12対策会議
行きの倍近い時間をかけ、ドワーフの石像を3人がかりでえっちらおっちらと、『商業地区』は『ハリーさんの工房』に運び込んだのは、もう日も落ちた夕飯時であった。
「ハリーさん、『エリクシル服用液』一本つけとくれぃ」
ドアを開けるなり、白い法衣のモルトは早速言い放つ。まるで行きつけの飲み屋へ入る様な気楽な調子だ。
だが奥の怪しい大鍋をかき混ぜていたハリエットの返事は無情なものだった。
「売り切れダヨ」
副作用の懸念があるとはいえ、『エリクシル服用液』の存在があったからこそ安心していられた一同は、一斉に顔全体を冷や汗で埋めた。その薬が無いと、レッドグースは石像としてこの港街の観光名所になってしまうではないか。
「え、売り切れってなんで」
「次の入荷はいつにゃ」
事実を受け入れられないアルトと、現実的に先を求めるマーベル、それぞれの性格が良く表された質問が一斉に飛び出る。ハリエットは困った顔で、ずり下がった眼鏡をくいっと上げた。
「ナンデっと言われても、セールしてたからネ、飛ぶように売れたヨ。売り切れたカラ、セールはお仕舞い。入荷は原材料次第カナ。」
言われてみれば、とアルトは目を瞑る。この脅威の万能薬はセール期間で1千銀貨と言う破格値で販売されていたのだ。もっともアルトはその1千銀貨でもツケ状態なのだが。
「ほんで、その原材料入荷はいつやの。またウチらで採ってこよか?」
急ぐならそれも仕方の無い事とはいえ、アルトはその姉貴分の言葉に眉をしかめる。
そもそもハリエットに作ってもらうアイテム材料を採取に出かけ、そこで『石化』したのだが、その『石化』の治療に彼女の薬が必要と言う。なにやらマッチポンプな流れだ。これでは借金が膨れ上がるばかりではないか。
しかもその薬の材料をまた探さなければならないとなれば、非常に出来の悪いおつかいゲームをやっている気分である。
「それはもう『金糸雀亭』に依頼出してあるカラ、数日中カナ」
「つまりティラミスはまだ出られないでありますな。トホホであります」
「おお帽子が喋っタ。これ割ってみてイイカ?」
石化レッドグースの、石化ベレー帽に閉じ込められた小人は嘆き、その様子に興味津々な『錬金術師』だった。
とにかく、つまり数日はこのままと言うことになる。現在、黒蛸の怪物『ロゴロア』とのリベンジマッチに向けて情報収集中のアスカには、決戦日を待ってもらう必要があるだろう。
「ほんで、セール終わったら『エリクシル服用液』はなんぼなん?」
セールと言うからには安かった訳で、入荷後に分けてもらうには正札で購入しなければならない。果たしてこの奇跡の万能薬のお値段やいかに。
「1万銀貨ダヨ」
「9割引だったのかよ」
「どんな在庫処分にゃ」
セール価格とのあまりの格差に、高校生凸凹コンビは思わず声を上げた。そんな批難にも似た若い2人の叫びに、ハリエットは悪人面を晒して不敵に笑う。
「くっくっく、薬の効果を味わってしまったラ、もうこの薬無しにはいられまいテ。正札でも皆、喜んで買うネ」
「く、黒いでハリーさん」
「ま、効果を考えれば、1万銀貨でも激安ですけどね」
演技じみたハリエットの台詞に、ノリの良いモルトが言葉を重ねる。だが薄茶色の宝珠のツッコみに、ハリエットはいつもの笑顔で不思議そうに首を傾げた。
良い人なのか悪い人なのか、良くわからない異世界の『錬金術師』であった。
治療が後回し確定となった酒樽紳士の石像はさて置き、話は当初の目的へと移る。
マクラン家の家出娘にして、アスカの冒険者仲間の『魔術師』。『石英の護符』によるエラーを抱えて昏睡を続けるマリオンの事だ。
アルトたちはマクラン卿の依頼により、マリオンを無事に連れ帰らなくてはならない。だがその要保護対象が昏睡状態ではミッション失敗になりかねない。とにかく目覚めてもらわなければ困るのだ。
今回の探索行は、その為のアイテム採取が目的だった。
「ねぇ、そんな事よりお菓子まだー?」
「お菓子も重要ですが、お嬢様、今晩の宿はどうしましょう」
それにしては大きな厄介を背負い込んだ気がするアルトだった。
アルトたちの後に続いて入店していたが、事の成り行きを黙って見ていた古エルフはエルミア族のお嬢様アルメニカと、その従者であるメイドエルフにして幽霊のリノアだ。
アルメニカはすでに飽きたらしく、勝手に店の診療台に寝転がってお腹をかいていた。服は未だに寝巻きにしていた長いシャツなので、全然お嬢様らしくない。
「うちはお菓子屋じゃないケド、チーズケーキならあるヨ」
無礼な子供にしか見えないアルメニカだったが、ハリエットは気にした風でもなく、いつもの営業スマイルで皿に乗ったカットケーキとお茶を用意する。躾のなっていない小学生並みの古エルフ族の少女も、この嬉しい不意打ちに大いに瞳を輝かせた。
「お嬢様、すごく美味しそうです」
幽霊の身なので食べる事は叶わないが、メイドのリノアもそわそわする。
さあいざ尋常にいただきます、とばかりにフォークを振り上げたアルメニカは、思い出したようにその手を止めた。
「あ、そうそう、お代はその人間が払うし」
ここでハリエット以外の『人間』はアルトだけだった。お菓子食べ放題の約束もあるので、アルトは項垂れながらも財布を取り出すしかない。
「お茶とセットで12銀貨ネ」
「高いよっ」
どんどん中身が目減りして、あまりの財布の軽さに涙さえ浮かぶアルトだった。
古エルフ族のお嬢のせいでまた脱線したが、本題はマリオンの治療である。
彼女の内包するエラーを解消する為に、コンピュータで言う所の「システムの復元」を行おうと言う魂胆だ。
「で、必要なアイテムの材料が『妖精樹の葉っぱ』だったよな。誰か採ってきたんだよな?」
そう言えばアルト自身、採取する前に『閉じた妖精界』へと落とされたので持っていない。更に言えば『妖精樹』は、バジリスクの小山と共に吹っ飛んだので、もう採取も出来ない。もし誰も持っていなければ事は深刻になる。
だがその不安を払拭したのは見た目8歳児のねこ耳童女だった。彼女はポケットからクシャクシャになった1枚の葉を取り出した。
「アバ葉にゃ」
「ん、確かにアバ葉1枚、受領したヨ。調合は今からやるケド、完成は明日の朝ダネ。また明日来るといいヨ」
アバ葉という新造語に何か言いたかったが、いろいろ疲れ果てたアルトは黙って頷く事にして、仲間と共に『ハリーさんの工房』を辞した。
チーズケーキに大満足気味の、見た目就学児童のお嬢様とメイドエルフも後に続く。
「今晩からの、お嬢様の宿もよろしくお願いしますね、アルトさん」
更に軽くなる未来の財布に、ガックリと肩を落として夜道を行くアルトだった。
明くる日の朝、アスカたちと合流して早速『ハリーさんの工房』を訪れると、すでにマリオンが目を覚まし、朝食代わりのケーキセットを優雅にいただいてた。
「あらおはよう。何か面倒をかけたようね、お礼を言っておくわ」
「言っておくわ」と言うものの「ありがとう」と続かない場合、お礼を言った事になるのだろうか、とアルトは愚にも付かぬ事を考えながら曖昧に返事をした。なにせ彼女の死の直接原因はアルトの致命的失敗なのだ。
「ハリーさん、彼女はどれくらい巻き戻ってるんだ?」
金髪をシュリンプテイルにした『魔術師』の少女を直視できず、アルトはこっそりと訊ねる。事によっては致命的失敗の件でいろいろ謝らなくてはならない。が、彼女がそれを知りえないほど巻き戻っているなら知らん顔してしまえ、という魂胆である。
「死ぬ瞬間の、ほんの10秒前ダヨ」
10秒前、すなわち1ラウンドだ。それなら記憶はアルトが『ロゴロア』の触腕を斬り落とした辺りまでだろうか。アルトはこのままそ知らぬ顔でやり過ごす事に決めた。
だが彼の思惑の足をすぐさま引っ張る者がいた。白い法衣の『聖職者』である。
「ま、アル君の責任やけどね」
「その辺、後で詳しく」
恐ろしげに眼孔を光らせたマリオンの視線が、チリチリとアルトを焼いた。実際、敗走の原因の一つでもあるので、アルトはかなり引け目を感じている。
「待て待て、共闘中の致命的失敗だ。責任を問うべきじゃない」
だが仲間に売られたアルトを助けたのは、共同戦線中の戦乙女だった。やだこの人カッコいい、とアルトは乙女のような視線で彼女の言を歓迎した。
「さて、そちらはドワーフが戦線離脱か。たしか『吟遊詩人』だったっけ」
たしなめられて一応大人しくなったマリオンをさて置き、アスカは手近な丸椅子を引き寄せて腰掛ける。話を始めた所を見ると、ここにしばらく居座るつもりのようだ。
その様子を見て、退屈しのぎにと付いて来た、元引きこもり古エルフの少女も、マリオンの隣りに席を定める。
「あ、私もケーキセット頼むし」
「昨日と同じのしかないヨ」
またアルトの財布から数枚の銀貨が消えるのだった。
「がちょさんは数日中には復帰する予定にゃ。借金と共に」
『エリクシル服用液』が店に補充され次第、と言う話だ。
隊内では資金が潤沢な方であるレッドグースも、さすがに1万銀貨は持っていないので、借金確定の話なのだ。
だが、マーベルの言葉を聞き、アスカは眉根を寄せる。
「数日中か」
「なにかマズイのか?」
苦々しく呟く鈍色の『板金鎧』を着込んだ戦乙女の様子に、アルトは固唾を呑んで訊き返した。
アスカはしばし沈黙し、そして選び抜いたように言葉を紡いだ。
「まず、私の調査の結果から話そう」
そそくさとテーブルが設えられ、『ハリーさんの工房』は『ロゴロア対策会議室』へと変貌する。
「会場使用料は安くしとくヨ」
素早く机や椅子を運んだハリエットは、シメシメという表情で小さく呟いた。
「巨大蛸の怪物を調べて出てきたのは、その名もズバリ『ジャイアントオクトパス』。7レベルの怪物だ」
彼女自身『学者』ではないが、『魔術師ギルド』では有料で色々教えてもらえるそうだ。そこで得た情報が、アスカが話し始めた内容のようだった。
「触腕による8回攻撃が特徴で、この触腕はクリティカルヒットにより切り落とす事ができる。ただし傷を炎で焼かないと、また生えて来るそうだ。しかも運が悪いと増える」
つまり、『ツバメ返し』によるクリティカルヒットと、『ファイアアームズ』による追加効果。先日の戦いでアルトの剣撃は、偶然にも理にかなっていたようだ。
「増えるて。10本足のタコとか、ちょっとお得やな」
「子供の頃に水族館で、96本足蛸の標本見たことあるにゃ」
ツマミ気分でモルトは舌をなめずるが、すぐに出てきたマーベルの言葉にさすがにげんなりしたようだ。そこまで行くと食欲どころか吐き気を催しそうだった。
「だが、いくら文献を調べても『ロゴロア』の様な、特殊能力を持つ蛸の怪物は出てこなかった」
『ロゴロア』は触腕の攻撃に、特殊な追加効果が付随する。
先日の戦いの被害だけでも『石化』や『盲目状態』、『武装解除』などがあった。
「おそらく変異種、シナリオ限りのユニークな存在でしょうね」
アルメニカたちに釣られて、ケーキセットを食べ出すねこ耳童女の傍らに鎮座した、薄茶色の宝珠が口を挟む。アスカはその言に頷き、一同を見回した。
アスカたち4人、レッドグースを除くアルトたち3人、そしてハリエットに古エルフ族の少女と幽霊。いつの間にやら大所帯だ。
「弱点は、何か無いのか」
先日の大敗を、特に色濃く記憶に残すアルトが呻く様に言葉を吐き出す。
弱点も見つからないようでは、このまま再戦しても先は見えている。先日の戦いも、例の致命的失敗が無かった所で、勝てる見込みがあったのかどうか。
だが黒髪の戦乙女は静かに目を瞑り、自らの背に垂らせた頭巾から、まるで仔猫でも抱くかのように、人形サイズの少女を取り出した。茶系チェックの鹿追帽とインバネスコートを着た人形少女だ。
「クーヘンが、かの敵の弱点を見つけたデス。『探索の目』の二つ名は伊達じゃないのデス」
「で、その弱点は?」
クーヘンは鼻高々と言った表情でテーブル上に降り言い放つと、先を急ぐようにアルトが話しに食いついた。
「ヤツはだいたい1ヶ月に一晩、弱体化する日があるのです」
「マジか!」
「クーヘンの推理が正しければ、間違い無いのデス」
鹿追帽の少女は腰に手を当てて得意げに鼻を鳴らす。どやらいくつかの情報から、彼女が推測した結果のようだ。
「信用できるのか?」
「間違い無いのデス」
クーヘンの能力をまだ測りきれていないアルトは疑いの眼差しを向けるが、彼女はいかにも自信満々で繰り返した。
『ロゴロア』は太陽を嫌う。それがクーヘンが手に入れた情報だった。
南海よりやって来た『船乗り』の、真しやかな語りによれば、太陽を嫌うが故に『ロゴロア』は暗雲を呼び、そして昼でも暗い海上で行き交う船を襲うのだ。
「すなわち、ヤツを倒すのに最適なのは月の夜。しかも満月が相応しいのデス。月は太陽の鏡なのデース」
話を聞けばアルトも「なるほど」と頷いた。しかしそれでも疑問は残る。
「夜も雲、呼ぶんじゃないのか?」
しかしその質問も想定済みだったのか、クーヘンは演技じみた所作で、懐から小さな眼鏡とメモ帳を取り出す。得意げに眼鏡をかけるが、どうやら伊達眼鏡のようだ。
「『船員ギルド』で『ロゴロア』出現記録も調べたデス。夜に雲を呼んだ記録はなかったデスよ」
それで満月か。とアルトは今度こそ納得して大きく頷いた。
「ほんで、満月っていつなん?」
どちらにしろ決戦は決定事項なので、可能性があるなら試さない手は無い。そう考えたモルトが早速日程を詰めにかかる。
だがその回答は、重々しい表情を湛えた黒髪の戦乙女から返って来た。
「今晩、なんだ」
一同はここでやっと、アスカの渋い表情の物語る意味を知った。来月を待てば被害も増える。そうそう凶事を持ち越すわけにも行かないだろう。
すなわち、情報を信じる限り、決戦は今晩。レッドグースの参戦は間に合わない事が確定したわけだ。
その後も対策会議は続き、戦術を練り、出来る準備を整えるとお昼時だった。
「さて、これで一通りの準備は整った。後は決戦に向けて休んでくれ」
この合同部隊の暫定リーダーに就任したアスカが、集った面々に言う。ほとんどの顔は今晩、日暮れ後の出航へ意識を馳せ、真剣に頷いた。
「特訓が必要にゃ」
だが少数派であるお気楽組の急先鋒が立ち上がる。その勢いで腰掛けていた丸椅子は音をたてて回転した。
「特訓って何する気だよ。バトル漫画じゃあるまいし、そんなことしてもレベルは上がらないぞ」
そう、彼らがいるのは漫画の世界ではない、ゲームの世界だ。チートでもしない限り、都合よく強くはならないのだ。しかもアナログゲームなので、そもそもチートとかありえない。
「蛸に慣れる為の特訓にゃ。後は秘密なのにゃ」
だがマーベルは身体いっぱいで得意を表現している。そういえば、このねこ耳は意外に戦術家である。もしや本当にいい案があるのかもしれない。
とアルトが期待に言葉を待つも束の間だった。
「昼食を終えたら、みんにゃ、浜辺に集合にゃ。もちろん水着着用にゃ」
ようするに、空いた時間で遊びたいだけだったようだ。
さすがにアルトはそんな気分になれず、参加を辞退しようとガックリと落ちた頭を上げる。だが彼より早くその言葉を口にする者がいた。
「私は関係ないし。それより会議が終わったなら早くお菓子食べに連れてけし」
会議中も暇そうにチーズケーキを突いていた、古エルフ族の引きこもり姫だった。続いて人形サイズの少女たちも同意する。
「クーヘンもそっちの方がいいデス」
「エクレアもお茶会に参加しますわ」
「ズルイであります。ティラミスも行きたいであります」
自らもお菓子のような名前のクセに、人工知能搭載型ゴーレムの3人はお菓子が大好きだ。
「ほんなら、アル君が連れてたって。特訓はウチらで行くわ」
「やったにゃアっくん、また財布が軽くなるにょ」
唖然としているうちに、その様に決まってしまった。
アルトはやっと頭の回転が追いつき、急ぎ財布の中身をもう一度確認する。アルメニカたちのお菓子代を捻出したら、もう彼自身はしばらくリュックの中の保存食に頼るしかないだろう。
「水着って何よ。そんなの無いんだけど」
「私も行くのか?」
ブツブツと言いながらも、アスカやマリオンは先頭を歩くマーベルに続き、『ハリーさんの工房』には工房の主と、お菓子会派が残った。
アルトは恐る恐る、工房の主を振り返る。
「ハリーさんも、こっち?」
「うんにゃ、ハリーさんは仕事があるカラ今度にするネ」
今度なんかあってたまるか、とアルトはホッと胸を撫で下ろした。
港街ボーウェンの中央を南北に伸びる目抜き大通りに、『アップストン菓子店』と言う小洒落た店がある。『金糸雀亭』のおばちゃん店主に訊ねた所、街でもっとも評判が高いの菓子店だそうだ。
綺麗に整えられた、明るいその菓子店は、イートインコーナーも常設されており、自慢のケーキや焼き菓子と一緒にお茶を楽しむ事が可能である。
つまり、お茶会大好きな『人形姉妹』が気に入りそうな店、と言う事である。
「これは雰囲気の良いお店です。今度、ティラミスも誘って来なくてはね」
一目見て、アルトが予想した通りに気にった様で、純白のパフスリーブワンピースを纏ったエクレアはウットリと軒先を眺めた。
「後はお菓子とお茶の味次第デス。こう見えてもクーヘンは味にはうるさいデスよ」
なぜか得意げなインバネスコートの同姉妹が鼻を鳴らす。ちなみに2人は現在、それぞれアルトの肩の上に座って、脚をプラプラとさせていた。
「ええ、美味しいらしいですよ。そしてお高いらしいですよ」
少ない銀貨がまた減っていく確定的な未来に、すっかり心労で猫背になるアルトが呟くが、少女たちのはしゃぎ様に対するブレーキには、全然ならなかった。
ちなみに今、アルトの手にはランチバスケットが下げられている。お弁当が入っているわけではない。アスカから預かった、『人形姉妹』用の茶器やマットが入っているのだ。
「私は雰囲気とかどうでもいいし。むしろベッドで寝転がって食べたい」
最後尾で幽霊メイドを引き連れたアルメニカが、ダメ人間の様な事を呟く。というか元引きこもりなので、割とダメ古エルフだ。
入店してステイを告げると、装飾の多いエプロンドレスを着た若い女性店員に席を案内される。
テーブル数は3つ程度の小さな店内だが、観葉植物やかわいい小物で彩られ、小汚い『鎖帷子』という姿のアルトには大変居心地が悪かった。
そうでなくても、いかにも『女子の為のお店』然としているので、帰りたい気分は加速した。昼食時で客がアルトたちだけだったのが救いと言える。
「メニューをどうぞ」
「あ、どうも」
店員に品書きの木板を渡される。これもまた綺麗に装飾されていて、アルトはついつい身を縮ませて恐縮したので、店員にクスリと笑われた。
とにかく値段の確認だ、と品書きに目を馳せる。
やはりお高い。ハリエットの所で奢らされたチーズケーキより、さらに数割増しした値段が羅列していた。
メニュー表には値段だけではなく、10種類ほどの菓子の名前とセット内容が並んでいる。アルトにはどれも馴染みが無いが、ショウケースを見る限りでは、元の世界と遜色が無いように見えた。洋菓子の歴史などは詳しくないが、たぶん、中世ヨーロッパ時代のメニューではないだろう。
ちなみに当たり前だがどれも洋菓子だった。
「どら焼き下さい」
せめてもの反抗までにアルトは呟いてみたが、当然ながら不思議そうな表情で首を傾げられるだけだった。
ブラウニー、マドレーヌ、フルーツタルトと共にクッキーの盛り合わせを、お茶と共にいただく。どれもカットケーキに比べれば小振りだが、14センチメートルという小人姉妹からすれば、異常な大きさに見えた。なんともメルヘンな光景だ。
テーブルの隅に広げられた、『人形姉妹』のお茶会セットとその光景を合わせて見て、店員は暖かい微笑をもらし、「ごゆっくりどうぞ」と言い残し去って行く。
やはり人工知能搭載型ゴーレムに驚かないので、アスカと共に彼女たちはこの界隈の有名人なのかもしれない。
ちなみにアルトは当然お茶だけだ。最初は「お冷お願いします」と言おうと思ったが、どうやら水も有料だった。ならお茶でいいか、と注文した結果だ。
当然、男子高校生らしくお茶にも詳しくないアルトだが、このお茶はなかなか好きになれそうだ、と給仕されたカップに口をつける。ほのかにリンゴの香りがする。
お茶で心を落ち着けつつ、嬉しそうにお菓子へフォークを伸ばす大小の少女たちに目を向ける。いや大と言ってもアルメニカは8歳児並みなので、そう言う意味では小さい。
とにかく彼女たちは幸せそうだ。
アルトには妹がいる。この世界のアルトではなく、元の世界の話だ。
仲は良くも悪くも無いが、確かに小学生時代はこんな感じで幸せそうな顔をよく見たっけ、と少しだけ懐かしんだ。
今はもう中学生で思春期真っ盛りなのか、あまり家族の前ではしゃがなくなった。もちろん自分も同じなので文句の出ようも無い。
いやそれよりも、と少女たちの姦しい世間話を聞き流しながらお茶をすする。今、最重要なのは財布や女子の幸せについてではない。今晩に控えた再戦についてだ。生き残らなければ、どれもこれも無駄なのだ。
戦術も事前対策もある程度は練った。だがその戦列にレッドグースが加われない事が、果たしてどれだけ影響するか。それがアルトの不安の一つだった。
普段はただの変なおっさんだが、長期戦やイザと言う時、彼の『吟遊詩人』としての技能が役に立つ事がある。『呪歌』と呼ばれる魔法の楽曲だ。
先日の敗戦時も、レッドグースの呪歌『ノスタルジックバラード』があったからこそ、無事に逃げおおせる事が出来た。
今晩の戦いでも最後の局面で、彼がいない事が凶とならなければ良いのだが。
「何か困り事でもあるのですか?」
ふとアルトの思案に割って入る声がして我に返った。声の主はアルメニカのお世話係である、幽霊メイドのリノアだ。
「いやたくさんありますよ。なにせ最低7レベルの怪物が相手だ」
その最低値である7レベルの、普通のジャイアントオクトパスならたいした問題ではないだろう。なにせ対するこちらは2隊合同の戦力だ。
だが相手は変異種『ロゴロア』だ。レベルすら判らない、恐ろしい標的だ。戦列に加わるメンバーは多いに越した事はないだろう。やはりレッドグースの離脱は痛恨のように思えた。
テーブルを見渡す。いつの間にか少女たちは追加のお菓子をいくつか注文していた。
おいおいちょっと待てよ、とアルトは冷や汗を垂らす。
『人形姉妹』2人は戦力なのでまだいい。これでさらに奮起してくれるなら、安くは無いが必要経費と諦めよう。
だがこの古エルフ族のニートはどうしたものか、とんだお荷物だ。
などと考えているうちに、アルメニカはさらに注文に注文を重ねた。
く、駄目だこいつ、早く何とかしないと。
その時だ、アルトの脳裏に神託が舞い降りた。まるで裸電球が瞬くように、アルトはその名案に拳と掌を叩き合せた。
この案が通るなら、戦力の増強と未来の財布、両方が助かるかもしれない。
「そういえば、アルメニカ。君は何が出来るんだ?」
アルトはさっきとは打って変わった、出来る限りの優しい笑顔で古エルフ族のお嬢様に問いかけるのだった。
ちなみに浜辺サイドの話をする時間がなくなったのでダイジェストでお送りしよう。
「市場で買ってきたタコにゃ。これで今の内に慣れておくにゃ」
「生、ちゅーか、生きとるんかい。うわやめろなにをする触手が」
「学術的には触腕って呼ぶにゃ」
「で、私は何をすれば良い訳?」
「…火でもおこすか」
かくして、決戦の夜がやって来た。




