06創造者の残滓
真なる創造主・ヴァナルガンドは、この世界を自らの餌とする為に創りたもうた。
だが、ヴァナルガンドを仇と見るウォーデン老とその弟子・ハリエットは、アルト隊を伴い、ついにはかの魔狼を追い詰めた。
ウォーデン老とハリエットは、大規模錬金術式『束縛機構』により、ヴァナルガンドを異次元へと閉じ込めようとするが、後一歩のところで邪魔が入る。
ヴァナルガンドの忠実なる僕・ギャリソンだ。
彼は主から授かった世界の創造力の一端を使い、また、『束縛機構』を利用して、ヴァナルガンドが逃げ込む為のダンジョンを創り出したのだ。
迷宮『グレイプニル』の誕生である。
ヴァナルガンドと共に大半の力を失ったウォーデン老に代わり、ダンジョンアタックを開始したアルト隊だが、ひとたびの油断からザコであるはずの怪物より手痛い攻撃を受ける。
そしてアルトはHPの全てを喪った。
「アルト殿!」
「GM、『キュアライズ』間に合うんか?」
炎に焼かれ倒れた彼らが前衛アルト。
各メンバーは不安に押しつぶされそうな声を上げる。
が、薄茶色の宝珠は無常な言葉を継げた。
「ダメです! 『生死判定ロール』…失敗です」
『メリクルリングRPG』のルールが支配するこの世界において、『生死判定ロール』の失敗とは死亡確定を意味するものだ。
もちろんゲーム世界での死は確定的なものではなく、『メリクルリングRPG』にもご他聞に漏れず蘇生魔法が存在する。
だが、それはあくまで「世界でも稀有な英雄クラスの『聖職者』が行使する事の出来る奇跡」である。
この世界の端に存在するアルセリア島の、さらに田舎であるタキシン半島の北東岬に、どうしてその様な奇跡が存在しようものか。
すなわち、ここにおいて死は絶望を意味する事象だった。
「そんにゃ」
一同、焼け焦げたアルトの亡骸を見てしばし呆然とする。
だが、彼らには仲間の喪失を悼むほどの猶予もない。
「まず奴らを片付けないと、次のラウンドは僕らも同じ運命だ」
カリストが悲痛な色で言葉を紡ぐ。
台詞面だけで言えばアルトの死など二の次と取れなくもないが、ここにいる誰もが彼の表情から「そうではない事」を感じ取っていた。
奴らとは、当然、彼らの前面に展開する36匹の『這い寄る金貨』だ。
「GM、『ブリザード』を使う。効果範囲に敵全て入るよね?」
緒元魔法『ブリザード』は半径5メートルと言う広範囲に氷の刃を吹き荒れさせる魔法だ。
通常であればその広範囲で『這い寄る金貨』のすべてを駆逐できるはずなのだが、この迷宮『グレイプニル』においては、何やら他のルールが邪魔をするように予感された。
ゆえに、カリストはその様に前置く。
「入る、はずです」
案の定、GMの返事も歯切れが悪いものだった。
「くっ、『ブリザード』!」
嫌な予感を抱きつつ、カリストが魔法を『這い寄る金貨』の群れへとぶつける。
『魔術師』のMPと言葉から生み出された魔の吹雪が、硬貨の形をした甲虫どもへと降りかかる。
ところがどうだ、本来ならすべての群れが範囲内で斬り裂かれるはずが、落ちたのは1/4である9匹のみであった。
「どうやら1グループ単位は9匹。範囲魔法が効くのは1グループまで、ということですかな」
いつもにやけ顔の酒樽紳士レッドグースがいつになく真剣な顔で呟くと、カリストやGMも同意して首肯した。
TRPGを模した世界のはずが、まるで古いコンピュータRPGのような有様だ。
突然のルール変更に、皆、大小の戸惑いを隠せなかった。
比較的動揺が小さいのはレッドグースを始めとした大人組だ。
彼らは「嫌な予感」によって、この事態を漠然と予想していたからだ。
そして白衣の乙女神官やねこ耳童女が手をこまねいている間に、そんなレッドグースの愛器が音を紡ぐ。
赤い彼の『手風琴』に太く短い指が軽やかに跳ね回った。
「ならば効果範囲が『全て』である魔法を使えば良いのです」
口上を告げ、そしてヒゲに囲まれた口から、高らかな美声が吹き上がる。
「『呪歌』ですか。確かに効果範囲は『歌が聞こえる者全て』です」
感心したように元GMたる薄茶色の宝珠が叫んだ。
薄暗いダンジョンに歌曲が流れる。
それは誰もが心を震わせ、共に口ずさみたくなるような単純でいて軽快なリズム。
レッドグースが歌い上げるは『トロルストーム』と言う呪歌だ。
効果を及ぼされた対象は、この『呪歌』に合わせて共に歌わねばいられなくなる。
当然、レッドグースの8と言う高レベルと、化け物じみた精神力が織り成す『呪歌』に抵抗できる者はそういない。
『這い寄る金貨』と言う名の甲虫どもも然り。
彼らはすぐに『トロルストーム』に合わせてギチギチと口を擦り合わせて音を立て始めた。
虫が虫なりに歌っているのだ。
口が歌で塞がる。
すなわち、『炎の息吹』を封じたと言う事だ。
「さぁ、これで奴らは何も出来ませぬ。今の内に退治ですぞ」
「うー!」
「にゃー!」
そしてもちろんの事、アルト隊の面々も口々に歌いながら、それぞれの得物で確実に『這い寄る金貨』を仕留めて行った。
そして戦闘が終わる。
同時に場違いに明るい歌も仕舞われると、ただでさえ薄暗いダンジョンはアルトの死によってさらに沈鬱な雰囲気に包まれた。
白い法衣の『聖職者』モルトは、あちこち焼け爛れたその遺体をせめて綺麗にしようと、ヒザを付いて半身だけ抱え上げた。
と、その時だ。
アルトの身体が淡い光に満たされ始める。
「みんな、なんか変や」
今まで数々の人、怪物の死に際し、このような変化は始めて見た。
ゆえにモルトは怪訝そうに眉をゆがめて仲間を呼んだ。
戦闘後の処理を淡々とこなしていた面々も、モルトの言葉に従って集まる。
ただ、皆が集まりアルトに注視した頃には、彼の身体は光の粒子へと代わりつつあり、半分はすでに虚空へと散らばっていた。
「何が起こっているんだ…、GM?」
隊の頭脳役を自然と任される事も多いカリストにも、この現象は判るはずもなく、彼は素直に薄茶色の宝珠へと問いを振る。
「いえ、私にも何がなんだか」
だが、問われたGMすらも回答は持たなかった。
そうしているうちにアルトの身体はすっかりと消え、最後の燐光を数秒だけ残して無くなった。
モルトの両手は、ただ消えたアルトの形だけを思い残すかのように、そのまま空を支え続けた。
アルトは薄暗いどこかで目を覚ました。
薄暗いとは言え迷宮内とは違い、どこか天の上から淡い光が漏れ注ぐような半端な暗さだった。
「ここは…、オレは死んだのか?」
どうやらどこかに開いた縦穴のような場所らしく、冷たく硬い石畳の上に寝転がったまま、アルトは丸く切り取られた曇天をぼんやりと見上げる。
『這い寄る金貨』の『炎の息吹』に焼かれHPが枯れた所までは思い出せた。
その後は意識が暗転したので何もわからない。
アルトは寝すぎた後のような気だるい中で、半身を起こす。
そこは5メートル四方の正方形の部屋で、天井は丸く天まで抜け、先ほど見た曇り空が覗いている。
「雨は止んだのか」
半日以上、迷宮内に篭っていて気にもしなかったが、思い起こしてみれば朝は雨が降っていた。
そんな縦穴の底で辺りを見回せば、北側には禍々しい装飾を施された立派な両開きの扉がある。
これも朝に見たものと同じで、見知らぬアルファベットにて『この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ』と書かれている。
「つまりここは、迷宮の入り口か?」
この世界で死すればどうなるか。
メリクルリングRPGのルールで死後の世界は明確に描かれてはいないが、それでも何やら冥界の様な描写はそこかしこに見られる。
ならばここがその冥界なのだろうか。
ふと、そうも思ったが、アルトはゆっくりと首を横に振って自分の考えを否定した。
空を臨む縦穴には、彼らが降下するに使ったロープが垂れ下がっている。
ここは紛れも無く、朝通った迷宮の入り口だ。
生身の生者が通った場所が、死者の場所であろうはずが無い。
ただ、だとすればさらに謎が深まることは確かだった。
「なんで、こんな所に?」
死すれば冥界へ。
生きていれば倒れたその場で仲間の回復魔法で復活するはずだ。
MPが無かったとしても、まさか仲間がこのような場所にアルトを放置してどこかに行くとは、さすがに思えなかった。
と、その時。
回答は考えるまでも無く頭上から言葉と共に降ってきた。
「おお、少年よ。死んでしまうとは情けない」
何やら読んだことのある台詞だ。
警戒して立ち上がり声の方を向けば、彼の頭上斜め上辺りに、丈の長い背広姿の、初老の紳士が直立の姿勢で浮いていた。
先日、アルトの大太刀『蛍丸』で真っ二つにされたはずのギャリソンだ。
「お、おまえ、生きていたのか」
「いえ? 確かに死にましたよ。あなたが見ているのは、あくまでも迷宮に残った残留思念の塊でございます」
うろたえるアルトに対し、ギャリソンは高い場所から慇懃にお辞儀をして見せると、そう答えた。
残留思念。幽霊みたいなものか?
アルトは警戒を解かずに『蛍丸』に手を掛け、いつでも抜き打ちできる姿勢をとる。
それでも、初老の紳士は表情を微塵も変えずに首を振った。
「斬っても私はいなくなりませんよ」
「どういうことだ?」
アルトは眉をひそめて訊ねる。
「今や私の存在の根源はこの迷宮。たとえその太刀で斬って霧散しても、この迷宮がある限りはまた蘇ります。もっとも、いるだけであなた方を害する事もできませんが」
これにはアルトも唖然とした。
つまり、このギャリソンの幽霊は、本当にそこにいるだけでなのだ。
では、いったい何をしに現れたのか。
「そしてそれはあなたたちも同じです」
と、疑問に思ったとたんにギャリソンは答えを口にした。
どうやらそれを告げに現われたようだ。
「ヴァナルガンド様があなた達をこの世界に呼んだのは、より効率的に高エネルギーを得る為。なのに、せっかく熟しかけているあなたたちに、ここで易々死なれては困るのですよ」
「つまり、この迷宮では死なない? いや、死んでも生き返るということか」
「その通りでございます」
達した答えを呟くアルトに、ギャリソンは感心気に拍手を送る。
もっとも、アルトにとって見れば誘導されたようなもので、まるで馬鹿にされているように感じた。
「まぁ、ただで生き返り放題、などといいますと、無理に押し通り、この迷宮も早々に攻略されてしまうかもしれません。それでは時間稼ぎになりませんからな。死にはペナルティを課しましょう」
「ペナルティ、だと?」
どこまでも上から目線だ。
それもそのはず、その言い分から察するに、どうやら彼こそはこの迷宮の創造者にして管理者なのだろうから。
「あなた方が死に、生き返る度に記憶を少しずつ貰いましょう。あなた方の、元いた世界の記憶と、私に会った、という記憶をね」
その言葉を最後に、アルトは猛烈な眠気に襲われ、再び意識は暗転した。
アルトが目を覚ますと、そこは朝通った迷宮の入り口だった。
固い石畳から起き上がり、いつの間にか雨が止んだ曇天を見上げる。
「オレは死んだはずじゃ…、それに何でこんな所に?」
襲い来る戸惑いに身を震わせ、アルトは辺りを見回す。
と、その時、ちょうど『この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ』と書かれた立派な門がゆっくりと開いた。
アルトはすぐさま、背に負った大太刀に手をかける。
だが、そこから出てきたのは、いつも見知った彼の仲間だった。
「ほんとや、アル君や!」
「アっくん生きていたにゃ!」
モルトやマーベルが半泣きの表情で駆け出す。
カリストやレッドグース、そして帽子上のティラミスもまた、ホッとした表情でそれに続く。
すぐにアルトの周りは仲間たちに満たされ、もみくちゃにされた。
「ちょ、あの、オレはどうなったんだ?」
もみくちゃにされ戸惑いつつも、アルトはすぐに疑問を口にする。
『這い寄る金貨』の一斉ブレスでHPを失ったことは憶えている。
だが、その後、なぜここにいるかが解らなかった。
これにはマーベルのベルトポーチにいる薄茶色の宝珠が答えた。
「アルトさんは一度死んだのです。ですが、そこからはなぜそうなったのかは解らないのですが…」
そう前置き、元GMは彼らが見たことを語った。
すなわち、アルトの遺体が光の粒子になって消えたこと。
その後、消えたアルトのHPが回復しているのを、GMがキャラクターシートにて確認した事を。
「どうやら、この迷宮ではいわゆる『死に戻り』が発生するようだね」
皆、薄々解った事を、カリストが纏めて言葉にする。
『死に戻り』。
つまりコンピュータRPGでは良くあるシステムで、キャラクターが死ぬと、ある決まった場所に戻って復活すると言う現象だ。
また、ほとんどの場合は『死に戻り』が発生した時点で、何らかのペナルティが課せられる。
たとえば資産や経験値の喪失である。
だから、カリストは続けて問いた。
「アルト君、あとGM、身体やキャラシートに何か異常は無いかい?」
「経験値やお金、アイテム、何も喪失は無いようです」
さすがにGMはデータに関する事もあり、すぐに回答する。
だがアルトは不安げに眉をしかめた。
データに現われない身体の事だ。気の持ちようでいくらでも良くも悪くも感じる。
「何も異常は無い、と思うんだけど、大事な何かがなくなったような気もする」
最後には、そう答えるのがやっとだった。
「ともかく、今日はもうこれで終了ですな。アルト殿も病み上がり? でもあることですしの」
そうして、そんなレッドグースの言葉で、初日の迷宮探索は終了となった。
それから教会風の拠点へ戻る頃には、ちょうど日も落ちかかり、あたりは薄暗くなる頃合だった。
見れば、ヴァナルガンド一行によって大破していた正面扉は、粗末な板を張り合わせて応急的に補修されていた。
アルト隊が迷宮グレイプニルに潜っている間に、錬金少女ハリエットか、その師ウォーデン老がやったのだろう。
そんな粗末な仮扉をくぐり建物内へ入ると、1階の大食堂から食欲をそそる良い香りが漂ってくる。
一同、空いた腹を抑えながら向かえば、エプロン姿のハリエット嬢がにこやかに彼らを出迎えた。
「おかえりー。夕飯の準備はしておいたヨ」
同年代の女子が食卓を整えて帰りを迎えてくれる、という奇跡の風景に、アルトがついキュンとなったのは秘密である。
例えそれが、得体の知れないハリエットだったとしても、絵面に罪はないのだ。
用意されていたのはキャベツとベーコンのスープと貝で出汁を取ったクリームソースのスパゲティだった。
食卓には甲斐甲斐しく給仕をするハリエットの他にも、出かける時はまだ目覚めていなかったウォーデン老も着いている。
目覚めたとは言え、どうやら半身が動かないようで、腕をダラリと下げている様子は見て痛々しい。
「うむ、探索、ご苦労じゃったな。穴倉の様子はどうじゃった?」
だが、その声は以前のボケ老人ぶった頃と同様にポヤポヤとしたものだったので、アルト隊の面々もホッとして各々の席に向かう。
「立派なダンジョンだよアレは。地下8層でしたっけ?」
背負った大太刀『蛍丸』をおろし椅子に立てかけ、アルトがため息をつく。
「推定、だけどね。『ストレートサーチ』で探った結果、あの真下が7層あった、ってだけだし」
話を振られたカリストも答え、彼もまた漆黒の『外套』を脱ぐ。
「あと気になった事と言えば、これまでとは何やら毛色が違う雰囲気でしたな」
続いて口を開いたのは、カストロ髭のレッドグースだ。
傍らにはテーブルの上に設えられたおもちゃサイズのテーブルセットに着くティラミスもいる。
「あれやね。ここに来て急にコンピュータRPGなテイストが混じってきた、ちゅーことやろ」
「ネタ切れにゃ?」
白い法衣のモルト、ねこ耳マーベルも、それぞれの装備を外して席に着くと、会話にそれぞれのコメントを添える。
彼らが今日一日の探索で得た感想と言えば、確かにそれに集約される。
ただ、マーベルの言葉には皆一様に苦笑いだ。
「それなんだけどさ。迷宮内では『デザイナーはキヨタ氏で間違いなさそうだ』って話になったけど、本当にそうなのかなって」
ふと、思い出したようにアルトが言う。
その表情は自分でも発言に迷いがあるのだろう、曇った様子だ。
「何か気がついたことでも?」
その発言を受けカリストが問う。
だがアルトはさらに眉を寄せて首を振った。
「いや、何か引っかかるんだけど、言葉にならない」
直感、と言ってしまえばそれまでだろう。
ただ、えてして人間の直感とは、実は経験に裏づけされた無意識の解析結果である事も多いのだ。
この時のアルトの違和感も、実は消えた記憶にあるギャリソンの幽霊との邂逅に原因があった。
だが結局は説明も出来ない話であり、その件はそのまま別の会話へと移る中で立ち消えたのだった。




