14サイコロなんてもう知らない
「GM、ワタクシは『ハイディング』しますぞ」
「承認します」
絶望の第一ラウンド。その最後となるレッドグースが宣言し、GMは承認のコールを上げた。
「ず、ずるい」
そのやり取りに愕然とアルトが呟く。戦闘前にあった自信はすでに跡形もなく、今はただ生き残る為の手段を模索するのみだった。
マーベルは地に伏し、前衛たる2人も約半分のHPを失っていた。当のレッドグースも『死を免れた』程度の有様だ。
たった1ラウンド、たった10秒の間に壊滅的打撃をこうむったと言える。反面、カリストの姿をした黒衣の男はダメージを負った気配もない。
このまま続けても勝ち筋がまったく見えない。彼の弱気な言も無理はないだろう。
しかし同じ状況におかれているモルトは、そんなアルトより少し冷静だった。
「いや、ええんや。ウチだけじゃ回復がおいつかんし」
すでに撤退を視野に入れ始めたアルトに対し、モルトは状況を継続しつつも生き残る方法を模索している。眼前の高レベルなエネミー、背後には扉と狭い廊下。『逃亡』オプションを選択するにはペナルティとなる要因が多すぎるのだ。
またこうも考える。『聖職者』の使う回復魔法『キュアライズ』は1ラウンドに1回、1人だけしかHP回復できない。全員ボロクズと化した現状では、HP管理の対象が1人減るだけでも彼女の負担は大幅な軽減と言える。
「では遠慮なく」
そう言い置き、レッドグースは虚空に掻き消えた。これでひとまず彼の身は安全と言えるだろう。
『ハイディング』で姿を消した者を看破する『発見』ロールは、それだけで1ラウンドを使う。もし『発見』ロールを行ったとしてもそれで1ラウンド浪費してくれるなら、それもまた御の字だ。
「そういうわけや。前衛、1人で頼むで、アル君」
「わかっ…なんで!」
さらっと流すように言うモルトに危うく納得しかけるアルトだったが、あせって非難の目を向ける。
下がっていいならアルトだって下がりたい。戦線離脱のレッドグースに続いてモルトまで後衛に回られて1人残されては、心細いことこの上ない。
「勘違いしなや。ウチはベルにゃんに『キュアライズ』せなあかん。その間を任せるちゅーこっちゃで」
凶悪な魔法の吹雪に倒れたマーベル。『生死判定』ロールに成功して仮死状態とはいえ、この後にまたダメージを負えば、待っているのはロールすらいらぬ確実な死だ。
しぶしぶとアルトは頷く。そう言われてはアルトもさすがに引くに引けない。完全に梯子を外されて退路を立たれた気分だ。
「ぐぬぬ」
ぐうの音も出ない、とはこの時の為の言葉だ、とアルトは確信した。引くに引けず、かといって進むも地獄だ。いくらHPの高いアルトでも、もう一度ブリザードを浴びれば『生死判定』ロールの世話になる事うけあいだった。
「ええいどうにでもなれ」
アルトが生を引き伸ばす為に選択できる行動は、それほど多くはなかった。
「ウチは『隊列変更』。後衛に移動するで」
すかさず宣言するモルトだが、この行動はすでに完了している。そもそも少しの距離を移動するだけのこの戦闘オプションでは、システム的に行動阻害されなければ宣言の必要もなかった。どちらかと言えばアルトへの確認の意味合いが大きい。
「逃げるか…行け、『ライトニング』!」
「承認します」
カリストが右手を突き出し叫び上げる。掌から生まれた光り輝く雷撃が迸り、一直線にモルトの腹部を襲い貫く。
焼きつくような激痛が腹部に走る。この世界では痛みが緩和されている、としても、それは目の眩む、気を失いそうな痛みだった。
すでに半分に減っていたHPは容赦なく削られ、残る値は『6』。元のHPから考えれば1/5以下。向こうの世界でこれほどのダメージを負ったなら、もう動く事も適わないだろうし、どのような治療も手遅れだろう。
しかしこの世界では違う。念じれば身体は立ち上がるし、まだ剣を振るい、魔法を詠唱する事だって適う。すなわち歯を食い縛れるかどうかにかかっている。
「あかん、これでウチも瀕死やで」
モルトは奥歯を割れるほど噛み締め、そして踏ん張った。ここで折れれば、戦線の崩壊は今をもって確実となるだろう。
「まだ飲んでへん酒があるんや」
息を整えて立ち上がる。この世界では念じればそう動くのだ。静かに目を閉じ、そして痛みを受け入れるように背筋を伸ばす。そうすると不思議と痛みが遠のく気がした。まだ行けそうだ。
「『キュアライズ』」
「承認します」
回復の魔法が世界に認められた。途端、マーベルの伏した床に円形の聖印が刻まれ、外壁を成す様に光の柱が建ち上がる。傷を癒す神聖で優しい光だ。
円柱内に光の粒子が生まれ、舞い踊りながら数々の傷に染み込む様に消える。その度にマーベルの痛々しい傷は塞がり、血の跡を拭い去っていく。
「マーベル、復・活・にゃーっ」
最後の傷が消えた時、その瞳がカッと見開かれたと思うと、突然マーベルは跳ね上がるように起き上がった。完全に回復を果たしたのか、興奮に鼻息も荒い。
「うぉ、びっくりした。おま、大丈夫なのか?」
もっと静かに目を覚ますもんだと思っていたせいもあり、アルトは心底驚いた。それがまさか格闘ゲームの対空技の如く飛び上がって来るとは。
「仮死状態の間、身体が動かないけど意識はあったにゃ。退屈だったにゃ」
アルトの脳内にある『緊迫メーター』は一気にその値を低下させるのだった。
「くくく、地獄へ行く時間が延びただけさ。『ファイアボール』」
未だに原理は謎の1ラウンド間2回攻撃。その2度目が唸りを上げた。掲げられた『魔術師の杖』の先にバレーボールほどの燃え盛る火球が生み出される。支えなく宙に浮くそれはまるで小型の太陽だ。その灯は松明と魔法の灯で照らされていたこの廃棄場をよりいっそう明るく照らした。
「そろそろ死ねよ!」
黒衣の男が『魔術師の杖』を振るう。すると火球は杖の向けられた先へと猛烈な勢いで放たれた。その狙いは1人前衛に立つ『傭兵』アルトだ。
「ちくしょう、来やがれっ」
やけくそ気味に叫ぶアルトは、抜刀に左腕をあてて前面に押し立てた。一歩も引かぬ意思の成す構えだ。
直撃。螺旋を描くように勢いを増した火球がアルトを襲った。
だがすでに待ち構えていたアルトは、クロスさせた愛刀と左腕で火球を受けると、押し返すようなつもりで踏ん張った。
「あちっ、ちょ、マジ熱いって」
魔法だろうがなんだろうが、それは燃え盛る火。篭手を付けているとはいえ至近で受ければその熱を一身に受ける事になる。
また火球はそれだけに終わらない。破裂だ。
火球がぶち当たる威力に加え、破裂による爆風。あらかじめ身構えたアルトもたまらず転倒。それでも勢いは十分に殺されたようで、アルトの前方でその爆風は掻き消えた。
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『ファイアボール』。4レベルに属する緒元魔法だ。燃え盛る火球は示す先に飛び、爆裂によりダメージを撒き散らす。その爆風域は爆裂基点から5メートルに及ぶ。ただし爆風をさえぎるものがあれば、その後ろに効果は及ばない。
特殊な撃ち方をしない限り、それは対前衛攻撃と言えるだろう。
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「ふー、熱かった」
左腕の篭手と刀身には焦げが見えた。それでもアルト自身には余り大きな火傷跡は見当たらなかった。4レベルの攻撃魔法を一身に浴びたのに、数字にしてほんの数ポイントのダメージだ。
「貴様、何をした」
確信していた魔法の威力が打ち消された。黒衣の男にはそう感じられたのかもしれない。先にアルトたちが感じた焦りを、今度は黒衣の男が味あう番だった。
「へ、気付かなかったのかよ。オレは『防御専念』してたんだぜ」
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戦闘オプション『防御専念』。ラウンド中の行動を全て捨て、防御のみに特化する。継続中は魔法だろが物理打撃だろうが、無条件でダメージを半減する。
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しかも今回、アルトはファイアボールに対する魔法抵抗に成功していた。すなわち、ダメージは通常の1/4ということである。
「ようやった、次はアル君に『キュアライズ』したるからな」
『防御専念』はアルトにとっても思った以上の効果だった。魔法抵抗したとはいえ、まさか恐ろしい魔法のダメージをほぼ無効化してしまったのだ。アルトは内心そうほくそ笑んだ。
「いや、モルトさんの方がやばい。オレはまだ『防御専念』でいけるから」
僅かに生まれた心の余裕に気をよくしたアルトは、身構える腕によりいっそうの力をこめる。なぜか知らないがブリザード級魔法がもう来ないなら、まだまだ前衛を張れる。
「ダメにゃ、次のラウンドは攻撃にゃ!」
しかしその気持ちに水を差すように、背後から声が上がった。復活直後のケットシーの少女・マーベルだ。
「『ブリザード』が撃てないのはRRがあるからにゃ。次がきたらアタシら終わりにゃ」
そういえば、とアルトは考える。強力な魔法にも、スキル同様にRR設定されていると聞いたことがある。だからこそ眼前の魔術師は同じ魔法を連発しなかったのだ。
『ブリザード』のRRがいくつかは知らない。だがこのまま生き長らえるだけなら、またあの悪魔の吹雪が彼らを蹂躙するだろう。想像するだけで血が凍る思いだ。
「GM、ちなみに『ブリザード』のRRはいくつだ?」
GMが知識に関する回答を出来ない場合があるのは知っている。それはシステム上の制約であり、キャラクターが知る由もない知識を語る事が出来ないということだ。
しかし幸か不幸かGMの回答は言葉になってアルトの耳に届いた。
「『ブリザード』のRRは『4』です」
それは次のラウンドで仕留めろという、脅迫じみた宣告であった。
マーベルが立てた指先に、拳ほどもある巨大なミツバチが留まる。20秒前に召還した勇気を司る精神の精霊『ブレイビー』だ。
「GM、『アインヘリアル』いくにょ」
「承認します」
その言葉と共に、羽を休めていたミツバチが指先の上で羽ばたく。するとブレイビーから放出される黄金の鱗粉が舞い、周囲の空気を金色に染めた。
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『アインヘリアル』は2レベルの精霊魔法。勇気の精霊『ブレイビー』の力を借り、仲間に勇気を灯す。魔法の恩恵を受けた者は、敵に向かう力が湧き、魔法に負けない心を鼓舞する。
具体的にはパーティメンバーの物理攻撃に『命中率』『ダメージ』にボーナスと、『魔法抵抗ロール』にボーナスが与えら得る。毎ラウンド使用する事で、効果が重複していくのも特徴だ。
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「アっくん、いっけー」
マーベルの送る声援を背に受け、アルトは再び臨戦に立ち居を戻す。『無銘の打刀』を右に引いて垂直に立て、左足を正中に重ねるように踏み出す。狭い室内でも振り回さずに袈裟を斬ることが出来る、八双の構えだ。
「おのれ、させるか、『ヒュプノクラウド』っ」
「承認します」
水平に振るったカリストの右腕が空を斬る。その軌道を境にした空間の継ぎ目がその暗さを露わにしたかと思うと、ひやりとした不吉な風と共に黒い雲を吐き出した。
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1レベルの緒元魔法『ヒュプノクラウド』。異界より呼び寄せた眠りの雲により、範囲内の術者以外を魔法の眠りへ誘う。
術にかかった者は毎ラウンドのロールを試み、成功するまで目覚める事はない。
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「アルトさん、抵抗成功。マーベルさん、抵抗成功。モルトさん、抵抗失敗」
魔法抵抗ロールの結果がGMよりコールされる。と、同時にモルトの目蓋を睡魔が襲う。眠りの魔王の吐息に囚われた乙女は、一時その腕に身を委ねる他はない。
「あかーん、後頼むわ…」
それだけ言い残し、モルトはゆっくりと地に臥せた。寝息は規則的で、目覚めの時ははるか先に思えた。
「マジかっ」
勇気の精霊のおかげで残る事ができたアルトだったが、唯一の回復役であるモルト陥落はさすがに動揺を誘う。しかしすぐにも背後から叱咤の激励が飛んだ。
「アっくん、敵も焦ってる。行くにゃ!」
その言葉に視線を上げれば、確かにカリストの額にも焦燥の色が見え隠れしていた。圧倒的に見えた強大な魔術師にも、彼には知り得ない不安があるようだ。
「もうやるしかないっ」
構えを引き締めるようにいっそう脇を寄せ、剣打の射程まで数歩の駆け足で迫る。黒衣の男は目の前だ。
「2度目行くぜ。『木の葉打ち』っ」
「承認します」
瞬間、刀身に蒼い稲妻が走って消える。『木の葉打ち』が発動する視覚効果だ。
「当たれ!」
袈裟に降ろす前に剣先を跳ね上げ、カリストの頭上へと刀身は降り注いだ。その時、再び魔術師の『漆黒の外套』が禍々しい光を放つ。
「ちくしょう、またか」
カリストの口元は僅かにほころび、勝利の道程を確信しかけた。これを凌げさえすれば、また彼の時間だ。
しかし黒衣の男の目論見は崩れ去る。初めは防ぎきったと思われたアルトの剣打は、禍々しき『漆黒の外套』を易々と切り裂いた。
「ちっ、ダメージが飽和したか」
黒衣の男は舌打ちと共に表情を怒りに歪め、『無銘の打刀』が『漆黒の外套』を捉えているうちに飛び退く。主を失った『漆黒の外套』は、力なくうずくまるようにふわりと墜ちた。
「それ、たぶんダメージ無効化する魔法の外套にょ」
はたしてマーベルの言は正しい。この外套こそがアルトの打撃を防いでいた張本人であった。
「よっしゃ、これで勝つる」
思わずガッツポーズのアルト。しかしそれは少々気が早いというものだ。
「慌てるな小僧。まだ私のターンだ」
『漆黒の外套』がその効果を失った瞬間、黒衣の男は死を覚悟した。いくらレベル差があったと言えど、特殊な装備を持たぬ『魔術師』は、『傭兵』の打撃に耐えられるほどタフではないのだ。
そもそもここまで苦戦する予定ではなかったのだ。
いくら『死に対する耐性』を持つ異界の者たちとは言え、相手は低レベルの冒険者だ。現在6レベルを誇る『魔術師』であるこの自分が『マギシールド』や『フィズシールド』、『漆黒の外套』といった準備をして迎え撃つのだから勝つのが当然と考えていた。しかしそれは慢心だったようだ。現にこうして追い詰められかけたではないか。
だがまだ運は彼にあったのかもしれない。
『漆黒の外套』は破壊された。が、ダメージは相殺されたようで、彼自身にその刃は届いていない。まだ彼はノーダメージなのだ。
その上、このラウンドの彼の行動はまだ残っているし、次ラウンドには『ブリザード』のRR制限も解ける。
初めの『ブリザード』では全てを葬る事は叶わなかったが、すでに相当にダメージを負った異世界人を闇に送るのは、もう1発の『ブリザード』で確実だ。
それは『たとえ魔法抵抗に成功されたとしても』である。
毎ラウンド撃てる『ライトニング』でもいいだろう。だが、魔法抵抗されれば確実ではないし、その時点で彼のMPは尽きる。3ラウンドにしてかなり魔法を使っている。2回攻撃の弊害と言えた。
彼は思案する。
勝利はほぼ決まって入るが、それでもここは確実に行きたい。如何にすれば勝利を確定できるだろうか。魔術師の脳細胞が加速する。
まずこのラウンドの最後の行動を使い、スキル『マナチャージ』を使用。1日に1回しか使用できないが、失ったMPをいくらか回復できる『魔術師』にとって頼もしいスキルだ。
次にラウンド変わって『カリスト』のターン。ここは『フィズシールド』を使わせればよいだろう。事前準備に時間を取られるが、1度だけ物理攻撃を無効化する。『マギシールド』同様に準備はしてある。これであの『傭兵』の攻撃は耐えられる。
そして私のターン。ここでRR制限が外れた『ブリザード』。言わずと知れた悪魔の猛吹雪だ。
どうだ、これで完璧ではないか。
「『マナチャージ』」
黒衣の男が宣言すると、空気中にある緒元の粒子が可視化され、渦巻くように男へと吸い込まれていく。
「くはははは、これで…これで私の勝ちだ」
勝利を確信し、思わず笑いがこみ上げる。すでに勝利への道筋はシミュレート済みだ。苦戦したが、何の事はない。最後に勝つのは結局この私なのだ、と。
「果たして、それはどうですかな?」
非ぬ方向から声がした。それは部屋の隅、打ち捨てられ、山と積まれた残骸の端。声の主はゆっくりとその姿を露わした。
白いワイシャツに赤のチェックのベストを合わせ、綺麗に揃えられたカストロ髭に深緑のベレー帽。その背は成人男子の半分程度、代わりに幅は2倍の酒樽体型。大地の妖精族にして山に轟く音楽家。その名をレッドグースと言った。
「き、貴様、何をしている」
カリストの顔面を蒼白に変えた黒衣の男が悲鳴を上げる。このドワーフは何を企んでいるのか、逃げたのではなかったのか。
「さぁGM、よく聞いてくだされ。『コマンドワンドを使用します』ぞ」
ドワーフはそう言って、足元に倒れ伏していた土塊人形に短杖を突き立てた。
「命令は、そうですな『あの魔術師をぶちのめせ』でよろしいですな」
「承認します」
システムボイスが鳴り響き、土塊で作られた人形の瞳に緑の光が宿る。耳に聞こえぬ魔力の咆哮が確かに聞こえ、ゴーレムは今、立ち上がる。2メートルは優に越す彼の名は『チャーリー』と言った。あの最初の難関を越えられなかったゴーレムだ。
黒衣の男の確定した勝利は、今まさに裏返った。
「覚えておけ、近いうちにまたまみえるぞ」
男が何事か詠唱したかと思うと、その身体はふわりと宙を飛行し、部屋の奥にあった大型のダストシュートへと消えていった。
「た、助かった」
「ほんまやで」
戦闘終了で目を覚ましたモルト、そして『漆黒の外套』を破壊した時点で敗北を確信していたアルトはお互いを背にしてへたり込んだ。安心したら足腰に力が入らなくなったのだ。
「アレが『空飛ぶ5レベル魔術師』か。前にGMが言ってた」
ホッとして、ふとしょうもない事を思い出す。
「いえ、抵触制限が解除されたので言いますが、あの『魔術師』、6レベルだったようですよ」
「マジかっ」
それを聞くと、ますます力が入らなくなるアルトだった。
「いえーい、ですな」
「うまく行ったにゃ」
そんなアルトの目の端では、2人の背丈半分コンビが楽しげにハイタッチをかましていた。
「『うまく行った』ってなんやねん」
それを聞きつけたモルトがすかさず問う。あの綱渡りの戦いの中では少々聞き捨てにするには見逃せない言葉だ。
「んとね、おっちゃんが消える前に言ったの。『魔術師を慌てさせる為にもアルト殿をけしかけろ』って」
「いやー、ワタクシの存在に気づかれてはオジャンですからな」
アルトの瞳がつぶらな点になる。すると3ラウンド目の攻撃を促したマーベルの黒幕は、とどのつまりレッドグースだったわけだ。あの背後からの言葉に励まされたのに、何か騙された気分だ。もちろん、誰も騙していないのだけれど。
「ところでGM、『コマンドワンド』の効果時間はどれくらいですかな?」
アルトからのなんとも言いがたいジトーっとした視線を避け、レッドグースは薄茶色の宝珠を拾い上げ、世間話のように尋ねる。
「それは…抵触事項です。知りたければ『学者』の『鑑定』を取ってください」
アルトは『学者』を取ってはいるが、そのスキルは『言語学』。『鑑定』を持っているカリストの身体を逃してしまった。あのまま戦えば確実に負けていたのでしかたのないことだけれど。
そう、高レベルの魔術師を相手に、生き残っただけでも儲けモノなのだ。
はてさて。そうして会話している間に、3分が経過した。
どこかで時計の針がガチンと進む音がした気がした。
「…ちなみに効果時間経過するとどうなるんだ? それも抵触事項ってやつか?」
得も言えぬ、原因の分からぬ焦燥感がアルトを苛む。
「いえ、もう手遅なせいでしょうか。抵触制限が解除されました」
GMの不吉な前置きが、一同に焦燥感を伝染させる。
「してその答えは?」
「効果時間が切れた場合、ゴーレムは制御を失って暴走します」
直後、ゴーレムの瞳の色が緑から赤に変わった。
デピスの遺跡から命からがら逃げ出して、かれこれ1ヶ月が経過した。
アルトたちは少しだけ旅をして、今はニューガルズ公国の首都であるニューガルズ市のとある冒険者の店に滞在していた。
「ふ、今日もロクな依頼がないな」
すっかり一人前の冒険者ぶったセリフも板についたアルトが、滞在中の冒険者の店『宵の月』亭にて、掲示板をしげしげと眺める。
冒険者の店は、冒険者と依頼者をつなぐ場所でもある。店主が直接依頼を橋渡すこともあれば、こうした掲示板に貼り出すこともある。掲示板には誰が受けても結果が変わらないような、簡単な依頼がいくつか貼りだされていた。
食堂にある掲示板前を行き来しては、そのようにつぶやく。それが最近のアルトの日常だった。彼の求める依頼は、今の所まだ無い。
「今帰ったでー」
「ただいまー」
まだ日も高くガラガラな店内に、陽気な凸凹女性陣がやってくる。
一人は御年8歳程度に見えるねこ耳少女。草色のワンピースに『なめし革の鎧』を合わせた、流れるような金髪をポニーテイルに結い上げたマーベル・プロメテイト。草原の妖精族『ケットシー』だ。
もう一人は質素な白いゆったりとした法衣に白いピルボックス帽を合わせたうら若き乙女。明るい色の髪をハーフアップに結い上げたモルト・レミアム。一見お嬢様風のその頬がかすかに赤いのはすでにどこかで呑んで来た証。種族は『ハーフエルフ』。
「カリストさんの情報、何かありました?」
「ないにゃ」
出迎えの言葉もそこそこに本題に入るアルトだが、返事もまた即答だ。
「まーコッチも向こうも生きとるなら、その内、会うこともあるやろ」
少し諦め気味な色を含んだモルト。早速テーブルについて飲み物を注文しているようだ。もちろんその内容は愛する人生の友・お酒とおつまみである。
そこへもう一人が店内にやってくる。切り揃えられ、よく手入れされたカストロ髭に、いつもとは違うキラキラひらひらのステージ衣装を身に付けた、大地の妖精『ドワーフ』であり、音楽家を自称する、愛用の『手風琴』を背負ったレッドグースだ。
「さぁそろそろ本日の準備を始めてくだされ」
大仰にゆっくりと店内を歩き、モルトのテーブルに相席する。注文はやはり酒。だがモルトの注文より少し上等な蒸留酒だ。
「はい先生! 本日もよろしくお願いします」
「準備始めるにゃ」
直立で敬礼を捧げた二人は店内を駆け足で移動し、奥にステージを準備し始めた。
実はこの1ヶ月、レッドグースの『ステージセッション』で生計を立てている4人であった。気分はすっかりイベントスタッフ。アルトが探していた依頼も、ぶっちゃけ『出演依頼』の方だった。
「なんやすっかり馴染んだなー」
「ま、よろしいんじゃないですかの?」
若い二人が準備するステージを肴に、大人二人はちびりちびりと杯に口をつける。裕福ではないが、それは平和な日常である。
「平和はいいなぁ、オレはもうこれでいいよ。旅とか冒険とかそういうのいいから」
遠くのテーブルで頷き合う大人に口を挟み、アルトは緩みきった笑顔で自分も頷いた。
「そんなことより早く仕事するにゃ。時間が迫ってるにゃ」
アルトの背に軽く蹴りを入れ、そそくさと飾り付けに精を出すマーベル。彼女の言うように、本日の開演時間はもう間近だ。
「お前たちは相変わらずだなぁ」
モルトたちの酒を給仕しながら、『宵の月』亭の店主である元冒険者の大男が呆れてため息をつく。古傷だらけの口元には皮肉に満ちた笑みが浮かべられている。
「いや、いいんだけど。うちも客が増えることだし。それよりな…」
店主は言葉を切りエプロンのポケットを探る。一同は特別興味もなさ気に、店主の言葉の続きを暢気に待った。
「あったあった。えーと、こんな回状が来てるんだけど」
ポケットから取り出され、少し皺になった数枚の羊皮紙はアルトたち4人の似顔絵と、次の様な本文が綴られていた。
『ラ・ガイン教会所属、アルパ司祭位・ウッドペック師の殺害犯を探索中である。以下に容疑者の似顔絵を添付する-ラ・ガイン教会警護隊本部-』
「で、どうする?」
店主が空々しくもさわやかな笑みを、その傷だらけの顔に浮かべる。
アルトは店内をぐるりと見回し、店主と仲間の間で頷きあった。
「オ、オレたちの冒険は、まだ始まったばかりダゼ!」
おっとり刀で店を飛び出す彼らの先には、賞金稼ぎの目があちらこちらに光っている。
果たして、彼らは無事に逃げおおせるのか。カリストとの合流は果たせるのか。そしてこの『世界』の謎は解き明かせるのか。
さてさて、残念ながらそれらはまた、次の機会に。
メリクルリングRPG。
このタイトルにも出てくる『メリクル』とは中央大陸の統一帝『メルクリウス』の事を指す愛称だ。また『メルクリウス』とはローマ神話に登場する、旅人の守護神の名前でもある。
旅人の守護神『メルクリウス』の『輪』に囚われた冒険者達。その旅はまだまだしばらく続くようである。




