13荒野の死闘
次回、2章最終回は1/2掲載の予定です。
TRPGを遊ぶ上で無視することが出来ない存在のひとつ、ダイス。
日本語でサイコロの事である。
TRPGにおいてはさまざまな成否判定やダメージ決定など、ランダム性のある数字をたたき出す為に使われる、いわば必需品である。
白地に黒と赤い点で1から6までを表す正六面体が一般的なサイコロだが、TRPGでは実にさまざまなダイスを使用する。
八面体、十面体辺りは六面体に続いてメジャーだが、正三角錐の四面体ダイスという特殊な物も存在する。
また十面体2個を用いて、片方を1の位、もう片方を10の位とし、仮想的に百面ダイスとして利用する方法もあるが、実際に百面あるゴルフボールのような百面体ダイスも存在する。
メリクルリングRPGでは、ダメージダイスとして六面、成否ロールに百面を主に使用する。
さて、ここでアルトが獣骨兵を真っ二つにしたプロセスを、今度はシステム面から追ってみよう。
そこは四方八方360度全てを、薄茶色の半透明なガラスのような膜に覆われた、球状の奇妙な空間だった。
その空間の中央に彼の意識が浮遊している。
彼こそは日頃から『薄茶色の宝珠』と表される、元GMの本体であり、ここが『薄茶色の宝珠』の内部にある、彼の仕事場である。
どの様な具合で自らの意識が顕現しているのか、鏡も無いこの空間では確かめようも出来なかったが、彼を取り巻く薄茶色の膜越しに、外の様子は十分見えたし、傍らに浮かんだモニターのような枠に、公開非公開の区別無く、この世界の様々な情報が次々と飛び込んで来るので、別段、不自由も退屈も感じなかった。
「いくぜ、秘剣『ツバメ返し』!」
アルトが高らかにスキルの使用を宣言する。と、同時に、彼はモニターに意識をかざして、スキルの使用認可を申請する。
すると1秒としないうちに、モニターに『承認』のシグナルが点灯。彼はすぐさま復唱した。
「スキルの使用を承認します」
そこからが、彼の最も忙しい瞬間だ。
「アルトさんは『傭兵』レベル4、サムライ2レベル、器用度16。ここから基本命中率を58%と算出します。『ツバメ返し』『アインヘリアル』『ブレッシング』の付帯効果でさらに30%上昇。ここから獣骨兵の回避率40%を計上し、確定命中率48%です。ダイスを振ってください」
そこまで言い切ると、虚空より大きな十面体の物体が2つ現れた。それぞれが赤色と青色の2つの物体には、各面に0から9までの数字が振られている。それは紛れも無く十面ダイスである。
何を隠そう、これはアルトの無意識から生まれた、彼自身の運命を決めるダイスだ。
程なくして、宙に浮いた2つのダイスが激しく回転を始める。アルトの無意識が2つのダイスを振ったのだ。
「小! 小! 小!」
アルトの代わりに、彼は祈る気持ちで声を上げた。回転するダイスは球体の内幕を縦横無尽に飛び回り、やがてある数字を上にして止まる。赤いダイスが4、青いダイスが1という数字を示している。
「41ですね。確定命中率46%を下回りましたので、命中確定です。続いてダメージ算出に移ります」
彼がそう言うと、今度は6面ダイス2つが登場し、やはり彼だけの内的空間を縦横無尽に飛び回る。
「大! 大! 大!」
再び彼は祈るように声をあげ、ダイスは数字をたたき出す。出た数は5と6、合計で11だ。
「アルトさんの筋力と『胴田貫』から、打撃ボーナス8を計上し、ダメージは19点、さらにクリティカルヒット確定しましたので、もう一度どうぞ!」
メリクルリングRPGでは、2つの六面ダイスに、筋力や武器によるボーナスを加算して敵に与えるダメージを算出する。そしてこのダイスの値がある一定値を越えるとクリティカルヒット、通称『会心の一撃』が発生するのだ。
クリティカルヒットが発生すると、再びダイスを振り、同じ様にダメージ点を算出し、先のダメージ点に加算する。またこの時、ダイスで再び一定以上の数字をひねり出せば、さらに多段クリティカルの発生である。
すなわち、ダイスで良い数字を出し続ける限り、ダメージは無限に増え続ける、と言うことなのだ。
この時のアルトも、ダイスが巡り巡って3回の多段クリティカルを計上した。合計で68点と言う大ダメージ値である。
最後にここから敵の防御点を引き、敵が被るダメージが決定する。
「おお、さすがにこれは、オーバーキルですね」
かくして、1体目の獣骨兵は真っ二つとなった。
まさかの一撃必殺ぶりに、全員、顎を落とさんばかりに驚き慄いた。
「スゲーにゃ。今日からアっくんの座右の銘は『こいつぁ、すごいぜ』に決定にゃ」
「いやぁ実力実力。はっはっは」
アルトの仲間からすれば、まさに驚喜の出来事だ。だが相対するナトリからすれば、確信していた勝利の高台から転がり落ちたような気分だった。
獣骨兵はモンスターレベルで言えば5レベル。特に防御が硬くHPもそれなりだ。アルトからすれば格上の存在である。実際、浮遊転移基地では大苦戦だった。
ここは仕切りなおすべきか。ナトリの銀髪の下にある脳細胞が、活発に血液と酸素を巡らせる。自分も6レベルでアルトたちよりは格上だが、彼らは1度は彼女のボスさえ退けている。果たして勝利の確率はどれだけの高さを保っているのか。
他にも杞憂はある。すでに『遺跡幽閉作戦』で失敗しているナトリである。あと何度の失敗が認められるだろうか。
瞬時にそこまで考え、そしてナトリは決断の一言を発する。
「ま、いいか」
ボスは戦災孤児だったナトリを拾って育ててくれた。大いに恩は感じているが、だからと言って命を賭ける程かと言えば、彼女はそこまでの情熱を持ってはいなかった。
となれば、打つ手は次のラウンドを待って逃げるのみだ。
「よし、決めた。そうしよう」
いつものローテンション振りからは想像し辛いが、実はナトリは楽天家だ。実際、喜怒哀楽のうち、欠落している感情は怒と哀だけであり、あとはただ表に出すのが苦手なだけだった。
明日は明日の風が吹く。そういった持ち前の気楽さで、ナトリはいよいよ逃げる為の作戦を練ることにする。
だが、残念なことに、トラウ荒野は彼女にそれほど甘くはなかった。
「さぁ、まだ1ラウンド目は終わってへん。気ぃ引き締めるで」
「おー」
行動を終えたのは、モルト、マーベル、ナトリ、アルトまでで、まだもう一体の獣骨兵とレッドグースの行動が後に控えている。特に先日、空の上で大苦戦した獣骨兵の攻撃には、モルトの言うように気を引き締める必要があるだろう。
だがアルトは自信に満ちた表情で、新たなる相棒である『胴田貫』を埃でも払うかのように軽く一振りする。
「なに、昨日のオレとは一味違うぜ」
手に響く重量が『無銘の打刀』よりも大きい。高い打撃力を有する証拠だ。コイツがあれば先日の苦戦などなかったに違いない。見ろ、あの真っ二つになった残骸を。アルトはついさっき葬った骨のゴーレムにチラリと視線を移し、密かにほくそ笑んだ。
「あかん、また調子に乗っとる」
「慢心、いくないにゃ」
「さぁ来い!」
2人の呆れ声も耳には入らず、アルトは残った獣骨兵の剣を待つ。華麗に受けるか、もしくは避ける気満々だった。
だが、かの獣骨兵より先に動いた者がいた。それは誰もが予知しない所から現れた。
岩だ。アルトたちと向かい合う、ナトリが乗っている赤黒い大きな岩だ。
その岩からにゅっと長い腕が生えたように見えた。その光景を見ていた一同がぎょっとした瞬間、その長い腕はナトリの足を掴み、そしてアルトたちへ向かって投げ飛ばしたのだ。
「けふっ」
猛スピードで空を切り、ナトリの身体が赤茶けた土の上に叩き付けられて転がる。衝撃が肺に来たようで、ナトリはしきりに咳き込み、口元からは一筋の赤い血を垂らした。
ナトリは魔法職でHPも高くない。3メートルを越える高さから勢いつけて叩きつけられたこの打撃は、さすがにアルトも敵ながら心配になる。
だが、人の心配をしている場合ではなかった。新たな未知の敵が、その本性を彼らにさらし始めたからだ。
岩がゆっくりと立ち上がり、そして振り向いた。岩だと思っていたそれは、カマドウマのようにひどく背を曲げた、長い両腕をもつ赤黒い巨人だった。その背丈は曲がった状態ですら4メートルを越す。
「ななな、なんだあれ。あ、あれもゴーレムか?」
さっきの自信に満ちた表情は一発で吹き飛び、震えからカタカタと鳴り始める顎でアルトが叫ぶ。
ゴーレムとは岩や鉄、骨などの無機物から作り出される魔法の兵士だ。岩と間違えるほどの赤黒い肌を持つ巨人を目の前にして、アルトの言もまあ頷ける。だが、それはすぐさま、砂まみれで立ち上がった銀髪の少女によって否定された。
「あれはトロール。岩に成りすまして獲物を捕まえる低級巨人族」
「低級…」
何とか気持ちを希望に向けようと、アルトは都合のいい言葉だけ抜粋して呟いてみる。低級といえば、その人くくりの中では弱い方、という意味だろう。
しかしやっぱりその希望はナトリによって打ち砕かれた。
「ちなみにレベルは7」
「うん、それ無理」
アルトは即座に頷いた。
だが、腰の引けた我らが戦闘要員をさて置き、勇敢に岩の巨人へ立ち向かう者がいた。白い勇者、獣骨兵だ。
岩の巨人トロールの登場に、漠然と『敵が増えた』と考えていた面々は、その光景に唖然とした。だがナトリにより「私以外を殲滅せよ」と命令をされた獣骨兵にとっては、トロールもまた殲滅すべき対象なのだ。
まるで白い閃光のような機敏な動きで、獣骨兵はたちまちトロールの懐に潜り込み大地を蹴る。続けてトロールの足、膝と踏み台にして跳躍を果たした獣骨兵は、高くなり始めた太陽の日差しに照らされながら宙を翻り、その勢いを駆って『幅広の直刀』を振るった。『幅広の直刀』は岩のように硬そうなトロールの胸板を、薄くではあるが大きく斬り裂く。
トロールの赤い鮮血がワッと散り、着地を果たした獣骨兵の白い身体に降り注ぐ。その光景は異様であり、そして一種美しくもあった。
「『こいつぁ、すごいぜ』…」
初めは理解が追いつかず唖然としていた一同は、一気に興奮に沸き立った。その中で、マーベルが目を奪われたままにつぶやいた。
「いや、それオレの座右の銘だってアンタが」
「これは、新しい戦力としてスカウトも検討せねばいかんね」
続けてつぶやくモルトの言に、アルトは隊の戦闘要員として、いよいよ穴に入りたいような気分になるのだった。
「それはともかく、ひとまず共同戦線を張った方が、よろしいのではないですかな?」
新ヒーロー・白い骸骨剣士の登場に沸き立つ一同をよそに、レッドグースが申し出る。相手は無表情ながらも、不思議と憮然としているように見えるナトリだ。
すでに何通りか立てられていたナトリの逃亡プランは、状況の変化とともに役に立たないものとなってしまった。自分より格上レベルの敵に出現されては、逃亡も容易に成功しないだろう。
彼女はレッドグースの申し出に、ひとまず静かにうなずくしかなかった。
「『アインヘリアル』重ねがけにゃ」
「アル君に『キュアライズ』」
「どちらも承認です」
ナトリとの一時休戦を結んだ後に、いつの間にか『ハイディング』で姿を消したレッドグースをよそに、戦闘は第2ラウンドへと突入した。
まず、いち早く宣言された2人の魔法が効果を発揮する。
あたり一面は勇気を呼び起こす黄金の鱗粉に包まれ、また聖なる光の粒子は『シルブンシュート』に射られたアルトの傷を瞬く間に癒した。
そして続くナトリは再びどこからともなく矢を取り出す。
「『シルブンシュート』」
ナトリの掌から離れた矢は風に乗り、今度は岩の巨人めがけて飛翔した。風の精霊による必中の矢だ。
「グララァガア!」
吹き起こる突風と共に、矢はトロールを深々と射刺し、かの巨人に悲鳴を上げさせる。その声は風を震わせ、アルトたちの鼓膜を苛んだ。
「なんて声出しやがる」
『胴田貫』を両手で構えるがため、耳を塞ぐ事も叶わないアルトが眉をしかめる。ダメージや精神作用の特殊効果こそないものの、悲痛と怨嗟に満ちた巨人の悲鳴は、彼の繊細な心をビリビリと攻め立て、腰を引けさせた。
「ちくしょう、骨野郎に負けるか」
視覚的にもレベル的にも強大な岩の巨人を前に、当然アルトは怯まずにいられなかったが、それでも先のラウンドの獣骨兵による一太刀に、彼も沸き立った一人だ。怯えと勇気の危うい均衡の上でアルトは新たな相棒『胴田貫』を携えて駆け出した。
「行くぜ『木の葉打ち』!」
「承認します」
『胴田貫』を右斜め下後方、いわゆる脇構に持ち、アルトは、先のラウンドの獣骨兵を真似る様に大地を蹴った。
「足、膝、チエェェェイ!」
確認の声を上げながら、巨人の足、膝を踏み跳躍。その勢いを殺さず、そのまま脇構からの逆袈裟懸けを猿叫と共にトロールに浴びせる。それはさながら駆け上がる昇竜の拳が隻眼の猛虎を抉るかのごとく。
肉を斬り裂く確かな手ごたえがアルトの両腕に伝わると共に、雷撃にも似た光が一瞬閃いた。サムライの攻撃スキル『木の葉打ち』の視覚効果だ。
「グ、ガ…」
獣骨兵のつけた傷と交差する新たな刀傷から鮮血を流しながら、トロールは悲鳴を上げることができず、その身を小刻みに震わす。『木の葉打ち』は剣撃と共に麻痺の付帯効果を与える技だ。今、この岩の巨人はまんまと、その技の効果に囚われたのである。
「アっくんの『木の葉打ち』が決まる所、初めて見たにゃ」
「オ、オレもだ」
着地を決めたアルトも、これには思わずガッツポーズ。しかしその喜びも束の間のことだった。
「ガーッ!」
気合と怒りと憎しみを含む咆哮が、巨人の口から天に上がる。すると、まるで束縛の鎖を力技で断ち切るかのごとく、当の巨人は麻痺を振り払ってしまった。
「げぇ、効いてないじゃん」
「いえ、アルトさんの『木の葉打ち』まだランク1ですから」
これまた自分なりに会心の一刀であったので、アルトのショックも割と大きかった。だが、それはあくまで『メリクルリングRPG』のルールに裏付けられた一刀である。
『木の葉打ち』の麻痺効果は、ランクと同数回の行動のみ阻害する事ができるのだ。
「いや、そうか」
一瞬落胆しかけたアルトだったが、『胴田貫』を握る手に精一杯の虚勢を込める。
たった1回、されど1回。それだけでも攻撃を無効化できたというのは大きな意味があるはずだ。
相手は7レベルの怪物だ。しかも、特に物理攻撃力が高そうなタイプである。アルトなど、下手を打てば1、2発のパンチで赤い砂を舐める事になりかねないのだ。
そしてアルトのやる気を、もう一段上げる理由があった。
「コイツ、当てやすい」
今まで苦戦した敵は、そもそも攻撃があたらない事が多かった。当たっても、防御が高くてダメージが通らない事もあった。だが、このトロールは的が大きいせいか攻撃が当たるのだ。そして当たりさえすれば、『胴田貫』が少なからずの傷を入れてくれる。
そう考えている隙に、獣骨兵がトロールの脛辺りに攻撃を当てる。これを見てアルトは自分の考えが正しい事を認識した。
すなわち「トロールは時間さえかければ倒せる敵」である。
「よし」
何とか粘る事を心に決め、アルトはその額に滲む脂汗をぞんざいに拭った。
その時、アルトの後方で、モルトが拍子抜けそうな声を上げる。
「なんや?」
ちょうど第2ラウンドが終了しようと言う時である。アルトは何事か不思議に思って振り向くが、モルトは頭上のピルボックス帽を振り落とさんばかりに、無言で首を横に振るのだった。
「うーん、やっぱり『アインヘリアル』3段目にゃ」
第3ラウンド。マーベルは少し迷って、やっぱり『アインヘリアル』を重ねて使う事にする。
『精霊使い』は精霊魔法を使う場合、まず使役する精霊を召還しなくてはならない。つまり、ここで別の魔法を使用するなら、1ラウンドを費やして別の精霊を召還する必要があるのだ。しかもその場合、せっかく呼んであった勇気の精霊は精霊界に帰ってしまう。
ここがマーベルの迷いどころだった。
もっとも、その代わりに精霊魔法は、他職業のスキルや魔法に比べ、RRが短いと言う利点もある。だからこそ、ナトリも『シルブンシュート』を連発しているのだ。
「『シルブンシュート』」
そしてやはり、モルトの『キュアライズ』で癒されたナトリは、精霊の射矢を放つ。疾風と共に矢は、まっすぐトロールの肩を穿った。
「チェエエエ!」
さらに矢の後を追うように駆けたアルトが、奇怪な掛け声と共に巨人の脛を斬り付け、また深い傷を入れるのだ。
「グララァガア!」
この連続攻撃に巨人はたまらず叫びを上げる。だが、さすが巨人族、これだけの集中砲火を浴び悲鳴こそ上げるものの、その動きや攻撃に向かう意思は全く衰えを見せない。巨人族はHPが極端に高いのだ。おそらくこれまでのダメージを加味しても、半分も減っていないだろう。
「アっくん、また『ツバメ返し』でズバーっとやっちゃうにゃ」
「無理だ、RRが4なんだよ『ツバメ返し』は」
RR4、つまり4ラウンドに1度しか使えない、と言う意味である。すなわち、第1ラウンドで『ツバメ返し』を使ったアルトが、次に使用可能になるのは第5ラウンドなのだ。
さて、ここまで一方的とも言えるほどの打撃を被った岩の巨人は、少ない脳みそを捻って考えた。
どうやら今日の獲物は、おとなしく喰われるタマではないらしい。だがしかし、数日振りの食事を逃す手などないのだ。まったく腹立たしい限りである。どうしたものか。
巡りの悪い思考を無理やり回転させ、トロールは眼下の獲物たちを見回す。そしてトロールはひとまず目標を定め、その長い腕を伸ばしたのだった。
「な、なんや」
巨人の長い腕が、アルトの頭上を越えてモルトの腕を掴み、無造作に振り上げた。
まるで人形でも持ちあげるような気安さだったが、振り回される方はたまったものではない。掴まれた腕、肩に遠心力で増大された自分の全体重がかかるのだ。現実であればすぐさま脱臼するところである。
だが幸か不幸かメリクルリングRPGに『脱臼』というステータスは存在しなかった。おかげで、脱臼並みの苦痛を、モルトは身体を壊さずに味わう事になる。
「うぎゃー」
そしてそれはただ振り回されて終わるわけではない。グルグルと存分に遠心力をつけられたモルトは、最後に叩きつけられる運命にあるのだ。
「はぐぅっ」
四肢が千切れるんじゃないかと思うほどの激痛に、モルトの意識は薄れかけ、そして寸前で踏みとどまる。『護衛官』2レベルでもあるモルトだ。戦士系なのでHPが高かったのが幸いした。はとはいえ、モルトのHPは今の一撃で壊滅的だった。
それにしても、固い岩ではなく比較的柔らかい所に叩きつけられたのは助かった。
「うぎゅう」
などと思ったら、自分の尻の下から、カエルを潰したような声が聞こえるので驚きだ。焦って確かめてみれば、それはアルトだった。叩きつけられたモルトの下敷きになったのは、地面ではなく、この若いサムライだったのだ。
「ちょ、アル君!」
見ればアルトも、今のでモルト同様に重傷を負った様子だ。さすがにどちらも戦士系だったおかげで即死は免れたが、これは戦術的にも大打撃である。
「巨人族の特殊攻撃『デススロウ』です」
「うぎぎ、デススロウだって?」
マーベルのリュックから、ちょろりと顔を出した薄茶色の宝珠の声に、モルトの下から、命からがら這い出したアルトが応える。
「あの長い手で前衛後衛関係なく放てます。振り回す回数はランダムで、回数が多い程ダメージが倍増します。そしてRRは2です」
アルトもモルトもそれを聞いてゾッとした。
モルトの使うHP回復魔法『キュアライズ』の効果範囲は1人である。すなわち『キュアライズ』では1ラウンドに1人しか回復ができない。
アルトが前衛一枚看板で、一身にダメージを被るならこれでよいのだが、一度に2人がダメージを被る場合は苦戦を強いられる事になる。
しかも『デススロウ』は前衛後衛の別なく、あの長い腕で仕掛けられるという。
RRにより、2ラウンドに1回だけというのが救いだが、それでも『デススロウ』が無いラウンドにトロールが棒立ちしているわけがない。
つまりこの戦い、完全に運に任せた勝負なのだ。しかも相当に分が悪い。
そして、彼らの不幸はそこに踏みとどまらなかった。
『デススロウ』に気を取られた隙を突くかの様に、獣骨兵が後衛にいたねこ耳童女に切り付けたのだ。
「ぎにゃっ」
トロールに攻撃を仕掛けていたせいで仲間のような気がしていたが、そもそも獣骨兵にとっては、ナトリ以外全て敵なのだ。
持ち前の素早さで、マーベルは紙一重で重傷を避けたが、それでもHPが極端に低いケットシーである。かすり傷とはいえ致命傷になり得る。
アルトはトロールの事を「時間さえかければ倒せる敵」と思っていた。だが、それはあくまで「倒すまでの時間」に「こちらがやられなければ」の話しである。
「勝てる」などと思ったのは幻想だった。それはたった3ラウンドでぶち殺される、儚い幻想であった。
このピンチで押し黙ったままのモルトとマーベルに、アルトの心は更に暗鬱となるのだった。




