04世の中コネがモノを言う
朝食前の閑散とした『金糸雀亭』食堂で、アルトたちは額を寄せて唸り合った。
一つ光明が見えたらまた一つの壁が現れたわけで、つまり今度の壁は「オークション参加条件」である。
まぁ実際に落札した時に銀貨を払うのはアルトたちになるので、同行、もしくは紹介状でも書いてもらえればいいのだろうが、それでも「一定以上の資産を持つ、貴族、または商人など、当商会の認める信頼がある者」でないと条件に満たないのだ。
この港街ボーウェンにて、アルトたちのと知り合いである貴族や裕福層といえば、思い当たるのは二家ある。
一つは街から少し離れた所に農園を持つフンボルト男爵家。
だがしかし、かの男爵は貴族だが、現在、農園を経営再建中であり、とてもオークション参加資格をクリアするほどの資産はない。
なのでアルトたちはひとまずもう一つの心当たりに頼る事にした。
つまりこの街の治安維持隊隊長にして帝国騎士の位を持つ青年。マーカス・マクラン卿である。信用と言う意味ではこれほど頼りになる人もそうはいないだろう。
かくして、朝食を手早く済ませた一行は、街の中央付近にある治安維持隊本部に向かった。
「おっはよーさーん」
陽気な調子で白い法衣のモルトが歩哨番に向けて手を挙げる。今日の歩哨当番は名は知らないがもう顔馴染みになった、中肉中背で浅黒い肌の帝国軍人さんである。
彼もまた真面目そうな様相を崩して笑顔を浮かべると、手を振って挨拶する。この様子からもこの街が平和で、規律もさほど厳しくない事が窺えた。
「やぁ、隊長に用事かい?」
「そうにゃ。シスコン騎士はおるにゃ?」
いかにも童女らしい可愛げなしぐさで首を傾げ訊ねるマーベルだが、言葉はなかなか辛辣だ。だが隊員たちの間でもそう言う扱いに慣れっこなのだろう、苦笑いしながら首を横に振った。
「今日は休みだ」
これを聞いて一同は顔を見合わせた。見合わせてから「またか」と口をそろえて呟き、歩哨番は「まただ」と笑いながら応えた。
もう少しだけ世間話がてら様子を訊くと、何やら妹君が病気なので看病の為に休んでいるという。
「さて、病気なのはどの妹御でしょうな」
マクラン卿の妹と呼ばれる存在は3人いる。
まず実妹であるマリオン。彼女はそこそこ腕の立つ『魔術師』で、現在家を出て冒険者として生活している。数ヶ月前までは『マクラン卿の妹』といえば彼女だけを指す言葉だった。
続いてアルトたちが密かに『永遠のニート』と呼んでいるアルメニカ嬢。ひょんなことからマクラン家に寄生することになった彼女は、妹と言いながら実は500歳を越える古エルフ族の娘だ。
最後に人形姉妹が末妹、『一番小さな妹』のミルフィーユ。彼女は生物ですらない。
とにかく、どの妹が病気だとしても、知人友人の事である。知った上で無視も良くないということで、一行はそこそこ見栄えのするフルーツ籠など携えて見舞う事にした。
細い階段を上り、高台の『山手地区』を進み、質実堅牢を形にしたようなお馴染みマクラン邸へとたどり着く。そしてこれまたお馴染み、真鍮製のノッカーで扉を叩くと、しばらくして白髪を綺麗に撫で付けた白眉白髭の紳士が出迎えた。エルフにしてマクラン邸に長く仕える老執事のセバスティアである。
「ようこそいらっしゃいました、冒険者様方。おや、今日はお見舞いですかな?」
定型の挨拶とともに、モルトが手にしていたフルーツ籠に目を留めて用件を先読んだ。一同も改めて説明する手間が省けたので、余計な事は言わずにただ頷く。だいたいこの老執事にお見舞いの言葉を投げかけたって仕様がない上に、誰が病気なのかまだ判別していないのだ。
老執事セバスも心得たもので、それ以上は何も問わずにアルトたち一行を邸内に招き入れた。もう彼らはこの屋敷の主人と周知の間柄なのだ。
三妹それぞれを美化した煌びやかな肖像画で飾られた廊下を抜け、いつもの執務室も通り過ぎてさらに進む。
「そういや初めに来た時、この廊下、鹿の首とか飾ってなかったっけ?」
ふと、セバスの後に付いて進むアルトがそう漏らした。鹿の首、などと言うと物騒な感じもするが、つまり古い洋館のインテリアで見かける、剥製のトロフィーである。
「まぁトロフィーなんぞより、妹君の肖像画の方が大事なんでしょうなぁ」
これには最後尾を歩く酒樽紳士レッドグースが適当に答えたが、セバスを含む一同は特に反論はないという様子で頷いた。
そうしているうちに一つの扉の前へとたどり着く。ここが病に臥せっている妹君の寝所だそうだ。
「おぼっちゃま、アルト様方がいらっしゃいました」
洗練された所作でノックしたセバスがそう声をかけると、しばし挟んでから扉がそっと小さく開く。
隙間と呼んでもいい程に細く開いた扉の向こうからは、ゲッソリとやつれた巨漢が廊下の様子を伺う様に顔を出した。レギ帝国皇帝より叙勲を受けた帝国騎士にして、ボーウェン治安維持隊隊長のマーカス・マクラン、その人である。
「おおアルト君、それに皆、よく来てくれたね」
筋骨隆々とした屈強の戦士の身体を白いドレスシャツと細いウエストコートに押し込めたマクラン卿は、憔悴からか猫背気味で一同を部屋に招きいれた。
一人が寝起きするには広い部屋の中央に天蓋付きのベッドが据えられ、周りには幾つかのサイドテーブルが並んでいた。
ほとんどのサイドテーブルは絵物語や御伽草子といった類の書や、訳のわからない玩具が零れんばかりに無秩序に積み上げられており、ごく少数のテーブルには、看病の為に持ち込まれた桶や手拭が置かれていた。
この惨状を見て、一同は臥せった人物が誰で、この部屋が誰の寝所なのか一発で理解した。その予測を持ってベッドに近付いてみれば、薄茶の長い髪を手入れもせず伸ばし放題にしている子供の姿の古エルフが苦しげに横たわっていた。思った通り、約500年の引きこもり実績を誇るぐーたらお嬢様、アルメニカであった。
ベッドの傍らでは人形少女ミルフィーユが心配そうに病床のアルメニカを覗き込み、ケロッとした表情の幽霊メイドのリノアがテキパキと額の濡れ手拭を取り替えている。
「おまえ、ずっと家にいるくせに、どこで病気貰ってくるの?」
まず第一声、アルトの口はつい、素朴ながらも辛辣な疑問を吐き出した。
「びょ、病人には、もう少し優しく接するべきだと思うし」
当のアルメニカはすぐさま、少し荒い息の合間から抗議の声を上げるのだった。
「エルフ風邪でありますか」
そんなやり取りを他所に、レッドグースの帽子の上から人形姉妹のティラミスがそう呟き、リノアが小さく「正解です」と可愛い拍手をする。これには一同、注目しつつ疑問符を浮かべた。
「エルフ風邪って何にゃ」
皆が疑問に思った時でも、やはりいち早くそれを口にするのはねこ耳童女マーベルの役目だ。その疑問を受け、ティラミスは誇らしげに腰に手を当て、ドワーフの頭上に立ち上がって答えた。
「その名の通り、エルフがかかる風邪であります」
そのままだった。皆一様に白けた瞳で頷いた。
「先日、俺と爺が出張で屋敷を空けたんだが、その間にこの有様だ。おお、かわいそうなアルメニカよ」
巨体の騎士が背を縮めてよよよと涙を流す。それを見て一同は「ただの風邪じゃないのかよ」と口に出さずに呟く。
「お屋敷に私とお嬢様だけの時、何を思ったかお嬢様が『おやつ代を自分で稼ぐ』などと言い出しまして、珍しく路上ライブなどしましたところ、ごらんの有様なのです」
「やっぱし、働いたら負けだと良くわかったし」
空いたサイドテーブルを引っ張り出してお茶の用意をしながら幽霊メイドが言うと、彼女の主人である古エルフの女児もまた深く頷きながら自らの過去を後悔した。
「無茶しやがって」
アルトは思わず呟いた。根っからのダメ人間は、何をやっても結局裏目に出るということだろうか。
「確かにただの風邪ではあるんだが、どうも治りが遅くてな。別の重大な病を併発しているんじゃないかと心配で心配で」
さらにこの部屋の誰よりもオタオタする巨漢がそうのたまうと、さすがに半眼の一同も心配そうに眉をひそめた。
「これは病が治るまで、オークションどころの話では無さそうですな」
別の理由で眉をひそめたレッドグースが、こっそりとアルトの耳に言葉を寄せた。今までの前例から予想するに、これには頷かざるを得ない。
「あれか? 『エリクシル服用液』か?」
とは言え、他人の病気を何とかする術など持っていないアルトとしては、かの『錬金術師』に頼るしか思いつかない。
確かに『エリクシル服用液』は万能で、エルフ風邪なる病もたちどころに治るだろう。だがその金額が問題なのだ。
代金はマクラン卿持ち、でも良いのだが、ここは恩を着せたいところでもある。
アルトとレッドグースは互いに見合わせてうーんと唸った。
ところが仲間内にもケロッとしている人物がいた。
白い法衣にピルボックス帽を乗せたハーフエルフの乙女。『太陽神の一派』に属する酒神キフネに仕える『聖職者』。モルトである。
「まーまー、ここは5レベルになったウチに任せとき」
当たり前だが成長しているのはアルトだけではない。その中でもモルトは『聖職者』として、社寺における宮司相当の実力に到達していた。
「GM、『メディカライズ』いくで」
「承認します」
言うなり、モルトはポケットから取り出した酒神キフネの聖印のペンダントを左手で掲げ、残った右手を横たわるアルメニカの胸にそっと当てた。
聖印は白い光を発して真っ直ぐに右手を照らし、アルメニカの小さな身体を包んだ。
数秒の事だ。しばしそのまま光を注ぎ込み、一同が我に返る頃には、部屋は今まで通りの静かで散らかった寝所に戻った。
するとどうだ、さっきまで不規則な息をついていたアルメニカは、いつの間にか静かで安らかな寝息を立てているではないか。
「何をしたんだ?」
心配と困惑を混ぜこぜにした表情で、巨漢を縮めた帝国騎士が、寝入る女児を覗き込みながら尋ねると、白い法衣の乙女は聖印をポケットに納めつつ、得意げに鼻を鳴らした。
『聖職者』の使う、5レベルの神聖魔法メディカライズは、一般的な病気をたちどころに治療する魔法だ。
この魔法を使用された病人はたちまち安らかな眠りに付き、風邪程度の軽い病気なら、目覚めの時までに快癒する。
また重い病気の場合でも、数日続けて使用することで治療可能である。
ただし全ての病気を癒すわけではない。
特殊な病気、不治の病など、この魔法の治癒力では追いつかない程の恐ろしい病も、この世界には存在する。
「つーことで、夕方には目を覚ますやろ」
モルトの説明を聞き、マクラン卿は膝を突いて感謝と祈りを捧げた。
「おお、神よ。こんな便利な魔法があるなら、とっとと神殿に行けばよかった。セバスよ、俺はキフネ神に改宗するぞ」
意外と知らないものである。まぁ5レベル級の『聖職者』を擁する神殿社寺が、この街にどれだけあるかはさて置きである。
「手配しましょう」
丁寧に深々と腰を曲げ、執事セバスは主人の言を実行する為に、すぐさま部屋を後にした。キフネの社寺を訪れて寄進でもするのだろうか。
さて、そうしてひとしきりマクラン卿の感謝感激の言葉が続き、やっと落ち着いたところで執務室に場所を移した。アルメニカの眠りを邪魔してはいけないと気づいたのだ。
「これで安心して明日から職務に励める。諸君、本当にありがとう」
黒い丈夫そうな執務机に納まり、改めてマクラン卿は頭を下げた。特に今回のお手柄はモルトである。大蛸事件以降、見込まれていたアルト同様、これでモルトの覚えもめでたくなったことだろう。
モルトは照れながらも、ここで切り出すのが自分の役目だろうと心得、元々の目的を語ることにした。
「なるほどな。オークションか」
椅子に身を預け、マクラン卿はモルトが手渡した件のカタログを捲りながら呟いた。冒険者たちの話を聞き、実際に参加要綱にも目を通し、そして深く溜め息をつく。
「警備として入り込むことは可能だ。だが当マクラン家も、参加条件に満ち足りるほどの資産はない。やはりちゃんとした領地を持つ貴族かはたまた大商人で無いと、この条件を満たすのは無理だろう」
この言葉には一同落胆した。彼らのほとんど唯一といって良い希望の星だっただけに、これでドラゴンの卵を手に入れるのは絶望的だと思われたからだ。
「誰か、こういう話に乗ってくれそうな、奇特な貴族に心当たりはないですかの?」
気まずさと申し訳なさで重くなる空気の中、掴める藁を探る思いでレッドグースが問いかける。ただこれは言った本人ですら期待できる問いではなかった。
個人的に親しいとは言え、たかが一介の冒険者を、いったい誰がほいほい貴族様に紹介できるというのか。そんな上手い話があるなら世の中もっと生き易い事だろう。
「まてよ、あるいは」
だが少しだけ期待してしまう呟きがマクラン卿の口から漏れた。
「どっかに傾奇貴族がいるにゃ?」
傾奇者とは簡単に言えば普通じゃないという事だ。ならず者とさえ見られる事がある冒険者風情と、理由も無く親しく付き合う貴族がいれば、それはまさしく傾奇者である。
そんな口を挟んだマーベルだけでなく、一同は身を乗り出してマクラン卿の次の言葉を待った。
「いや傾奇者ではないが、モルト君の魔法があればあるいは、軍関係者で紹介できるかも知れんのだ」
「と、言いますと?」
「レギ帝国西部方面軍後方支援隊総長であるメイプル男爵のご令嬢が、何か重い病気にかかっているらしいのだ」
レギ帝国西部方面軍とは、この港街ボーウェンを中心とした、レギ帝国西部地方を治める為に編成された部隊であり、その師団長はボーウェン太守も兼任するベイカー侯爵である。
その師団の輜重を司るのが後方支援隊総長メイプル男爵だ。これは素人目に聞いてもかなりのお偉いさんだろう、とアルトたちは生唾を飲み下した。
実際の引き合わせはマクラン卿が話を通してからの後日となり、アルトたちは帝国騎士の屋敷を後にした。
「ところでリノアさん、お茶、入れてたな」
『金糸雀亭』への帰路の途上、誰に言うでもなくアルトは呟いた。
一瞬、誰もが何を言ってるのかわからず首を傾げたが、アルメニカの引きこもり基地であった例の妖精界での出来事を思い出し、モルトとマーベルは「あ」と声を上げる。
ただ、その時は『石化』していた酒樽紳士と、その帽子に閉じ込められていた人形少女は疑問符を払拭する事叶わなかった。
翌々日、治安維持隊の隊服を着たマクラン卿に案内され、アルトたちは『山手地区』の奥へ進んだ。
『山手地区』の最奥と言えば、港街ボーウェンの太守にして西部方面軍の長であるベイカー侯爵の屋敷だが、当たり前ながら方面軍や街運営に関わる首脳各位はその近所に居を構えている。
ちなみになぜ当たり前かと言えば、ベイカー邸が閣議場も兼ねているからだ。いざと言う時に会議に遅れるようでは話にならないのである。
目的のメイプル男爵邸も、そんな最高級住宅街の一角であった。
これまでは同じ『山手地区』でも割と手前にあったマクラン邸に来るばかりで、もう慣れた気になっていたアルトたち一行である。しかし奥に向けて一歩進むごとに豪華さ立派さが増す屋敷の数々に、歩みは遅くなり身は縮む思いだった。
この気持ちは初めてマクラン邸を訪問する際に感じていた、あの場違い感だ。
そうこうする内に大小の尖塔を擁する屋敷が見えてくる。円形にぐるりと石造りの高い塀で囲った4階層はあろうという建築物である。
「屋敷つーか、城かよ!」
ついアルトはそう叫ぶ。よく見れば『山手地区』の道路は、この建築物を端として放射状に伸びているので、確かに予備知識無しで見れば誰もが城だと思うだろう。その質実剛健ぶりで言えばマクラン邸など比ではない。
「あれはベイカー閣下の邸宅だ」
マクラン卿が誇らしげに言えば、一同は揃って見上げ口を開けた。
しばし呆然と眺めてから改めて歩き出すと、メイプル男爵邸にはすぐ到着する。もちろんこの屋敷も大変に立派な構えなのだが、先にベイカー城を見ていたおかげでさほど驚かずに済んだ。
メイプル男爵邸は、よく手入れされた広い庭が特徴的な古い館だった。
気後れしきりの一行だが、先頭はマクラン卿なので、ただ後を付いて行けば良い。これは大変気が楽で、今ほどこの帝国騎士を頼もしく感じたことはない。
左右対称に整えられた庭の、軸線として真っ直ぐ伸びる歩道を進み玄関に至る。横に3人並んでも通れそうな大きな二枚扉は、楓の葉を無数に彫刻した見るからに名のある職人の手による作品だった。
おそらく何度も訪れているのだろう、マクラン卿は特に気後れすることなくノッカーを叩き、しばらくすると中から初老の執事が姿を現した。
「ようこそいらっしゃいましたマクラン卿。主人がお待ちしております。こちらへ」
すでに話は通っているようで、流れるような所作の執事はすぐに邪魔にならぬ玄関脇に身を引いて客人たちを招き入れる。冒険者の様なならず者を見ても、眉一つ動かさないのは、使用人としての矜持だろうか。
明るい赤色の絨毯を敷き詰めた長い廊下を固まって進み、初老の執事は50歩も数えた頃にようやく立ち止まった。
「旦那様、マクラン卿がお見えです」
立ち止まった先にある扉をノックして部屋の主にそう告げ、恭しく腰を屈めながら扉を開く。マクラン邸の執務室の3倍はあろうかと言う広さの部屋で、奥に黒檀の机と、壁いっぱいに設えられた書棚があった。
黒檀の執務机には小太りで人の良さそうな中年紳士がいた。彼は何かの書類にペンを入れる作業を止めて、来客の騎士とその連れの冒険者を歓迎するように両手を広げた。
「よくいらっしゃった。私がメイプルです」
一通りの挨拶や簡単な自己紹介が済むと、緊張の解けたモルトはこの男爵家での自分の役割について切り出すことにした。
「ええと、お嬢さんがご病気やとうかがったんやけど」
だがメイプル男爵はそんなモルトの言葉に、とても言いにくそうにしながら額の汗をハンカチで拭う。
「まぁその、病気と言うかなんと言うか」
この歯切れの悪さには皆が眉を八の字に寄せて困惑した。病気なのか病気じゃないのかと言う、根本的な所からして、言い難い何かがあるのだろうか。
モルトが、予想も付かなかったメイプル男爵の反応に、少々絶句しながら次の言葉を選んでいると、屋敷のどこからかベルを振る音が鳴った。貴人が使用人などを呼ぶ時に使うあのベルだ。
当のメイプル男爵はこの音を聞くや、何か決意した様に次の言葉を先に発した。
「いっそ、娘の様子を見てやって下さい」
一同は無言で頷くしかなかった。
今度は階段も含んでやはり50歩も進むと、そこが令嬢の寝所だという扉の前にたどり着いた。
「シーダ、入るよ」
メイプル男爵はノックの後にそう声をかけると、返事も待たずに扉を開く。
カーテンを閉め切っている為か薄暗いその部屋は、寝起きするだけだと考えれば充分すぎるほどに広い。中央に豪奢な天蓋付きベッドが設えられ、壁には輝かしい翼を象ったレリーフが飾られ、室内に1本だけある蝋燭の淡い光に照らされていた。
ベッドに腰掛けていた部屋の主は、ドアが開かれるとゆっくりと立ち上がり、右手を広げつつ前に差し出した。
「よく来た我が下僕よ」
「え、何だって?」
まだ幼さを残す思春期の少女の高い声がそうのたまうと、アルトは反射的に眉を歪めて言葉を返す。
少女は、自らベルを鳴らして呼んだメイプル男爵が、まさか冒険者を連れているなど予想もつかなかったようで、表情をこわばらせて怯んだ。
ふんだんにフリルを散りばめた黒を基調とした色合いのロングドレスを纏ったその少女は、室内だというのに、これまたフリルを過多に施した日傘を広げて精一杯余裕ある態度を演出する。
「コホン。幾千の屍を越えた勇者よ。ここまでたどり着いた仕儀、賞賛に値する。ようこそ我が魂の水晶宮へ」
確かに立派だが水晶宮などと呼ぶには、あまりにもごく普通の寝所の中心で、漆黒のドレスに身を包んだ少女は、高らかに歌い上げるようにのたまい、そして満足そうに顎を上げて胸を張った。
「ま、病気といえば病気ですな」
レッドグースがそう呟くと、メイプル男爵は両手で顔を覆った。




