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ぼくらのTRPG生活  作者: K島あるふ
#03_ぼくらの新生活

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44/208

14ボーウェンの灯りの中で

「『アインヘリアル』。アタシもこれでMP(マナポイント)切れにゃ。」

「承認します」

 初めに9人いた仲間も、すでに甲板には6人しかいなかった。しかもその内にいる魔法職3人が全て、MP(マナポイント)を枯渇している。

 残された戦力と呼べるのは、前衛を一手に引き受ける事になる『傭兵(ファイター)』アルト、『弓兵(アーチャー)』として援護射撃を期待できるマーベル、同じく『ディスターブショット』の援護が望めるクーヘン、そして『トロレンスグルーヴ』を歌い続けるアルメニカ。

 対する『ロゴロア』は未だ闘志衰えず、必ず愚かな人間どもを殺す、と瞳を燃やしているのだ。

 触腕による5連攻撃、いや『ディスターブショット』を計算に入れれば4連撃を、アルトは一身で防がなければならない。

 全てを受ければ、おそらく待っているのは死だ。かといって、『防御専念』したところで、冥府への旅路を少しだけ延長するだけである。

 スキルも魔法も出し尽くした現状では、すでに戦線は崩壊していると言っても過言ではなかった。

「どうするの。もう逃げるし」

「逃げられるかよ」

 まだ1分程度しか歌ってないのに、もう歌い疲れた様相で、小さな古エルフ族のお嬢がささやくが、前線に一人の『傭兵(ファイター)』は激しく頭を振った。

 彼らの乗船する2本マストの装甲帆船の、さらに後方200メートルには、この戦いの趨勢を見極めようと集まった、商船客船入り混じる野次馬船団が控えていた。

 ここでアルトたちが逃げれば、怒りに任せた『ロゴロア』無双が、この海域を襲うかもしれない。そうでなかったとしても、この世界のシステム的に『戦闘からの逃亡』は容易に成らないのだ。

「アスカ姉ちゃまを置いて逃げられる訳が無いのデス」

 『ディスターブショット』のロックオン動作を終え、Y字射出器『スリングショット』を引き絞ったまま、インバネスコートの人形少女クーヘンが言い捨てる。MP(マナポイント)切れで、すでにできる事を失ったエクレアもこれに追従して何度も頷く。

 当然、マーベルやアルトも、海底へ沈んだ生死不明の仲間を置いて逃げる気にはなれなかった。

「だけど、何か無いのか。ちくしょう」

 苦し紛れの『木の葉打ち』に失敗した若いサムライが、祈るような気持ちで周辺海域を見渡す。

 徐々に高度を上げる満月の明りに輝く波間、後方に彼らを見守る力なき船団、どれも逆転への秘策に繋がるとは、到底思えなかった。

「くそ、くそ、くそ」

 クーヘンの放った小石で跳ね上げられた触腕を除外した4本が、アルトをすり潰し叩き潰そうと降り注ぐ。全て浴びればおそらく死ぬだろう。1本回避しても瀕死。しかも回復魔法の援護はもう望めない。

 正味5回に及ぶ『アインヘリアル』による勇気の鼓舞も、さすがに今のアルトを絶望から救い出すことは叶わなかった。

 まず我先に殺到した2本が交差するように若きサムライの両腕を裂き、さらに続く触腕が、『武装解除(ディザーム)』を『胴田貫』にかける。そして最後、中央へ振り下ろされた怒涛の一撃がアルトの脳天を襲った。アルトはたまらず、甲板に崩れ落ちる。

「アっくん!」

「辛うじてHP(ヒットポイント)残りました。『武装解除(ディザーム)』のダメージ値が低くて幸いでした」

 そうは言っても瀕死の重傷だ。痛いし苦しい。だが、それでもHP(ヒットポイント)さえ残っているなら、彼は再び立ち上がる力をすぐに回復する。この世界は、残ったHP(ヒットポイント)次第で行動にペナルティを課す様な、複雑なシステムではないのだ。

「だんだん腹が立ってきた」

 頭から肩から赤い血を流しながら、ゆっくりと立ち上がり、文字通り右手にぶら下がった『胴田貫』を握りなおす。

「一応、対策しといてよかったぜ」

 それは『胴田貫』の鍔に通された赤い紐だった。

 その紐が、ぐるりと右手首に巻きついているのだ。『武装解除(ディザーム)』対策として用意した手貫緒、今風に言えばストラップである。

 この紐がある限り、武器を落とす事はありえない。だがその紐も、1回の『武装解除(ディザーム)』で、持ち主同様すでにボロボロだった。

「どうやら1回限りのようですね」

「ああ、そんな事より」

 1回でも防げれば御の字だ、と頷きながらも、彼の身にはさらに深刻な傷跡が残されていた。

「目が、見えない」

 追加効果の『盲目状態(ブラインドネス)』が効果を発揮したのだ。


 すでに敗戦の予感が現実として確定的になりつつあったこの時、装甲帆船の『船乗り(セイラー)』たちは、順に海へと飛び込み始めていた。このまま乗船しているより、海を泳いで少しでも遠くへ行く方が生存の確率は高い、と踏んだからだ。

「お、おいあれは何だ」

 と、その、次に飛び込もうとした『船乗り(セイラー)』の一人が、驚きとも困惑とも取れる声を上げた。それにつられた他の船員達も次々に声を上げる。

「こんな時に、いったいなんデスか」

 敗戦、すなわち自分たちの死が迫るこの重苦しい空気の中で、その自分達とは別のところで騒ぎを上げる『船乗り(セイラー)』に、鹿追帽のクーヘンは少しだけイラついた。

 だがイラつき混じりに船の後方を向けば、彼女もまた呆気にとられて口を開けるしかなかった。

「どうした、何があった?」

 『ロゴロア』により光を断たれた若き盲目のサムライが、それでも(パーティ)の壁にならんと『胴田貫』を構えつつも、にわかに騒ぎ始めた後方を気にする。

「来ました」

 それが何であるか最初に気付いたのは、甲板中央に仮の台座を設えられ鎮座していた薄茶色の宝珠(オーブ)だった。彼は視界ではなく、彼に与えられたGM的な情報により、それを知りえたのだ。

「あれは『ソードフィッシュ』にゃ!」

 そして次に視界でそれを捉えたのが、一際目の良いねこ耳童女だ。と言ってもそれはすでに誰の目にも明らかなほど、彼らの装甲帆船に近付いていた。

 それはナイフのように細長く尖ったフォルムの小船だった。

 漕手座以外を流線装甲で覆い、後部に謎の筒状突起を持つその船は、マーベルの記憶が正しければ『船員ギルド』の巡視船『ソードフィッシュ』である。

 しかしその速度が尋常ではない。気付いた時にはすでに野次馬船団の間を抜けていた『ソードフィッシュ』は、ハイドロジェットでも着いているのか、という驚異的なスピードで、見る見る彼らの装甲帆船への接近を果たす。

 さらに不思議な事に漕ぎ手が一人も乗っていない。帆の無いカッター船なのにである。その代わり漕手座に立つ人影が3つ。

 一同呆気にとられ数秒と経たぬ内に『ソードフィッシュ』は、横向きになりながら高い水壁の如き飛沫を上げて緊急的に停止した。ぴたりと、装甲帆船のすぐ右舷である。

「お待たせしましたな。さあさあ逆転ですぞ」

「ここから正義の花道」

 聞きなれた野太い酒樽の声。そしてもう一つ、感情を感じさせない平坦な声。

「その声は、レッドグース。それにナトリさん?」

 『ソードフィッシュ』が荒らした波がまだうるさかったが、それでも彼らの声は盲目のアルトへはっきりと届いた。

「やー、ボロボロだネ。何かご入用は無いカナ?」

「ハリーさんもにゃ」

 酒樽『吟遊詩人(バード)』レッドグース、銀髪の『精霊使い(シャーマン)』ナトリ、そして異界の『錬金術師(アルケミスト)』ハリエット。この3人が『ソードフィッシュ』に乗船した3つの人影だった。

 死を覚悟していた一同は一様に目が点だ。飛び込もうとしていた『船乗り(セイラー)』たちも、突然の出来事に硬直している。

「何が起こったんですか、え、カッター船がどうやったら40ノット出るんですか」

 そして混乱しかけた薄茶色の宝珠(オーブ)が声を上げる。40ノット、およそ時速75キロメートルである。手漕ぎカッター船が出して良い速度ではない。

 その問いに答えるべく、『ソードフィッシュ』の後部突起上に、仁王立ちに現れた小さな者がいる。飛行帽の人形少女ティラミスだ。

 彼女は装着してたゴーグルをはずして頭にかけると、誇らしげに胸を反らせた。

「小型高速船『ナーヴィス』であります。燃料は『浮遊転移基地(ラズワルド)』と同じ魔法結晶体。810ジゴワットの高エネルギーであります」

 つまり『船員ギルド』の巡視船『ソードフィッシュ』の正体は、ティラミス製作のオーパーツ的魔法装置だったらしい。実は『船員ギルド』は拾い物をちゃっかり使用していたという事だろうか。

 このタイミング、このご都合主義には、何者かの意識介入を疑わずにいられない元GMの宝珠(オーブ)だった。まさかグランドマスター的な誰かが、この世界にはいるのではないだろうか。

「みんなが出発したすぐ後に、待ってた材料が届いてネ。おっと、ほらほら、そんな事より戦闘中ダヨ。タコさんが待ってるヨ」

 ティラミスの解説に、一同は困惑と感心の中で引き込まれそうになる。だがそこへ割って入るハリエットの言葉に、聞き入りかけた面々はハッとして、暗黒の海の魔物(デビルフィッシュ)へと振り返った。

 月明かりに照らされた海上では、巨大な忌まわしい球状生物が、威圧感を少しも損なう事なく、うねうねとその場でただずんでいた。

「なんでこの隙に攻撃してこないにゃ!」

 小型高速船『ナーヴィス』以上の衝撃だったようで、ねこ耳とねこ尻尾を毛羽立たせたマーベルが叫ぶ。そのどうでも良い問いに、『ナーヴィス』上のドワーフが大仰な様子で答えた。

「これこそ伝説の『演出フェイズ』ですぞ」

「『演出フェイズ』!?」

 数人が驚きと困惑を『ナーヴィス』から酒樽紳士に移す。

「ヒーローが変身している間、悪党が口上を述べている間、それは行動を許されぬ神聖な時間なのですな」

「えと、え?」

 一同、呆れて返答に困った。どうやら戯言の類だったようだ。だがその戯言が森羅万象に関わるゲーム世界。微妙な気持ちになるのも致し方ない。

「さぁとにかく細かい事は後にしましょう。第7ラウンドが始まります」

「お、おー」

 気を取り直した薄茶色の宝珠(オーブ)の声に、明るさを取り戻した面々が拳を掲げて返事に代えるのだった。


 さて第7ラウンドである。

「『ゼグラスバインド』」

 トップを切って精霊魔法を宣言するのは、聞き取り辛い抑揚の無い声を上げたナトリだった。

 この銀糸を織り込んだ『長衣(ローブ)』を着込んだ美しい銀髪の乙女は、すでに水の精霊(ウンディーネ)召還を終えていたようで、すぐさま戦闘へと割り込んだのだ。

「抜かされたにゃ!」

 だが考えてみれば、以前の経験から言って彼女の敏捷が、マーベルを上回っているわけが無かった。すなわち故意の順番抜かしである。

「クーヘンもデス!」

「ふふふ、あなた達は最後」

 ねこ耳童女と同様に抜かされたらしい、ホームズルックの人形少女も声を上げるが、ナトリは台詞面だけで楽しそうに微笑んだ。実際の表情は相変わらず何も変わらない。

 などと愚にも付かぬじゃれ合いの隙に、銀髪の乙女に命じられた水の精霊(ウンディーネ)が海面へと移動し、人に聞こえぬ精霊の歌を発した。無音の声は波間に反響し、そして深く海底へと沈みこむ。

 一瞬の静寂、そして直後に静かな波間から、黒い何かが勢い良く何本も生え栄った。

「あれは、昆布だ!」

 先程、海底沈没の洗礼を受けたアルトが叫ぶ。そう、それはまさしく海底の密林からの使者、圧葉昆布だ。

 ほとんど黒と見紛う深緑をした昆布が大挙して『ロゴロア』を襲う。忌まわしき海の魔物(デビルフィッシュ)は避ける間もなく、太く長い異常成長を果たした圧葉昆布に絡めとられたのだ。




 精霊魔法5レベル『ゼグラスバインド』は、海草を使い目標を拘束する、海上海中戦魔法だ。水の精霊(ウンディーネ)の力を借り、海底に茂る海草を異常成長させ、敵を絡み取る。

 その磯臭い束縛から逃れるには、筋力を使った脱出ロールに成功しなければならないのだが、失敗し続ける限りは、最大で18ラウンド間、拘束される事になる。

 類似魔法に、森の精霊(ドリュアス)により、木の枝や蔓で敵を束縛する『ドリュアスバインド』があるが、こちらはレベル3の魔法である。




「おお、なんにゃこれスゲー」

 自分のレベルではまだ使えない精霊魔法を見せ付けられ、マーベルは少しだけ悔しそうにしながらも感心の声を上げる。見上げれば、彼らを散々苦しめた大蛸は、今やグルグルの昆布巻き状態だ。

 だがそんな賞賛と驚嘆をよそに、ナトリは冷静な調子で装甲帆船の乗員達に言う。

「ジャイアントオクトパス相手じゃ、たぶん1ラウンドで抜けられる。今の内に体勢を立て直して」

「おう! モルトさん、早い所『メディアイ』を頼む」

「いないにゃ」

「そ、そうだった」

 追い風を受けて勢い付きそうになったアルトだったが、彼の『盲目状態(ブラインドネス)』を晴らすべき仲間がいない事に、今更ながらにショックを受ける。今はリノアが海底を捜索中の筈だ。無事でいてくれ、そうアルトは祈るように呟いた。

 そしてその祈りが天におわす何者かに届いたか、海底より帰還する者がいた。彼の呟きの直後の事である。

「ぶはぁ」

 窒息しない魔法をかけられていても、海面に出る時はつい息を思い切り吐いてしまう、黒髪の『警護官(ガード)』アスカだった。彼女は、碇の鎖を握るのとは反対の腕に、石像と化したモルトを抱えていた。

「モルトさん生存確認。状態『石化(ペトリファイ)』です」

 探知範囲に戻ったのか、急ぎ状況を確認した薄茶色の宝珠(オーブ)が叫ぶ。

 駆けつけた仲間と助っ人、次々に戦線復帰する戦友たち、アルトの心に安堵と共に、大ミツバチのくれた勇気が蘇った。

「よーしハリーさんもやっちゃうヨ。それ受け取れー」

 そんな若いサムライの元に、気楽な声と共に風切る小さな何かが、飛来してコツンと当たった。そしてその瞬間、生暖かい液体が、アルトの頭にぶちまけられた。

「うわ、何だこれ」

 言うや否や、真っ暗だった彼の視界が、急速にぼやけ、そして晴れた。『盲目状態(ブラインドネス)』から回復したのだ。

「エリクシル服用液ダヨ。代金はツケとくヨ」

「やめて、アっくんの財布はもうゼロにょ」

 回復の喜びも束の間、アルトの経済状況は恐ろしい事態へと突入したようだった。


 さて、禍々しき黒い大蛸は、ナトリの予言通りこのラウンド中に、彼を縛り付けた無数の昆布を引きちぎった。普段は敵などと考えた事もない海の植物どもに対し、『ロゴロア』は激しく憤った。

 その怒りの様は、彼の肌が黒から赤に変わるんじゃないかと言うほどに、誰から見ても明らかだった。

「さぁ次はティラミスたちの番であります。クーヘン!」

 続き『ロゴロア』に敏捷で劣る、我らが人形少女ティラミスが高速船『ナーヴィス』から装甲帆船へと飛び移り、ナトリに抜かされた事で、ラウンド最後に順番を回された姉妹に呼びかける。

「はいデス」

 突然の指名だったが、さすが姉妹だけのことはある。クーヘンは姉の思惑をすぐさま理解して、鹿追帽をかぶり直しながら彼女の手を引いた。

「エクレも、手を伸ばすであります」

「ティラミ!」

 繋がった2人に、純白のパフスリーブのワンピースを着たもう1人が加わり、3姉妹はダンスでも踊るように輪になる。

「『レゾナンス(姉妹共振)』」

 3人の少女の声がユニゾンを奏でるように重なり合い、そして姉妹の輪は薄桃色に淡く光る。

「ティラミスのMP(マナポイント)を2人に、渡すであります」

 その優しい光の中、飛行帽を被った少女が呟くと、彼女の体内から赤い光の粒子が立ち上り、2人の中に均等に吸い込まれていった。




 『レゾナンス(姉妹共振)』は『人形姉妹(ドールシスターズ)』専用スキルである。

 姉妹同士手を繋ぎ、互いの擬似魂を共振させる事で、互いのHP(ヒットポイント)MP(マナポイント)を融通し合う事ができる。




「後は、頼むでありますよ」

 やがて薄桃色の淡い光が消えると、まるで糸が切れたマリオネットのように、ティラミスは静かに甲板へ横たわった。全てのMP(マナポイント)を姉妹に渡し、気を失ったようだった。

「さて、ワタクシの番ですが」

 海水に何度となく洗われた冷たい甲板からティラミスを掬い上げ、中央の即席台座に鎮座する薄茶色の宝珠(オーブ)の横へ託したレッドグースが、自慢の『手風琴(アコーディオン)』を構える。

 だがすでに彼が知らぬエルフ児童が熱唱中だった。レッドグースは少しだけカストロ髭を撫で付けて思案する。呪歌は音が大事なので、重複して別のものを使うわけには行かないのだ。

「歌は『トロレンスグルーヴ』ですな。では」

 陽気な酒樽詩人が、エルフ少女の歌にリズムを合わて鍵盤に指を滑らかに走らせる。丸い身体を左右に揺らしながら弾き上げる旋律は、曲が歌を、歌が曲を補完する様に渾然一体となり、更なる高揚の宴を繰り広げるのだ。




 呪歌重奏。スキルではなく『吟遊詩人(バード)』の基本技能である。

 同じ呪歌を複数の『吟遊詩人(バード)』が歌い上げる事で、効果を高める事ができる。 類似で、魔法使い(マジックユーザー)系には魔法儀式という、やはり同様に効果を増幅する技能も存在する。




 最後にエクレアが『ヒーリングシャワー』で前線を癒し、行動を後回しにされたマーベルが、弓を射て『ロゴロア』本体にダメージを蓄積した。

 これにて前線をアルト、アスカの2枚とし、狙撃手にマーベルを加えた陣容だ。さらに支援はアルメニカ、レッドグース、ナトリ、クーヘン、ハリエット、エクレア。崩壊した戦線はギリギリ回復したと言えるだろう。


 こうして新たな陣容での第8ラウンドが幕を開ける。

 後衛から『小弓(ショートボウ)』で大蛸を牽制するマーベル。皆をステータス異常から守るべく、即席ユニットで『トロレンスグルーヴ』を奏でるアルメニカ&レッドグース。そしてモルト探索から戻り、再び上空にて応援旋回をする幽霊メイドのリノア。

 にわかに活気付く冒険者たちの様子に、逃げ出そうとしていた『船乗り(セイラー)』たちや野次馬船団も、身を乗り出して応援に精を出し始める。

 そんな中、盛り上がりに乗り遅れたかのような、フラット感情な銀髪乙女が、若いサムライを指差した。

「えーとア、アル…フ? だっけ?」

「アルトだよ、名前くらい覚えてよ」

 一瞬ドキリとしたが、すぐに落とされた気分でアルトが叫ぶ。ナトリはお構い無しに先を続けた。

水の精霊(ウンディーネ)、彼に『ラペルスタンド』を」

「え?」

 アルトの困惑をよそに、彼女に纏わり憑いていた水色の肌の乙女が、その声を聞き入れて宙を進み、アルトの足下をひと撫でする。足下からひんやりとした冷気が立ち上り、アルトに感冒始めの様な寒気を呼び起こした。

「な、何これ」




 海戦魔法第三弾『ラペルスタンド』は、4レベルの精霊魔法だ。

 この魔法をかけられた者は体外の水と反発しあうようになる。すなわち、水上を歩行可能になるのだ。




「触腕をいくら攻撃してもダメ。本体を叩いて」

 ダメ、などと今更言われても、これまで散々、触腕へ攻撃を重ねたアルトは、嫌な予感を込めながら問う。

「どういうこと?」

「触腕へのダメージは、本体へ2分の1しか伝わらない」

「ええっ」

 驚愕の事実だった。これまでの攻撃が無駄とは言わないが、総ダメージ量を考えれば、もしかしたらもう戦いは終わっていたのかもしれない。

 そういえばマリオンが本体へ『ライトニング』を放った時は、ことさら痛がっていた様な気もする。

「その為の水上歩行(ラペルスタンド)。はい行く」

「お、おう」

 一度は惚れかけた銀髪の美少女に背をそっと押され、微妙な気分を背負いつつもアルトは海面上を駆け出した。

 後衛たる『ロゴロア』本体へ向かうには、少し海上を迂回する必要がある。だがこのラウンドを全力移動に費やせば、次ラウンドには本体へ到達できるだろう。

 しかしただでは通れないのが触腕の連続攻撃だ。前線から突出したアルトに、いったい何本の触腕が襲うのだろうか。いくら海上を走っても、本体到達前に蹴散らされればそれでお終いなのだ。

「そこはハリーさんにお任せダヨ。ミノクラス、ゴー」

 そのアルトの心配を読み取り、『ロゴロア』行動直前になる敏捷のハリエットが、金色混じりの短髪を振り乱しながら、ポシェットから取り出した青い尖った小瓶を海面に投げつけた。ハリエットの眼鏡が怪しく光る。

 すると海面で小瓶は破裂。途端に海上にはモウモウとした巨大な雲が立ち上った。

 気をとられて警戒を強める『ロゴロア』。もちろん船上の仲間たちも注目だ。

 やがて雲は晴れ、巨大黒蛸に匹敵する身体を海上から覗かせる怪物(モンスター)が姿を現した。下向きに湾曲した短い闘牛のような角を持つ、ずんぐりと円らな瞳をした2速歩行の獣だ。

 『ロゴロア』と『ミノクラス』の巨大な身体に前後を挟まれ、アルトはこれまで以上に死を覚悟したという。

「フィヤーッ」

 角を振り回しながら咆哮を上げる『ミノクラス』。『ロゴロア』の警戒心はすでにマックスだ。このアルセリア島南海で怪獣大決戦の始まりである。

 サムライのツバメに斬り落とされ、残り6本となった暗黒の触腕が、全弾『ミノクラス』を襲う。一同、思わず身を乗り出して突如現れた守護神を応援した。

 だがその信仰心にも似た気持ちも、一瞬にして霧散する。

 まず『刺突スラシング』がずんぐりとした胴を貫き、さらに3本が次々と左右から殴打した。次の1本を『ディスターブショット』が跳ね飛ばしたが焼け石に水、最後になる触腕が円らな黒い瞳に止めを刺した。

 薄茶色の宝珠(オーブ)が確認した所、浴びた異常は『(ポイズン)』『麻痺(パラライズ)』『盲目状態(ブラインドネス)』。そして最後の一撃で、見事にHP(ヒットポイント)はゼロを割った。

 ゆっくりと海底に沈む『ミノクラス』。突然始まり、一瞬で終わった怪獣大決戦に、期待の眼差しで見つめていた一同は言葉を失った。

「『ミノクラス』はハリボテだからネ」

 一人、当然と言った顔で、海中へと沈む下僕を見送るハリエットだった。

「ですがこれで時は稼げましたぞ」

 ともすればあの怪獣の運命は、海上へと突出したアルトのものだったかもしれない。そう言う意味をかみ締め、アルトは海中へ沈む『ミノクラス』へ無言の目礼を送った。

 そしてこの数秒だけ止めた足を、再び前へと進める。踏みしめる海面は次々に波紋を広げ、伝わる感触は大地の様な安心感があった。

「行け貧乏サムライ」

「そろそろ終わりにするし」

 金髪の魔法少女が激を飛ばし、古エルフ族のお嬢は歌い疲れた声を上げる。

「触腕は任せろ」

「援護はクーヘンがやるデス」

 黒髪の戦乙女は『ワーニングロア』の叫びを上げ、鹿追帽の人形少女が援護射撃をロックオンする。

「蛸の弱点は眉間にゃ。眉間にエルボースマッシュにゃ」

 そしてこの中で最も付き合いが長くなった、仲間のねこ耳童女の声援が背中を押し、意志の強さと気の弱さを内包した眉を吊り上げ、若いサムライが海面から跳躍する。

「眉間だな。よしGM、『木の葉打ち』だ」

「承認します」

 触腕の付け根を機敏に跳ね渡り、一歩毎に弾みを増したアルトが『ロゴロア』の眼前へとその身を晒す。構えは大上段蜻蛉だ。

「キエェィ」

 黒い怒りを湛えた『ロゴロア』の両眼、その中央に合気の掛け声と共に振り下ろす。瞬間、天を付き裂くような雷鳴が響き、『胴田貫』が魔法の炎と、技の稲光を二重螺旋に巻いた。

 月明かりに照らされた夜の海は、なお明るい閃光に包まれ、そして次第に静けさを取り戻す。

 今、アルト会心の『木の葉打ち』が決まったのだ。

 本体ごと『麻痺(パラライズ)』してしまえば、後はもうこっちのものだ。船上の『船乗り(セイラー)』も、集った野次馬船団も大いに湧き上がった。




 後日、アルトたちは身なりを整えて『山手地区』へと向かった。依頼に対する成り行き報告の為、マクラン邸を目指しての事だ。

 ただこの度のミッションクリア条件であるマリオン嬢の姿が共にはなく、代わりに黒い革張りのアタッシュケースが、モルトの手に提げられている。

 これはマクラン卿へ宛てた手紙と共に、かのマリオン嬢から託された物だった。彼女が帰宅する代わり、という事らしい。

 この黒いアタッシュケースについては、少し話を遡るのが早いだろう。それは昨日、『金糸雀(かなりあ)亭』に戦闘参加者が一堂に会した時の事である。


「今回はさすがに死ぬかと思った」

「今回『も』にゃ」

 まだ昼で関係者以外がいない『金糸雀(かなりあ)亭』の、ひんやりとしたテーブルにアルトは突っ伏し、同様にグデンと椅子に身体を預けたマーベルが、彼の発言に訂正を入れた。

 『ロゴロア』戦が終わった翌日の昼である。

 各々が先々での処理や治癒を終え、残す所は参加者達の事後処理だ。

 具体的に言うと、アスカたちは(パーティ)内での分け前会議であり、アルトたちにとってはマリオン嬢との交渉だ。

「マリオンには一緒に来てもらうちゅーことで、一件落着やな」

「嫌よ」

 やはり即答だった。マクラン卿と言う人物を知る一同は、気持ちはわかるだけに溜め息をつかざるを得ない。

「話を聞くって言ったにゃ。詐欺にゃ」

 グッタリとしていたねこ耳童女が瞬間湯沸かし器のように沸騰し、起き上がってテーブルを叩く。だが金の髪をシュリンプテイルに結った魔法少女も、憮然としてテーブルに肘を着いた。

「聞いた上で嫌だ、と言ってるのよ」

 そういえば『話を聞く』とは言ったが、『話を飲む』とは言っていなかった。彼女はすでに話を聞いたので、義務は果たしたと言う事だろうか。

 販売員などが良くやる、『嘘は言っていない』話術である。吹き込んだと思われるアスカは、もしかしたら元の世界ではその手の仕事をしていたのかもしれない。

「ぐぬぬ」

 そのロジックを理解するだけに、マーベルは言葉に詰まった。

 腹は立つが、条件をよく精査しなかった側にも問題がある、と言われればそれまでだ。残念ながらこの世界には消費者センターはないのだ。

 その様子に『板金鎧(プレートメイル)』に身を固めた、黒髪の戦乙女が苦い表情を浮かべる。この状況を作ったのは自分だったが、さすがに生死を共にした者達に対して、あまりにも誠意がないやり方だと考え直したからだ。

 元は海の魔物(デビルフィッシュ)戦に、これほどの苦戦をするとは思っていなかったのもある。彼女にとってあの取引は軽い気持ちだったのだ。

 アスカは仕方なく、間を取り持つべく仲間になって日の浅い、釣り目の魔法少女の肩をたたいた。

「一緒に行ってやる事はできないか? 彼らもこのままじゃ困るだろう」

 この言葉を受け、マリオンはバツが悪そうに下を向いた。マリオンも彼女と同じ気持ちを幾らかか抱いていたようだった。

「あーあ、どこかに私の身代わりは無いかしら」

 冒険者仲間となったアルトたちの為にも、帰ってあげたいと言う気持ちが無いわけではないのだ。だがそれ以上に、あの兄の在り様が彼女には耐えられなかった。だからこそ家出をしたのだ。

 集った者たちは、この行き詰まりの閉塞感に、一様に押し黙る。

 その沈黙を破るのは、傍観者の面をしていた、2つのアタッシュケースを下げた銀髪の乙女ナトリだった。どちらの鞄も黒い革張りだ。

「そこであなたにお勧めがあります」

 銀の刺繍を織り込んだ『長衣(ローブ)』を着込んだ彼女は、片方の鞄をマリオンの前に置いてさっと身を引く。まるで高級品を売り歩く、品のいいセールスマンの様な身のこなしだ。

「それはなんですか?」

 アルトが興味深げに訊ねる。そういえば、初めの『ロゴロア』戦に向かう前、彼女に会った時は、その鞄を1つだけ持っていた。

 昨晩、『麻痺(パラライズ)』した『ロゴロア』を、寄ってたかって袋叩きにした後、彼女は一人海中に消え、ついさっきふらりとこの会合の場に現れたのだ。

「ボスから命じられた探し物。中身は秘密」

 秘密も何もその鞄の片方を今、マリオンに差し出しているではないか。と、言いたかったがアルトは言葉を呑んで静かに目を閉じる。そういえばこういう人だった。ナトリという人物は、秘密と言うものに対し酷く適当なのだ。

「それが『ロゴロア』戦に参加した理由かい?」

「あの蛸が海底遺跡に居座っていた」

 続いて興味を持ったアスカが口を挟むと、やはりあっさりと頷く。昨晩一人で海へと消え、その海底遺跡で新たな鞄を手に入れた、と言う事だろう。アルトはそのように適度な解釈しておく。

 さて、鞄の中身である。

 マリオンは取り巻く人々の興味の視線に、おっかなびっくりと言う様子で、おずおずと鞄を開いた。開いて、マリオンは満面の笑みで頷いた。

「買った」

「まいど」

 どうやら一瞬で商談が終わったようだ。

 こちらの交渉事とはえらい違いだ。などと唖然とした矢先に、マリオン嬢は笑顔のままでアタッシュケースをモルトへ差し出す。

「あなた達はこれを兄に届けて。ちゃんと報酬が貰える様に手紙も書くわ」

 こうしてアルトたちは、マリオン嬢から手紙とアタッシュケースを託された。


「と、いう訳ですな」

「ふむ」

 執務室に通された一同は、マリオン嬢からの手紙と共に、件のアタッシュケースをマクラン卿へと渡した。

 巨体を精一杯しょんぼりと小さくさせていた帝国騎士は、手紙を一読して目頭を押さえ首を横に振った。

「なんて書いてあるにゃ?」

 好奇心旺盛なねこ耳童女は遠慮なく訊ねる。本来、他人の家庭の事情なのだが、報酬がもらえるかどうかの瀬戸際でもあるので、他の者達も同じように耳を傾けた。

「我が妹は、そのアタッシュケースの中身を『私だと思ってかわいがって下さい』と書いて来たのだ。だが、いったい何者に妹の代わりなど務まるだろう」

 そのあまりの落胆振りに、アルトはさすがに報酬の事を切り出すタイミングを計り損ねた。今言い出しても、確実にダメ出しされるだろう。なんとか流れを変えなくては。

「と、とにかく、その鞄の中身も確認しては?」

 あの妹にして『兄はこれで納得するだろう』と考えた代物だ。この交渉の鍵、切り札に違いない。逆に言えばあれでダメなら、もう一度マリオン嬢と交渉しなければならないだろう。

 帝国騎士マーカスは、ため息混じりにおずおずと鞄に手をかける。奇しくもその表情は彼の妹御が鞄を開けたと時に、よく似た表情だった。

 そしてその後の反応もまたよく似ていた。すなわち、満面の笑みである。

「何が入ってたん?」

「どれどれ、ワタクシにも見せて下され」

 ニコニコするだけで、その後何も言わなくなったマクラン卿に、興味のゲージがぐんぐん上昇した一同は、我先にと鞄の正面へ向かう。

 開かれた鞄の中には、綿を包んだ真珠色のシルクが敷き詰められ、その中央に10センチメートル強という身長の人形の少女が、身体を丸めて横たわっていた。

 あらんばかりにヒラヒラの装飾を取り付けた、露出度の少ない青いドレスに身を包んだその少女人形は、鞄が開かれた事で差し込んだ光を眩しそうにしながら、ゆっくりと目を擦る。

 そしてその清潔なシーツのように敷き詰められたシルクの上で半身を起し、少々の怯えと好奇心をはらんだ瞳で辺りを見回し、そして一際大きい帝国騎士と目を合わせた。

「にぃに?」

 高く、そしてゆったりとした静かな声が、少女の口をついて飛び出す。瞬間、稲妻にも似た目に見えぬ衝撃が、マーカスの胸を射抜いた。

 マーカスのゲッソリとした頬が、見る見る血色を取り戻す。

「うむ、今日から私が兄である」

 こうしてマクラン家には、本日を持って新たな妹が誕生した。


 マクラン卿から報酬1万銀貨(メリクル)を満額受け取り、一同はホクホク顔で『山手地区』を辞した。

「やーひとまずこれで一安心やね」

 高台から庶民の街へ続く階段を下りながら、肩の凝りでもほぐす様に腕を回しモルトが言う。この白い法衣の乙女が言うように、これで『盗賊(スカウト)ギルド』への保護料を支払う事が出来るわけだ。

「ワタクシたちも、やっと自由の身だと、胸を張って言えそうですな」

 とこれは帽子の上に人形少女を乗せたレッドグースだ。確かに、多少の危険が残るとは言え、もう追っ手に怯える生活ではなくなるのだ。

「ところであれはやっぱり、ティラミス殿の妹ですかな?」

 あれ、とはマクラン卿を納得させた、姫ロリ系ドレスに身を包んだ人形少女の事だ。この問いに、酒樽紳士の頭上で人工知能搭載型(インテリジェンス)ゴーレムの少女は、仁王立ちになって胸を張る。

「『一番小さな妹(プチソロル)のミルフィーユ』であります。ティラミスたちのかわいい末妹でありますなー」

 その二つ名から判断するに、どうやら他の姉妹とは違い、かわいい事だけが取り柄らしい。かの大魔法使いであるデピスは、何を考えて彼女を創ったのだろう。と、一同は少々微妙な気持ちになった。

「あとアっくん、あの底抜け主従はどうしたにゃ?」

 もう一つ気にはなっていたが、訊く機会を逸していた問題に、マーベルがねこ耳を揺らしながら首を傾げる。それは古エルフ族の引きこもり嬢とお付の幽霊メイドの事だ。

 彼女達は、アルトの機転で『ロゴロア』戦に参加した後、あまり会話しない内にどこかへ行ってしまったのだ。

 アルトは銀貨の詰まった皮袋を重そうに担ぎながら額の汗を拭う。初夏の日差しはジリジリと彼の『鎖帷子(チェインメイル)』を焼いた。

「ああ、彼女なら」

 アルトは言い掛けて、水色の空に浮かんだ灼熱予備軍の太陽を恨めしそうに睨む。もうすぐ、本格的に暑くなるだろう。


 さて、最後にアルメニカの行く末について語っておこう。

 それは後に大蛸事件と呼ばれる今回の騒動が終わり、アルトたちがマクラン卿から報酬を貰った翌日の話だ。

 その日の午後、しばらく出勤を休んでしまった治安維持隊隊長たるマーカスは、新たな妹と交流を深める間も程々に、出勤準備を急いでいた。事務処理は屋敷で行っていたとは言え、さすがにそろそろ顔を見せないとマズイ。

 マクラン邸唯一の常駐スタッフである執事セバスも、その為に先行して奔走してくれているので、着替えも準備もマーカスは自分で行う。

 そもそも無骨な騎士の家系なので、その程度はお手の物である。小腹が空いたらパンだって自分で探してかじるくらいだった。

 と、そこへ来客を告げる音が屋敷に鳴り響く。正門側の大扉に取り付けられた、獅子を模した真鍮ノッカーの音だ。

「はいはい、これから出かける所だし、用があるならまた今度に」

 どうせ近所のご隠居が、また臆病な相談事でも持ってきたのだろう、とマーカスは短髪に刈り上げた頭をかきながら、扉を開く。

 ドレスシャツのボタンは途中までだし、裾はスラックスからはみ出たままだが、どうせご近所相手なら失礼にもなるまい。

 だが扉の先には彼の予想とは違う者が、少々不機嫌そうにしながら待っていた。

 それは8歳程度の背丈の、薄茶色の長い髪を面倒そうに2つに縛った、古エルフ族の少女だった。彼女は宙に浮く、おそらく幽霊のメイドエルフを従え、珍しくも仕立てのよさそうな草色のワンピースに身を包んでいた。

「ここ来ればお菓子食べ放題させてくれるって、あのサムライから聞いたし」

 マーカスは急いでいる事も忘れて、しばし呆然と彼女を眺め、そして呟いた。

「ふ、ふつくしい」

 図らずも祖先と同じ台詞を吐いたその時、それはマクラン家に3人目の妹御が誕生した瞬間でもあった。

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