経験から比較しても、先ほど会った男爵令嬢はどう見たって健康そうな肌ツヤをしていたように思えたのだ。
この時、静まり返った執務室の扉をノックする音が響いた。が、構わずマーベルは口を開く。
「なにも不死の怪物に、身体があるとは限らないにゃ」
そんなねこ耳童女の呟きに導かれるように、お茶の用意を手にしてやって来たのは、古エルフのお嬢様に付き従いこの屋敷の住人となった、幽霊メイドのリノアであった。
この生者の世界に強烈な未練や心残りがある者が、無念にも死を迎えてしまった時、自然的に不死の怪物へと変化する事がある。
このうち、死肉を残した者がゾンビとなり、月日と共に骨だけになったのが骸骨だ。
そして物理的な身体を持たぬ精神のみの存在へと変化した者。それが『幽霊』である。
もちろんこういった現象は非常にまれなケースであり、邪悪な魔法使いの仕儀によって不自然的に発生する不死の怪物の方が、圧倒的に多い。
ちなみにこのメイドであるリノアは、自然発生『幽霊』だ。
きっといつまでも働かないお嬢様を案じての事だろう。
「おいGM、その幽霊ってのは、どんな弱点があるんだ」
数秒としないうちに、理解が脳内に染み渡ったアルトが次に起した行動は、マーベルの手から薄茶色の宝珠をひったくる事だった。ひったくり、前後に振りながら回答を迫る。
「あばばばば。て、抵触事項ですってばばばば」
だがそのように返って来た言葉で、アルトはハッとして宝珠をローテーブルへと置いた。
「そ、そうだった。すいません」
抵触事項、とは何に抵触するのか。それはこのTRPG「メリクルリングRPG」のルールへの抵触である。
彼らもすっかり馴染んだ為についつい忘れがちだが、この世界はあくまでもゲームのルールが支配する世界なのだ。当然、プレイヤーキャラクターが知らない情報を、直接GMに訊ねるなど、重大なマナー違反であり、ルール違反なのである。
「解ってもらえて嬉しいです。訊くならそちらに訊いてくださいよ」
いつもと変わらぬ硬質なツヤを浮かべつつ、元GMたる薄茶色の宝珠の言葉の指す先には、かの幽霊メイド、リノアが不思議そうに首をかしげながら各員にお茶を注いでいた。
「どれ、ではワタクシめが」
そんな皆の謎を勝手に代表し、ソファーの端に座っていたドワーフの中年紳士がおもむろに立ち上がる。そして滑り込むようにリノアの足元で片膝をつくと、どこから取り出したのか、小さな花束を差し出しながらのたまうのだ。
「あなたの全てが知りたい」
「あらあら、まぁまぁ」
瞬間、モルトが足元から抜き放ったスリッパが、レッドグースの後頭部でとても良い音をたてた。
「して、リノア君。幽霊の特徴などを色々教えて欲しいのだ」
客用ソファーを詰めてリノアを迎え入れ、一同は気を取り直して話題を進めることにした。議長は自然と部屋の主、マクラン卿が採る事となった。
「はぁ」
だが、リノアは何を訊かれているのか解らないようで、首を傾げるばかりだ。
「えっと、つまりですね。幽霊の得意技とか、弱点とか。ね?」
そんなメイドの様子に業を煮やし、アルトは何とか言葉を引き出そうと頭を捻る。それでもリノアは別段困った風でもなく、とにかく意味不明といわんばかりの表情で、顎に人差し指を当てた。
「えとえと、お茶入れるのは得意、かしら?」
それは幽霊ではなく、メイドの得意技だろう、とアルトはあまりに脱力してしまったせいでツッコみを入れる事ができなかった。
「そやなー。ほんなら、生前と比べて、出来るようなった事、出来ひんようなった事ってあるんかな?」
「ああ」
ようやく合点がいったようで、リノアは軽く両手を合わせる。
「お茶汲み。お茶汲みが出来なくなりました」
そう言えば、初めて彼女に会ったとき、確かに井戸水を汲んだり、お茶を入れる事が出来ずに難儀していたな。と一同は思い出した。
しかしである。そう思い出しながらも自分の目の前のティーカップを見る。これはたった今、リノアがその手ずから淹れたお茶なのだ。
その視線に気付き、この幽霊メイドは慌てて言葉を続けた。
「そうそう。でも最近、出来る様になったのです。ハリーさんのおかげで」
出た。と、一同、一瞬腰を上げかけた。なんなんだあの人、ドラえもんか。と言うのが直後のアルトの、脳裏の言葉である。
しばし話を聞き、幽霊は物や人に触れることができない。逆に人もまた幽霊に触れる事ができない、と言うことが解った。
戦闘となれば、おそらく魔法などで精神に直接ダメージを与えるものでなければ戦い様が無いと言うことだ。
ちなみに今、その不可能を可能にしているのは、ハリーから買い上げた、霊体を一時的に実体化させる『ファンタズマリング』と言う指輪のおかげだという。
さらに楽しげにうふふと笑いながらリノアは立ち上がって部屋を退出しようとする。
「ちょっとこっちにいらして下さい」
などと皆を手招きして廊下を進み、ついには一つの部屋までやって来た。どこあろう、それは初めに訪れた、古エルフ族のお嬢様、アルメニカの寝室だった。
「少々ここでお待ちくださいませ」
リノアは疑問符を飛ばし続ける後ろの皆々に深々とお辞儀をしてそう告げ、例の指輪をアルトに預けると、スルリと寝室の扉をすり抜けて消えた。
幽霊が本来壁抜け出きる事はもうわかったので、これを見せたかったのではないだろう。ではいったい何が。各員、興味心身に、アルトの背から覗き込む。何があってもアルトを盾にする陣形である。
さて、リノアが部屋に消えて数秒も経たぬうちに、静まり返った廊下には部屋から声が漏れ出て来た。耳を澄ませばそれは寝室の主であるアルメニカのものだ。
「あ、リノア。おはよー。え、もう昼? そう言えばお腹へったし。何かお菓子を、ん? ちょ、リノア? うわなにをするやめ」
そして静寂が戻った。少々不穏なものを感じた廊下で待つ面々は、疑問符に感嘆符も加えて固唾を呑んだ。
待つ事しばし。キイと小さな音をたてて扉が開き、そこから小さな影が飛び出した。
それは世にも珍しい、元気いっぱい溌剌としたアルメニカだった。
部屋を文字通り躍り出たアルメニカは、クルクルと廊下で回りながらそのステップを披露する。
「おい無茶するな、また熱出すぞ」
何が起こったかわからずに、アルトは慌てて駆け寄るが、だからと言ってどうやって止めて良いかわからずにオロオロと立ち竦んだ。するとダンスを終えたのか、髪をふわりとさせてその動きを止める。
「じゃん。ワタシアルメニカ。コンゴトモヨロシクネ」
さすがにここまで来るとアルトもピンと来た。これはアルメニカであってアルメニカではない。リノアが操るアルメニカ。リノア・イン・アルメニカである。
リノアが見せたかったのは、幽霊の特殊能力『憑依』だった。
それにしても、自らの主人の身体を玩具にする様な行為を平然とやってのけるとは、このメイド、恐ろしい女である。
「つまりはそう言う事にゃ」
さらに追い討ちの如くかけられたマーベルの言葉で、皆一様に同じ言葉が浮かんだという。すなわち「謎は全て解けた」である。
そうと解れば話は早い、と言うことで、マクラン邸の面々を残して冒険者一行は『商業地区』は『ハリーさんの工房』へと向かった。
もちろん、幽霊対策グッズを入手する為だ。
支払いの事もあり諸々相談した上で幾つかの品を持ち出し、メイプル男爵邸へ取って返したのは日も落ちかけた夕方のことだった。
「もう日もずいぶん短くなりましたなぁ」
「そうでありますなぁ。つい数日前は、まだまだ昼のようでありました」
「秋やしねぇ」
「おイモ食べたいにゃ」
「暢気なこと言ってないで、行くぞ」
こうして、一行は再び魂の水晶宮へと突入するのだった。
「待たせたな悪霊め」
『胴田貫』の鯉口を左手で押さえつつ、アルトは堂々たる態度で、件の寝室へ飛び込んだ。
部屋の主である男爵令嬢は、先ほど見た時と同じ、ふんだんにフリルをあしらった黒色系統のロングドレスを纏い、ベッドの端で一瞬、驚愕にビクリと身を跳ねさせた。手にしていたのは小さな本で、遠目に見るにどうやら絵物語のようだった。
何が起こったのかわからない、と言う表情で自らの寝室への闖入者を見渡す。
『鎖帷子』の若サムライ、白い法衣の『聖職者』、酒樽体型の『吟遊詩人』、そしてねこ耳の『精霊使い』。昼前に一度訪れた冒険者達だ。
ご令嬢はやっと我に返り、あたふたと本をサイドテーブルに伏せると、慌ててベッドの上に昇った。昇って、威風堂々をイメージしたような、胸を反らした大仰な態度を取り繕う。
「一度は我に恐れをなして逃げた腰抜け勇者どもではないか。まさか黄金魔竜の魂を受け継ぐ我に再び勝負を挑もうなどと、愚かしい事を考えているのではあるまいな?」
「黙れ、貴様の悪行もこれまでだ」
大して意味もない長台詞を淀みなく言いあげる男爵令嬢。それに対して短くもよく話を合わせるかのような返答を行うアルト。
ノリノリである。
「くっくっく、やる気であるか。ならば良かろう、我が水晶宮に貴様らの血を捧げ、魔王復活の礎となさん」
「みなさん、戦闘フェイズが始まりますよ。くれぐれも物理攻撃をかまさないように」
台詞に合わせた手振りと共に、男爵令嬢がベッドの傍らにあった日傘を広げる。と、同時に部屋を包む空気がピンと張り詰めた。ここから戦闘ルールが支配する時間である。
「まずアタシからにゃ」
この場の誰よりも敏捷において優れたねこ耳種族、ケットシーの童女、マーベルが声を上げる。アルトが期待を込めて横目で窺い見れば、その手には見慣れぬ紙の札が構えられていた。
右手の人差し指と中指でホールドした細長い形の札である。表には朱と黒のインクで見たことも無い紋様が描かれている。
「これを食らうにゃ。『当麻の護符』」
スパン、と良い音が鳴りそうな鋭さでマーベルが右手を振るえば、札はそれが紙でできている事を疑いたくなるような勢いで、真っ直ぐに男爵令嬢へと飛翔した。
それは2レベル以下の不死の怪物を退ける事の出来る、『ハリーさんの工房』謹製退魔アイテムだ。
「ふん、笑止」
だがこれはまったく効かなかった。
男爵令嬢が眉一つ動かさぬ余裕の表情で日傘を振るうと、『当麻の護符』はすぐさま勢いを失い、ヒラヒラと床へと落ち、朽ちた様に崩れた。
「やっぱり100銀貨の格安アイテムやとアカンなぁ」
「と言うか、あの幽霊嬢は最低でも3レベル以上と言うことでしょうな」
そう、それは用意した退魔アイテムの中では最も安いものであった。
ちなみに今回『ハリーさんの工房』から持ち出したアイテムは、基本的に使用した物にだけ料金が発生し、後に返却した分は無料と言う契約である。できるだけ安く済ませたい一行が、まず最も格安なものから試すのも仕方が無い。
「まぁ『2レベル以下不死の怪物、即退場』って効果は100銀貨では釣りあわないほど強力なアイテムですけどね」
と、これは元GMの呟き。あいかわらず、ハリエットの価値観はよく解らない。
「さて、次はこちらの番だ。深淵の風に恐れ戦くが良い」
落胆するのも束の間、続いて動き出したのはかの男爵令嬢だ。
「げ、意外と素早いぞコイツ」
最前列のアルトが警戒して身構える。結局、マクラン邸で訊けたのは接触と憑依に関することだけだ。いったい男爵令嬢と言う、か弱いその身で何をしでかすのか、まったく予想できず、アルトは冷や汗と共に息を詰めた。
「ここで死ぬが神の慈悲と知れ、『天駆ける眷属の怒り』!」
少女の喉が精一杯の威厳を示そうと叫びを上げる。さらに直後、何事かをボソリと呟くと、彼女が掲げた右手の指先に青白い光が宿る。
そして一閃。指先から真っ直ぐにほとばしった閃光はプラズマを纏わり付かせつつもアルトの脇腹を一息に貫いた。
「いっ」
アルトは予想外の痛みに襲われ、『鎖帷子』の隙間から滲む血を見て短い悲鳴を上げる。
「魔法、コイツ魔法使った」
焦りと痛みから、額に浮かんだ脂汗を飛び散らせながら若サムライは後衛の仲間を振り返る。アルトを頂点としたピラミッド型の陣形だったおかげで、貫通系と思われる魔法の被害は彼だけだったようだ。
聞いた事もない恐ろしげな名の魔法と腹部に広がる痛みに、アルトは驚愕と困惑を浮かべるばかりだった。




