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ぼくらのTRPG生活  作者: K島あるふ
#03_ぼくらの新生活

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40/208

10ひきこもりエルフ

 アルトは春のような生暖かい陽気の中に横たわっていた。

 今、季節は初夏のはずなのに、少し汗ばむいつもの暑さは無く、まさしく心地良い気温と言えた。

 まだ目を開けるに及んでいないアルトは、身動ぎをしながら徐々に目覚めへと向かう意識で、周囲の匂いを嗅ぎ取る。

 草と土の香りがする。しかし風が全く無いので、空気はまるで室内の様に軽く澱んでいた。そして、とても静かだった。

 そこは草原か何かの様だったが、どこからも小鳥や小動物の気配を感じなかった。

 アルトはゆっくりと目を開ける。仰向けに寝転がったアルトの視界には、薄桃色にぼやけた景色が飛び込んできた。

「何だここ。あ、トカゲはどこ行った?」

 急速に覚醒した脳で半身を起こし周囲を見回す。

 そこはあまり起伏の無い、薄紫の小花が咲いた草原で、空も遥か向こうの景色も、やはり薄桃色にぼやけてよく判らなかった。

 他に象徴的といえば、少し離れた所に2階建ての白い屋敷が立っている。

 だがやはり薄桃色の靄が濃く、はっきりとは見えなかった。

「えーと、あれ。何だここ」

 こんな困惑はこの世界に来た時以来だ、と少しだけ懐かしく感じる。さてあの時はまず何をしたっけ、そうだ、自分の持ち物検査だ。

 過去に倣いふと自分の身辺を見回して、アルトは驚いた。

「え、なんで?」

 着込んでいた『鎖帷子(チェインメイル)』も、唯一の武器となった『胴田貫』も、アルトの身体からすっかり消え失せていた。彼は鎧のアンダーウエアである簡素なシャツとズボン、そして持ち物をまとめて入れたナップサックだけの姿だった。

「いたっ」

「むにゅう」

 疑問符の洪水からアルトが未だ回復しないうちに、彼の背後で声と、何かぶつかる様な音が上がる。振り向けば、どこかから落ちて来たような姿勢で地面に突っ伏す、ねこ耳童女と白い法衣の乙女がいた。

「マーベル、モルトさん」

 突然の仲間の登場に、アルトはすかさず彼女たちに駆け寄る。寄ってよく見れば、やはりモルトの『胸部鎧(キュイラス)』と『鎧刺し(エストック)』が、すっかり消え去っている。だがなぜかマーベルの『なめし革の鎧(ソフトレザーアーマー)』はいつものままだった。

「2人ともどうしてここに?」

 自分がどうしてここにいるのか解らないアルトだったが、おそらく『妖精樹(アヴァロンアバル)』が関係する事だけはなんとなくわかる。なにせ、ここで目覚める直前の記憶は『妖精樹(アヴァロンアバル)』に触れた記憶なのだ。

 だがこの2人は小山の麓で待っていたはずだ。

「急にアル君が消えたから、心配で見に行ったんや。そしたらここに」

「あそこから落ちたにゃ」

 少しバツが悪そうに頬をかきながらモルトが言う。心配なら一人で行かすな、とアルトなどは半眼で彼女を見つめ、そしてマーベルの指し示した天を仰ぐ。

 薄桃色の霞の向こうの天頂に、大きな樹の根っこのようなものが見えた。

「何あれ」

「たぶん『妖精樹(アヴァロンアバル)』にゃ」

 するとここはあの山の内部か。あの山は空洞だったのか。と、そういえば一人足りない事にアルトは気付く。

「おっさんは? つか、よくトカゲだらけの樹に近づけたな」

 あの頂上での最後の記憶によれば、彼が樹に触れる時、すでに目前まで、例のトカゲが迫っていたはずだ。ざっと見ても5匹以上はいた。

 そのアルトの問いに、女性陣2名は、あらぬ方を向く。

「がちょさんは犠牲になったのにゃ」

 さて、手っ取り早く、彼女たちの話をダイジェストでお伝えしよう。


「ここはワタクシが囮になりましょう。聴け我が調べ『キャプティブラウダ』!」

「ああ、がちょさんにトカゲが群がっていくにゃ」

「ベルにゃん、行くで今の内や」

「がっちょさーん!」


「と言う訳にゃ」

「え、おっさん死んじゃったの?」

「いや、仕舞いに『石化(ペトリファイ)』すんのが見えたから、一応無事やろ」

 どうやら『ロゴロア』戦のアルトと同様、『石化(ペトリファイ)』に命を救われたらしい。

 生存の報にホッとしながらも、同じ薬(エリクシル服用液)の餌食になるしかなくなった酒樽紳士に同情を禁じえないアルトだった。

「まー、あの薬(エリクシル服用液)を2本も使用したアルトさんが無事ですから、大丈夫ですよ。たぶん」

 と、これはマーベルと共に落ちて来た薄茶色の宝珠(オーブ)の言。

「さてここは何やろね?」

 ひとまずここまでの経緯について共通理解できた所で、今度はこの場所の事に話は移行する。モルトもまた、アルト同様に見回し、首を傾げた。

 山の内部なのはわかったが、だからいったい何なのだろう。

「うーん、精霊、いや妖精界のようですが。あれ?」

 マーベルのウエストポーチに鎮座する薄茶色の宝珠(オーブ)が、割と重大な事をさらっと言って、自分で驚く。

「抵触しない、なんて」

 メリクルリングRPGのルールに縛られた世界。そこでは元GMの彼は、PCプレイヤーキャラクターに対し、安易に情報公開できない事になっている。これを「ルールに抵触した事項」として、通称『抵触事項』と呼んでいた。

 先程呟いた「ここが妖精界である」と言う発言も、本来なら抵触事項だ。だが、発言は削除される事なく、声としてアルトたちの耳に届いた。

「妖精界? 抵触しないって、なんでやろ」

「解りません。もしかするとここはただの妖精界では無いかも知れません」

 『妖精樹(アヴァロンアバル)』に触れた事で妖精界へ飛ばされた。これだけならファンタジーではよくある事、で済ます事ができるだろう。だが、世界の法則が適用されていないと言うのは何ともおかしな話だ。異界とはいえ、妖精界も同じ世界の範囲内のはずなのだ。

 ちなみに同様に元GMの談だが『鎖帷子(チェインメイル)』などの金属物が消えているのは、それらが妖精界に存在しない物だからだと言う。仕組みはわからないが、元の物質界へ戻れば姿を現すらしい

「『オーラスキャン』するにゃ」

「承認します」

 唐突にマーベルが声をあげ、そのねこの瞳を光らせる。『オーラスキャン』は『精霊使い(シャーマン)』のスキルで、周囲に働く精霊力を確認する事が出来る。

「『オーラスキャン』完了にゃ。なんだかおかしいにゃ」

「何が?」

 アルトは答えの先を急かす。

風の精霊(シルフ)が全然いないにゃ。変わりに土の精霊(ノーム)だらけにゃ」

「それは、確かに変やね」

 妖精界は物質界と精霊界を繋ぐ世界だ。なので通常、妖精界であれば風の精霊(シルフ)どころか、あらゆる精霊が散見できるはずである。

「隔絶された、歪んだ妖精界、と言う事でしょうか」

「ちょっと訊いてみるにゃ。『スピリチュアル』使うにゃ」

「承認します」




 『精霊使い(シャーマン)』は普段からあらゆる精霊を使役するが、メンタリティの全く違う彼らとは、本義的にコミュニケーションが取れているわけではない。住む世界も常識も違うからだ。

 その思考回路からして違う精霊たちと対話し、情報を引き出すためのスキル、それが『スピリチュアル』である。




土の精霊(ノーム)さん、ここは何かにゃ?」

 マーベルが屈んで大地に語りかける。アルトから見れば、ミミズを見つけた小学生が、興味津々に覗き込んでいるようにしか見えない。

 などと考えて遠巻きにしていたら、彼女の眼前の土が少し盛り上がり、黄色いヘルメットを被ったモグラがひょっこりと顔を出した。どうやら彼が土の精霊ノームらしい。

「ここかい、ここは大変気持ちのいい所さ」

 土の精霊(ノーム)が『精霊使い(シャーマン)』にだけわかる言葉で微笑みかける。だがマーベルは眉をしかめて声を荒げた。

「そんな事はどうでもいいにゃ。いったいここは何なんにゃ」

「土がね、よく肥えてるよ。風の精霊(シルフ)に盗まれないしね」

 やはり文化が違う。違いすぎる。全く話が通じない。仕方なくマーベルは質問を変えてみる事にする。

「ここはいつからあるにゃ?」

「ついこの間からだよ。ずーっと遥か、最近さ」

「意味わからんにゃ」

 マーベルは対話を断念した。しょせんランク1(ビギナー)程度のスキルでは、こんなものなのだろうか。

「なーベルにゃん、それはそうと、あの井戸の所、見てもらえん?」

 結局、有益な情報は得られず憮然としてねこ耳を垂らすマーベルを、まだ周囲を見回していたモルトが呼ぶ。その目は糸の様に細められ、なんとか濃い靄の向こうを見通そうとしていた。言われてみれば、何か動くものが見える気がする。

「まさか、あのトカゲか」

「あのトカゲの名称はバジリスクですね。6レベル魔獣、『石化(ペトリファイ)』と『(ポイズン)』を持っています。」

 アルトがすかさず腰の物を探して、今、消えている事を思い出し、元GMは抵触しない事をいいことに、情報を早口に撒き散らした。

 だが、もっとも遠目の利くマーベルが、彼らの発言を否定する。

「違うにゃ、あれは、人にゃ」



 近付いてみればそれは確かに人だった。屋敷の脇にある井戸で、しきりに水汲み桶のツルを引っ張っている。

「何してんだ?」

 疑問符を撒き散らしながら、さらに近付いてアルトはギョッとした。

 それは正確には人間ではなく、尖った耳を持つ森の種族エルフだった。そして彼が何より驚いたのは、彼女が着込んでいるシックなエプロンドレスのフレアスカートから、脚が全く出ていなかったからだ。

 スカートが長すぎて、と言う意味ではない。本来脚があるはずの所ががらんどうで、スカートの裾を底辺として浮遊しているのだ。また引っ張っていると思ってたツルは、どうやら彼女の手をすり抜けているようだった。

「ゴーストですね。いわゆる幽霊、不死の怪物(アンデット)です。生前習得した魔法を使えます。物理攻撃が効かないのと、憑依攻撃が特徴ですよ」

 またもや抵触しない事をいいことにベラベラと情報を喋り倒す。いつも抵触事項で言いたい事言えないストレスが溜まっているのかも知れない。

 そのメイド姿の幽霊エルフは、近付いて来た冒険者たちに遅まきながらに気付くと、仕事の手を止めてハッと顔を上げた。

「あらあら、お客様なんて何年振りかしら。すぐお茶にしますから…ああ、水が汲めないわ。困ったわ」

 彼女はそれだけ言うと、再び水汲み桶のツルを引っ張る作業に戻る。もちろん幽霊ゆえにツルはすり抜けるので、いつまでたっても水は汲めないのだ。

「困ったわ。お嬢様からお茶を入れるよう言われてるのに」

「その仕事、いったいいつ申し付けられたんやろね」

 幽霊なのに全然恐ろしくないメイドエルフに、天敵であるはずの『聖職者(クレリック)』の乙女は苦笑いで頬をかいた。

 その呟きを聞きつけたメイドエルフは手を止めて、指折り数える。折った本数は5本だった。

「5時間前にゃ?」

「えと…500年?」

 一同、ガックリと肩を落とした。


 アルトが代わりに水を汲んでやるが、水は土で濁っていた。仕方ないのでマーベルが精霊魔法で清浄化し、ようやく彼女は一つの仕事をやり終えたと額を拭った。

「これでお嬢様にお茶を入れて差し上げられます。お客様もご一緒にどうぞ。きっとお嬢様も喜びますわ」

 そう案内されて、アルトたちはその空間唯一の屋敷へと足を踏み入れる。屋敷の中は、外に比べて非常に平凡だった。

 当然ながらメイドエルフは足音も立てずにスルスルと2階へ上がり、奥の立派なドアの部屋にたどり着く。どうやらそこが「お嬢様」の部屋の様だ。

「お嬢様、お待たせしましたー。今すぐお茶をお入れします」

 メイドエルフは無自覚にドアをすり抜けて入室。当然アルトたちはドアの前に取り残される。

 どうしたものか、とドアの前で思案していると、中からは先のメイドと幼げな少女の声が聞こえて来た。

「リノアってばいつまで待たせる…てアンタ死んでるし。どうりで遅いと思った」

「申し訳ございませんお嬢様。今、お茶を入れますから」

「待って、茶器も持てないのにどうやってお茶入れるのさ」

「…ああ、これは、どうしましょ?」

「いや、知らんし」

 何とも力の抜ける会話だった。

 500年、メイドが入れるお茶を待つお嬢様と、自分が死んだ事にも気付かず仕事を果たそうとするメイド。いったいどっちの方が間抜けだろうか。

 アルトは聞きかねて、思い切ってドアをノックした。

 しばしの間が空き、お嬢様と呼ばれた幼い声が返事をする。

「誰?」

「ああ、そういえばお客様がいらしてたんです」

「きゃあくう? なんでここに客が来れるのさ」

「そういえば、なんでですか?」

「いや知らんし」

 このまま待っていると、いつまでも脱力系の会話が続きそうだったので、アルトは気力を振り絞って、もう一度扉を叩いた。

「はいはいただいま。お待たせしまし、ああ、ドアノブが持てない」

 メイドエルフはいつまで経っても、自分に実体が無い事に慣れない様子だった。


 結局、アルトたちは自らの手でドアを開け、その部屋へと入る事にした。

 そこは淡い配色のカーテンや壁紙で彩られた部屋で、中央には大きな天蓋付きのベッドが据付けられていた。

 ベッドの縁には、仲間のねこ耳童女と近い年齢層と思われる、薄茶色の長い髪のエルフの少女が腰掛け、メイドエルフと共にアルトたちを注視していた。

 長い髪はしばらく櫛を入れていないどころか、今しがた起きたばかりと言わんばかりにあちこち跳ねており、服装もワンピースか、と見間違うほど裾が長い、簡素なシャツだけだった。一言で言うなら、ザ・寝巻きである。

「私は誇り高きエルミア族、族長の娘アルメニカ。ようこそおいで下さいました、お客サマー」

 アルメニカと名乗ったエルフの寝巻き少女は、面倒そうに髪をかき上げ、ぶっきらぼうにのたまう。全く誇り高く見えないし、歓迎ムードでもなかった。

「あ、ウチはモルト。冒険者や。突然の訪問ですまんなー」

「オレはアルトです」

「アタシはマーベルにゃ」

 冷や汗をかきながら3人は肘をつつき合って、簡単に名乗る。その間もアルメニカの視線はジトッとしたままだ。

「で、あなたたち、どうやってここに来たのさ」

 そして前置きもそこそこに、早速尋問を始める寝巻き少女であった

 特に隠す事もないので、アルトたちは『妖精樹(アバロンアバル)の葉っぱ』を求めてやって来た事を説明した。その樹に触れた途端に、この歪んだ妖精界へ転落したのだと。

「『妖精樹(アバロンアバル)』ね。あそこ閉じてなかったんだっけ?」

「いえ閉じたはずですけど、なにせ500年ですからねぇ」

 訳知りの様子で2人は話すが、この妖精界の成り立ちすら知らないアルトたちには意味不明なだけだ。

「ままま、その辺はええですわ。とりあえずウチら帰りたんで、ここから出る方法だけ教えてもらえれば」

「無いよ」

 アルトたちにしてみれば、この妖精界やエルフのお嬢様の事情とか知った事ではない。とにかく葉っぱさえ持ち帰ればいいのだ。だがアルメニカは無情にもモルトの言葉にかぶせる勢いでその望みを絶った。

「もうご存知かもしれませんが、ここはお嬢様が作られた、『閉じた妖精界』です。ここを出る、と言う事はこの空間の破壊を意味します」

「そこを何とか」

 この空間を破壊する事がどういうことかわからないが、アルトも引くわけには行かないので、手を合わせて深く頭を下げた。だがアルメニカはそっぽを向く。

「やだプー」

「プーて」

 すっかりむくれた寝巻きエルフに、モルトは苦笑いを浮かべるしか出来なかった。

「この人、古エルフ族ですね」

 わがまま小学生を相手にする様相を呈してきた所を黙って見ていた元GMが、ポツリと呟く。その声が耳に届いていたのは、彼に寝床を提供するマーベルだけだった。

「古エルフってなんにゃ」

「それはですね」

 やはり抵触しない事をいいことに、薄茶色の宝珠(オーブ)は饒舌に語った。




 古エルフ族はエルフの先祖に当たる古代種族だ。

 能力も寿命もエルフに比べてずば抜けており、大陸側で大魔法文明が栄えていた頃、ここアルセリア島で彼らは気ままに暮らしていた。

 そしておそよ500年前、大魔法文明の崩壊と共に島へ流入した人間と戦い、じきにどこへとも無く去っていたという伝説上の種族である。




「その古エルフ族が、にゃんでこんなとこで引きこもってるにゃ?」

「引きこもり言うなし」

 どうも自分の生活態度を端的に指摘されると機嫌が悪くなるようだ。

 おそらくこの少女も、当時の戦争の彼是でこの妖精界へ篭るに至ったのだろう。それを裏付けるように、おつきのメイドエルフはエプロンのポケットから、白いハンカチを取り出して目元を拭った。

「お嬢様がここに引きこもったのには、聞くも涙、語るも涙の物語があるのです」

「いやだから引きこもり言うなし」

 不満げな主人を他所に、メイドの幽霊エルフは涙ながらに、事の顛末を語り始めるのだった。

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