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ぼくらのTRPG生活  作者: K島あるふ
#03_ぼくらの新生活

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37/208

07ファンブル

 『ロゴロア』は激怒した。必ず、かの傍若無人な人間どもを除かなければならぬと決意した。

 そもそも『ロゴロア』が生まれたのは、アルセリア島よりはるか南海の、珊瑚礁で固められた小島の浅瀬であった。

 島は50人にも満たない人間どもが暮らしていたが、巨大な力を持っていた彼にとってそれらは脅威ではなかった。むしろ『神』などと畏怖され、たびたび贄を供された事もあり、魚介豊富な南海は『ロゴロア』にとって楽園だった。

 だが不幸にも、『ロゴロア』はその年の最初の嵐で荒れた海流に囚われた。本当の神の身ではない『ロゴロア』は、あえなく流され、さ迷い、そしてたどり着いたのがアルセリア島近海である。

 不幸中の幸いだったのは、すぐ海底に拠点を見つけたことだ。

 この拠点の上はちょうど人間どもの通り道で、獲物も豊富であった。魚介中心の食生活は、人間を含めた獣肉へと変わったが、さして不便もない。

 ただ最近は少し獲物が少なくなってきたと思っていた。その矢先の事だ。

 『ロゴロア』の自慢の触腕のうち1本が、炎を巻いた人間に切り落とされた。

 これは初めてのことだった。触腕を失った事が、ではない。人間に攻撃された事が、である。

 失った触腕は普通ならそのうち生えてくる。だが、炎で傷口を焼かれてしまった今となっては、それも望めるものかわからない。ともすれば、彼は触腕の1本を永遠に失ったということになるのだ。

 『ロゴロア』の怒りは頂点に達した。この人間どもを生かしては置かぬ。必ず自らの食事とすると、憎き炎を睨み付けた。


「おいおいおいおい、これ、イけるんじゃね?」

 アルトの歓喜は有頂天に達した。

 『ブレッシング(祝福)』や『ファイアアームズ』の助けがあったとはいえ、一撃の下に恐ろしげなどす黒い触腕を1本奪ったのだ。初めに『ロゴロア』とまみえた恐怖は、この一撃で完全に吹き飛んだ。

「それにしても、何ともゲーム的な戦闘ですな」

 唐突に後方の酒樽紳士が口を開く。ラウンドも最後にならないと出番が来ない鈍足なので、よっぽど暇なのかもしれない。これにはすでに出番を終えたねこ耳童女が面倒そうに言葉を返す。

「何を今更言ってるにゃ? ここはそういう世界って事で終わってる話にゃ」

「いや自分が巨大海生生物だったらどう戦いますかな? ワタクシならこんな堂々と身を晒さずに、ヒットアンドアウェーを繰り返しますぞ。そうすれば飛び道具以外当たりませんからな」

 反応があった事が嬉しかったのか、レッドグースが得意げに語る。そう言われてみればマーベルも途端に表情を変えて激しく頷いた。

「おお、にゃるほど。納得の戦術にゃ」

 するとさらに薄茶色の宝珠(オーブ)も会話に参加する。戦闘中だというのに緊迫感がないのも、またゲーム的ではある。

「まぁ船上から戦えるってだけでも、ゲーム的ではありますよね。ただラウンド制ですからヒットアンドアウェーは無理ですよ」

「ふむ」

 背丈半分(ハーフリング)コンビは素直に先を促して頷く。解説好きな元GMは、満足そうに話を続けた。

「移動で1ラウンド使ったら、自分も攻撃参加できませんから。相手の剣が届く範囲じゃないと、自分の攻撃も届かないんですよ」

「おおー」

 納得の理由である。元の世界で有効な戦術が、システムに縛られる事で全く通用しなくなる事例の一つだろう。なんとも面倒な世界である。

「おい、遊んでるな。来るぞ」

 『凧型の盾(カイトシールド)』に身の半分を隠したアスカが叫ぶ。そう、今は戦闘中なのだ。その言葉で思い出したように、一同は海の魔物(デビルフィッシュ)に注視する。すると奴は残された7本の禍々しき触腕を振り上げた所だった。

 まず『ワーニングロア』により引き付けられた4本の触腕がアスカを襲う。

「『ディスターブショット』発射デース」

 狙い澄ました鹿追帽の小人少女が、弦を引き絞られた『スリングショット』から小石を射出した。クーヘンのスキルによる行動阻害弾だ。マーキングされていたアスカを狙う触腕の1本が、石弾を受けて小さく爆発し、その勢いを殺される。

「よし来い」

 クーヘンに迎撃され、あらぬ方向へ力なく跳ね上がった触腕を掻い潜り、残りの3本がアスカに迫った。

 黒髪の戦乙女は怯まず、『凧型の盾(カイトシールド)』を器用に操り2本を左右に散らす。だがいくら防御に長けた『警護官(ガード)』と言えど、全てを捌く事はできない。最後の鋭く重い触腕がアスカを弾いた。

「ぐふっ」

 そして同時に、それ以外の3本が、前衛のもう一枚の看板であるアルトを襲った。その時、隣で恐るべき黒い触腕を捌きつつあったアスカを見て、彼は自分も出来る、と『胴田貫』を前面に構える。

 だがそれは一瞬にして霧散する錯覚だった。

 アルトは僅かに速かった1本目の触腕の一撃ですでに宙を舞い、その身動き叶わない空中で次の触腕に串刺された。そして最後の触腕が、炎を巻いた彼の『胴田貫』を跳ね飛ばす。空中コンボの3ヒットだ。

 初めの殴打痛に続き、串刺しになった左腿に激烈な刺痛が走る。

「ひぎっ」

 ほぼ同時に別の場所を襲う激痛はいつもに増して耐え難い。一瞬にして精神を肉体から引き剥がされるような激しい揺さぶりがアルトを襲い、そしてすぐに収束する。平常値まで回復していた心拍数は、一気に分速180レベルを突破した。

 そして重力の奴隷となったアルトは硬い甲板へ落下する。跳ね飛ばされた『胴田貫』は海への落下を免れ、後衛のマリオンの近くの甲板に突き刺さった。

「ちくしょう、HP(ヒットポイント)がだいぶ持っていかれた」

 痛みが引き、行動に支障ないレベルまで治まるとアルトは呻いた。

 今の連撃でアルトはHP(ヒットポイント)をほとんど失ったが、それ程の痛みでも長く持続しないのが、このゲーム世界の利点と言えるだろう。本来なら痛みで動けないところだ。

「おい、火を早く消せ!」

 戦闘の様子を遠巻きに伺っていた『船乗り(セイラー)』たちが、燃え盛る『胴田貫』に駆け寄りバケツの水をかける。だが炎はその勢いをまったく緩めない。彼らは船上火災の危機に背筋を凍らせた。

「魔法の炎だから水かけたって無駄よ」

 マリオンは『船乗り(セイラー)』たちの懸念を察し、すぐさま『胴田貫』を拾い上げ、何かに燃え移らぬよう気を使いながら『船乗り(セイラー)』の一人に渡す。柄の部分は炎に巻かれていない上に、持っていればその熱を感じないのだ。

「しばらく持ってなさい」

 『船乗り(セイラー)』は燃え盛る刀と金髪の少女を何度も見て、しきりに頷いた。

 一方、同様に攻撃を浴びたアスカだったが、HP(ヒットポイント)へのダメージは差ほどでもない。だが、思いもしなかった異常が、彼女を苛んだ。

「く、目が見えない」

 『ロゴロア』の触腕攻撃の持つ特殊効果『盲目状態(ブラインドネス)』だ。文字通り視力を奪い、様々なペナルティを科される。呪われた魔物の異名は伊達ではない。

 ちなみにアルトを襲った3発は、『浮かし攻撃(ライジング)』『武装解除(ディザーム)』『刺突スラシング』である。HP(ヒットポイント)こそかなり削がれたが、『浮かし攻撃(ライジング)』で海に落下しなかったのは幸運だった。

「おおっと、どないしよ」

 『ロゴロア』の7回攻撃で一気に崩壊した前線を見てモルトが呻く。要回復者が2名出てしまったからだ。しかも状態がそれぞれ違う。アスカが視力、アルトがHPの大半、それぞれを喪失した状態だ。

「アル君に一時下がってもろて、視力回復優先か。やけどアスカちんが7発受けきれるやろか」

 非常に難しい悩みどころだった。だがそれは回復役(ヒーラー)が一人の場合だ。

「モルトさんはお姉ちゃんを。エクレアがHP(ヒットポイント)回復を受け持ちます」

「おおっ」

 そう提案するのは純白のパフスリーブワンピースを着た、人工知能搭載型(インテリジェンス)ゴーレム、エクレアだ。

 そう、今回は2隊合同作戦。回復役(ヒーラー)ももちろん2人いるのだ。モルトは頼もしい小人に感嘆の声を上げる。

「了解や。ウチがアスカちん担当な」

「はい、では行きます。『ヒーリングシャワー』」

 エクレアが手にした『聖槌(メイス)』を両手で掲げると、その先から幾束もの光が天に伸びた。光の束は上空で弧を描き、前線で傷つく2人の頭上へと降り注いだ。その瞬間、光は波紋を各々の身体に広げる。エクレア固有の範囲回復魔法だ。


「GM、『メディアイ』使うで」

「承認します」

 マーベルとアスカが行動をラウンド最後に遅らせたたので、第2ラウンドのトップを切るのはモルトとなり、打ち合わせ通り、神聖魔法を宣言した。

 白い乙女の掌が、優しくアスカの背に触れる。すると掌を中心に酒神キフネを表す聖印(ホーリーシンボル)がわっと広がり、瞬間的に霧散。その細かくなった光の粒子はアスカの身体を突き抜け、暗黒に閉ざされていたアスカの視界は光に開かれた。




 3レベルの神聖魔法『メディアイ』は、『盲目状態(ブラインドネス)』を回復する。『メディシリーズ』と呼ばれる魔法の一つだ。その状態に陥った原因が『呪い(カース)』でない限り、状態(ステータス)異常を回復することが出来る。

 他にも『メディイヤー』『メディポイズン』『メディパラライズ』などがある。




 その後はクーヘンの『ディスターブショット』のマーキングを経て、再び、金髪の『魔術師(メイジ)』マリオン行動順だ。

「もう、せっかく『ファイアアームズ』してあげたのに落とすんだから。このダメ貧乏サムライ」

「貧乏の上にダメが増えた!」

 地味にショックを受けるアルト。そういえばマクラン邸の隣のメイドさんが、マリオンを評して「性格キツイ」と言っていた。まさに帝国騎士マーカスと違って現実を捉えてらっしゃる。

「アンタ武器はどうするの? そっち使うの?」

 そっちの武器とは、右腰に予備として差していた『無銘の打刀』だ。

 しかし年齢はアルトとさほど変わらないようだが、背が低い分少し幼くも見える。そんなマリオンにぽんぽん言われ、アルトは惨めな気分にならざるを得ない。

「つ、使うよ。次もやるぜ」

 反発するように気勢を上げ、アルトは暫くぶりに『無銘の打刀』をスラリと抜いた。刃には勿論こぼれも錆びも存在しない。

「じゃぁもういっちょ行くわ」

 マリオンが頭の両端に結われた三日月型のテイルを揺らしながら、手にした『短杖(ワンド)』で宙に幾何学模様を描き出す。それは先の『ファイアアームズ』の時とよく似た紋様だ。

「貧乏サムライの刀に『エナジーアームズ』」

 言葉と共に振るわれた『短杖(ワンド)』が甲高い悲鳴を上げる。するとその先から一筋の青白い光が立ち上った。光の筋は上空で渦を巻き、アルトの手にした『無銘の打刀』へとまっすぐに落ち、その刀身を覆う。

 『ファイアアームズ』同様の武器強化系緒元魔法だ。

「今回はソレで我慢しなさい」

 RR(リキャストラウンド)のせいで『ファイアアームズ』を連発できなかったのだ。だが前線のアルトにとっては、それでも充分に心強い。

「カリストさんがいれば、これまでももっと楽出来たんだろうなぁ」

 今はここにいない仲間の『魔術師(メイジ)』に一瞬だけ思いを馳せ、アルトは深く息を吐いて気を引き締めた。

「ここでもう一本、奪うぜ」

 何とか立て直す事はできたが、それでもまだ7本の触腕による連撃は脅威である。ラウンドごとに少しずつでも戦力を削がないと、時が経つほどジリ貧になりそうだ。

 アルトは気合を入れ、魔法の光を湛えた『無銘の打刀』を脇構えに携えて駆け出す。

「頼む、成功してくれ。『木の葉打ち』だ」

「承認します」

 言葉を掲げ舳先から跳躍する。このスキルが成功すれば、数ラウンド限りだが、また触腕1本を行動不能に出来るのだ。

 アルトは祈る気持ちで『無銘の打刀』を逆袈裟懸けに跳ね上げる。瞬間、稲妻にも似た閃光が『無銘の打刀』から迸り、狙った触腕に深く食い込んだ。

「やっ」

 『木の葉打ち』成功時の視覚効果(エフェクト)かと、アルトが喜びを上げかけた。だがしかし、運命は彼に、いや共闘者にとって過酷だった。

 キン、と甲高い音と共に、アルトの両腕が負荷より開放される。

 その0.1秒の間にアルトは思案した。

 いったい何が起こったのか。『無銘の打刀』にかかっていた重みが消えた、と言う事は触腕を切り離す事に成功したのか。

 いやそれにしては音がおかしい。

 ふと彼の視界に『無銘の打刀』が飛び込んでくる。この奇妙な異世界にやって来た時から共に歩んだその友は、無残にも真ん中から上下に両断されていた。

 刃が折れたのだ。

 馬鹿な、メリクルリングRPGには武器の損耗と言う概念がないはずだ。()()()()()を除いて、『無銘の打刀』が折れるはずがないのだ。

 そこでアルトの意識は、急速にスローモーションの世界から引き戻される。元GMたる薄茶色の宝珠(オーブ)からの警告が耳に届いたからだ。

「ファンブル発生です。アルトさん気をつけて!」




 野球などの球技において、掴んだボールを取り落とすミスを『ファンブル』と呼ぶが、TRPGにおいては、ダイスロールの結果、著しく低い確率で発生する『致命的失敗』を意味する。

 その確率はクリティカルヒットと同等か、それより低い場合が多く、ただ行為失敗になるだけでなく、更に不運な出来事を伴う事もある。

 メリクルリングRPGで『ファンブル』が発生した場合、まずその致命的深度(レベル)が決定され、そのレベルと同等数だけ確定不運(バッドラック)が発生する。




 気をつけろ、とは何かとよく聞く言葉だが、だいたい何をどう気をつければいいのかわからない上に、ほとんどの場合は気をつけても仕様がない。

 今回もそんな例に漏れず、すでに確定した不幸(バッドラック)が降り注ぐのだ。

致命的深度(レベル)2、確定不運(バッドラック)『アイテム破壊』『被害飛火』」

 次々とシステム的確定事項が読み上げられる。元GMの声はいつになく悲痛だ。

 『無銘の打刀』が折れたのは、まさしくファンブル発生による確定不運(バッドラック)の一つだった。

 そして不運は続く。

 折れた『無銘の打刀』の刃が宙を回転しながら飛翔した。

 追うアルトの視線をあざ笑うかのように、その軌道はゆっくりと弧を描き後方へと伸びる。その先には『エナジーアームズ』の為にアルトの後衛についていた、幼さを残す金髪の『魔術師(メイジ)』マリオン嬢が、まだ理解の追いつかぬ目で立ち尽くしていた。

 その青い瞳が恐怖に見開く。瞬間、回転する刃は吸い込まれるように、ありえない軌道を描いてマリオンの胸を貫いた。確定不運(バッドラック)『被害飛火』発生だ。

「かはっ」

 悲鳴すら上がらない。

 声に変わるはずの空気は、喉の奥から吹き上がった鮮血が取って代わった。

 ここまで、まさに一瞬の出来事だった。

 自分の身に何が起こったのか、マリオンは震える視線で原因と結果を捜し求め、それを知ったか知らずかのうちに海水で冷えた硬い甲板へと崩れ落ちる。甲板は次第に広がる彼女の血液で赤く染まり、波しぶきに混ざって滲んだ。

「マリオン!」

 誰の目にも絶命とわかる傷だったが、そこにいち早く思考をたどり着かせたアスカが叫び、『凧型の盾(カイトシールド)』を投げ捨てて駆け寄る。

「え、いや、さすがにこれは」

 だが死亡宣告を上げるかと思われた薄茶色の宝珠(オーブ)は、マーベルのベルトポーチから困惑の声を漏らす。

「いき、てる?」

 困惑の正体を明らかにしたのは、マリオンと仲間になったばかりの、黒髪の戦乙女アスカだった。

「生きてるのか?」

 胸の内を去来する衝撃に嘔吐感さえ覚えていたアルトは、憔悴した表情で安堵の息をもらす。だが、彼の身にはまた別の悪夢が襲い来るのだ。

「アっくん、戦闘は続いてるにゃ!」

 マーベルの叫びに振り返るアルトの眼前に、どす黒い触腕が迫る。アスカが前線から離脱した事で、『ワーニングロア』の制約から逃れた4本を加えた計7本だ。

「わわわ、『ディスターブショット』デス」

 自分の役割を忘れかけていたクーヘンは、慌てて『スリングショット』から小石を射出する。だが焼け石に水だ。第1ラウンド、アルトを2発でボロクズにした暗黒の触腕が、その3倍の数でアルトを叩きのめすべく殺到する。

 まず『浮かし攻撃(ライジング)』。一瞬差の順番で、真っ先にアルトへ到達したどす黒い触腕は、彼に殴打を加えつつも軽々と甲板から上空に放り投げた。

「かっ」

 何か言おうとするものの、内臓に来る強い鈍痛のせいで、アルトの声帯から出るのは音を絡めた息ばかりだ。

 そして更に第2の触腕が迫り、遥か上空から激しく振り下ろされた。アルトは敢え無く甲板へ叩き付けられる。

 まずい、とアルトは下唇を噛みしめた。第1ラウンドでは2発目でHP(ヒットポイント)をほとんど失った。今回はまだこの後、4連撃が残っているのだ。

「ちくしょう、せっかくここまで逃げて来たのに」

 脳裏に、ここ数カ月の記憶が早送りで再生する。アルトは「どうしてこんな事に」と、声にならない悲鳴を上げた。

 だが不幸中に幸いはあるもので、その第2の触腕がアルトの命を救うことになる。それは『ロゴロア』の触腕攻撃に付随する特殊効果だった。

 第2の触腕がアルトから引くと同時に、それは発動した。アルトの身体が、徐々に硬質な灰の色へと変わり、その現象は瞬く間に全身へと広がったのだ。

「なん、だ、こ」

 アルトの言葉が途切れる。『(パラライズ)』や『(ポイズン)』などとは比べ物にならぬほど厄介なステータス異常、『石化(ペトリファイ)』である。

 なぜ厄介なのか、それはメリクルリングRPGのルールブックに、『石化(ペトリファイ)』を解除する魔法やアイテムが存在しないからだ。

 ただ先にも述べた通り、この『石化(ペトリファイ)』がアルトの命を救った。硬質化した彼の身体は、それ以降の触腕の攻撃をことごとく弾いたのだ。

「いや、こいつはいけませんな。退避を考えねば」

「せやけど、こんな状態で逃亡ロールやなんて」

 退却するにしても、これほど強大な敵に対峙して、簡単に逃げおおせるわけがない。

 だが、『手風琴(アコーディオン)』を背にしたこの酒樽紳士は、額に脂汗をにじませながらも、無理に歯を見せるようにして笑う。

「ここはワタクシの出番ですな」

 ちょうど行動順(ターン)も彼に回ったところだった。レッドグースは笑顔に何割かの硬さを残しつつ、手早く背の『手風琴(アコーディオン)』を担ぎ出した。

 右手で旋律、左手で和音。いつもの調子でゆっくりとしたメロディを奏で出す。

「『ノスタルジックバラード』」

 ゆったりとした、静かで美しい音が海風に吹かれてこの海域に広がる。やけに感傷的なその曲は、聴く者の心の奥にある郷愁の念を強く意識させた。

 そして『ロゴロア』もまた、彼の旋律にまんまと心を囚われ、怒りを凌駕する帰巣本能を掻き立てられる。

 『吟遊詩人(バード)』の使う呪歌の一つ『ノスタルジックバラード』。旋律に囚われた者を、自らのねぐらへと向かわせる。

 『ロゴロア』は「キュー」というやる気の失せた鳴き声をまき散らし、ゆっくりと海底に消えていった。

 そして海上には敗戦を苦く噛みしめる冒険者たちが残された。

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