07ミスリルメイ2
迫り来る金緑色の重圧に耐えかね、アルトは震える指で探り当てた『胴田貫』をスラリと鞘から払った。途端、全身を支配していた小刻みな震えがピタリと止まる。
恐れ戦こうが、刀を抜けばいっぱしのサムライとなる。これこそが『傭兵』の習性というものだ。
「どこの刺客だ、名乗れ」
両手で愛刀を正眼中段に構え、一挙手一投足を見逃さぬよう目を見張るアルトが、相対する『板金鎧』の巨塊に告げる。しかし金緑色の巨塊は、慌てて手を振り、その緊迫した様子を霧散させようとした。
「ややや、お待ち下されアルト殿。敵ではござらぬ」
アルトの感じていた重圧は、その瞬間に彼女の目論見どおり霧散した。
そう、兜や声を鈍らせる内巻きせいか判別つき難かったが、よく聞けば女性のようだった。
さっきまで震えていた少年サムライは、眉を八の字にひそめて構えを降ろす。
はて、名を呼ばれた所を見ると、知り合いだろうか。アルトは心当たりが無いかと思案してみるが、まったく該当する答えに行き着かなかった。
だいたいこの世界に自分の知り合いなど、数えるほどしかいないはずだ。そう思考を展開し、結果、知り合いではないと結論付ける。アルトは再び警戒心をあらわにしつつ、構えをつけた。
「むぅ、疑い深い御仁でござるな。ええと」
表情は見えないが、少し憮然とした様子で頭をかく大鎧。もっとも兜で覆われているので、それはただの振りでしかない。だがそんな間の抜けたポーズは、アルトの警戒心を幾らか緩ませるに充分だった。
「そう、エイリーク殿の妹分でござる、と言えば解って貰えるでござろ?」
「いや知らねーし」
エイリーク。横文字の名前からして間違いなくこの世界の人物だろう、ならばやはり心当たりが無かった。
だが、そう即答した瞬間、耳の真横で巨大な銅鑼を鳴らされたかの様な、大きなウネリがアルトを襲った。三半規管を激しく揺さぶられるような、誰かに脳みそをこねくり回されるような、そんな味わった事のない激しい揺さぶりだ。
アルトは思わず海縁までいって咳き込んだ。まだ昼飯前なので、胃から逆流する物がなかったのが救いなのか何なのか。
「だ、大丈夫でござるか?」
見るからに重量級の金属巨塊が慌てて駆け寄る。不思議と、想像したような足音は響かず、軽やかなシャンシャンと言う軽金属が擦れるような音だけが響いた。
しかし今のアルトには、そんな細かい事に気付くほどの余裕は無かった。
なぜなら、ウネリが去った彼の脳裏に、知らぬ筈の記憶が次から次へと浮かび上がってきたからだ。
「うわ、何だこれ。何だこれ気持ち悪い」
それは、異世界である日本からやって来た高校生の彼ではなく、この世界で生まれ育ったアルト・ライナーと言う少年の記憶の、ほんの欠片だった。
アルト・ライナーとは、そのプレイヤーたる高校生の彼が、サイコロを振りながら作った『傭兵』のキャラクターだ。
出自設定はまさに傭兵団。
戦災孤児だったアルトは、ライナス傭兵団の団長に拾われ、育てられ、そして武者修行の旅に出た。
あまり細かい事を考えていたわけではないが、彼はその様な設定を思い浮かべながらサイコロを振ったものだ。
そして今、かのアルトの脳裏に忽然と現れた記憶は、その考えていなかった「細かい部分」であった。
アルトと共に、団長の養子として育てられた数人の子供。その記憶の中に、エイリークという名前があった。確か、赤毛の、小柄だが目つきの悪い『魔術師』の少年だった。
「エイリーク、つまり、オレの義兄弟か」
ようやく記憶の混濁に整理がつき始め、静かな海面を見つめながらアルトは呟いた。
ごつい篭手でアルトの背をゴリゴリさすっていた金緑色の大鎧は、やっと思い至ってもらえた事に喜びつつ、さする手をさらに早めた。
「そう、そうでござる。つまり拙者、アルト殿の義妹でもあるでござるよ」
「痛い痛い、痛いっつーの」
さすがに、シャツしか装甲がない背を金属塊で擦られては叫ばずにいられなかった。生きた巨大金属鎧も、その様子に気付いて慌てて手を止める。
こんなごつい妹いらない。アルトはジト目の端に少しだけ涙を溜めつつ、空を覆い隠す巨体をこっそりと見上げた。
「おおっと、和んでる場合ではござらん。兄上の一大事なのでござる。はぐれてしまった兄上を、一緒に探して欲しいでござるよ」
と、目が合った途端、思い出したように大鎧が跳ね上がる。
アルトは「面倒な事になりそうだ」と内心思いつつ、半眼閉じて溜め息をついた。
高い崖に作られた石の階段と坂。真っ赤な暑い太陽から少し隠れたその途中で、モルトとマーベルは少しだけ呆然とした。
今しがたまで、そのすぐそこの角の先で何者かが戦闘を繰り広げ、彼女らに気付いて片方が退き、そして気力を失って倒れた赤毛の少年が残されていた。
くすんだ赤い長髪を後頭部で適当に縛り上げた、16、7歳程度の小柄な少年で、所々ほつれた『魔術師』の『長衣』を着込んでいる。
そして特に一度見たら忘れない特徴として、彼には右腕と左足が無かった。
一応簡素な義肢を着けられているが、それも先の戦闘のせいかすでにボロボロだ。
「HPは残ってます。MP切れのようですね」
ねこ耳童女のベルトポーチから半身を覗かせた薄茶色の宝珠が、少年の現状を確認して述べる。2人はその声にハッとして少年に駆け寄った。
「どうするにゃ? どっか運ぶにゃ?」
「いや、このまま治療する方が早いで」
一瞬だけ、マーベルの問いから崖の上下を見渡し、モルトはため息混じりに答える。小柄とは言え、気を失った人間を担いでこの急段を昇降などしたくない。
そして言うなり、モルトは少年の傍らに膝をついた。
「『インポートマギ』使うで、GM」
「承認します」
白い法衣の乙女が祈るような仕草を捧げると、その膝元を中心として、岩肌の地面に赤い光の聖印が浮かび上がる。彼女が仕える酒神キフネを示す印だ。
そしてゆっくりとほどいた掌を横たわる少年にかざすと、淡い光の粒子が流れ出す。
インポートマギは『聖職者』の使う2レベル神聖魔法。
『聖職者』のMPを、任意の量だけ非対象者に分け与えることが出来る魔法だ。
また、副次的な効果として、MP枯渇により気を失った者を、目覚めさせる事にも使える。
「いくつMPあげたにゃ?」
「1だけや」
敵か味方かわからないので、妥当な判断と言えるだろう。もし敵だったとしても、MPの無い『魔術師』など、物の数ではない。
かくして、赤毛の少年は失った気力の補填を受けて覚醒へと向かった。
「ん、ぅ」
少しの身じろぎと呻きの後、少年はゆっくりと目を開きモルトたちを見渡し、すぐさま半身起して、右の義手を器用に使って飛び退った。
「何者だ」
左手で裾から取り出した『魔法の小杖』を構えつつ、鋭い目つきで牽制する。だが、カッと来たマーベルがすぐさま小石を投げつけ、その額を打った。どうやら敏捷ではマーベルが勝るようだ。
「てめっ」
「命の恩人に、なんて言い草にゃ。文句があるならアタシが相手にゃ」
ケンカを売られた気になり立ち上がる少年だったが、仁王立ちのねこ耳童女がその機先を制した。赤毛の少年はその剣幕に、つい押し黙って息を呑んでしまった。こうなると口ゲンカではもう負けた様なものだ。
そして少し頭を冷やして見渡せば、どちらも武器など持たない女子供であることに気付いた。しかも片方は『聖職者』だ。どうやら今回は自分が悪いようだと、少年は警戒を解いて『魔法の小杖』を降ろした。
「勘違いだったみたいだ。すまない」
「ま、ええよ。なんか大変そうやったし」
急に素直になって頭を下げた赤毛の少年に、モルトは苦笑いしながら頷く。自分たちも追われる辛さは良くわかるだけに、責める気にもなれなかった。
「わかればいいにゃ」
責める気満々だったマーベルも、その素直さに免じて矛先を収める。
「ウチはモルト。下の社殿でアルバイトしとる。アンタは?」
緊迫から一転、雰囲気が重くなりかけたので、モルトは勤めて明るく名乗った。だが、残念ながら返って来た答えにより、場は明るくなる事はなかった。
「俺はエイリーク。もう気付いてると思うが、暗殺者どもに狙われている」
辺りは、より一層、重い空気に包まれた。
10数分後、各々は各々のゲストを持て余し、結局の所、予定通り集合した。つまり『煌きの畔亭』での定例昼食会である。
「店主、いつものヤツ」
しばし行列に身を預けた後に入った賑わう店内で、アルトは誇らしげに告げてみせる。彼らはこの店の常連であり、店主とも料理長とも顔見知りだ。
だが、注文がいつも決まっているのは、何かハードボイルドな理由があるわけではなかった。ただ、毎回決まってサービス食券払いなので、セットメニューに固定されているだけなのだ。
さらに言えば、ここは「安くて美味くて満腹」を標榜とした庶民のレストランであり、常連を誇って気取れる店でもない。
カッコ付けているつもりのアルトは、どう見ても空回った中二病患者だった。
仲間一同はツッコむのも恥ずかしいので、総員スルーである。
「はいはい、サービスランチですね。と、今日は人数が多いですね」
他の客のテーブルも回りつつ、人の良さそうなコックコートの中年がやってくる。この店のオーナー店主アンソニー氏である。
彼は念の為とアルトたち面々を数えて異変に気付いた。いつものメンバーに加えて、所々綻びた『長衣』を着た赤毛の少年と、頭からつま先まですっぽり金緑色の『板金鎧』で覆い隠した大柄な重装兵がいたのだ。
先程アルトたちと出合った、エイリークとその妹分である。
「ああ、俺も同じ物を頼む。代金は自分で払う。こっちは」
赤毛のエイリークは、店主の戸惑いを察し、すぐさま左手を軽く上げてそう告げた。そして出かけた言葉を金属鎧の塊が継ぐ。
「プレツエルは、何か甘い物が欲しいでござる」
その名が出た瞬間、アルトたちは口に含んだお冷を少々吹いた。テーブルに着く一同の中で落ち着き払っているのは、兄貴分であるエイリークと、酒樽紳士の帽子の上でくつろいでいる人形少女だけだった。
名に聞き覚えがあったわけではない。傾向として、そのお菓子っぽい名前に心当たりがあったのだ。
「あ、申し遅れたでござるな。拙者、デピス研究所謹製、人工知能搭載型ゴーレム『人形姉妹』が次女、『魔操兵士のプレツエル』でござる」
敬礼するようにカパっと開けた兜の面頬の中はがらんどうで、その奥に14センチメートル程の小さな乙女が納まっていた。
長い黒髪をポニーテイルに結い上げ、桜色のゆったりとした衣と、紺の長いプリーツスカート。チラリと覗く足元は、編み上げのスマートブーツだ。
アルトは無言で塗れたテーブルを袖で拭いつつ、ぽかんと口を開けたまま、プレツエルと彼女の鎧を何度も見直した。
しばらくして料理が出揃うと、面々は食事しながらの会話を始める。
アルトや好奇心旺盛なマーベルなどは、とにかくツッコみどころの多いプレツエルに質問の嵐を浴びせたかったが、それより重要な案件がまずあった。
エイリークを狙うと言う、暗殺者問題だ。
「そもそもなぜエイリーク殿は狙われているのですかな? 聞けばアルト殿の義兄弟であるとか」
ひとまず新たな顔見知りとなった2人と、もっとも関わりが薄いレッドグースがチキンソテーを口に運びながら、そう始めた。
義兄弟という言葉に、アルトは気まずそうに力なく笑うと、おずおずと赤毛の少年を伺い見る。義兄弟などと言っても、アルトの脳裏には映画で見せられたかの様な、薄っぺらな記憶しかないのだ。確かに義兄弟なのだろうが、まるきり他人事である。
そんなアルトの態度を怪訝に思いつつも、エイリークは左手に持ったフォークを置いて話し出した。
「ああ、俺とアルトが共に育った『ライナス傭兵団』が、潰れてな」
ライナス傭兵団は、アルセリア島東にあるタキシン王国付近を拠点とする、20人程度の傭兵団である。
もっとも、職業軍人の数が多くないこの世界では、20人の戦闘員と言えば、小規模の一言で片付けられるものではない。
たとえば現在アルトたちがいる港街ボーウェン。この付近を防衛している『レギ帝国西部方面軍』は約300名の職業軍人で構成されている。また中でも帝国騎士の叙勲を受けるのは70名ほどだ。
ここよりさらに小国であるタキシン王国では、軍人の数はさらに少ない。その少ない軍人が、王子派、王弟派の二手に分かれて、現在内乱中なのである。
そんな状況では、最低でも騎士に匹敵、ともすれば騎士を遥かに凌駕する戦闘力を持つ者ばかりが集った『ライナス傭兵団』は、軽視できない存在なのだ。
そのライナス傭兵団を率いる屈強の英雄、それがアルトの養父である。
「養父が半年前に熱病で倒れ、副団長が仕切り始めた。そこからおかしくなってきたんだ」
他人事の様な自分事という、とても複雑な心境のまま、アルトは息を呑んだ。
『アルトの記憶』が彼を襲った事で、帰る場所が無い異世界人の少年は、少しばかり安心もしたのだ。自分が真にアルトであるならば、まだこの世界に帰れる場所があると知ったからだ。
だが今、エイリークの言葉で、もろくもその安心が崩れ去った。
あったはずの帰る場所は、もう潰れてしまったのだ。
「王子派に雇われていた俺たちは、副団長の一存で王弟派に寝返ってな。その後、戦闘教練の為の講師だなんだと言われて、散り散りで王弟軍に編入されちまった。副団長はそのまま王弟軍の将軍様さ」
つまり、団長の病をこれ幸いと副団長が団を私物化し、自分の地位の為に売り渡したと言う話である。
「だけど元々飼われる事が嫌な連中ばかりだろ? 反りが合わなくて逃亡するヤツも出てきたわけさ。その一人が、俺だ」
「おまえかよっ」
暗く重い話に嫌気が差してきたのか、エイリークは少しおどけた風に、親指で自分を指してニコリと笑った。アルトもつい合いの手の様なノリでツッコみを入れる。
「ほんならあの暗殺者は、その王弟軍の追っ手ちゅーこと?」
逃亡した脱走兵は罪人だ。これはこの世界に限った事ではなく、殆どの軍組織では当たり前の常識である。軍人ではないモルトだが、それくらいの事はなんとなくわかっていたので、その様に言葉を挟んだ。
だがエイリークは静かに首を横に振った。
「王弟軍もジリ貧だからな。そんな余裕は無いはずなんだ。だから今の所、謎の暗殺集団だな」
「ですがどこかで繋がってはいそうですな」
このレッドグースの言葉には、赤毛の少年も頷く。
「その逃亡中に出会ったのが、拙者、プレツエルでござる。拙者と兄上は襲い来る追っ手を千切っては投げ千切っては投げ」
話を継いで、『板金鎧』のガワから飛び出してきた小人サイズの少女が、大仰な手振りで彼らの活躍を語り始める。見た目は可憐で淑やかそうな乙女なのに、性格はずいぶん活発なようだ。
「エルは『長刀』の使い手なのであります」
姉妹であるティラミスも、少し得意げに胸を張った。
そしてしばしの講談の後、プレツエルは急にしょんぼりと頭を垂れた。
「そうしてタキシン王国を出ようと言う頃、ついに兄上は暗殺者の凶刃を浴びてしまったでござるよ」
その時、左足を失ったのだと言う。ちなみにアルトの記憶のよれば、右腕が無いのは子供の頃からだった。
「そんで、流れ流れて港街、にゃ。苦労したにゃー」
「いや」
大変な道程を労う様な気持ちでマーベルが言う。しかしエイリークはすぐさま否定の言葉を短く吐いた。一同はまだ彼が何か秘めている事を察し、言葉の続きを待って静まり返る。
エイリークは一度目を瞑り、決心した様にその胸の内を開いた。
「俺とプリツエルは流れて来た訳じゃない。目的あってこの街に来たんだ。アルトに会えたのは僥倖さ。もちろん、手伝ってくれるんだろ?」
未だどう対応していいか決めかねていたアルトは、この申し出に目を泳がせつつ曖昧に頷くしかなかった。




