13南海決戦
街で、浜辺で、各々が思い思いの時を過ごし、そして夜の帳が下りる。
日の入りを待ち出航した装甲帆船は、マストに灯された魔法の明りで黒い波間を照らしながら進む。目指すは、かの海の魔物『ロゴロア』の住む海域だ。
「『マギライト』は、やはり明るくて良いですね」
魔法の光に照らされた、つややかな宝珠が言う。
『マギライト』は『魔術師』の使う初歩的な緒元魔法だ。何か特定の物品を魔法で光らせ、明りを得る事ができるのだが、精霊魔法の『ウィスプグリッター』や松明に比べると格段に明るい。
自分の仕事に忠実な『船乗り』たちは、人語を解する奇妙な宝珠に何度か目を留めるが、それでも何も言わずにそれぞれの仕事に戻った。
冒険者のやる事に口を挟まない。それは経験的に知った彼らの常識だった。
「ま、でも今日はいらなかったかもね」
術者である金髪の魔法少女マリオンが答えながら、海の向こうを指差した。その先には水平線から少し登った、金色に輝く月が出ている。
月齢は満ち足り、今夜は満月だった。
「これがクーヘンの言ってた、ヤツの弱点か」
見上げる、と言うほど高く上っていない月を眺め、いよいよ決戦に向けた実感を得始めたアルトが固唾を呑む。聞きつけた情報発信元のクーヘンは、チェックのインバネスコートを翻し、ズバリとアルトを指差した。
「そのとーりデス」
まるで宙に浮かんだ巨大な鏡の様なその月は、マリオンの『マギライト』にも劣らぬほどに、黒い海面を照らし、白波をキラキラと輝かせていた。
「ところで、なんでお嬢がおるの?」
船縁に一列に並び、月を仰ぐ面々。そんな中、ふと、モルトが口を開く。その横には子供かと言いたくなる容姿の古エルフ少女が、嫌そうな顔でやはり月を眺めていた。
古エルフ族のお嬢様こと、アルメニカだ。彼女もまた『ロゴロア』同様、太陽嫌いなのかもしれない。なにせ500年も引きこもっていたのだから無理も無い。
「助っ人。その人間と取引したし」
アルメニカはアルトを指して面倒そうに答える。その頭上ではシックなエプロンドレスの、古エルフの幽霊が旋回していた。彼女のメイド、リノアだ。
「人間は信用できないとか言ってたにゃ。どうせお菓子に釣られたにゃ?」
「ち、違うし」
ねこ耳童女の言い様に、反射的に返答する。だが全部が全部間違いでもないので、少しばかり嘘をついたような後ろめたさが残った。アルメニカは言い訳をするように、言葉を続ける事にする。
「明日の為に、今日、本気出すことにしただけ」
続けるにしても、すべての事情を曝け出すのも恥ずかしかったので、推敲に推敲を重ねて、それだけ言うのに止める。
初めに問いたモルトはあまり意味が解らなかったが、とりあえず納得することにした。要するに決戦戦力と数えていいようだ。
「ほんで、お嬢は何が出来るん?」
「アルメニカは『吟遊詩人』だそうだ」
これに答えたのは、彼女をこの戦いに引き込んだアルトだった。「つまりおっさんの代わり」と付け足すと、モルトやマーベルも「なるほど」と手を打った。
「お嬢様はとても歌が上手なのです」
「部族内のアイドルだったし」
お付のメイドがそう言うと、アルメニカは子供じみた様子で平らな胸を張った。彼女はレッドグースのように楽器を使わず、その歌声によって呪歌を使うようだ。
それにしても、と、その発言にアルトは驚愕に慄いた。
「アイドルとかいう概念あるんだ。すげーな古エルフ族」
まぁ、今はニートなのだが。
「ところで、と私も問いたい件があるのだが」
腕組み仁王立ちスタイルで、話を黙って聞いていたアスカが陸を見て呟く。正確には陸の方角である。つまりは帆に風を受け水上を滑る装甲帆船の後方、そこには、十数隻の船が距離を保って付いてきていた。
客船もあれば漁船もある。どれも近海用の規模ばかりで、装甲帆船上の冒険者たちが彼らに気付いたと知ると、どの船の人たちも嬉しそうに手を振った。
「う、ん。その、ボーウェン子はミーハーなのよ」
つまり野次馬船団ということらしい。隊内で唯一のボーウェン市民であるマリオンは、申し訳なさそうに両手で顔を覆った。
「まぁ見た所かなり距離を開けてますから、大丈夫でしょう」
戦闘に備えて甲板中央に台座をしつらえられた薄茶色の宝珠が、苦笑い気味にそうフォローを入れた。
それからさらに船が進むと、いよいよ先日の海域が目と鼻の先まで近付いてきた。鹿追帽の人形少女クーヘンからの情報通り、昼間のような暗雲は一切出てこない。さて、これで『ロゴロア』が登場すれば決戦の開始だ。
船が帆をたたみ碇を降ろす。そうすると風も弱く波も低い今宵の海は、途端に静寂を湛え始める。
だが、その静寂もほんの束の間だった。
「来るにゃ!」
耳を済ませた一同の中、一際耳の良いねこ耳童女が声を上げる。すると同時に装甲帆船の舳先の向こうで海面が激しく隆起した。
一見、気球の様にも見える歪んだ球体が、海底より次第にその姿を現す。月明かりを浴びてもなお黒い、深淵からの使者を想像させる、渦模様を刻んだ禍々しき大蛸、海の魔物『ロゴロア』の参上である。
「よし、全員、予定通りの配置につけ。状況を開始する」
恐れず、怯まず、黒髪の戦乙女は高らかに声を上げ、一同は頷いて甲板に散った。ボーウェン沖決戦の始まりである。
遠巻きに彼らを窺う野次馬船団は、にわかに沸き立った。
「戦闘フェイズ入る前に行くにゃ。勇気の精霊召還」
「私も行きます。水の精霊召還」
「承認します」
まだ『ロゴロア』の持ち上げた海水が落ちきらぬ前に、甲板上の2人が次々と声をあげる。その声は闇夜の空気に融け、そして世界はそれぞれの叫びに応えた。
片手を出来るだけ高く伸ばしたねこ耳童女の掌の先に、忽然と六角形の光が現れる。そしてその中から光を割いて飛来するのは、お馴染み、拳ほどの大きさのミツバチ。勇気を司る精霊ブレイビーだ。
さらに暗き波間から飛び出した大粒のしずくが呼びかけに応えて、甲板上空へと飛翔した霊体メイドの下へと馳せ参じる。こちらは水の精霊ウンディーネである。
「『オキシガム』は幽霊メイドの人に任せたにゃ」
「任されました」
続いてマーベルの隣で待ち構えていた、背の低いシュリンプテイルの魔法少女が『短杖』を掲げた。
「次は私よ。出し惜しみ無く行くわ。『ファイアアームズ』『魔法変化』」
右手の『短杖』が宙に幾何学模様を描き、左手がそれに追従する。そして瞬く間に魔法を描く陣が完成した。途端、闇を照らすように『短杖』と左手からそれぞれ炎の帯が迸る。
「アスカと貧乏サムライに!」
鞭の様にしなった炎の帯は螺旋を描き、そして彼女の声に従いアスカとアルトの手にした得物を炎で覆った。武器強化系緒元魔法『ファイアアームズ』と、『魔術師』のスキル『魔法変化』の合せ技だ。
『魔法変化』は緒元魔法の持つ本来の効果を、少しだけ変形させる事ができるスキルである。範囲魔法なら範囲の拡大や、範囲の変形といった具合だ。
また、本来は単体対象の魔法を拡大し、同時に2以上の対象へ効果を及ぼす、と言う使い方も可能だ。
今回の『ファイアアームズ』への適用が、まさにそれである。
「さぁ、戦闘フェイズがあと数秒で始まります。もう誰もいませんか!」
あらかじめ甲板中央へ、仮の居を移した薄茶色の宝珠が叫ぶ。その問いに満を持して応えるのは、2番目に敏捷が高いくせに、数秒を惜しむかの様に黙っていた古エルフ族のお嬢アルメニカだ。
「そろそろ私の出番だし。行くよ」
最後列に設えられた簡素な舞台へ登ったアルメニカが、踵でリズムを数度打ち、そして歌声を上げた。いきなりサビメロから入るような、テンポが速くノリの良い歌が風に乗ると、聴く者達の心は高揚感に弾みだす。
声は少しかすれ、所々音が外れる事もあるが、総じてそれが上手くアドリブ感をかもし出しているとも言える。
「ああ、お嬢様、500年も歌ってないからすっかり下手になってしまって」
「うるさいし」
上空から降り注ぐ霊体リノアの嘆きを聞く限り、ただの下手だったようだ。
「これなんて曲やの」
友達の携帯プレイヤーを聴かせて貰ったかの様なノリでモルトが叫ぶ。すると、途中ではさんだリノアへの言葉さえも歌詞の様に編みこみながら、得意げにリズムステップを踏むアルメニカが右拳を高々と掲げた。
「『トロレンスグルーヴ』」
それがこの呪歌の名前だった。
『トロレンスグルーヴ』は、心を弾ませるノリの良い楽曲を使い、聴く者の免疫力を活性化させ、『毒』や『麻痺』などへの物理系抵抗力を上昇させる呪歌だ。
当然、呪歌ゆえに聴く者全て、すなわち対する敵の抵抗力も上昇させるが、使用者側が『毒』などを使わない限り、恩恵を受けるのは味方だけである。
そう言う意味では使い易い呪歌と言えるだろう。
「とりあえず『吟遊詩人』5レベル相当のようですね。『下手になった』と言う事は、元は結構な高レベルみたいですけど」
薄茶色の宝珠が補足的に言葉を挟む。どうやらレベル的にもレッドグースの代わりとしてちょうど良かったようだ。
「さて、それでは戦闘フェイズです。みなさん、がんばって行きましょう」
そしていよいよ、第一ラウンドの開始となる
「『ヴィダスタン』にゃ」
「承認します」
マーベルのねこ耳が揺れ、その言葉は世界に承認される。彼女の頭上に滞空していた拳ほどのミツバチは、その声に応えて小刻みに羽ばたく。
薄紅色の燐粉が風に舞い踊り、前衛に立つアルト、モルト、アスカの頭上へと降り注いだ。
「おい『アインヘリアル』じゃないのかよ」
勇気の精霊の姿を見たので当然の様に期待していたが、アルトに降り注いだのはお馴染みの黄金の燐粉ではなかったので、つい声を上げた。初めて見る魔法だったから、その効果がわからないせいもある。
だが彼の不満にマーベルは眉と声を吊り上げた。
「まずは『いのち大事』にゃ。感謝するにゃ」
「お、おう」
8歳児並みの剣幕に押され、アルトはつい納得した。そう言うからにはきっと大事な魔法なのだろう。
『ヴィダスタン』は勇気の精霊を使役する、3レベルの精霊魔法だ。
その効果は『トロレンスグルーブ』同様、前線に立つ者たちの、物理抵抗力を上昇させる。『毒』『麻痺』だけでなく、『石化』にも当然効果がある。
続くアルメニカは『トロレンスグルーブ』を継続、リノアは上空からアルトへ『オキシガム』をかける。溺れ知らずの水中呼吸魔法だ。
そして黒髪の戦乙女が抜き身の『両刃の長剣』を天へと掲げた。
「『ネメシスブレイド』」
「同じく『ネメシスブレイド』や」
「承認します」
珍しく前衛へと並んだモルトが、アスカに続いて同様の声を上げる。すると彼女達の得物である『両刃の長剣』と『鎧刺し』は、同時に怪しく赤い光を湛えた。どうやら『警護官』の戦闘系スキルのようだが、初めて見るスキルだったので、アルトは横目で見て首を傾げた。
「ほら、ボヤボヤしてると当てるわよ」
その一瞬の隙を突き、後衛のマリオンがアルトに向けて小石を投げつける。
いやアルトに向けてではない、狙いは彼のすぐ隣だった。小石がアルトのすぐ横に転々と転がる。
「行け、あの蛸を倒すのよ『シンプルパペット』!」
すかさず金髪の魔法少女が声をかけると、小石が煙を噴出した。
「ぶはっ、ちょっと何だよ」
煙が風に流れアルトの目と喉にしみるが、マリオンはお構い無しに『短杖』を振るう。
するとモクモクと立ち上った煙の柱は颯爽と晴れ、そこには1体の石像が残される。また『石化』の犠牲者が、と一瞬いやな事を思い出すアルトだったが、そうではない。そう、これは作戦会議で説明された、彼女の魔法なのだ。
緒元魔法3レベル『シンプルパペット』は、以前、アルトたちを苦しめた『獣骨兵』の廉価版だ。
あらかじめ儀式で作り出した魔法の小石を使い、単純な命令のみ執行できる石の人形を作り出す魔法である。作り出した石人形は、1時間の間、初めに出された命令を執行する為に行動し続ける。
「さぁ貧乏サムライ、あんたの番よ。せいぜい石人形よりは活躍なさい」
あざ笑うかのような台詞だったが、その声色には期待が読み取れた。なにせマリオンの記憶では、先の戦いでアルトが『ロゴロア』の触腕を奪った、『ツバメ返し』が色濃く残っているのだ。
「わかってるよ。GM、『ツバメ返し』行くぜ」
「承認します」
「蛸の弱点は眉間にゃ。眉間にエルボースマッシュにゃ」
弱点という言葉に反応し一瞬考えるアルト。だが眼前の目標は7本の触腕であり、ねこ耳童女の言う『ロゴロア』の眉間など、その遥か向こうである。システム的に言えば、触腕が前衛、本体が後衛である。
「いや、届かねーし」
その直後、決戦最初の打撃が、アルトにより叩き込まれるのだった。
「ち、そうそう上手くはいかねーか」
『ツバメ返し』の手ごたえは小さくは無かったが、それでも触腕を奪うには至らなかった。アスカが昼に話した情報によれば、クリティカルヒットが発生して、初めて触腕を切り落とす事が出来ると言う。
確率を上げる事は出来るだろうが、ほぼ運任せである。ならばコツコツとダメージを積み重ねるしかない。
アルトは歯を食いしばって黒い球状生物を睨む様に見上げた。長丁場になりそうだ。
「前衛、『ロゴロア』の攻撃がくるぞ」
中央に立つ鈍色の『警護官』が大きな『凧型の盾』を構えて叫ぶ。前衛に立つのは、声を上げたアスカの他に、アルト、モルト、そしてマリオンの操る石人形、計4名。
平均して触腕2本以下の期待値。今回アスカが『ワーニングロア』を使わなかった理由はここにある。的をバラけさせる目的だ。
まず、そのアスカに3本の触腕が振り上げられる。
「『ディスターブショット』発射デス」
殺到する3本の触腕。だが鹿追帽の人形少女から射出された小石が爆発し、1本の触腕か力を失い跳ね上げられた。
「残り2本、想定内だ」
アスカは呟き、冷静に1本を『凧型の盾』で捌き、そして最後の一撃を『板金鎧』で受けた。衝撃が板金越しに波紋の要領で伝わり、さらに鞭で打たれた様な刺激痛と、激しい倦怠感がアスカを襲った。
「ぐ、『毒』か」
ステータス異常『毒』を浴びた者は、解除されるまで1ラウンド毎に毒のダメージを被り、さらに倦怠感から来る行動ペナルティを負う。
だがアスカもただ攻撃を受けただけでは終わらなかった。
「反撃発動」
その瞬間、彼女の言葉に頷くように、炎を巻いた『両刃の長剣』の鈍色の刀身が赤く光り、同時にアスカの身体が霞んでスライドする。
そして攻撃を終えて急速に退く触腕を、目で捉えるのも難しいほどの素早い体捌きで追い縋り斬りつけた。
先にアスカが仕掛けた『ネメシスブレイド』の効果、自動反撃である。
『ネメシスブレイド』。復讐の女神とも言われるネメシスの名を冠するこのスキルは、使用者に対する攻撃に、自動反撃を浴びせる。
ランクが上がれば上がるほど、一度に行う反撃回数が増え、さらに反撃を浴びる側は回避にペナルティを負うという、攻撃者にとって非常に恐ろしいスキルだ。
もっとも、RRが12ラウンドと長く、ほとんどの場合1戦闘に付き1回しか使えない。
「キシャーッ」
さらに攻撃を受けたモルトが、続けて『ネメシスブレイド』を発動すると、まさかの反撃に『ロゴロア』はたまらず悲痛な声を上げる。
「おお、こうやって使うんかー。勉強になるわ」
「まさか知らなかったのか?」
アスカ、モルト共に一撃ずつ攻撃を浴びたが、それでも軽口を叩くだけの余裕がある。先の戦いでは2発浴びたアルトが瀕死になった事を考えれば、やはり満月のおかげで『ロゴロア』の攻撃力は、幾らか減少しているようだった。
さて、さらに残りの触腕の内、石人形Aが1本の攻撃を受け、最後にアルトへ2本が迫った。石人形はさすがに簡易ゴーレムなだけはあり、この一撃ですでにボロボロだった。
「計算どおーり!」
7本中の2本を引き受けることになったアルトが叫ぶ。彼の言うように、この数字は作戦上、期待通りの値である。
だが防御に長ける『警護官』とは違い、『傭兵』の彼はこの痛撃を回避すると言う幸運には恵まれなかった。
1本の触腕がアルトの足元を掬い、軽々と宙に打ち上げる。『ロゴロア』の特殊攻撃の一つ『浮かし攻撃』だ。
「うわっ」
振り上げられたアルトは、瞬間的に頭を押さえつけられるような重力を受け、直後に失った。そして落下の重力を受ける前に、さらに最後の打撃を受けるのだ。
踏ん張る地面も掴まる場所も無い空中で、『鎖帷子』が重々しく軋みの音を立て、アルトは数メートル先の海上へと跳ね飛ばされる。
「アっくん!」
「『オキシガム』はもうかけましたから大丈夫です」
大きなミツバチを従えたねこ耳童女が、焦燥から声を上げる。だがやはり上空からその様を見ていた霊体メイドは、いつもと変わらぬ穏やかな口調でマーベルを宥めた。
そう、精霊魔法『オキシガム』をかけられた者は、水中でも呼吸に困る事がない。すなわち、おぼれる事がないのだ。
それでもやはり気分の良いものではない。アルトは痛む四肢に表情を歪めつつも、成す術無く海底へと沈んだ。海中から臨む海面は、差し込む満月の光が波に揺れてとても美しかった。
『ロゴロア』の7回攻撃の後は、石人形のへな猪口パンチと、もう一人の人形少女エクレアによる『ヒーリングシャワー』と続く。
第1ラウンド、それなりにダメージを蓄積しつつも、被害と言えば『浮かし攻撃』によるアルト沈没のみであった。まずまずの滑り出しと言えるだろう。
続く第2ラウンドは現状を維持しつつ、『ロゴロア』へのダメージを蓄積する。とにかくコツコツやるしかない。切り札となるスキルもあらかた第一ラウンドで使った為、このラウンドはより地味な進行になったと言えるだろう。
結果としては、アスカの『毒』はモルトにより治療され、石人形はさらに2発の攻撃を受け破壊された。
そして明けて第3ラウンドが始まる。
「『アインヘリ…」
「ぶはぁ」
マーベルが第2ラウンドと同様の魔法を宣言しようとした矢先に、その言葉を遮るように海中から現れる者がいた。誰あろう、先のラウンドで海底へ沈んだアルトである。
彼は数本の長い昆布を身体に纏わせつつ、船から降ろされた碇を伝って戻ったのだ。
「ぜはー、死ぬかと思った」
「おー、アっくん無事だったにゃ」
甲板を海水でびたびたにしながら、アルトは四つ這いで息を切らす。水中呼吸魔法『オキシガム』のおかげで窒息こそしないが、それでも全身運動の末の、心拍数上昇が押えられるわけではないのだ。
「アルトさん、急いで復帰すればこのラウンドから前衛に出られますよ」
「石人形君おらんから、今、前衛2枚や。頼むでアル君」
「お、おう」
だが生還をかみ締め一休みするような余裕はなかった。息も絶え絶えながら、アルトは右手に下げた『胴田貫』の水気を拭いつつ、フラフラの駆け足で前線へと向かった。敵の眼前に立ってしまえば身体は動き出すのが『傭兵』だ。なら疲れなど関係ない。
「気を取り直して『アインヘリアル』にゃ」
「承認します」
アルトの戦線復帰を目で確認し、マーベルは中断していた言葉を再び掲げる。
彼女に従う勇気の精霊は、すぐさま仲間を鼓舞する黄金の燐粉を、甲板上に撒き散らした。
アルメニカが歌い続ける『トロレンスグルーヴ』と相まって、戦闘中の船上には、先の敗戦の残照は少しも無いように見えた。
続く頭上を舞うリノアがモルトに『オキシガム』を使い、前衛3人は全て水中での呼吸が可能となる。これで『浮かし攻撃』対策完成。『毒』や『麻痺』などへの抵抗力上昇と合せ、対『ロゴロア』戦の為に練った布陣だ。
「これで打ち止めよ。行け『シンプルパペット』」
マクラン家の令嬢にして『魔術師』のマリオンが、再び魔法の石を前線に送り込む。石人形Bの登場だ。
だが彼女の言の通り、魔法付加済みの小石はすでにこれが最後であり、また彼女のMPも枯渇した。
マリオンはすでに『マギライト』『ファイアアームズ』『シンプルパペット』、そして第2ラウンドにはモルトへの『エナジーアームズ』も使用しているのだ。ここまでで最も活躍した人物と言えるかもしれない。
だがその最後の石人形Bは、アスカ、モルトの連続攻撃を経た後の、振り上げられたドス黒い恐怖の触腕により、一瞬にして海の藻屑と消えた。
一進一退という言葉がしっくり来るように感じられた。
的が大きいせいもあり、前衛たちの攻撃は難も無く当たるのだが、叩き出されるダメージはどれも微々たる物だったし、『ロゴロア』の攻撃も、前衛人数の多さでよく分散されており、ダメージの度にエクレアの『ヒーリングシャワー』で回復する。
このまま戦線を長期戦に保つ事が可能ならば、勝利はアルトたちの頭上へと輝くことになるだろう。
だが、消耗は確実に彼らの死を手繰り寄せつつあった。
「『マナチャージ』するわ」
第4ラウンドも中盤。味方による微々たる攻撃の合間を縫い、金髪の魔法少女が両手を広げて空を仰ぐ。すると彼女の周りに謎めいた光の粒子が可視化され、渦巻くように吸い込まれた。
枯渇したMPを回復する、『魔術師』のスキルだ。『マナチャージ』は、彼女のランクに従い、少しだけMPを回復させる。
そして彼女に続く敏捷を持つアルトに手番が回る。『浮かし攻撃』により沈没したアルトは、第4ラウンドにしてやっと二度目の攻撃参加だ。
アルトは纏わりついた長い昆布を引きちぎり、愛刀を構える。
「『ツバメ返し』と行きたいところだけど、まだRRが明けてねえ。ここは『木の葉打ち』で行くぜ」
「承認します」
甲板に『胴田貫』の切先を擦るが如き下段構えで、アルトは駆け出す。目標は装甲帆船の舳先のその先、海上にたゆたう忌まわしき黒い触腕群だ。
「かかれ!」
八艘を飛び越す勢いで舳先を踏み切り、アルトは祈る気持ちで『胴田貫』を逆手にして振り上げた。使い続けた『木の葉打ち』はとうにランク3、成功すれば3ラウンド間、触腕1本を『麻痺』に縛る事ができるのだ。
アルトの刀が真っ直ぐに天から触腕を突く。瞬間、炎を巻いた『胴田貫』を中心に稲妻が迸り、その青き光の疾走は瞬く間に件の触腕を『麻痺』の茨で戒めた。
「お、やったでアル君、成功や」
これでしばらくの間、触腕攻撃は6回に減る。すでに石人形を望めない3トップとなった彼らにとって、これは生き延びる確率の上昇といえるだろう。
だが、次の瞬間、不運にもそのうちの5本が、ある一身に降り注いだ。
不運の矛先は、白い法衣の乙女モルトだった。
「あわわ、『ディスターブショット』発射デス!」
クーヘンの阻害弾が、触腕の1本を跳ね上げる。だがそれでも4本が猛然とモルトへ襲い掛かった。
いくら満月効果で弱体化しているとは言え、さすがに4連撃を全て被れば、戦士系の高いHPでも尽きるだろう。
「あかん、みんな後は頼むで」
モルトは回避に思いを馳せつつも、死を覚悟した。
白い法衣を押さえつける『胸部鎧』へと真っ先に到達した黒い触腕が、乙女の脇腹を抉るように串刺す。
「ひぐっ」
いつも暢気な物言いのモルトにしては、聞き慣れぬ悲痛な叫びが上がる。だがまだ非運は続く。脇腹を抉る触腕から流れ込んだ暗黒の気配が、彼女の耳を閉ざしたのだ。ステータス異常『耳ろう(デフネス)』である。
最初の一撃が『耳ろう(デフネス)』をもたらしたのは、モルトにとって不幸中の幸いだったのかもしれない。なぜなら五感から這いよる恐怖が、一つ減ったからだ。
仲間の叫び、波を叩く黒き魔物の音、全てが消えた空白の音の中で、モルトは続いて迫る触腕群をスローモーションの様に感じて眺めた。
次の触腕がモルトを『浮かし攻撃』で跳ね上げる。もうモルトからは悲鳴も上がらない。そして3番目の触腕が、宙に舞ったモルトの身体を叩き落す様に、上から襲った。
水柱を上げて海面へ激突したモルトの力なき肢体は、最後の触腕から逃げる様に、海底へと向かって沈降する。
「モル姐さんが沈むにゃ!」
マーベルの叫びも空しく、白い乙女の姿は暗い波間にすぐさま消えていった。
「い、生きてるよな」
今回は攻撃を浴びなかったアルトが、黒い海面に震える視線を這わせる。だがそこはすでに何も無かったかのような、いつもの静かな波間が見えるだけだった。
「わかりません。探知範囲を超えました」
全能ではない元GMの声が、モルトの身を案じる仲間たちの耳に、暗い影を染み込ませるのだった。
今すぐにでも仲間の安否を確かめに飛び込みたい。
アルトもマーベルも、同様に思いつめたが、それでも今持ち場を離れるわけには行かない。この列を放り出す事は、完全な戦線崩壊、すなわち全滅を意味するとも言えた。
「『アインヘリアル』にゃー!」
「承認です」
マーベルには珍しいヤケクソ気味の宣言に、使役されたミツバチがさらに色濃く、黄金の燐粉を撒き散らす。月明りに照らされキラキラと瞬く黄金の粒子は、挫けそうになるアルトの心を支える糧となる。
「リノア、あんたの出番だし」
さらに皆の支えの一柱たるリズムを刻む古エルフの少女が、そのハイテンポな歌の合間に自らの使用人を仰ぎ見る。それは宙を舞う霊体メイドだ。
呼ばれたリノアはすぐさま主人の思惑を察すると、フワフワとした滞空から一転して海面へ急降下する。
「モルトさんの捜索は私に任せてください」
実体を持たぬエルフメイドは、そういい残すと音も無く海面へ消えた。すでに『オキシガム』という役割も負え、また溺れる事もない彼女は、この任務に最適な人物と言えるだろう。
ならば自分たちも役割を果たすだけだ。モルトの安否を気にかけずにいられない高校生コンビは、無理にでも不安を振り払い前を向く。
そこには月明かりに照らされた夜の海面からそびえ出る、暗黒の大蛸が憎しみを湛えた瞳で彼らを見下ろしていた。
「この辺で成果を出さないともうジリ貧よ」
第5ラウンドが始まると、流れ出る冷や汗に寒気さえ覚え始めたマリオンが叫んだ。
この場で踏みとどまる誰もがわかっている事だが、それでも声に出されるとより一層身が引き締まる。
「わかっている」
重々しい調子で、『両刃の長剣』を振るい終えたアスカが応える。
支援魔法を撃ち続けるねこ耳童女、回復魔法を使い続ける純白の人形少女、彼女たちのMPも近く枯渇するだろうことは想像に難くない。ラウンドを重ねるごとに苦しくなる台所事情だが、その割りに『ロゴロア』はまだまだ健在だ。
今回も僅かばかりのダメージを与えたはずだが、果たしてどれだけヤツを、冥府へ近づけることが出来たのだろう。
時間にしてたったの50秒。だが苦戦を強いられつつある彼女達にとって、それはあまりにも長い50秒だ。この戦いを観戦する野次馬どもの表情も、遠巻きながら不安に包まれるのがわかる。
「とにかく、私はこれが本当に最後の一撃よ。『魔法強化』『ライトニング』!」
鋭く振りかざしたマリオンの『短杖』が、真っ直ぐに『ロゴロア』の眉間を指し示す。瞬間、闇を照らす月や『マギライト』を凌ぐほどの眩い閃光が迸った。
いつか、まだアルトたちがこの世界に来たばかりの頃、彼らを貫いた3レベル最強の攻撃魔法『ライトニング』だ。しかも『魔術師』のスキル『魔法強化』との合せ技で、その真っ直ぐ伸びる青白い閃光は、かつて見たものの3倍は太い。
『魔術師』のスキル『魔法強化』はその名の通り、緒元魔法の威力を増大させるスキルだ。
攻撃魔法と併せて使用すればそのダメージは倍加し、支援魔法でも効果が増加する。『魔法変化』と同様、『魔術師』はぜひ取得したいスキルである。
「いっけー!」
暴れる魔法の圧力を抑えるように『短杖』を両手で持つ、叫ぶマリオンの声を聞き届けたか、『ライトニング』の閃光は『ロゴロア』の本体中央を貫き、そして光を失う。
「ギシャァァァ」
これまでの『ロゴロア』の、どの悲鳴より恐ろしく、そして大きな叫びが周辺海域に響き渡り、聞く者達の鼓膜を激しく苛んだ。
さすがマリオン最大の攻撃魔法だけはあり、ライトニングはかなりのダメージを叩き出した様だった。ともすればこれまで積み重ねた剣撃を凌駕するかもしれない。それ程の悲鳴であった。
だがそれでもまだ『ロゴロア』は怯まない。この巨体だ。おそらくHPの損傷は、まだ撤退を考えるほどではないのだろう。
「この勢いを殺しちゃダメにゃ」
もう恐ろしいなどと言っている場合ではない、とマーベルが仲間を鼓舞するように叫んだ。
先のマリオンの言葉通り、ここで流れを取り戻さないと、後はもう落ちるだけなのだ。アルトはチラつき始めた死の影を振り払い、勇気の精霊からの祝福に身を委ねる。
やってやる。ただでは死なぬ。縮込みかけたアルトの心臓は、勢いよく血流を全身に流し始める。
「承知。GM、『ツバメ返し』だ」
「承認します」
緊張した身体がほぐれる様に意識を込め、いつもよりゆっくりと『胴田貫』を立てる。日本刀にしては反りが浅く身幅が太い、鉈などと揶揄される事もある剛刀を、八相に構えたのだ。
「チエェェェェ!」
知らぬ者が聞けば、まるで気が狂ったかのような『猿叫』と呼ばれる、サムライ独特の掛け声と共にアルトは甲板を疾走し、そして舳先から跳躍する。狙うは暗黒を垂らしたような墨色の触腕だ。
狙われた触腕に気付き『ロゴロア』が僅かに揺れる。回避行動だが、気合で五感冴え渡るアルトには通用しない。鋭い横視線で動きを捉え、逃げる触腕を蹴るようにして、彼はさらに跳躍を果たした。
「くらえ『ツバメ返し』」
重力を味方にしたアルトが『胴田貫』を振り下ろす。切先が最高速を叩き出し、眼前に現れた黒く長い触腕の付け根近くを袈裟懸けに斬りつける。
「キシャァ」
苦痛に軽く悲鳴を上げる『ロゴロア』だが、アルトの剣はまだ止まらない。触腕の径の約半分を斬り裂いた『胴田貫』は、その鈍重そうな刀身を軽々と翻し、そして逆さから跳ね上がるのだ。
「ギ!」
悲鳴に悲鳴を重ねたせいか、禍々しいその声が詰まる。アルトの『ツバメ返し』が、宙を転進したその先で、黒い悪夢を本体から切り離したのだ。
アルトは油断無く、残った触腕を渡り舳先へ戻る。そして残心。宙を舞った黒く巨大な蔦の様な触腕は、彼の右視界の端で海面へと落ちた。
『ツバメ返し』連撃、そしてクリティカルヒットだ。
「よしっ」
黒髪のアスカは短く、そして力強く頷いた。
『木の葉打ち』による麻痺中の触腕と合せ、これで3本が行動不能。確かに味方もジリ貧かもしれないが、『ロゴロア』だってもう余裕が無いはずだ。まだ勝ち筋が消えたわけではない。
だがその強がりにも似た喜びは、次の瞬間に文字通り水を差される。襲い来る触腕が彼女の足元を掬い、そしてアスカは船上から叩き落されたのだ。
第5ラウンドの終わり。前衛にはアルトだけが残り、癒しの手の二つ名を持つエクレアのMPはついに枯渇した。
『ロゴロア』の真っ黒い瞳の闘志は、未だ衰えを見せていなかった。




