06小麦畑でつかまえて
前回のあらすじ
タキシン王国王太子アムロド殿下より、ニューガルズ公国の後方かく乱工作を命ぜられ潜入したアルト隊は、レッドグースの発案により、ニューガルズ公国軍の兵糧調達の邪魔をする事にした。
もともと公国宰相である法王キャンベルが、無茶な交渉で商人から小麦を巻き上げようとしていたので、無事契約を奪ったレッドグースだったが。
さて。
ニューガルズ公国首都には、特に目を引く建築物は2つある。
1つは王城だが、その王城よりも荘厳で豪華なのが『ラ・ガイン教会』の本部大聖堂である。
そもそもは、寒冷で貧しい公国に住まう人々が寄り添うように信仰するのが『ラ・ガイン教会』だったのだが、その本部がこれでは内部の腐敗振りも推して知るべしだろう。
その本部大聖堂の、とある司教執務室で2人は向き合っていた。
1人は『ラ・ガイン教会』の司教だ。
『ラ・ガイン教会』は組織頂点に法王がおり、その下に大司教、司教と言った幹部が数人いる。
彼らが事あるごとに会議を行い、教会は運営される。
ここにいる司教は、そんな幹部のうちの1人であり、この度のタキシン王国への遠征軍の、兵糧調達を任された男であった。
厳しい顔をした初老の司教は、この執務室にいるもう一人が吐いた言葉を受け、さらに渋面を晒した。
「すると何か、お前は我が『ラ・ガイン教会』に売る小麦はもう無い、と申すか」
すでに述べられた言葉を確認するように言うと、対面の女商人は不敵な笑みを浮かべて深く頷いた。
この女商人、名をベネッセという。ニューガルズ公国の小麦商組合の幹部である。
小麦商組合は小さな寄り合い所帯だ。
そもそも寒冷で農地が狭いニューガルズ公国内においては、当然、小麦生産量は少ないので大仰に組合を作るほどの事も無い。
各農村で生産されたうち、税や自己消費分を抜いた余剰分を、行商人が他の寒村へ運ぶだけで済んだのだ。
商人たちはだがこの度の兵糧調達のせいで組合を作るに至った。
それだけ『ラ・ガイン教会』の横暴振りが酷かったゆえである。
「残念ですが、交渉中だった分はもう売れてしまいましたので」
悪びれも無く両手を広げて言う女商人ベネッセの笑みには、侮蔑も含まれていた。いや初老の司教殿にはそう見えた。
なので、司教の頭には一気に血が上った。
「公国民として協力するのが筋であろう。それを他に売っただと?」
『ラ・ガイン教会』に所属する『聖職者』たちが見れば途端に震え上がるだろうと言う剣幕だったが、ベネッセもただの女ではない。彼女は小規模とは言え複数の行商人を束ねる姐御なのだ。
「公国民としては大変心苦しいのだけどね。さすがに『半値で売れ』と言うのでは『協力』の域を超えているのよ」
飄々と、すでに慇懃な態度すら取り払ってベネッセが言えば、初老の司教はますますヒートアップした。
「こ、こ、こ、この金の亡者め。公国の浮沈がかかる戦に協力できないとは、この非国民の背教者め」
「そうかしらね? 小麦が無くて困るのは地方に住んでいる公国民だと思うけど」
ついカッとなってベネッセはこう言い返してしまったが、これでは教会に売らない小麦が、巡って公国民の口に入る。とばらしているようなものである。
だが司教はそこに気付かず口角の泡を飛ばした。
「国家の大事を前に空腹くらいは耐えさせろ」
この理屈にはさすがにベネッセは怒りを通り越して呆れ返った。
人間が食事を取らなければどうなるか。そう言った基本的な想像が出来ないのだろう。そのような人物たちが、今や教会だけでなく公国の舵取りを行っているのだ。
もう何を話しても通じないだろう、と考えたベネッセは、会話を打ち切るべく結論を口にする事にした。
「司教閣下の都合はよく理解したわ。でも、もう契約が済んでしまったもの。今更反故にも出来ないわ」
「反故にすればよかろう。公国の名において許可しよう」
「本当にいいの? 契約者は帝国から来たのだけど」
この一言で、初老の司教は絶句した。
アルセリア島内において『帝国』と言われれば、『天の支柱山脈』を挟んで南側に大領を持つレギ帝国に他ならない。
その帝国からやってきて小麦を横取りした商人が、果たしてただの小麦商人であるだろうか。いや無いだろう。
それに貧国の少ない小麦とは言え、いち商人が扱うには大量な筈である。
つまりこの横取りが、タキシン王国内戦を挟んだ間接的な敵国の思惑である事は想像に難くない。
初老の司教の思考は、この瞬間、そこまで及んだ。
国内の商人に圧力をかけていたつもりが、いつの間にか帝国資本との商戦になってしまったのだ。
憤慨で赤くなっていた司教の顔は、あっという間に青くなった。
「こ、この件は急ぎ法王猊下に判断を仰がねば。し、失礼する」
いけ好かない司教の寿命は、この一件でかなり縮んだに違いない。
慌てて執務室を出て行く背中を眺めつつ、女商人ベネッセは意地の悪い笑いを隠しきる事ができなかった。
現代日本において「某々の方から来た」などと言われても「何だ詐欺か」としか思われないが、まだまだ商取引に無知なニューガルズ公国民の、さらに疎い司教という人間は、すっかりレッドグースの詐術にはまってしまったのだ。
ちなみに 実際の話、帝国の方からやって来たという、道化の姿をしたレッドグースとかわした契約は、簡単に言うと以下の通りである。
曰く「来年の夏に所定量の小麦を30万銀貨で購入する。ただし、それまでの期間中、必要に応じて相場の金額にて売り捌いても良い。売れ残った場合は相場にて残りを来年の夏に購入する」。
つまりあのドワーフは教会に売らない口実を作ってくれただけであり、小麦商組合はこれ幸いと各寒村へ売りさばきに行く予定であった。
初老の司教が駆け込んだのは、もちろん法王キャンベルの居室だ。
最初、彼が入室した時、まるで玉座の様な椅子に腰掛けた法王キャンベルは、特殊な役割を負った僧女を侍らせていた。
特殊とは、すなわち偉い人の慰撫だ。
だが司教が騒がしく入ってきたため、僧女たちは隣室へと退去し、キャンベルは不快感に表情をゆがめた。
「何事だ騒々しい」
僧職にあるまじき、精気と野心に満ちた艶やかな壮年の法王キャンベルが、先ほどまで僧女たちに掛けていたのとは正反対の厳しい声をあげる。
初老司教はすぐに畏まって膝をつき、自分が青い顔をしている事情を話した。
「何をやっておるか馬鹿者が。何とかせい」
だが、対策や許しを求める司教の思惑と裏腹に、法王猊下の言葉はあまりに素っ気無いものであった。
「何とかと言われましても」
流れ出る脂汗を手ぬぐいながら、絶句しかけた司教は顔を上げる。
対面のキャンベルはより一層の不快感を全身で表していた。
「公国内で採れた作物であれば、それは公国の物であるのが道理だろう。兵を率いて徴収してまいれ」
この言葉でさすがに初老司教は絶句した。彼もこれに近い事は考えていたが、年の功による思慮がさすがに咎めて口には出せないでいた。
「し、しかし小麦を買い付けたのは帝国のようですが、それはいかに?」
そう、純粋に公国民の持ち物であれば召し上げるのも吝かではない。取られる方からすればとんでもない話であるが、彼らの考えではそうだった。
だが未だ書類上であるにしても、彼らの欲する物資はすでに帝国の財産だ。
いや、実際の話をすれば、契約は前述のとおりであるから、まだ帝国の物でもレッドグースの物でもないが、少なくとも司教や法王猊下はそう認識した。
だからこそ、初老の司教はか細い声ながら、そう進言したのだ。
公国内のことであろうとも、他国の財産を侵せば色々問題が生じるだろうからだ。
しかし、法王キャンベルは教会内の権力闘争や謀略には長けていたが、政治家や軍人ではなかった。
「ふん、レギ帝国がいくら大きかろうと『天の支柱山脈』の向こうではないか。それにどうせ間接的にはもう敵国なのだ。今更であろう」
乱暴な意見だが、今や公国の宰相閣下でもあるキャンベル法王がそう言うなら、その覚悟があるのなら、もう司教如きが何を言うわけにも行かない。
「仰せのままに」
初老の司教は悲壮な決意の元、深く頭を垂れるしかなかった。
かくして、ニューガルズ市内にある『首都防衛連隊』の屯所に宰相閣下認可の命令書が届けられ、その命令は巡り巡ってノイマン伍長へと下された。
曰く「公国に非協力的な小麦商組合から、在庫の小麦を接収せよ」と。
ノイマン伍長は『首都防衛連隊』のいち小隊を預かる下士官だ。
元々はニューガルズ公国北方にある寒村を領地に持つ男爵家の長子だが、そもそも農地の殆どがソバくらいしか育てられないので、ろくな税収が無い。
その為、上位の領主や公国への上納を別途に稼ぐ必要があり、その足しにと公国軍へと入隊した。
そうして現在三十路にて、『首都防衛連隊』所属の伍長殿という訳だ。
「隊長、こんな非道な命令が許されるのでしょうか」
「国王陛下が行方不明になって以来、こんな仕事ばかりじゃないですか」
「クソ喰らえ宰相閣下め」
任務ブリーフィングの為に集められた配下の隊員たちが口々に迫る。
彼らもまた、ノイマン伍長同様に北方からやってきて軍役についている者たちだ。
ニューガルズ公国北方出身者には、農作物の代わりに軍役を税として納める者も少なくないのだ。
なので、行商人たちが北方にもたらす小麦の大切さがよく解っていた。反発が大きいのも仕方が無い。
だがノイマン伍長はただ憮然とした表情で隊員たちの苦言を聞き頷くだけだ。
そうして一通り言葉の嵐が過ぎ去ったころ、ノイマン伍長がやっと口を開いた。
「諸君の思いは重々承知しているし、俺も北国生まれだから、この命令に思うところは大きい」
この言葉に隊員たちはホッと息をついた。
話がわかる上司に共感してもらえるだけでも、ある程度の安心感がある。
下級貴族と平民という立場の違いは、大きな意識の隔たりがある場合も多いのだ。
だが彼にも立場があるのは隊員たちもわかっていたし、かの尊敬すべき隊長の真面目な性格もよくよく承知していた。
なのでこの後の言葉もだいたい予想していた。
「納得は行かぬ。行かんが、我らは公国に忠誠を誓う軍人だ。軍人が個々の納得如何で命令を拒否するなど出来る事ではない」
そして続く言葉は隊員たちの予想していた通りであり、各員は仕方なく重苦しい腰を上げるしかなかった。
「それで、組合の持つ小麦の所在はわかるか?」
「いえ、組合と言えど行商人の寄り合い所帯ですから、在庫はそれぞれが持っているのではないかと」
皆が任務に向けて思考を変えたところで始まるのは、仕事に対する打ち合わせだ。
小麦の接収が目的なので、その所在を確認する必要がある。
だが隊員が言う通り、行商人がそれぞれ持つなら、それぞれを回って接収していかなければならないだろう。
小隊は隊長含め6人の編成だ。効率良く行くには情報が全く足りない。
「面倒な事だが仕方が無い。では各員、まずは極秘に組合所属の小麦商人と、その在庫の所在情報を集めてくれ。全てを把握してから、一気に接収に移る」
極秘にするのは、行商人たちが察し、とっとと小麦を持って出かけてしまうのを防ぐ為だ。
もっとも時期的にはすでに行商シーズンをだいぶ過ぎているので、こんな小細工をしなくても行商に行ってしまうかもしれないが。
「了解しました」
任務遂行の為に散開して行く隊員たちの背を見送り、ノイマン伍長は粗末な椅子に深く腰掛けて溜め息を付いた。
「さて、いったい何日かかることやら」
どう考えても小隊だけでは手に余りそうな任務だが、おそらくこれは、新政府に対する軍部のささやかな抵抗なのだろう。
ならば与えられた小さな手で、せいぜい奮闘する事にするか。
などと考えたのも束の間だった。翌日の夕方までにはそれなりに確度の高い情報が出揃った。
「組合が一括して倉庫管理している? 我々には都合がいいな」
隊員が飲み客に扮して、商人などが集まる酒場で収集してきた情報であり、さらに実際にその倉庫を確認済みだ。
後は小麦が市外へ運び出される前に接収しに行くだけだろう。
「では明日の朝に行くとするか」
ブリーフィング室でその様に決めかけた時、隊員の一人が手を挙げた。
「隊長、今晩の方が良くないですか?」
「なぜだね?」
公国政府からの命令に従い小麦を接収すると言うのに、なぜそんな泥棒の様な真似をするのか。
ノイマン伍長は理解できず、すぐさま隊員に訊ね返した。
「ただでさえ新宰相閣下のやることには公国民の不満がたまっています。我々がその反感の矢面に立つのは面白くありません」
皆、いやいや任務に従事している訳だが、そこでさらに公国民からの怨嗟まで背負わされたくない。
ただでさえ『首都防衛連隊』は普段から市民の目に晒されるのだ。
そう言われて、ノイマン伍長も納得した。
「ふむ、では今晩、倉庫の強制接収を行い、明朝、組合に向けて通達を出そう。各隊員は出動に向けて準備を始めろ」
「了解しました」
方針が決まり、各員は必要な装備を揃える為に屯所内へ散開した。
その隊員たちの背を、一匹の黒猫が物陰から見守っていた事に、気付いたものはいなかった。
「どうやら今晩あたり、来てくれるみたいだよ。おやっさん」
ここ数日、小麦商組合が用意した大倉庫に、在庫小麦と共に寝泊りしていた数人の冒険者の内、黒装の『魔術師』がニヤリと笑って仲間に告げた。
使い魔である黒猫のヤマトで内偵していた、眼鏡の青年魔道士、カリストだ。
「ふむ、ではワタクシの仕事はこれまでですな」
そう答えたのはドワーフの『吟遊詩人』レッドグースだ。彼は『盗賊』でもあるのだが、あくまで処世術の手段でしかないといって憚らない。
ちなみに行商人の小麦をここに集めるよう指示したのも、倉庫の情報を流したのも、彼の仕事だった。
「ほんなら、ここからはウチらの仕事やね」
「正規兵と斬り合いか。嫌だなぁ」
「しゃきっとするにゃ」
「アルト殿。我々は通達も無くやって来る賊から小麦を守るだけですぞ」
「ああ、そう言う建前だっけ。わかったわかった」
小さな蝋燭の灯に照らされて、各々はひっそりと息を潜めつつ、自分の得物を確かめるのだった。




