09楽園の失墜
ヒゲ面のおっさん、人形の家、着せ替え人形の少女。さてこの組み合わせを見たら、人はどんな反応するだろうか。
その青空を臨むドーム部屋で、実際にその光景を目撃した、アルト、モルト、マーベルの3人は、冷めた目でヒゲ面のおっさんを見下ろした。どの目にも「ああ、やっぱりな」と言うニュアンスを、感受性が豊かでない人でも読み取ることが出来るだろう。
「や、これは、ち、違いますぞ」
普段から飄々としているレッドグースが、珍しく慌てた風にあたふたと人形の家を背に隠すが、3人の耳には言い訳じみたその声は届かない。
「ああうん、わかっとるよ。ええ趣味やね」
「そうだな。可愛くっていいよな、人形の家。わかんねーけど」
冬の日本海を思わせるような冷めた瞳から一転、春の太平洋のような柔らかい笑顔を浮かべ、アルトとモルトが薄っぺらな言葉を吐く。レッドグースは心底ウンザリとした表情で、がっくりと肩を落とした。
「やめてくだされ、これはそういうんではなく…」
「がちょさん、ロリコンにゃ?」
さらに言を重ねようとするレッドグースは、そんなマーベルの直言に仰け反った。端から見れば、マーベルの投げた硬球がレッドグースの額にクリティカルヒットした幻影すら浮かんで見える。
そして数秒の後、起き上がり小法師のように戻ってきたレッドグースの目は、ギラギラと燃え盛っていた。
「マーベル殿、勘違いしてはいけませぬ。ロリコンと言うのは『子供にしか性的興奮を覚えない者』の事ですぞ。その点、ワタクシは女子小学生も女子中学生も女子高生も女子大生もOLもナースも女教師も人妻も、全く、全て、一様に、おしなべて、オール大好きなのですぞ」
3人の瞳は、再び液体窒素の如き冷たさを取り戻すのだった。
それはさておき、無言の糾弾を終えた3人は、その人形の家に設えられたベットに横たわる、着せ替え人形の少女をまじまじと観察した。
レッドグースが言うには、未探索だった円柱台座に鎮座していたのがこのセットだったらしい。もしやこの遺跡の持ち主は世間的に微妙な趣味の持ち主だったのだろうか、などという言い知れぬ気持ちに包まれつつも、怖いもの見たさにも似た好奇心が3人の視線を支配した。
顔つきや体の線から察するに、中学生くらいの少女をモチーフにしている様だ。
こげ茶色のショートヘアのその少女は、まだ未成熟な細いラインを惜しげもなく晒す、タイトでロングな深緑のワンピースに、皮のジャンパーと飛行帽を合わせると言う暴力的なコーディネートで、手には恐らく飛行帽とセットなのだろうゴーグルを握っていた。
着せ替え人形、と例えたが、よく見れば関節部などにパーツを分割するような割れ目は見当たらないし、肌も硬質な人形とは違い、柔らかそうな色をしている。どうもフィギュアとか、この人形の家も含めたヴィネットと呼んだ方が正しい表現かもしれない。
「なかなか美人さんやね」
感嘆のため息をつきながらのモルトの言葉に、アルトはなんとなく既視感を憶えて額に手を当てる。そういえば、気を失った銀髪の乙女に出会った時も同じ台詞を聞いた。思い出して、そこから続きの展開が走馬灯の様に脳裏をめぐり、アルトは軽く落ち込んだ。少しトラウマになっているようだ。
「なんなんにゃ?」
頭の上に疑問符を飛ばしながら、マーベルが少女の頬を軽くつつく。これはいったい何であるか。何故ここにあるのか。と言いたいようだ。
人形の少女の頬は柔らかそうな色合いとは違い、やはり無機物らしく硬質だった。それでも不思議と冷たさは感じなかった。
マーベルは頭上の疑問符の数を増やしながら指を引く。と、同時に、小さなベット上の人形の少女は、寝返りをうつ。
「うーんむにゃむにゃ」
その小さな口から漏れるのは、耳に判別できないようなあやふやな寝言。額を寄せ合うように覗き込んでいた一同は、瞬間的に後退った。
「い、生きとる?」
「え、えーやだなぁ、ナニイッテルンデスカー」
なぜかひそひそ声でやり取りするが、アルトなどは何とか気のせいにしたいようで、必死な作り笑いをしきりに浮かべた。
しかしそんな現実逃避をよそに、人形の少女は眠たそうに瞳をこすりながら、ベットからその半身をゆっくりと起こす。
「+++++++?」
大きなあくびをしながら少女は聞き慣れない言語を発した。まだ幼さを残す高く、少し甘えたような鼻にかかった声だった。
だが少女を取り巻く4人の蛮人たちは、その言語を誰一人として理解できなかったので返事も出来ず、ただゴウンゴウンと言う音だけが辺りを支配した。
無言に違和感を感じたのか、少女は眠たそうな目でアルトたちを見回してから、再び口を開く。
「どちら様…で、ありますか?」
今度は聞きなれたメリクル語だったので、誰もが理解をする事ができた。だが、その問いになんと答えていいものか、結局4人は口をポカンと開けたまま沈黙するのみだった。
その場の全員はしばし互いの視線を交わすのみだったが、疑問符を散らすばかりで埒が明かない。レッドグースはやれやれとため息をひとつつき、一同からズイと少しだけ乗り出して人形の少女に顔を寄せた。
「ワタクシたちは冒険者ですな。まー色々ありまして、この遺跡に閉じ込められてしまったのです」
「ぼーけんしゃ? いせき?」
まだ少し寝ぼけているのか、それとも言葉の意味を図りかねているのか、少女はくりんと小さな頭をかしげる。動きは人間そのものだが、縮尺が小さい分、ちまちまとして可愛らしい。
まだ半開きだった少女の瞳は、徐々に光を取り戻し、手に持っていたゴーグルを頭に装着する。どうやら寝起きの頭から、やっと覚醒を果たしたようだ。
「えーと、今はいつで、親父殿はどこでありますか?」
またもや返答に窮する4人だった。「いつ」と聞かれても、一堂に会する各々は、この国やこの世界で使われている年号を知らなかったし、「親父殿」と言われても、そもそもこの人形の少女が何者であるかもわからないのだ。
「んー、まずお互いの自己紹介からにせーへん?」
「ワタクシもいきなり過ぎたようですな。モルト殿に賛成ですぞ」
仲間に耳打ちするような小声で年長組の2人が頷きあう。特に当たり障りのある意見ではなかったので、高校生コンビにも異論はなかった。
「コホン。では私から」
まず先に、そう名乗りを上げたのはマーベルの掌に納まっていた薄茶色の宝珠氏である。瞬間、モルトから鋭い裏掌が入り、続いてマーベルのボーリングフォームによる投擲が繰り出された。
「話をややこしくしないで欲しいにゃ」
「はい。しばらく黙ってます。くすん」
割と暇で寂しかったのかもしれない。
人形の少女はそんなやり取りを見てクスリと笑い、ベットから降りて深々とお辞儀をする。
「ようこそ浮遊転移基地『ラズワルド』へ、であります」
ゆっくりと上げた笑顔は、久々の客人に対するもてなしと好奇心に満ちていた。その少女の視線の先の冒険者たちは、さらに出てきた謎の名詞に戸惑うばかりだったが、少女はお構い無しに、まるで定型文のような台詞を続ける。
「私の名前は『ティラミス』。親父殿からこの基地の管理を任されている、いわば船長でありますなー。お客人の目的地はどこでありますかな?」
「いやいやいや、ちょっと待って」
スラスラと話を進める人形の少女に口を挟んだのはアルトだった。まず誰もが理解に追いついていない。浮遊転移基地? 言葉の意味はなんとなくわかるが、それが具体的になんであるか、まったくわからない。元GMである薄茶色の宝珠に訊けば何かわかるかもしれないが、どうせいつもの「抵触事項」だろう。
待て、と言われた少女は素直にその動きと言葉を止めて首をかしげた。無言のまま小さな瞳は、アルトの言葉の続きを待っているようだ。
「えーと、オレたち、ここへは不本意で来たわけで、そもそも何の為の場所かも、誰が作ったのかもわからないんだけど」
「おや迷子でありましたか」
「まい…いやまぁそうだな。とにかく、ここはいったいなんなんだ?」
女性を苦手とする上、大層な臆病を散々晒したアルトにしては堂々としたやり取りだ。女性型の未知の存在とはいえ、さすがに身長14センチメートルの小さきモノに怯えるほどの小心ではなかった様だ。
ティラミスと名乗った人形の少女は、人差し指を頬に当て、なんと返答していいか思案するように虚空に視線を移す。
「えっとえっと、この『ラズワルド』は、親父殿が大陸と島を行き来する為に、このティラミスが作った転移装置であります」
それを聞き付け、レッドグースがカストロ髭をなぞりながら「ははぁ」と理解顔を示す。『転移装置』と言うが、この遺跡の主な装置は空に浮遊する為のもので、転移に関しては下階にいる馬頭の悪魔、オリュフェスに依存するのだろう。確か、彼の秘術は『転移術』だと言っていたし、契約により、『魔術師』を何度も転移した、とも言っていた。また、その『魔術師』がティラミスの『親父殿』なのではないだろうか。
レッドグースが仲間に述べたその見解に、ティラミスは満足げに笑顔で頷いた。
「正解であります、ヒゲの兄貴殿」
なるほど、と一同は頷いた。
そうなってくると色々と光明が見えてくる。
かの馬頭の悪魔に指示された『契約からの解放』も、アルトたちのこの遺跡、改め、浮遊転移基地『ラズワルド』からの脱出も、管理者であるティラミスがいるなら話は簡単なのではないか。
まだ具体的に交渉したわけではないが、なにやら解が見えてきたおかげで、アルトたちの心はひとまず軽くなった。軽くなったところで、アルトたちの心に、いくつかの好奇心が湧きだした。
「いやしかし、空を飛ぶ施設とは、なかなかにすごい装置ですな」
昔からファンタジー物語において『空を飛ぶ』というのは珍しくない。魔女の箒を初め、数々の道具が挙げられるし、空中に浮かぶ都市の伝説なんてものもある。最近のファンタジーゲームでも、飛行船、飛空船なんて存在はお馴染みになりつつある。空とは、翼を持たない人間にとって、太古の昔よりひとつのロマンの形なのである。
飛行機が当たり前の世界から来たアルトたちでも、いや、現代科学を知っているからこそ、この空飛ぶ装置はアルトたちの心を弾ませるに十分な魅力を持っていた。
「して、どのような仕組みで飛んでいるのですかな?」
『科学にて空を飛ぶ』という常識に慣れたアルトたちの興味は、まずそこに向いた。「魔法で」と答えられれば納得せざるを得ないが、それでもこの遺跡を見てきた所から、ただ魔法だけで飛んでいるとは思えない。下階の徳利型ボイラー然り、先に探索した翼のような左右の通路然り、である。
そんな興味深々なアルトたちの様子に、ティラミスは鼻を高くして、膨らみの殆どない胸をそらした。
「燃料はこれ。魔法結晶体であります」
ティラミスはポケットから1センチメートル程度の大きさの、緑色の宝石のような小石を取り出し掲げる。アルトたちからすればほんの小さな欠片だが、彼女が持つと掌いっぱいである。
「やっぱり魔法にゃ」
少々がっかりしたように鼻を鳴らすマーベルに、ティラミスは人差し指を左右に振りながら、ちっちっち、と舌を鳴らす。
「確かに精錬に魔法を使いますが、これは歴とした鉱物であります。竜脈と呼ばれる大地の気が集う場所で発掘されるでありますよ。親父殿の友人であるマルティン卿の発見であります」
まるで自分の功績を自慢するように鼻を膨らませて、ティラミスは話を続ける。
「この小さな魔力結晶体を、高速で別の小さな魔力結晶体にぶつけるであります。するとぶつけられた魔力結晶体は分裂を起こしてすさまじい熱を発するであります。その熱量はおよそ810ジゴワット」
「いや数字出されても知らんがな」
「その熱量を圧縮して、東西にあるタービン室で噴流を生成するであります。ま、飛んでいる訳でなく、浮いてるだけでありますな」
つまり先に見つけた2つの謎解き部屋がタービン室であり、下階の徳利型ボイラーの正体が魔力結晶炉ということらしい。
なにやら危険な空気を察したか、レッドグースはドン引きである。
「いやいや、有毒ガスも出しませんし、きわめてクリーンなエネルギーですぞ?」
「そのフレーズは止めて欲しかったですな」
レッドグースは、いよいよ両掌でヒゲ顔を覆って落胆した。
「で、結局、ティラミーって何なん?」
なぜか隅っこで震えているレッドグースはさておき、モルトはもうひとつの興味である問いを投げかけることにした。アルト、マーベルも、この施設の仕組みより興味が強い事項だったようで、身を乗り出して耳を傾ける。
「あー、そういえば名前だけしか名乗ってなかったでありますな。コホン」
ティラミスは勿体つけるように小さく咳払いを入れ、芝居がかった仕草でタイトなスカートをつまんで優雅にお辞儀をした。
「デピス研究所謹製、人工知能搭載型ゴーレム『人形姉妹』が四女、『機械仕掛けのティラミス』であります」
ゆっくりと上げた笑顔は、自らの生まれに対する確たる自信と誇りに満ち、ともすれば一種、挑戦的な光を湛えていた。
たった14センチメートルの少女の迫力に押され、アルトとモルトは思わず姿勢を正して返礼する。
『デピス』と言えば、アルトたちは以前、彼の研究施設であった遺跡を訪れている。アルトたちの同胞であるカリストの身体を奪った黒衣の魔術師と戦ったのもその遺跡だ。思い出してみればあの戦いにおいては、彼のゴーレムに命を救われたとも言えるのだ。そう思い立っては、2人はさらに深く頭を下げるのだった。
「そんにゃ事より」
なにやら返礼合戦に突入したアルト、モルト、ティラミスをよそに、外を向いていたマーベルが唐突に呟いた。その視線の先にあるのは、骸骨の剣士と斬り結んだ、あの玉子型の小部屋の外観だった。ティラミスの言うところのタービン室である。
「煙、噴いてるにゃ」
全員、ギョッとして振り向く。透明なドーム越しに見える玉子型のタービン室は、マーベルの言を肯定するように、灰色の煙をもくもくと噴出していた。
「何事でありますか!」
蒼ざめた表情でティラミスは悲鳴を上げたかと思うと、はじき出された様に、タービン室へと続く扉へ駆け寄った。人形だと言うのに、表情豊かである。
ティラミスに続いて、アルト、モルトも通路を覗き込む。その先には、アルトたちが止めを刺した骸骨の剣士の残骸が横たわっているのみだった。
ティラミスはその情景にいっそう悲壮さを増し、開いた扉の前で腰砕けにへたり込む。煙が噴いている、と言うのは確かに一大事っぽい。だがアルトとモルトは、そんな彼女が通路先の何にショックを受けているのかわからず、顔を見合わせた。
そんな時、自己紹介の初めに、マーベルの手によって転がされた薄茶色の宝珠が、アルトたちの足元へ転がり戻ってきた。
「さっき、マーベルさんが解放した水の精霊なんですけど」
「にゃ?」
「冷却水の循環を司ってたんじゃないですか?」
つまり、冷却水不足による、タービンのオーバーヒートである。
「つーかGM、あんた自分で動けるのかよ」
「いえ、あの、大変言い難いんですが、傾いてますよ」
直後、煙を吐き出し続けるタービン室を下に向けるかのように、『ラズワルド』は、さらに大きく傾いた。
深い青空と雲海の狭間に浮いていた『ラズワルド』が大きく傾くと共に、雲海に向けてゆっくりと降下を始めた。いや、遠くから眺めればゆっくりに見えるが、実のところそれほど悠長なことを言っている場合ではない。その証拠に『ラズワルド』の船橋に当たる、上層部のドーム部屋は混乱の極みにあった。
降下により重力を半分ほど失い、各人はフワフワとしながら掴まる場所を求めて右往左往。ついでに誰も気にも留める余裕はないが、室内は絶叫に満たされた。
「ぎゃー、なんでこんなことにーっ」
アルトは部屋中央の、ティラミスの人形の家があった円柱にしがみつき、叫びを上げる。子供の頃に遊園地で乗ったフリーフォールを思い出すが、高さも違うし、彼を支えるベルトもバーもない。直接風を切っていない分だけマシにも思えるが、アトラクションと違って安全の保証など誰もしてくれない。正真正銘の自由落下なのである。
「落下によるダメージ、計算しときましょうか?」
「せんでええわ!」
すっかり水に戻っているワインの入った腰掛収納箱にしがみつくモルトと、その近くで無重力を味わいつつ漂う薄茶色の宝珠。
「困ったことに、ちょっと楽しい自分がいるにゃ」
猫目をらんらんと輝かせながら、アルトのズボンにしがみつくマーベル。
「ティラミス殿、何とかならんのですかな」
「やってるであります、ありますが…無理でありますーっ。生き残った者は全力で生き延びろでありますーっ」
操作パネルを必死に叩くティラミスと、パネルのある直方体の台座にしがみつくレッドグース。
誰もがなす術も無く、降下する『ラズワルド』と運命を共にするしかなかった。
雲海を貫き、青かった空から曇天の下に出た『ラズワルド』の眼下には、黒くくすんだ海面と海岸線が見える。運が良い、と言って良いかわからないが、何処かの街に墜ちるなどという最悪のシナリオは無さそうだ。
だが誰を道連れにするにせよ、しないにせよ、『ラズワルド』乗員の助かる確率は無きに等しかった。
加速状態で水面に着水すると、コンクリートに激突した時と同等の衝撃を受ける、などという話もある。どの程度の速度、どの程度の高さでその様な結果になるのかわからないが、5000メートル上空から自由落下した『ラズワルド』の味わう衝撃が、それ以下ということはないだろう。
「着水と同時にジャンプするにゃ」
「むぅーりーっ」
無理である。着水と同時に、乗員には過大な重力が掛かることだろう。そんな重力の中で動ける者など、いやしないだろう。
絶体絶命。まさに字面の通りの状況で、誰もが自分の命を諦めた。誰もがその瞬間に備え、歯を食い縛り、瞳を硬く閉じた。そして混乱は静寂に取って代わった。
だが、幸運なことに、天は彼らを見放さなかった。いや、この場合、彼らを見放さなかったのは天や神ではない。
それは1人の悪魔であった。
「汝ら、今、何時ら?」
下階に続く2重扉から、緊張感の欠片も無くひょっこりと顔を出したのは、優美で禍々しい馬の頭であった。




