08骨と遊ぼう
「マーベル、オレの後ろに!」
「ハイにゃーっ」
思いがけず自分の喉から出た悲鳴に赤面しつつも、アルトは咄嗟に腰を低くして『無銘の打刀』に手をかける。驚いたのはマーベルも同様で、即座に這うようにしてアルトの背後へと逃げ込んだ。
「モルトさんを呼んでくれ、『不死の怪物』だ」
目は骸骨の剣士を見据えたままの、アルトの求めに応じ、マーベルはすぐさま元いたドーム部屋へと向かって駆け出す。戦闘フェイズは始まっていたようだが、敏捷に長けたマーベルが、アルトに遮られた骸骨の剣士から逃げ出すのに何の障害もなかった。
残されたのはアルトと、青白い乙女を背に侍らせた骸骨の剣士だ。
コイツは何だ、あの乙女と骸骨が2対で1体の怪物なのか、それとも別々の存在なのか。『学者』1レベルで『言語学』しか持たないので、アルトには残念ながら何の情報も降りてこない。情報が無いなら、無いなりにやるしかない。
さて、どうしたものか。
『無銘の打刀』は刀身1メートル弱で、室内でも比較的簡便に振り回せる。それでもこの通路は狭すぎるし、天井も低すぎた。ここで戦闘するなら、命中率に少ないくないペナルティを負うだろう。もしかすると『無銘の打刀』を振り切れない分、打撃力にも影響があるかもしれない。
アルトは瞬時にそう判断し、『無銘の打刀』を抜かないままに、眼前の骸骨剣士を押し出す事にした。この扉の先の暗闇が、外から見えたのと同じ広さの玉子型の部屋ならば、通路で抜くよりずっとマシなはずだ。
アルトは狭い間合いで出来る限りの助走を込め、骸骨の剣士に右の肩を思い切りぶちかます。
「おりゃーっ」
狭い廊下でペナルティを受けるのは相手も同じで、骸骨の剣士は避ける事かなわず。アルトの身共々、踵から僅かに土煙を立てながら奥の暗闇の中へと押し出された。
この時、アルトが使ったのは戦士系職業の基本技能のひとつ、ショルダーチャージである。全身の力を込めたタックルをぶつけ、己の身共々、相手を戦闘列から一段後ろへ下げる。
また、ショルダーチャージを行った本人は、そのラウンドの間、回避などにペナルティを追う、捨て身の戦術でもある。
外から見た玉子型の部屋は、通路よりはマシだったが思ったほど広くなかった。と言うのも、通路と同じ高さに床が作られており、部屋の中央にはさらにふた回りほど小さい、玉子型のドームがそびえていたからだ。
通路を渡って伸びる配管の終点はこの小玉子らしく、ゴウンゴウンという音は、遺跡に入って以来、最大の音量となった。
骸骨の剣士を押し込んだアルトは、その勢いを駆って『無銘の打刀』を叩き込むべく抜き放つ。が、その剣先が振るわれるより早く、骸骨の剣士の刀剣がアルトを襲った。まだこのラウンドが終了していないのだ。
長い片刃の直刀、それでいて刃の面は円月の流線を描く『幅広の直刀』と呼ばれる、両手持ちの刀剣が暗闇の中で閃く。
最初は『かわせる』と踏んでいたアルトだが、剣の軌道は想像以上に早い。『幅広の直刀』からアルトを斬り裂くべく生まれたその運動エネルギーは、身をよじったアルトの『鎖帷子』越しのわき腹へと深々と突き刺さった。
この世界に降り立ってから、何度も味わった己の身を裂く激痛。アルトはたまらず眉をしかめ、ぐふぅ、と小さく息を吐いた。
「ちくしょう、何度喰らっても慣れねーよ」
今の一撃でアルトのHPは三分の一が削られた。たかが骸骨と侮っていたが、どうやらコイツは手強い相手だ。
「一対一じゃキツそうだぜ」
激痛に軋む身体に動けと念じ、アルトは『無銘の打刀』を八双に構えた。
「大変にゃ、お化けが出たにゃっ」
青空を望むドーム部屋へ転がり込むように戻ったマーベルの第一声である。
モルトもレッドグースも、その真意を測りかね首を傾げたが、マーベルの慌て具合から事の尋常ならざるを察し、各々の得物に手を伸ばす。
「何があったんや」
「早く行かにゃいと、またアっくんがズタボロにゃ」
あまりの混乱ぶりに要領を得ないマーベルの言だが、この2ヶ月、命を共にした仲間である。状況を察するにはそれでも十分だった。
「お化けと言うと『不死の怪物』ですかな?」
「ならウチの出番や」
モルトのメイン職業である『聖職者』は主にHPの回復など後方支援を得意とする職業だ。
しかし例外的に『不死の魔物』に対しては、それなりの殲滅力を持ち合わせている。それが神聖魔法『イクソシズム』であり『ホーリーブレイド』である。
「今行くで、アル君、待っててや」
巨大な縫い針にも似た愛剣『鎧刺し』を手に、モルトは勢いよく立ち上がり、走るには狭いドーム内を駆け出した。
駆け出して、身と共に翻した『鎧刺し』の鞘で、何かをガシャンと突き落とした。
「な、なんや?」
慌てて振り向くモルトだが、その手をマーベルに引かれていて思うように状況の確認が出来ない。早くアルトの救援に向かわねば、という思いからか、マーベルの手はいつに無く力強かった。
「モルト殿、ここはワタクシがやっておきますから、先に行ってくだされ」
見かねたレッドグースがそう声を上げ、モルトは頷き、手を引かれる先へと目を向ける。そうだ、今、優先すべきは仲間の救援だ。
マーベルとモルトは放たれた矢のように、小さな戸から階段を飛び降りた。
「さて」
残されたレッドグースは、モルトにより落とされた、ガシャンという音の主に目を向ける。それは床に転がった小さな黒い半球状の殻だった。この部屋で未だ調査できずにいた2つの台座のうちのひとつ。丸い円柱の上にあった物である。
「おや、これは…」
半球が取り除かれた円柱台座にあったものを目で追い、レッドグースは声を失った。
鋭い刃の切っ先が薄暗い空を斬り割く。
「ちぃ、コイツ早い」
渾身の一振りを骸骨の剣士に避けられ、アルトは苛立ちに舌打つ。が、その隙にもするりと間合いに滑り込んできた骸骨の剣士による剣打は、再びアルトの『鎖帷子』を強く叩き伏せる。
先の脇腹に受けた傷からも、この骸骨が只者ではないとアルトは判断していた。それでなくても4レベル『傭兵』である彼の剣打を易々と避けるのだ。そのくせ、骸骨の剣士による攻撃は、ちっとも避けることが出来ない。
暗中や薄暗い場所での戦闘は視界が悪いので、命中率や回避にペナルティが付く。敵は元々が闇に潜む無生物であるから、恐らくその『暗さによるペナルティ』を受けていないだろう。そのせいだ、と、やられっぱなしのアルトは思いたかった。
すでに3ラウンドが終了し、アルトのHPはすでに風前の灯だった。
「来たにゃ!」
そこに息を切らせて駆け込むのは、ねこ耳の童女と白い法衣の乙女である。アルトは息も絶え絶えに『無銘の打刀』をぶら下げたまま力弱く頷いた。
「遅せーよ、とりあえず灯りを頼む」
そして4ラウンド目が始まる。
「光の精霊召還にゃ。『ウィスプグリッター』!」
「承認します」
ねこ耳を揺らしながらマーベルが叫び、右腕を高々と掲げる。すると宙に突如としてまばゆい光が生まれ、やがて収束し、淡い光を放つ、虚空に浮かぶ小さな球が現れた。精霊魔法『ウィスプグリッター』だ。
『ウィスプグリッター』は他の精霊魔法と違い、精霊召還から使用までのタイムラグがない。灯りとしては初手ですぐ使えるので便利といえる。ただし光の精霊に攻撃を命じる事ができるのは次のラウンドになる。
その光の精霊により薄暗かった部屋に淡い光が差す。骸骨の剣士が怯むような事はさすがになかったが、その背に侍っていた青白い乙女は、驚いたようにふわりと浮かび上がって数メートル下がった。怯えて震えているようにも見える。
「おっしゃ、ウチの番やで。『イクソシズム』! …と行きたいとこやけど、ここは『キュアライズ』が先やな」
「『キュアライズ』ですね、承認します」
マーベルに続いてモルトの宣言が世界に承認されると、かざす掌の先のアルトの足下に聖なる青光と共に、祭神であるキフネの聖印が浮かび上がった。聖印から生まれた小さな光の粒子は、アルトの身体に纏わりつくつくように舞い、脇腹や肩口に付いた真新しい傷を縫い合わせていく。
「サンキュー、マーベル、モルトさん」
痛みが引いた事により、耐える消耗から解放され、アルトは元気良く顔を上げ、駆けつけてくれた仲間に親指を立てた。
「ここからが本番だ。『木の葉打ち』行くぜ!」
「承認します…けど」
珍しく歯切れに悪いGMの返事も勢いづいたアルトには届かず。アルトは脇を締めた小さな構えから、開いた数歩分の間合いを鋭く詰めて『無銘の打刀』を振り下ろした。
光の精霊のおかげでペナルティが払拭された、鋭い軌道が弧を描く。
ギャイン
互いの剣同士が交錯する激しい音。それはアルトの剣戟が捩じ伏せられる様に逸らされた音である。またもや攻撃を避けられたのだ。
「げっマジか」
アルトの焦りと裏腹に、骸骨の剣士には悠然とした風格すら感じてしまう。もちろん、無機物である骸骨の剣士が何か物を思うわけではないので、それは錯覚に過ぎない。それでも戦士としての腕がアルトを上回っているのは確かなようだ。
「ところでさっきの『けど』はなんにゃ?」
「『木の葉打ち』は相手の急所を狙い打つ事で麻痺効果を及ぼすスキルです。…骸骨に急所があると思いますか?」
「…なさそうにゃー」
そしてアルトはまた『幅広の直刀』の蹂躙を受けるのだった。
「おいおいマジかよ。骨の癖に強すぎるぞ」
すっかり弱音を吐きながら、アルトは『無銘の打刀』を正眼中段に構え、ジリジリと後退る。そうは言っても逃げるわけには行かない。彼の背後にはまだ手を打つべき仲間がいるのだ。
「むー、何するのがいいか迷うにゃ」
だが仲間その一は道を見失っていた。アルトはこのあんまりな態度に、落胆のため、視界が真っ暗になる思いだった。
「いやいや『アインヘリアル』くれよ!」
「最近、アレばっかりにゃ。さすがに飽きたにゃ」
精霊魔法『アインヘリアル』は勇気の精霊の力を借り、戦いに望む気力を呼び起こす。結果、命中率などにボーナスを得ることが出来るので、前衛職との親和性が非常に高い。アルトの求めに応じ、確かに使用頻度が高い魔法である。
また精霊魔法は召還する精霊にちなんだ自然物が近くになくてはならない、という制約があるが、『勇気』という『精神』の精霊は、そこに人がいる以上、どこでも召還ができるという便利な魔法でもある。
「そんなこと言ってる場合かーっ」
ほんの一瞬だが、二人の視線が火花を散らしあう。だが、その瞬間を引き裂くように、白い法衣の乙女が一歩だけ踏み出した。
「喧嘩しとるなら先行くで。GM、『イクソシズム』や」
「承認します」
モルトが右掌を天に掲げる。すると光り輝く聖印が骸骨の剣士の足下に広がった。だがこれは『キュアライズ』のような優しい光ではない。不死なる魔物を打ち滅ぼす破魔の光である。
聖印を形成する退魔の光は瞬間的に広範囲に拡散し、鋭い光の矢となって、骸骨の剣士へと降り注いだ。
『イクソシズム』は破魔の神聖魔法。不死の魔物に対し、さまざまなペナルティを付帯する。また、成功の度合いによっては、一瞬で不死の魔物を崩壊へと導く事ができる。さっきまで険悪になりかけた高校生コンビも、思わずガッツポーズで手に汗握る。
「行け、昇天しやがれ」
まさに天に祈る気持ちでアルトは呻いた。現状、この骸骨の剣士より、最も大きな被害を受けているアルトだったから、その念もひとしおだ。
だが、無常にも、骸骨の剣士へと殺到した希望の光の矢は虚空に霧散した。魔法に抵抗された様ではない。文字通り無効化したのだ。
「なんでや」
モルトの膝は力を失い、視線は力なく、回答を求めて薄茶色の宝珠を探す。元GMである薄茶色の宝珠は、マーベルから数歩離れた床に転がり無機質な反射光を湛えていた。
「その回答は…抵触事項です」
モルトも、また最前線のアルトも、『イクソシズム』の効果を期待していただけに、落胆も大きかった。
だがただ1人、マーベルはその目の光を失っていない。
「まだにゃ、アタシの番にゃ」
何か考えがあるのだろうか、マーベルは魔法か、はたまたスキルを使う為、薄茶色の宝珠を目で追う。
「いえ、マーベルさんは最後です。『ラウンド中に手番を抜かされた人が行動できるのは、そのラウンドの一番最後になる』と戦闘ルールに明記されています」
瞬間、三人の目が「そんなの知らなかった」と口ほどに語ったのは言うまでもない。
「にゃぁ、アッくんは『防御専念』にゃ」
「わ、わかった」
どんな考えがあるのかわからないが、頭脳労働の苦手なはずのこのねこ耳童女は、時折、鋭い戦術を発想する。そんな様をアルトはこれまでも何度か見てきたので、素直に従うことにした。『無銘の打刀』を胸の前まで引き、左腕を峰に添える。一歩も退かず、耐える構えである。
そんな様子にもお構い無しに、骸骨の剣士は無言で『幅広の直刀』をアルトの頭上へと振り下ろした。だが今や『防御専念』に努めるアルトの身体はそう簡単に斬り裂けはしない。
「痛ってぇ、だが、頼むぜマーベル」
『防御専念』とはいえ、ダメージをゼロに出来るわけではない。『幅広の直刀』のきつい圧力に、受け止めた自らの骨を軋ませながら、アルトは脂汗を滲ませた。元の世界のアルトなら、簡単に骨を折っていただろう。
そしてこのラウンドも最後となる。残るは何か思惑を秘めたマーベルだ。
「任せるにゃ、と言っても、確認が先にゃ。『オーラスキャン』」
「承認します!」
マーベルの猫目が金色に輝く。『オーラスキャン』は視界内に働く精霊を看破する、『精霊使い』の習得できるスキルだ。また生命の精霊の歪みを感知する事で、不死の魔物を探り当てる事もできる。
「やっぱりにゃ」
マーベルの振りかぶった右指先が、鋭く、そして威風堂々と骸骨の剣士を指し示した。
「コイツ、不死の魔物じゃないにゃ!」
その指摘は思い込みで固定化した、アルトとモルトの思考を、真っ直ぐに貫き破壊した。そもそも前提が間違っていたのだ。
「じゃぁコイツ、ただの『動く骨』って事かよ。ゴレームか?」
「抵触事項ですので回答できません」
アルトのぼやきにそう答える薄茶色の宝珠の声は、今までに比べるといくらか明るい気がした。
さて、相手がただの骨人形なら、やるべきことは定まってくる。飽きた、などと入ってられない。
「次のラウンドいくにゃ。アタシは勇気の精霊召還にゃー」
「承認します」
マーベルの呼びかけに応じ、虚空に現れた六角形から、コブシ大の巨大なミツバチが飛来する。戦いはこれからだ。
戦術が力押しと定まれば、そこからはルーチンワークである。
マーベルの精霊魔法『アインヘリアル』や、モルトのスキル『ブレッシング』で命中率を上げたアルトが、さらにスキル『燕返し』で底上げし攻撃を当てに行く。
それでもやはりこの骸骨の剣士は手強く、なんとか勝利を収めた頃には、3人のMPとアルトのHPはまさに底値であった。
「づがれだー」
あまりの疲労に、魚河岸に並べられた冷凍マグロの如く、アルトたちは光の精霊の淡い光に照らされて床に転がる。その頭上を、先ほどまで骸骨の剣士に侍っていた青白い乙女が鼻歌交じりに飛び回っていた。
「で、結局アレはなんなん?」
虚ろな視線で青白い乙女を追い回しながらモルトが問う。それに答えたのはマーベルだった。
「水の精霊にゃ。この部屋に縛られてるみたいにゃ」
「あの馬頭の悪魔みたいに?」
「そうにゃ」
マーベルは『精霊使い』なので、精霊の種別は無条件でわかる。さらに、先ほどの『オーラスキャン』で、この水の精霊の現状を把握したらしい。
「解放、してあげられへんの?」
下階の悪魔は『飽きた』と言った。ならこの精霊もやはり解放されたいんじゃないだろうか。モルトは自然とその様な思考にたどり着き、仲間の『精霊使い』に目を向ける。
視線を受け、マーベルは面倒そうにのそのそと立ち上がると、両手を広げて水の精霊を呼ぶ。
「簡単にゃ。さっきの骸骨が依り代だったにゃ」
つまり、その依り代が倒れたからには、解放も難しい事ではない、と言う事らしい。
「水の精霊を、マーベルの名で再契約。そして解放するにゃ」
先ほどアルトから受け取り損ねた水袋をもう一度請求し、マーベルはその水をまきながらそう宣言する。
「承認します」
言葉は力を含み、そして世界に溶け込んだ。水の精霊は長い役目を負え、マーベルたちに手を振りながら、虚空へと掻き消えた。
「ま、ここで何してたかはわからへんけどな」
「苦労した割りに、実入りが何にもなかったなぁ」
「骨折り損やで」
「骸骨だけににゃー」
扉の謎に挑戦し、難敵を打ち破り、縛られた精霊を解放し、これだけやって得たものは何もない。この半日は完全に無駄だったと、3人は落胆せずにいられなかった。
そうしてとぼとぼと、青空を臨むドーム部屋へと戻った3人を待っていたのは、カストロ髭のドワーフ、レッドグースである。
彼の座る床の、その視線の先にあるのは、小ぶりな人形の家と、その家の寝室に寝かされた、14センチメートル程度の大きさの、女児を模った着せ替え人形だった。
あまりに唐突で脈略の無い光景に、戻ってきた3人は目を点にする。
「おっちゃん、なにやってんねん」
「や、これは、ち、違いますぞ」
レッドグースの否定の言葉は、虚しく青空に溶けていった。




