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ぼくらのTRPG生活  作者: K島あるふ
#02_ぼくらの逃亡生活

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29/208

14そして僕らは荒野で別れる

 戦闘フェイズに突入して3ランドが経過した。時間にしてたった30秒の事である。

 普通に生活していれば、一息で過ぎ去るような短い時間に、アルト、モルト、マーベルのHP(ヒットポイント)はすでにボロボロだ。

「アっくん、このラウンドを何とか凌ぐにゃ」

 精霊魔法の使用を中断し、腰の矢筒から矢と共に引き抜いた『小弓(ショートボウ)』を構え、マーベルが叫んだ。『なめし革の鎧(ソフトレザーアーマー)』の下に着けた、草原の種族ケットシーらしい草色のワンピースが風にはためく。

「んな、凌ぐったって、どうすりゃいいんだ」

「…GM、このラウンドは『スナイピング』にゃ」

「承認しました」

「なんだよ、無視かよ!」

 前衛一枚看板は『鎖帷子(チェインメイル)』の若いサムライ、アルトだ。先に見せ付けられた岩の巨人トロールによる、恐るべき打撃力を思うと、焦りと苛立ちを感じずにはいられない。

「ウチはアル君に『キュアライズ』や。もう少しの間、頑張ってや」

「承認します」

 そんなアルトをなだめる様に、回復の奇跡を起こす神聖魔法を使うのは、白い法衣の上から『胸部鎧(キュイラス)』を着込んだ、ピルボックス帽の『聖職者(クレリック)』、モルトだ。

 彼女の指がアルトの足元を指し示すと、そこには聖なる光で描かれた聖印(ホーリーシンボル)が現れ、淡い粒子と共にアルトの傷を瞬く間に縫い合わせる。

 これで運がよければトロールパンチの2発くらいは耐えられるだろうか。ならばアルトも、戦列(パーティ)の壁役を果たすしかない。

「これでそろそろMP(マナポイント)切れ。『シルブンシュート』」

 アルトの回復の隙を縫い、その頭越しに四度目の射矢を放つのは、銀糸の織り込まれた『長衣(ローブ)』に身を包む、銀髪の『精霊使い(シャーマン)』ナトリだ。風の精霊(シルフ)に運ばれた矢は、吸い込まれるようにトロールを貫く。

 敵ではあるが6レベルの魔法攻撃力は共闘するなら頼もしい。だが、それにも限界はある。MP(マナポイント)切れだ。

 魔法使いにとってのMP(マナポイント)と、はすなわち魔法力。無くなればもう魔法は使えないのだ。

「ジリ貧じゃねーか。ホントにここを凌げば何とかなるんだろうな」

 第4ラウンド。マーベルはこのラウンドを何とか凌げ、と言った。しかし誰のHP(ヒットポイント)MP(マナポイント)も底を突きかけているではないか。

 だが、アルト自身にこの状況を打開する策がない以上、仲間の言を信じる他はない。

 焦り、苛立ち、恐れ、渦巻くさまざまな感情を遮断するように、アルトはゆっくりと息を吐き、そして新しい相棒である、身幅広く重ね厚い剛刀『胴田貫』を中段に構える。あらゆる動きに柔軟対応が可能な、もっとも基本的な構えだ。

「GM、ここは『防御専念』するぜ」

「戦闘オプションですね。承認しました」

 これでダメージを半減できる、より確実に凌げるはずだ。アルトは冷や汗を流れるままに任せ、『胴田貫』を握る手に力をこめた。


 ちくしょう、と、岩の巨人はいきり立った。また彼自身がこんな酷い怪我を負わされたのは初めてだったので、このままでは済まさぬ、と息を巻いた。

 彼の目の前にいるのは、|鈍色のジャラジャラとした獲物アルトと、|白くか細いくせにやけに鋭い獲物《獣骨兵》だ。こいつらは不味そうだが、その後ろの(メス)どもに齧り付く為には排除しなくてはならない。実に面倒だ。

 さらに面倒な事に、鈍色の獲物(アルト)は怪我したくせにすぐ治ってしまった。しかもここにきて亀のように硬くなった。厄介だ、厄介すぎる。

 こうなれば、1匹ずつ、確実に仕留めなければならない。トロールは無い知恵を絞り、次の狙いを定め、硬い拳を振りかぶった。


 大きく湾曲する軌道で振るわれた巨大な拳が、アルトの鼻先をかすめて右方へとすっ飛ぶ。まるで新幹線の通過駅にでも立っているような気分だ。

 重く硬い拳の起こす風圧に恐れをなしつつ、その行き先に目を向けてみれば、アルトの右に肩を並べていた獣骨兵が張り倒されているではないか。アルトが苦戦したあの骨の(ボーン)ゴーレムが、今のパンチ一発で左腕を抉られ失っていた。

「うーわー」

 的が自分で無かった事はラッキーだが、それを素直に喜んでいられるほど、アルトも無邪気ではない。前線に立っているのがアルトと獣骨兵である以上、2分の1の確率で、あのパンチをアルトが食らっていたかもしれないのだ。一撃で死にはしないだろうがゾッとする。

 さらにゾッとするのは、その左腕を失った骸骨の剣士がむくりと起き上がり、『幅広の直刀(ファルシオン)』を右手だけでダラリと下げたまま、アルトに斬りかかって来たからだ。さながら、一撃の恨みを晴らさんと、眼孔の奥に怒りの炎を灯しているかのようにも見えた。

「いや、オレじゃねーよ。あっちだ」

 アルトはつい叫んでしまうが、所詮相手は無機物。返事も反応も見せずに、『幅広の直刀(ファルシオン)』を振るうのだ。

 アルトの頭上から円月の刃が襲い掛かる。

 中段の構えで万全に備えていたアルトは、すぐさま『幅広の直刀(ファルシオン)』をかいくぐり、刃の横面を叩き落してやろうと画策する。が、その目論見は、惜しくも半分だけの成功に終わった。

 ザシ、という響きの悪い音が立つ。アルトの肩口に『幅広の直刀(ファルシオン)』が食い込む音だ。

 額への直撃は何とか避けることができた。そして『防御専念』のおかげか、その刃は『鎖帷子(チェインメイル)』の装甲を斬り裂くには至らなかった。それでも、鋭い金属の塊で肩口を殴られたダメージは小さいわけではない。元の世界なら鎖骨を叩き割られているところだろう。

「痛い痛い、マジ痛いんだけど!」

 この世界において、彼の痛覚はいくらか鈍くなっているのだが、それでも痛みがなくなるわけではない。鎖骨を割られるほどの痛みはそりゃ激痛であって、多少軽減されたからと言って無言で耐え切れるものではない。

 それでも痛みを紛らそうとジタバタと大地を踏み荒らし、アルトはにじむ脂汗と共に何とか踏みとどまる。そればかりか、その顔は不敵な笑みをうっすらと浮かべていた。

「けど、これで凌いだぜ?」

 そう、それはピンチ終焉への期待に満ちた笑みであった。

 このラウンドを凌げ、とマーベルが言った以上、その先には彼女か、もしくは姿を見せないレッドグースの、何らかの策が待っているはずだ。それはこの数ヶ月の経験則からくる期待であり信頼だった。

 そしてその信頼に応えるべく、姿の見えぬ仲間の声がアルトの耳に届く。

「よくこれまで堪えましたな。準備は整いましたぞ」

 声の主はここ数ヶ月ですっかり聞きなれた仲間の声だ。目を瞑れば、そこにはカストロ髭を風になびかせた、小さな中年音楽家(ミュージシャン)の姿が見えるようだった。

 アルトは心の内で、この窮地は脱したと確信し、安心のため息をつく。

 だが次に続く一言で、せっかく駆け上がったはずの地獄の坂道を、数歩分だけ蹴落とされる気分になるのだった。

「次のラウンド、ワタクシの番が来た時からが勝負時ですぞ」

 短足酒樽体型のレッドグース、その敏捷順位はここにいる者の中で最下位だ。つまりそれはラウンド中の行動順が一番最後であることを意味する。

「それって、もう1ラウンド凌げって事じゃん」

 わなわなと震ええるアルトの手には、今しがたレッドグースから渡された、とある小物が残されていた。

 こんなもので、果たして勝負ができるのだろうか。次、第5ラウンドのトロールには、RR(リキャストラウンド)明けの『デススロウ』が待っているのだ。



「お先にどうぞ、にゃ!」

 第6ラウンドの開幕は、ねこ耳童女のそんな叫びから始まった。

 アルトなどは、手に入れたばかりのとある小物を、あるべき場所に急ぎ納めていたので一瞬聞き逃そうになる。なんとか聴きそびれずに済んだのだが、それでも言葉の意味する所がわからなくて唖然とした。

 だがアルトが疑問の声を上げるより早く、納得の印にと手を叩いたモルトが大声で続ける。

「ウチもウチも。お先にどうぞ、や」

 どうぞどうぞ、などと何を譲り合っているというのか。そんな悠長に構えている場合だろうか。アルトの疑問は加速度的に積みあがっていくのだが、それをよそに敏捷に長けるマーベル、モルトを差し置き、ナトリが動いた。

「ではお先に。私は『隊列変更』と『防御専念』」

 機敏にバックステップを踏み、数歩分、つまり隊列にして一列分下がるナトリ。『デススロウ』を警戒しての事だろう。

 ここでアルトもやっと理解した。これは戦闘ルールの隙を突いた作戦なのだ。

 戦闘フェイズ中は、各人のステータスの一つ『敏捷』の大きい順に行動する。素早い者から動ける、と、こういう訳だ。

 しかしTRPGにおいて、こうした順番管理を行うのはコンピュータではなく人間であり、人間である以上、間違いが起こる。その一つが『順番抜かし』だ。

 本来行動する順番の人を、誰かが抜かしてしまった場合。こんな時のルールが、メリクルリングRPGでは明確に定められているのだ。

 『ラウンド中に手番を抜かされた人が行動できるのは、そのラウンドの一番最後になる』と。

 つまりマーベル、モルトは、わざと順番を抜かしてもらい、行動をラウンドの最後にしようと言う魂胆なのだ。こうする事により、もっとも敏捷の低いレッドグースの、さらに後に行動する事ができる。

 アルトの脳裏にレッドグースの言葉がよみがえる。『ワタクシの番が来た時からが勝負時ですぞ』と。

 よし、とアルトは決断をする。

「オレも『抜かされ』ます」

 次の瞬間、行動が順当に繰り上がったトロールの、長い両腕がヌルリと伸びた。


 1匹ずつ、確実に仕留める。これを当面の行動目標と定めた岩の巨人が狙うのは、当然と言えば当然、獣骨兵だ。

 まるでハエを捕まえる両生類の舌のように、容赦なく鋭く、そして確実に、トロールの長い腕は骸骨の剣士を捕まえる。一瞬、獣骨兵は避ける動作を見せはしたのだが、自らのレベルを凌駕する巨人族を相手には、簡単に避けきれるものではなかった。

 白い晒され頭(されこうべ)を怪力で捕まれ、獣骨兵も為す術が無い。2回3回と順調に振り回され、ついに5回の大回転の後に放たれる。

 積み重ねられた遠心力はかの骸骨を白い弾丸と化し、そして遂には飛翔先終点となる小岩に激突して、白い欠片を方々に散らした。

 先のトロールパンチで左腕を失うほどのダメージを負っていた獣骨兵だ。さすがに屈強な骸骨もこれにて活動を停止した。

「くっくっく、最後の標的を誤りましたな。これでワタクシたち全員、生還確定したと言っても過言ではありませんぞ」

 獣骨兵の衝撃的な最期を尻目に『ハイディング(潜伏)』を解いて姿を現すのは、白いワイシャツ、赤いチェック柄のベスト、そして深い緑のベレー帽を被ったカストロ髭のドワーフ。自らを『生涯いち音楽家(ミュージシャン)』と言ってはばからない、『吟遊詩人(バード)』にして『盗賊(スカウト)』、歌う酒樽、レッドグースその人である。

「ジャジャーン、ついに酒樽兄貴がオンステージであります」

「レイディース・エン・ジェントルメン、アンドおとっつぁんおっかさん、踊りなされ踊りなされ。怒りも苛立ちも、恐れも焦りも、すべて忘れて踊りなされ」

 深緑のベレー帽に隠れていた、小さな人工知能搭載型(インテリジェンス)ゴーレムの少女もぴょこんと飛び出し、レッドグースはそれに合わせるように、愛器の手風琴(アコーディオン)をフガフガと鳴らす。

 すべての準備は整った。ここから彼のライブ開演だ。

「響け我が旋律、そして踊り狂え。『ダンシングビート』!」

 赤い手風琴(アコーディオン)。左手の鍵盤でベース音、右手の鍵盤で旋律と、アップテンポなメロディがレッドグースの手から次々と飛び出した。それは愉快であり爽快な、祭りの広場を思わせる、誰もが駆け出すような民族舞踊曲だ。

「おおお、なんだか楽しくなって来たでありますー」

 最も呪歌の影響を受けそうなゼロ距離にいるティラミスが、レッドグースの帽子の上で真っ先にクルクルと踊りだす。深い緑色のベレー帽がまるで丸い舞台のようだ。

「さぁ巨人殿もどうぞ!」

 そんな頭上の様子に気を良くしつつ、ますます演奏の調子を上げながら、レッドグースは岩の巨人に歌いかけた。もちろん人間の言葉が通じるわけではない。だが陽気なドワーフのフリに、トロールの指がピクリピクリと動き出すのだった。




 『ダンシングビート』は『吟遊詩人(バード)』の使う魔法の旋律『呪歌』の一つだ。

 そのフォークダンス調の陽気な旋律を聴く者は、魔法と同様に抵抗を試みなければならず、失敗した者は『吟遊詩人(バード)』が演奏を止めるまで、強制的に踊り続ける事になる。

 当然、攻撃、防御など、さまざまな行動は阻害され、もし可能であっても相当なペナルティを負う事になる。




 なんだこれは、いったいなんだと言うのか。あまりに脈絡の無い展開に、トロールの脳内は軽いパニックを起こしていた。

 荒野と言う狭い世界で、自分より小さく弱い者ばかりを獲って生きてきた岩の巨人にとって、この狩りは初めて体験する事ばかりだ。

 そう、彼にとっては狩りの途中である。少し苦戦してはいるが、あとちょっと食事にありつけるはずだった。

 だと言うのに、突然小さな中年が現れたかと思うと、聴き慣れぬ音を流し始めたではないか。しかもその音を聞くと、関節のあちこちがムズムズとするのだ。

 そして気づけば、手足を振り上げては下ろし、繰り返し、腰を右に左に回し、喉からは出した事もないような声を上げていた。

 わけがわからない。だけど、これはこれでなんだか楽しい気分だ。トロールは柄にも無く弾む心に浮き足立った。

 だが、その気分が引き摺り下ろされるのは、このすぐ後だ。


「『スナイピング』解除、発射にゃ!」

 10余秒の間、充分に狙いと弦を絞りきった『小弓(ショートボウ)』から、短い矢が風切り音と共に解き放たれる。命中率を強化された必中の矢を、踊り狂うトロールには避けるだけの余裕は無い。当然命中、そしてクリティカルヒット。

「ウチもいくで、『オーラブリッド』!」

「承認します」

 トロールを貫いた矢を指すように、モルトが右掌を突き出した。すると小さな破裂音と共に、掌上から小さな光弾がはじけ飛ぶ。『聖職者(クレリック)』の持つ数少ない直接攻撃魔法だ。

 だが聖なる光弾はトロールの岩の様な胸板上で、ジュッと蒸発する。所詮は『聖職者(クレリック)』の攻撃魔法だけあって、ダメージの期待値はあまり大きくない。

「かー、しけとるなぁ」

 そこからさらに後を追い打つのは、抜刀の武士(もののふ)、アルトだ。

「いくぜ、秘剣『ツバメ返し』!」

RR(リキャストラウンド)クリア。承認します」

 大上段蜻蛉に構え大きく跳躍。ダンスの振りに上下左右する長い腕を掻い潜り、アルトの『胴田貫』が巨人の背に斜め一文字を鮮やかに描く。そしてその直後、アルトの着地と同時に剣の軌道がV字に反転、今度は逆袈裟懸けに巨人の太い脹脛(ふくらはぎ)を斬りつけた。『ツバメ返し』の一刀目を避けられなかった場合に発生する二段ヒット現象だ。

「グララアガァ!」

 3人から4連発の集中砲火を浴び、トロールがたまらず悲痛な叫びを上げる。だが、その身体は『呪歌』の支配を逃れる事ができず、ドシンドシンと踊り狂うばかりだ。真新しい傷から鮮血が当たり一面に飛散する。

「このまま畳み掛けるにゃ」

 そしてつい数秒前に弓を射掛けたマーベルが、速射の要領でさらに『小弓(ショートボウ)』に矢を番える。ここから第6ラウンドが開始したのだ。

「ウチは万が一に備えて、また『最後』に回るで」

 マーベルの矢が命中した事を確認し、続く手番のモルトが叫ぶ。だが、さらに後に続くはずのナトリは、身体をうずかせる旋律に抗いきれなかったようで、後方にてダンスに興じていた。ダイナミックで見応えある巨人ダンスに比べ、こちらは微妙にノリが悪い。

「なぜあなた達には『ダンシングビート』が効かないの」

 呪歌の効果範囲は『一定の音量以上で聞こえる範囲』である。だと言うのにその効果を意にも介さないアルトたち。だがナトリの釈然としない感情の発露であるその呟きは、残念な事に誰の耳にも届かなかった。

 この時点でトロールの命はすでに風前の灯だった。

 硬い胸板も背も大きな刀傷に蹂躙され、脛や脹脛(ふくらはぎ)もまたズタズタだ。自らの鮮血が岩の様な赤黒い肌を濡らし、風に舞い上がった砂埃と土がべとついた。

 戦闘フェイズ序盤の、アルト・獣骨兵による攻撃と、第5ラウンドからのクリティカルヒットを含む連続攻撃は、HP(ヒットポイント)が極端に高い巨人族をもってしても、凌ぎきれるっものではなかった。

「よし」

 もう勝ったも同然と、舌を舐めずりズイと身を乗り出したアルトは、『胴田貫』を右斜め下方、脇構えに突進する。これまでの怯えや恐れは都合良くも消え去り、自信に満ちた彼の身体は風と共に空を這い回るカマイタチの様に素早く、瞬く間に巨人の懐まで飛び込んだ。

「トドメだ!」

 脇構えから胴を薙ぐ様に横一文字。抜き胴と呼ぶ剣筋だが、これまた鋭い一閃だ。レベル4『傭兵(ファイター)』の自信の一刀であった。

 誰もがこの苦しい戦いの終焉を予感した。

 だが、ここに会した一同は、信じられない様な光景を目の当たりにする。そう、踊り疲れ、それでも踊り続ける岩の巨人が、この鋭い剣撃をスルリと交したのだ。『ダンシングビート』のペナルティで、回避力が著しく低下しているにもかかわらずだ。

 それはまるで中国武術の達人老師が、酒入り瓢箪を振り回しながら、のらりくらりとするかの如く、ちょうど振り上げた脚が見事に『胴田貫』を避けるに至った。

 いうなれば、『回避的クリティカルヒット』と言うべきか。

 その瞬間、アルトの脳内は空っぽになった。

 この一撃にて巨人を打ち倒し、仲間たちの賞賛と共に終幕。そういう光景を浮かべていただけに、まさかの空振りに、注目していた一同も思わず沈黙だ。レッドグースなど、つい演奏を止めてしまいそうな程に唖然とした。

 アルトにとっては、永遠にも思える程に恥ずかしい一瞬。その瞬きが過ぎ去ろうとしたその時だ。彼のすぐ脇の隙間を縫う様に、一条の槍が通り過ぎる。

 いやそれは槍ではない。それまで抜きもしなかった『鎧刺し(エストック)』を逆手に持ち、その針の様な切先をまっすぐトロールに向け、低い姿勢から射殺すように駆け出した白い乙女、モルトのその姿が一条の(ランス)に見えたのだ。

「『巨人殺し(ジャイアントバスター)』の称号は、ウチがもろた!」

 白い法衣が風にはためき、かの脚が大地を蹴る。そして吸い込まれるように『鎧刺し(エストック)』の鋭い錘が巨人の胸を穿ち、そして岩の巨人は断末魔の叫びを荒野に轟かせた。




 全員満身創痍。たった1分という短い戦闘ながら、HP(ヒットポイント)もボロボロなら、MP(マナポイント)も回復魔法に回す余裕すらないほどだ。

 各々は巨人の躯の傍らで、疲労を僅かでも癒そうと腰を下ろし、大地に向いて荒い息に肩を揺らす。

「そういえば、『呪歌』がきかなかったのはなぜ?」

 レベルの高さに由来するのか、いち早く息切れから開放されたナトリが、戦闘中にぶち当たった疑問を口にした。

 レッドグースが『ダンシングビート』を奏でた時、その効果の明暗は、あまりにもはっきりしていた。

 ナトリとトロールが『呪歌』の影響下でダンスを強要され、アルトたち3人は意にも介さなかったのだ。『呪歌』への抵抗ロールに成功したにしては不自然な別れ方だ。

 だが、彼女の平坦で小さな声は、残念ながら誰の耳にも届かない。届かないながらも、『何かを言った』雰囲気に気づき、マーベルがねこ耳をピンと立てて振り向いた。

「なんにゃ?」

 マーベルは先の言葉を聞き返すと共に、己の頭上のねこ耳に手を伸ばし、何かをスポンと引っこ抜く。それは小さなスポンジ状の物体だった。

「お、そうか。もう取っていいんだな」

 その様子を見とめ、アルトやモルトも同じように耳からスポンジの詰め物をはずす。すなわちこれは耳栓である。

 レッドグースが教会警護隊の留置所へアルトたちを助けに向かう際、ついでに街で入手し、戦闘中、『ハイディング(潜伏)』しながら3ラウンドかけて配っていたのだ。第4ラウンドの最期にアルトが受け取ったものがこれだ。

 あまりにも単純な回答に、ナトリは誰の目にも留まらぬほど小さく笑いった。

「ふ、今日のところは引き分けね」

 横たわる赤黒い巨人を背に、銀髪の『精霊使い(シャーマン)』がふわりと宙に浮く。風が次第に強くなる中、一同は目を丸くしてその光景を眺めた。

「ちょ、空飛ぶんは『魔術師(メイジ)』だけやないんか」

 『魔術師(メイジ)』には空を自在に飛ぶ魔法が存在する。以前、ナトリのボスたる『魔術師(メイジ)』戦った時、彼の去り際に目にしたこともある。だが眼前で宙に浮いたナトリは高レベルの『精霊使い(シャーマン)』だ。その上で高レベルの『魔術師(メイジ)』でもあるとは考えにくい。そこが皆の驚きどころだった。

「いえ、あれは6レベル精霊魔法『ソアリング』です。空を飛ぶ、と言うよりは風に乗る魔法なので、自由度は低いですね」

 そういえば、海岸で教会警護隊に囲まれた時に忽然と現れたナトリ。あれも空からではなかったか。

 ナトリがいつまでも風の精霊(シルフ)を使役していたのはこの為だったのか、とレッドグースは密かに頷き、マーベルは将来、自らも空を翔ける可能性に目を輝かせた。

「では。しーゆーねくすとげーむ」

「おっと、最後に一つ、ワタクシから質問を」

 軽薄な別れの言葉と共に、強い風力を全身で受け、か細い銀髪の少女がより高度を増そうとしたが、その瞬間、レッドグースがあいや待たれい、と掌をかざして声をかける。ナトリは上昇をやめ、小さく首をかしげた。

「最後に、あなたのボスの名を教えてくださらんか」

 普通の刺客であれば口をつぐむだろう。忠誠心によっては拷問を受けてさえ口を割らないだろう。だが、ナトリはそんじょそこらの刺客ではない。当然、あっさりと口を開く。なぜなら、口止めされていないから。

「ボスの名はヒロム。キヨタ・ヒロム」

 それだけ言うと、ナトリは再び高度を上げ、ある程度の高さに到達したと判断するなり強風と共に一瞬で去っていった。

「清田…ヒロム、だって?」

 清田ヒロム。それはこのメリクルリングRPGのメインデザイナーにして、小説家であり、ゲームデザイナーであり、アニメの演出や設定にも口を挟む。マルチメディアクリエイターである。

 まさか予想だにしなかった名を聞き、その名を知る薄茶色の宝珠(オーブ)は絶句し、レッドグースはナトリの消えた空を仰いだ。

 だが学生3人に至っては、ことの重大さを知らずか気づかずか、実にあっけらかんとしたものである。

「そんなことより、ここどこやろな」

「トラウ荒野とか言ってなかったか?」

「クンバカルナ平原トラウ荒野にゃ。どっちもどこにあるのか知らにゃいけど」

 3人のそんな様子に、ショックを受けていた事も紛れてしまったレッドグースと薄茶色の宝珠(オーブ)は、互いに苦笑を交して、モヤモヤした気持ちは一時的に棚上げする事にする。

「今はとにかく生き延びる事が大事、ですな。で、GM殿?」

「はい。えーと情報の開示制限が解除されましたので説明します」

 本来ならキャラクターたる彼らが知りえない情報は、世界の法則に抵触するため、GMが語る事すら許されない。だが、GMの上位にいる何者かが、気まぐれなのかバランス調整なのか、はたまた救済なのか、情報の開示を許可する事がある。

 今もまた、そんな例外のひと時だ。

 一同は固唾を呑んで、薄茶色の宝珠(オーブ)の言葉を待った。

「クンバカルナ平原は聖都レナスと、そのずっと南にあるレギ帝国領の間に広がる平原の名前です。トラウ荒野はその一部の地名ですね」

「へー、ほんならこのまま南に進めば、当初の目的達成やな」

「やった、これで清々と暮らせるぜ」

 いつの間にやら国外逃亡まで成ろうとしている棚ボタ展開に、モルトは声を弾ませ、アルトは飛び上がらんばかりに喜んだ。

「ええ、そうなんですけどね。その、非常に言いにくいのですけど」

 だが、その有頂天気分に水を差す、不吉な気配がにじみ出る。

「聞きたくないにゃ」

「ワタクシもぜひ遠慮したいですな」

 背丈半分(ハーフリング)コンビのマーベルとレッドグースが目を線にして耳を塞ぐ。

「クンバカルナ平原はですね、世界的にも有名な巨人族の群生地なんですよ」

 そういえば、彼らが持つアルセリア島の地図によれば、なぜかこの平原には街道がなかった。

 島を南北に別ける『天の支柱山脈』を迂回できる陸路は、島の東側、現在絶賛内戦中のタキシン王国ルートか、ここ、島の西側であるクンバカルナ平原ルートしかない。

 だと言うのにクンバカルナ平原を貫く街道が、一つも無いと言うのはおかしいと思っていたところである。

「巨人族ってーと、さっきのトロールってヤツ?」

 冷や汗をたらすアルトの問い。誰もがその回答に注目していた。薄茶色の宝珠(オーブ)は、またもや言い辛そうにしばし沈黙し、小さなため息と共に彼らをどん底に突き落とすのだ。

「トロールは()()巨人族です。クンバカルナ平原はもっと、上級の巨人族がそりゃぁワンサカ」

 巨人族。トロールのような程度の低い者もいるが、その大半は知能高く、そして竜族にも匹敵するほど強靭である。神々の末裔などと呼ぶ者もいるほどだ。

 中には友好的な種族ももちろんいるが、縄張り意識は強く、攻撃的な種族も多い。

「わぁい」

 ラ・ガイン教会の追っ手を振り切り、やっとの思いで漕ぎ着けた国外逃亡。しかし彼らの前途には、まだ苦難が待ち受けているようだ。

 はてさて、アルトたちは無事に、この難関を越えられるのだろうか。それはまた、次の機会に。

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