04銀色の甘い罠
「まいったな」
5人が入っても十分余裕がありそうな広さの食堂で、アルトはポツンと呟いた。
レッドグースが席を立ってから、もう1時間は経過しただろうか。初めの20分でモルトが「レッドグースを探してくる」と言って席を立ち、さらに10分後にマーベルが食堂を去った。
そうしてアルトと、お茶の世話の為に残っていた家の精霊であるベルタ嬢が食堂に残されたのである。
ベルタは無口だ。何かしらの制約があるのか一言もしゃべらない。こちらの言葉には反応するし、頷いたり首を振る程度の返答はあるので、言語が通じないわけではなさそうだ。
さてどうしたものか。
誰も戻ってこないところを見ると何かの事件かもしれないし、事故かもしれない。それとも、ただ別の部屋でたまたま集合して、戻るのを忘れるくらい、なにやら盛り上がってるかもしれない。
屋敷で別れた仲間が戻ってこないなどと言う状況は、なんだか生命が危険しちゃう感じのテレビゲームを思い出す。
探しに行くのがいいのか、ここで待つのが正解か、非常に悩むところだ。
と言うか、アルトの気持ちの上では、実のところ「探しにいく」という結論が出てはいるのだ。だが、彼の臆病な心がその踏ん切りをつけさせずにいる。
もしかしたらもうすぐ戻ってするかもしれない。席を立ったらすれ違いで帰ってくるかもしれない。臆病心からにじみ出るそんな言い訳がぐるぐると脳内をめぐり、今の今まで席を立てずにいたわけだ。
しかし、1時間だ。
トイレにしては長いどころの話ではないし、屋敷内を探検するにしたって、これだけ時間が掛かるのは本格的な捜索すぎやしないか。さすがに招待された屋敷で、そこまで本格的な捜索活動をするとは思えない。
いや、それぞれの興味の対象、例えばモルトが酒蔵でも見つけてしまったなら、あるいはありえるかもしれない。
しかしアルトはその可能性には目を瞑った。そこまでの無礼を働いていたとすれば、むしろそれはアルトのあずかり知らぬ事としなければならない。
そうした葛藤を続けて落ち着き無くウダウダとしていると、食堂の扉をノックする音がした。
一瞬、皆が帰ってきたのかと思ったが、それはすぐに違うとわかった。ノックの主が返事を待たずにゆっくりと扉を開けて、食堂へ入ってきたからだ。
ノックの主はこの屋敷の住人でもある、銀髪の少女ナトリだった。ナトリはぐるりと食堂を見渡し、最後にアルトに目を留める。
「皆さんはどうされたんですか?」
この部屋を去る前と変わらぬ笑顔で問うナトリに、アルトは慌てて姿勢を正し苦笑いを浮かべた。
「ど、どこ行っちゃったんでしょうね? レッドグースなんかはトイレ行くとか行って帰ってこないし」
気まずい事この上ない。冒険者などと言えば格好は良いが、ハッキリ「ならず者」と呼ぶ人もいるほどに、社会の落伍者と扱われる事もある。この2ヶ月でそれは重々身にしみていたから、お招きいただいた屋敷で姿を消すなど、泥棒と疑われやしないかと気が重かった。
しかしそれは杞憂に終わったらしい。ナトリはいかにも心配そうに、頬に手を沿えて笑顔を曇らせた。
「それは…心配ですね。なにか困った事になっているのかも」
「困った、事?」
何か心当たりでもあるのだろうか、ナトリのそんな仕草に、アルトは首をかしげた。
「ええ、もうお察しかもしれませんが、この屋敷は少々普通の屋敷とは違うもので」
アルトは、そういえば、と思い出した。さっき、ブラウニーに対する疑問の話題で上がっていた。そうか、複数のブラウニーが使役されているのは、屋敷が特殊だったのか。
それにしても、とさらにアルトは場違いに思案する。憂いを含んだナトリの横顔もまたキレイだ、と。
「ベルタはあっちをお願い」
廊下に出たナトリがベルタに階段の上を指し示すと、小麦色の幼女はコクコクと頷いてから、早足で階段を登った。ナトリは満足そうに笑顔で頷くと、アルトに振り返って手を差し出した。
「アルトさん。私たちはこちらを探しましょう」
一瞬躊躇してから、アルトはおずおずとその手を握る。女性と手を握り合って歩くなど、それこそ子供時代以来の事件である。ナトリはスレンダーな少女だが、それでも女性らしく柔らかい手をしていて、アルトの頭は途端に沸騰したように熱くなった。
さっきもナトリから「皆さんを一緒に探してもらえませんか? 1人じゃ怖くて」などと上目遣いでお願いされて、声も出せずにブンブンと頷いたアルトである。銀髪の美少女と手をつないで歩くなどという突発のイベントですっかり夢見心地だった。ともすれば、美しい恋愛物の演劇でも見ているような気にもなった。自分がその登場人物とは、とても信じられない。
「アルトさん?」
そんな様にナトリが不思議そうに首をかしげると、アルトは慌てて首を振った。いい所を見せねば、そんな強迫観念にも似た思いが、テンパった脳裏に渦巻いた。
「まかせてください、何かあったらこの僕がナトリさんを守りますカラ」
所々、声を裏返しながらも胸を叩き、勢いで咽た。
「頼もしいです」
ナトリはくすくすと小さな笑みを漏らし、アルトは照れくさそうに頭をかいた。
そんな様子でデレデレとしたアルトを引き連れて、ナトリはそれほど広いわけではない屋敷の1階を順に回って行った。アルトはドアノブに手をかける度に緊張したが、どの部屋も普通の応接間だったり、書斎だったり、トイレだったりと、特に怪しさが気になるような点はなかった。
「人が住んでる屋敷なんだから当たり前か」
銃を連発しないと止まらない様なゾンビの登場を想像していただけに、少々拍子抜けたアルトだったが、最後に残った奥の部屋の前にたどり着くと再び緊張がこみ上げた。
その部屋の扉は両開きの重厚なもので、所々金属で補強され、目より少し高いところに『魔法語』の表札が掲げられていた。
『魔法語』は『緒元魔法』で使用される特殊言語だが、『大魔法文明』時代は通常の流通言語として使用されていたこともある。そんなわけで、古代遺跡などでは良く見かける文字だった。この屋敷は大方の予想通り、『大魔法文明』時代の遺産なのかもしれない、とアルトは緊張からカラカラになった喉に、自分の唾を飲み込んだ。
「ここは父が使う部屋で、私はあまり入ったこと無いんです」
ナトリが不安そうにアルトの手を強く握る。それだけで緊張と、目に見えぬ恐怖に硬直するアルトの心臓に熱がこもった。
「ナトリさん、少し下がって」
額に浮かぶ冷や汗を拭い、アルトは強く握られた手をやさしく解く。ナトリはおとなしく従い、2歩ほどアルトの後ろに下がった。
目線は重厚な扉から離さず、左手で腰の『無銘の打刀』を探る。扉の表札の『魔法語』は『実験室』と書かれていた。
いざ、と気合を入れつつ、アルトは扉をゆっくり押した。鍵は掛かっていないようで、アルトの込めた力に、扉は素直に従った。
暗い部屋だった。
暗幕が閉め切られているようで、窓から一切の光が差し込まず、アルトが押し開けた扉から押し入る僅かな光だけが部屋を照らした。
「光の精霊、召還。『ウィスプグリッター』」
アルトの背から少しだけ離れたところで声が上がる。直後、まばゆい光の珠が宙を舞い、アルトの視界を照らした。ナトリが『精霊魔法』を使ったのだ。
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『ウィスプグリッター』は2レベルの『精霊魔法』だ。
本来は光の精霊、ウィスプを対象にぶつけ、弾ける電撃に似た衝撃でダメージを与える魔法だが、召還してから効果が切れてウィスプが精霊界に帰るまで1時間の猶予がある為、半径5メートル程度を照らすウィスプ自身の光を松明代わりに使うことも出来る。
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ナトリに目線で礼をし、アルトはその弱い光に照らされた部屋へと踏み込んだ。光の精霊はナトリの命令に従い、アルトの斜め上方にその居を決めたようだ。
10メートル四方程度のその部屋の家具は、全て壁際に配置され、石畳が剥き出しになった床の中央には、直径3、4メートル程の円に囲まれた、さまざまな幾何学模様と魔法文字が描かれていた。
これは魔方陣だろうか、とアルトは首をかしげた。
彼の知識からすると、魔方陣といえば三角を2つ組み合わせた六芒星や星型の五芒星がまず頭に浮かぶ。そういえば昔のアニメで砂時計が3つ並んだような模様や、自動車につける若葉マークを並べたような模様の魔法陣も見たことがある。
これはそのどれにも類似しなかったが、おそらく魔方陣なのだろう。そうアルトは結論づけた。
部屋はシンと静まり返り、どこにもモルトたちが潜んでいるとは思えなかった。
アルトは何事も起こらなかったことに、ひとまず安堵の息をつき、ゆっくりと床の魔方陣に歩み寄り、その円の淵で止まった。
青い塗料で描かれたその魔方陣は、なにやら禍々しい気配を吐き出しているように感じられた。部屋が暗いせいかも知れない。ただ雰囲気に飲まれているだけかもしれない。
もしや3人の失踪にこの魔方陣が関係していることはあるだろうか。アルトは一瞬自問し、そして静かに首を横に振った。
魔方陣といえば呪文が連想される。魔法陣を前にした怪しげな魔法使いがエロヒムイッシームと呪文を唱える。すると魔方陣が輝きを増して何かが起こる。これは少し聞きかじった者ならすぐに思い浮かべる光景だろう。
だが今ここには件の魔法使いなどいやしない。ならこの魔方陣はただの絵だ。
「ナトリさん、ここには何も…」
他を探すようにとアルトが振り返りかけたその時だった。感情の篭らぬ平坦な声が、アルトの背に届いた。
「光の精霊、弾けろ」
その瞬間、頭上から部屋を照らしていた光の精霊が、アルトの後頭部付近に降り注いだかと思うと、パンと音を立てて破裂した。
「え?」
突然のダメージと、何より聞きなれぬ冷めた声に驚き、アルトは間抜けな声を上げて2、3歩前に踏み出し、そして振り返った。そこにはさっきまでの笑顔が消え、まるで感情のかけらもないナトリが立っていた。
まさか、とアルトの脳裏にひとつの懸念が浮かんだ。
訳もわからずこの世界にやってきてしまったアルトの仲間には、モルト、マーベル、レッドグースの他に、もう1人、カリストという名の『魔術師』がいる。カリストは正体不明の何者かにその身体を奪われ、乗っ取られ、操られ、そしてアルトたちに牙をむいた。
何とか撃退したものの、その何者かはアルトたちに明確な殺意を宣言して、カリストの身体と共に消えた。その行方は未だに知れず、アルトたちの旅の目的のひとつにもなっている。
まさか、その何者かがまた襲ってきたのではないか。今度はこの銀髪の少女を操り、アルトたちを亡き者にせんと現れたのではないか。それがアルトの懸念だった。
しかしその緊迫した懸念を払拭するかのように、無表情のナトリはアルトを指差して言い放った。
「やーい、ひっかかった」
台詞だけを文字で見れば、いかにも楽しげである。それはいたずらが成功した子供が笑いながら言う台詞だ。
だが発したのは、一切の表情を消し去った、銀髪の少女だった。
ノリが違う。コイツはカリストに乗り移ったアイツではない。アルトは直感的にそう思った。
「や、やだなぁ。こりゃ、なんの冗談ですか」
アルトは少々出血した後頭部をさすり、苦笑いを浮かべながらナトリに歩み寄ろうとした。出血しているとはいえ、数字にしたらたいしたダメージではない。『ウィスプグリッター』は、所詮低レベル攻撃魔法。そろそろ見習いも卒業、というレベルに達しつつあるアルトにとっては、めったな事で致命傷にはなりえない。
だが、アルトの脚はその一歩を踏み出すことが出来なかった。脚が動かないのではない。踏み込んでしまった魔方陣の外縁に、目に見えぬ壁が張り巡らされていたからだ。
「え、や、ちょっと?」
ここに来てアルトの焦りが加速する。ナトリさんのお茶目ないたずら、と思いたかった半面、なにかヤバい雰囲気を察していたアルトだったが、そろそろそのヤバさを否定する要因がなくなってきた。
「ねぇナトリさん、なんですかこれ? どうなってるの?」
目に見えない壁をバンバンと叩いてみるが、音も立たないしビクともしない。おそらく、何か特殊な方法でもないと排除することは不可能なように思えた。
「出してー」
「ダメ」
泣きそうな声を上げたアルトに、ナトリは即座に答え、魔方陣の見えない壁越しに歩み寄った。
「あなたは騙された。残念。だけど仲間も一足先に行ってるから。安心」
ビー玉のような、焦点が合っているのか合っていないのか判別しにくい瞳が、アルトに笑いかけたような気がした。その瞬間、アルトは悟ったように弱々しく笑った。
「ですよねー、ちょっとモテ期来ちゃったかと勘違いしたけど、そんな訳無いよね。オレだもん。いや、薄々わかってた」
自虐的な気分で目を逸らしつつ呟き、アルトはため息をつく。
「で、どうして、オレこうなっちゃったの?」
「ボスの命令」
浜に打ち上げられたトドのような、諦めきったアルトの瞳に感ずるものがあったのか、ナトリは素直にその問いに、頷きながら答える。
「どんな命令?」
「抹殺指令。でも4対1はめんど…勝てる自信ないから、閉じ込めることにした」
「今、めんどくさいって言おうとしたろ」
ナトリは無表情のまま目を逸らした。
「えと、どこに閉じ込められちゃうの?」
「とある遺跡。脱出不能」
「ちなみにボスって…」
ナトリはその問いに、力強く頷くことで回答とした。アルトは悟って目を瞑る。たぶんカリストの姿をした、黒い『魔術師』だ。
「じゃ、そろそろお仕舞い。さよなら、バイバイ」
そう言うと、ナトリはどこから取り出したのか、真っ青な宝珠をひと撫でする。と、その瞬間、魔方陣を描く青い塗料が輝きを放ち、アルトを足元からゆっくりと闇へと飲み込んでいった。
目を瞑っていたのでその光景は判らなかったが、とにかくアルトの身体を激しいうねりが通り過ぎて行った。波にたゆたう、などと言う生易しい風情ではない。無理やり体内を通過する激しい津波が何度も行ったり来たりする感覚だ。
アルトは嘔吐しそうな気分になりつつも、何とか内容物をぶちまけることに耐え切り、どうやらそこに到着した。
真っ暗だった。
一切の光を排除した、纏わりつく様な忌まわしき闇がそこにあった。広さも高さも何もわからない、その深淵を連想させるような闇の中で、ただ遠くからゴウンゴウンと言う、ただひたすら恐怖と不安を呼び起こすような低い音が常に鳴り響き、また巨大な魔物の胎内を想像させるかのように、床自体が大きく揺れていた。
目を開けても何一つ見えない。自分には目があるのか疑いたくなるほどの闇だ。
「ひっ」
その暗闇の中、ひんやりとした何かが、ずるりとアルトの脚に触れたのは、その時だった。




