02草原のピクニック
その年の春先、テーブルトークRPG『メリクルリングRPG』のルールブックが発売された。
デザイナーが囁いたコンセプトは「初心者にも分かりやすく、簡素でいてそれなりに遣り込んだ人にも楽しめる王道的ファンタジーRPG、プラス最近流行のMMOっぽいスキル」。
半年前から雑誌で紹介記事やリプレイの連載が始まり、世界観を浸透させてからの発売という用意周到さで、まさに鳴り物入りの登場であった。
メインデザイナーは清田ヒロム。小説家であり、ゲームデザイナーでもあり、アニメの演出や設定にも口を挟む。マルチメディアクリエイターと言ったらいいだろうか。
そうして作りこまれた『メリクルリングRPG』。
今、彼らはそのルールに縛られた世界の中にいる。
荷馬1頭で引く程度の小さな幌付き荷馬車の中。詰まれた荷物は半分ほどで、空いたスペースに16、7歳ほどの少女が横たわって気を失っていた。
長い流れるような銀髪に、まるでフランス人形のように整った目鼻を持つ、スレンダーで美しい少女だ。
衣服は簡素ながら清潔なワンピースとエプロンで、そこそこ裕福な家の街娘か、何処かの使用人の様でもあった。
「おーなかなか美人さんやね」
少し薄暗い幌内を覗き込んだ、白い法衣のモルトがため息を漏らした。女性から見てもため息の出る美人らしい。普段から粗野を装ってはいるが、誰からもワイルドとは認識されていないサムライ・アルトなどは、目を奪われてぽかんと口を開けるばかりだ。
「生きてるにゃ?」
いきなり不吉な物言いをしながら、少女の頬をぺしぺしと叩くねこ耳マーベルを押しのけて、酒樽紳士レッドグースが脈を取った。
「どうれ…ふむ、脈はありますな」
その言葉に一同はほーっと胸をなでおろす。美人の喪失は世界の損失である。どうやら危機は免れたようでひと安心だ。
「こんな時はどうしたらええやろ。キュアライズしたらええかな?」
「外傷はなさそうですがな」
『キュアライズ』は『聖職者』の使う『神聖魔法』のひとつで、傷を癒す効果を持っている。が、この銀髪の少女が何故気を失っているか不明である今、その効果が有るかどうか判らない。レッドグースの「外傷はない」という見立てによれば、さらに効果に対する望みは薄そうだ。
「GM、なんかわかるかにゃ?」
マーベルがナップサックから取り出した薄茶色の宝珠を少女に近づける。彼女が呼んだとおり、元GMたるその宝珠は、プレイヤーたるアルトたち以上に、この世界のデータが与えられている。
「ぶっちゃけますと、MPがゼロです」
MP、それはスキルや魔法を使用する為に消費する精神由来の力である。
この世界は『メリクルリングRPG』のルールに縛られ、そのルールによれば、MPがゼロになれば気絶する事になっている。
「ほんなら『インポートマギ』やったらええんやな」
「そうですね。でも安静にしておけば、1時間ほどで目を覚ましますよ」
MP枯渇による気絶の場合、1時間でMPが1だけ自然回復する。ちなみに完全回復にはさらに長い睡眠が必要になる。
「ほうなん? なら待つかなー。でもみんなおなかぺこぺこやし、この娘が起きるまで我慢できるかなー?」
銀髪の娘の積荷を期待しての言葉である。もちろん自分も空腹に目を回していたが、そこは乙女のプライドである。モルトは余裕を見せ付けるようにゆっくりと仲間を見回した。そこには彼女同様にお腹を空かせた仲間たちがいるはずだった。
だがしかし、彼女の目に入った光景は、予想を大きく外れていた。
マーベルとレッドグース。この背丈半分コンビは、目を覚まさぬ銀髪の少女を乗り越え、その奥の荷の一部を開封し、あまつさえあふれ出したるベーコンや果物を口いっぱいにほお張っていた。
「なんれふかな?」
「モル姐さんも食べるにゃ?」
モルトはこの2人のあんまりな所行に、がっくりと脱力し膝をつくのだった。
さて、先ほどからアルトが1人だけ大人しい訳だが、ここはひとつ、彼の思考を少しだけ追ってみようと思う。
以下、儚げに気を失う銀髪の少女を目の当たりにした直後である。
来た。来た来た来た。ついに来ちゃったんじゃないか?
ほらアレだよ。ヒロイン登場。
前から思ってたんですが、ここがゲームの世界なら、当然、主人公とかそういう概念がありますよね? ならプレイヤーたるオレは、当然主人公ですよね?
で、主人公と言えばヒロインがいますよね?
いやー、ゲームですよ。ファンタジーですよ。主人公たるオレにヒロインがいないのはおかしいと思ってたんだ。
マーベル? いやいや無いでしょ。
モルトさん? あの人はほら、お姉さんみたいなモノだし。
待ってたよ。こういう展開を待ち望んでいたんだよ。
来たよ、ついにオレのターン来たよ。そしてここからはずっとオレのターンだろ?
銀髪の少女と甘くてほろ苦いロマンスですか?
いや参ったな。いやこま…困ってはない。うん。
よーし、ここはお兄さん、第一印象でカッコいいところ見せねばならんな。この、主人公であるところのアルト・ライナーが。
「アっくん、なんかキモいにゃ」
アルトがその思考から戻った瞬間、無慈悲な雷にも似た一言が彼の心に突き刺さるのだった。
「き、キモくなんかないやい」
「なにも泣かんでも…」
ちなみにテーブルトークRPGに主人公と言う概念があるかどうかについては、所論さまざまなので明言は避けておきたい。
気を取り直して4人は馬車の傍らで食事をする事にした。
マーベルとレッドグースが勝手に荷解きしてしまったので、いまさら取り繕っても仕方がない、と開き直ったモルトは、せめてもの体裁にサンドイッチなどを拵えた。
未だ目を覚まさない銀髪の少女を馬車に残し、そのすぐ近くに腰を下ろしサンドイッチを食む4人。まるでピクニックに来たかのような様相だ。
「美味めー。サンドイッチ美味めーっ」」
言葉とは裏腹に、本当に味わっているのか、と問いたくなる食べっぷりのアルトだが、その弁は止まらない。なにせ2日間、しょっぱいだけの干し肉を食んでいたのだ。ベーコンと新鮮な葉野菜を固いパンに挟んだだけのサンドイッチですら、今の彼には極上のランチである。
「まー空腹は最高の調味料やなぁ」
荷馬車の積荷は主に食料と日用品で、行商と言うよりは近隣の農村から自らの必要とする品々を買い付けて来た、と言う雰囲気だ。
食料は前述したベーコンやレタスに似た葉野菜の他にも、何種類かの肉類、野菜類、調味料があった。モルトたちが失敬したのは、そんな数あるうちのほんの一部である。
中にはアルトたちにお馴染みの保存食もあったが、さすがに食指が動かなかった。
「アっくんは保存食の方が好きにゃ? 街でもよく食べてたにゃ?」
「好きで食ってたんじゃないわい。それしかなかったんだ」
この世界に来たばかりの頃、アルトの所持金はとても寒い状況だった。その為、キャラクター作成時に購入した保存食数日分で、なんとか食い繋いだ経験がある。
今はもう苦い思い出である。
「まぁ保存食の方が一般的な食事より高いんですけどね」
「わざわざ街で高い方を選ぶとは、アルト殿にも何か深いこだわりがあったんでしょうなぁ」
「ねーよ」
実のところ保存食は高い。
それは味が良いから、というわけでなく、保存の為の特別な加工に手間がかかっているせいである。
とにかく新鮮な食料に含まれる水分は、保存と言う観点からするとよろしくないので、ひたすら干して水分を飛ばすのだ。
例えば前述の干し肉。
まず腐敗防止の為に、塩やスパイスをたっぷり刷り込み、香りのいいチップを使って燻したりもする。後は天気と相談しながらひたすら干す。もちろん雨に濡れては台無しなので、干すだけでも気を緩める事はできない。乾燥して気温も低い冬なんかが向いているだろう。農閑期で人手があるのも魅力的な季節だ。
そうして手間隙かけて数ヶ月でやっと完成する。電気で動く乾燥ブースや冷蔵庫がないのでひたすら天日干し。とにかく時間と手間がかかる。
お味の方はといえば、これがお世辞にも美味いとは言えない。塩辛いわ硬いわで、そのまま食べるにはかなりキツイかも知れない。余裕があれば湯で多少煮込んでスープにするのもいいだろう。
もっとも、硬い肉をいつまでも噛んでいれば空腹もいつの間にかまぎれるので、食料を大量に持ち歩けない旅の身の上では重宝するわけだ。
他にも保存が利くように硬く焼いたパンやドライフルーツなども一般的で、どれも普通のパンやフルーツより高価である。
中には「何処そこの村の秘伝の味」などと称する、高級保存食もあるので、一概に不味いとも言い切れないのだが。
さて、雨上がりの爽やかな風が渡る、澄んだ青空の下、いかにも暢気なランチを過ごす彼らの耳に、かすかに馬の嘶く声が聞こえた。
東西を結ぶ大街道上の事であるから、旅人や行商人とすれ違うことも少なくはない。なのでその声もまた、街道を行き交う誰かの馬なのだろう。なのでアルトはそう気にも留めなかった。
果たして、確かにその馬の声は、街道を行く一行の物の様だった。まだ差ほどはっきり見えないはるか東にその一行はいた。
「行商人でしたら、食べてしまった食料の補填なんかしたいものですな」
「ですね。そういう物が有ると無いでは、バツの悪さも多少は変わるでしょう」
最初に気を止めたのはレッドグースとGMと言う中年コンビで、そう言われてしまうと、モルトも気になり始める。同時に、嫌な予感もよぎり始めた。
その一行は東から街道を進んでくる。
一方、アルトたちは訳有って東から逃げてきた。
さて、その東からの一行が、彼らに対する追っ手である可能性は、果たしていかほどのものだろう。
「モルトさん?」
急に不安そうな表情を滲み出したモルトに気付き、アルトはサンドイッチを食べる手を止め周囲を見渡す。だが、件の一行はまだアルトの目で判別できるほど近くは無い。
不安を煽るかのように、暗い雨雲がアルトたちの上空を覆い始めた。
今は春を終え、夏が始まる前に訪れる雨季である。激しく雨が降る訳ではないが、天気が頻繁に晴れと雨を入れ替えるような、そんな季節だ。
立ち込める暗雲。高まる緊張。
長い一瞬の過ぎ行く中、一筋の雨がアルトの頬を静かに叩いた。と、同時に、沈黙を引き裂く号令がマーベルから上がる。
「緊急退避にゃっ、総員、稜線まで下がって隠れるにゃ」
「稜線なんかねーよっ」
見渡す限り草原と、あっても林か、隠れるには小さすぎる丘である。マーベルの言も半分はただの気分で意味がないのだろう。だが、その緊迫は本物のようだ。
「追っ手か? 追っ手なんか?」
必死に目を凝らすモルトだが、目標の遠さに曇天の暗さが手伝って、確信できるだけの情報は得られない。
わかるのは、東からの旅人が、貴人か要人が乗っていると思われる小型の箱馬車と、その護衛と思わしき騎士にも似た風体の騎乗戦士団であることくらいだ。
だが、それだけでも彼らを震え上がらせるのは十分だった。何しろ、アルトたちはお尋ね者なのだ。
「マーベル殿、何か根拠があって言ってるのですかな?」
往生際悪く、未だ確信ではない部分を訪ねるレッドグース。それとは反対に、モルトやアルトはすでに手早く食事の片づけを始めている。
「山十字…あの単純な紋章を見間違うはずないにゃ」
マーベルはため息混じりに答えた。
山十字。上向きの傘の大きな矢印に、一文字の横棒を足したような紋章。
それはこのニューガルズ公国に根を張る地方神を祭るラ・ガイン教会の掲げる聖印である。
そしてそれは、まさしくアルトたちをお尋ね者として追う組織でもあった。アルトたちのかけられている容疑は、ラ・ガイン教会に所属する司祭の殺害である。
そのラ・ガイン教会の一派と思われる一団は、ゆっくりと、確実にアルトたちめがけて進行を続けている。
「どどどどどどうするよ」
アルトはサンドイッチを乗せていた簡素な皿を手に、小刻みに右往左往する。見事な慌てっぷりである。額に入れて飾りたいくらいだ。
「慌てなや、まだ向うもウチらの顔までわからんやろ」
ぴしゃりと叱咤し、モルトは隠れるに良さそうな場所を目で探す。あいにく草原が広がるばかりで、せいぜい背の低い潅木がある程度だ。
こうなってくると、ぽつぽつと降り出した静かな雨も、彼らを隠す蓑として役立っていると言える。が、それにも限界はある。早いところ、身を隠さねばならない。しかも彼の一団に、怪しいと気取られぬようにだ。
「ひとまず馬車を動かしてはどうですかな?」
一通り、食事の後始末が終わった頃、レッドグースが提案を挙げる。確かにそれは重要であった。
あえてアルトたちの馬車、と言う表現をするが、その馬車は今、街道上で立ち往生している状態だ。つい先ほど、ゴブリンの襲撃を受けたそのままなのだ。荷馬車を引く馬も、降り注ぐ小雨の中、所在なさ気にただずんでいる。
「て、言ったって、馬車の動かし方なんかわかんねーよ」
アルトの言ももっともだ。
日本に住む現代人にとって、自動車やバイクの動かし方は判ったとしても、馬に言う事を聞いてもらうやり方など、知っている方が極少数派なのだ。現にさっきからマーベルが馬の尻をぺしぺし叩いていたが、当の馬は何処吹く風である。
「『ライディング』があるでしょうが」
軽い眩暈に額を掌で打ち、レッドグースはため息をついた。そうは言っても仕方がない。この世界の森羅万象を司る、テーブルトークRPG「メリクルリングRPG」は発売したばかりで、そのルールブックを熟読しているのは、この中ではGMとレッドグースだけのようであった。
テーブルトークRPGにおいて、特に初心者のプレイヤーがルールを殆ど把握していないなどと言う事態は、日常茶飯事なのである。
「…え?」
この小雨降る暗雲の中で、まさに青天の霹靂、と言った表情のアルトであった。
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『ライディング』はどの職業でも取得する事が可能なスキルである。
本来は『乗馬』に関するスキルなのだが、すでに雑誌連載されたリプレイ作品の中で、馬だけにあらず、さまざまな獣に乗る為の技術と、それに付随する馬車や戦車と言った乗り物の操縦技術を含む、と解釈を拡張されてしまったスキルだ。
徒歩以外の移動手段を扱う事ができるようになるので、冒険者なら余裕が出来次第取得したいところである。
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「そうだった、オレ持ってたわ。『ライディング』」
「だったら早くやるにゃ!」
先ほどから馬を動かそうとしていただけに、マーベルの苛立ちは最高潮だったようで、アルトの言葉に対し、すぐさま小さな足で蹴りを入れた。
痛くはないが、女子小学生にケツを蹴られている様で、アルトにしてみれば少し屈辱的だった。
「ワタクシどもの業界ではご褒美ですがな」
「何処の業界やねん」
呆れて脱力しきったモルトにツッコミとは裏腹に、とてもいい笑顔を晒すレッドグースだった。




