02王太子
タキシン王国は歴史ある王国だ。
そもそもの始まりは約500年前。アルセリア島への蛮族侵攻まで遡る。
それまで小部族ひしめく古エルフ族の楽園であったアルセリア島だが、大陸から渡ってきた人間たちに対抗する為、国と言う体裁を整えた。
これがタキシン王国の始まりである。
その古エルフ族を祖とする、歴史ある王国の王宮謁見の間。
見渡せば確かに歴史を感じさせるただずまいだ。
「ま、悪い言い方をすれば『ボロい』と言うところですかな」
王太子アムロド殿下を前にしてポソリと呟いたドワーフ楽師のレッドグースは、すぐさま近隣の隊仲間に肘で小突かれた。
前にして、とは言えアムロド殿下とアルト隊の距離は10メートル近く離れている為、普通ならこんな呟きなど聞えない距離だ。
しかし王族との謁見の割りに文官武官がえらく少ない、妙にシンとしたこの謁見の間では、耳の良い者なら聞きつけないとも限らないのだ。
そしてどうやらアムロド殿下は良い耳をお持ちのようだった。
草原の種族である猫耳族は目がいいが、森の種族であるエルフ族は、葉ズレ音の中でも獣の息を聞き分ける耳を持っている。
筋骨隆々に髭モジャと言う、耳以外でエルフらしいところが全く無いアムロド殿下だが 確かにエルフ族の血を引くのだろう、僅かに尖ったその耳は伊達ではないらしい。その『僅か』と言うところが、古エルフ族の血の薄さを物語っているのだろうが。
ただアムロド殿下は無礼なドワーフの言葉に怒るでもなく、静かに肩を揺らす。
「人手も資金も不足気味でな。掃除婦を雇う余裕が無い」
彼がそうのたまうと、文官は難しそうに眉をしかめ、武官は苦笑いを漏らした。
何とまぁ、ざっくばらんと言うか、雑な人物だ。と、アルト隊の面々は困惑した。
レギ帝国皇帝陛下も気さくな人物だったが、品格と威厳があった。何より、平和な国の支配者である自負があるのだろう、どこはかと無く覇者の余裕が漂っていた。
ところがこちらはどうか。
言うなれば「大盗賊団の頭目」と言われても頷きかねない。
「殿下。ぶっちゃけすぎです。客人方が困惑してますよ」
「ん、そうか?」
そんな雰囲気の中で苦言を呈するのは、どんな文官武官よりアムロド殿下の近くにいる冒険者風の少年だった。
少年とは言ったが、アルトより1~2歳は年長だろう。
長い黒髪を後ろで束ねた長身の少年で、アルトと同じ金緑色の『ミスリルの鎖帷子』を着込んでいる。
腰に下げるのは長い『両手剣』で、その割に彼の身体は細身だ。
一見、あまり強そうには見えない優しい顔つきの男だが、この謁見の間においてアルト隊の武装を取り上げなかったことから考えるに、彼やアムロド殿下はかなり腕に自信があるのだろう。
「ふむ、改めて礼を言おう。はるばるレギ帝国より我が息子の護衛、ご苦労であった。本来であれば礼も兼ねて夜会でも開きたい所だが、なにぶん戦時中なのでご容赦願う」
一転、アムロド殿下は王族らしい大仰な態度を見せ、やっと「ああ、この人物は間違いなく王太子なのだな」と、アルト隊の面々はホッと胸を撫で下ろした。
安心した所で、各員、王族の前で平伏するのも忘れていた事に気づき、膝をついた。
ちなみにここにはハリエットとヴォーデンの『錬金術師』師弟は来ていない。
曰く「王族に用はない」とのことで、とっとと市内観光に赴いている。
とは言え、戦中の賑やかざる街を見て楽しいのかはわからないが。
「礼には及びません殿下。我ら冒険者とはいえ、帝国軍臨時雇用の軍属扱いですので。報酬も帝国より頂いておりますゆえ」
社交辞令とは言え王太子が容赦を請うたので、これに応えるのも礼儀である。この役目を負ったのは、隊内唯一の貴族称号を持つ、黒衣の魔道士カリストだった。
「であるか」
カリストの優雅な礼を受け、これにて社交辞令のやり取りは終わり、と言わんばかりにアムロド殿下は頷いて、仮の王座からおもむろに立ち上がった。
「セナトールにはしばらく謹慎を申し付ける。騒動を起こした事を充分反省せよ。客人にはささやかながら晩餐に招待させてもらおう」
して、そう言うことに相成った。
その後は謁見の間から退出を言い渡され、出ると待っていた侍女たちに連れられ、沐浴させられた。
旅の埃を落とすのにはちょうど良かったが、モルトとマーベルは「出来れば湯に浸かりたかった」と肩を落とした。
アルトは湯船が無い不満より、侍女たちが見守る中で服を脱ぐ事の方が、余程堪えたようだったが。
そうしてあまり気を休める暇も無く、あれよあれよと言う間に晩餐の時間となった。
案内された王宮内の食堂は、質素ながら、さすがに食事スペースだけあり清掃は行き届いているようだった。
20人が一度に席に着けそうな長テーブルには、清潔な白いクロスが敷かれ、壁に絵などの装飾は見当たらなかったが、唯一奥の席の後ろには広葉の大樹を図案化した紋章旗が飾られていた。
この大樹紋こそがタキシン王家の紋章である。
「あの木なんの木気になる木にゃ」
「名前も知らない木やんなぁ」
マーベルがなんの気無しに呟けば、確かにそれはかの大企業CMに出てくる大樹にも見えたので、モルトはシミジミと頷いた。
そのマーベルはいつもの草色のワンピース姿だが、金色の髪によく映える、オレンジ色の宝石をあしらった髪留めを着けている。これは沐浴からマーベルたちの世話を申し付けられていた侍女が持ってきて貸与したものだ。
同様にモルトも白い法衣に映える赤いブローチを胸元につけている。
「あれはアメリカネムノキという種類だそうだよ」
少しばかりのワンポイントを着けた女性陣とは違い、いつも通りの漆黒を身に纏ったカリストが応える。が、すぐさまレッドグースが溜め息混じりに首を横に振った。
「カリスト殿。あれは名前を知らぬからロマンがあるのですぞ」
この辺りの解釈は人それぞれだろうが、カリストは素直に頭を下げた。ついでに、素直に感心していたアルトは少しばかりバツが悪そうに頭をかいた。
ひとしきり会話が終わった事を見計らって、給仕係りの侍女たちが着席を促す。
最も奥の席は当然、王太子殿下が着くのだろう、少しばかり他とは違う立派ないすが用意されており、その席から見て左翼側へと案内された。食堂の扉から見ると、右翼側より幾らか奥の席に当たる。
「ささ、アっくんから行くにゃ」
「リーダーやし順当やね」
「え、オレか? いやいやレディーファーストどうぞ」
「ここは貴族殿の出番ですぞ」
「いや僕はこれで敵国人ってことになるから遠慮するよ」
とは言え、皆それぞれ上座に近い所に行きたくないのか、席順をそれとなく押し付けあい始める。
マゴマゴしている間に、それまでアルトの後頭部あたりで澄まし顔だった人形少女ティラミスが、ぴょこんと降りて席に着いた。
「ではここはティラミスが」
着いたとは言え、14センチメートルの身長なので、椅子からテーブルが覗ける訳が無い状態だ。
初めは『人形が動いた!』と叫びそうなほど目を見開いて驚いていた侍女たちは、その流れを読んで静かに別の椅子を運んできた。
レストランでよく見る子供椅子だ。
それでもティラミスでは高さが足りないので、何枚かクッションを重ねテーブルに届く様に工夫されている。
さて、ティラミスの堂々たる態度に、ようやく諦めてアルトたちが席に着くと、彼らがくぐってきた扉が再び開いた。
まず3人の少年が入ってくるのが見えた。
そのうち2名は既に見覚えがある。謁見の間でアムロド殿下を嗜めていた、『ミスリル銀の鎖帷子』を着ていた黒髪の少年と、昼に街で再会した元教会警護隊の『警護官』アッシュだ。
2人に続いて入ってきたのは薄金色の綺麗な髪の、白磁の様な美少年だった。
ただ眼の鋭さが、容姿の全く違う王太子アムロド殿下を思い出させるほど似ている。
彼らは軽く目礼をして長テーブル右翼側へ並んで着いた。
続いて最後にやって来たのが、筋骨隆々の、王子イメージらしからぬ王太子アムロド殿下だ。
全員が席に着くと、飲み物が配膳され各々がグラスを手にする。
「今日の糧を得る事ができる幸福に感謝を。また新たな友人を食卓に迎える喜びにも感謝を」
上座のアムロド殿下が厳かに言い放ちグラスを掲げた。倣い、右翼側の3人と、アルト隊の面々も掲げ、乾杯の儀は終わった。
ちなみにグラスと言うが、我らの現代日本で見るような透明なグラスではない。
表面はザラザラで、透明度もかなり低い。砂の鋳型で作成しているせいだ。
それからは料理が運ばれ、いよいよ晩餐が始まる。
王家の晩餐、と言えば様々な豪華料理を想像するが、出て来たのはトマトがふんだんに使われたミネストローネと黒パン。後は塩漬けキャベツをメインに据えたサラダとチキンソテーだった。
「『金糸雀亭』の方が豪華にゃ?」
「そういやセナトール王子が『うちは貧しい』って言ってたなぁ」
これまでの様子で充分予想はしていたので特に落胆は無かったが、アルトとマーベルはひそひそとそう言い合う。
「さぁ、せっかく出会ったのだから、食事だけでなく会話も楽しもうではないか。と言うより、食事は質素すぎて然程楽しくもあるまい」
当然、その囁きあいは聞えていたのだろう、そうアムロド殿下がそ知らぬ顔でおどけて見せると、さすがにアルトとマーベルはもう苦笑いで誤魔化すしかなかった。
それからはそれぞれが軽く自己紹介をしあう。
アルト隊の対面に座る3人は、アムロド殿下が目を掛けて直接雇い入れている冒険者、『放蕩者たち』のメンバーであった。
ご存知アッシュ以外の2名については、黒髪の『両手剣』剣士がドリー、薄金髪の美少年が『魔術師』でカインと言った。
「ずいぶんと冒険者を重用していますが、臣下の方々から反感を買いませんか?」
ある程度会話が進み、場が暖まってきた辺りで、カリストがふと疑問を口にした。
タキシン王国ほど古い歴史を持つ国では、王族の周りにいる臣下もまた、長い歴史に支えられた名家ぞろいなのが普通だ。
騎士団一つにとっても、実力より家柄がものを言う。こういう傾向は封建社会ならどこでもあるが、伝統ある国家ほどその傾向が強い。
だからこそ、そのタキシン王国の王太子たるアムロド殿下が、一番近くに冒険者達を従えていると言う事象が少し不自然に思えたのだ。
「当然、買う。いや買った、だな」
カリストとしては「いかにその反感を逸らしているのか」を知りたかったのだが、返って来た答えは端的で、しかも過去形だった。
同じ様に興味を持っていたレッドグースは首をかしげながら言葉を挟む。
「と、いいますと?」
「俺に反感を持っていた臣下は叔父貴について行ったよ」
つまり、こうしたアムロド殿下のやりようこそが、内乱勃発の要因の一つだと言っているようなものだ。
これにはさすがに一同、反応に困った。
「俺は若い頃、ニューガルズ公国に行って冒険者に混じって生活してたからな。叔父貴に言わせれば『あんな放蕩者に国の将来を任せられるか』ってことらしい。言われた時はどっちが放蕩者かと、唖然としたがな」
アムロド殿下の話はタキシン王国の諸事情を知っている事を前提として進んでいるようで、『放蕩者たち』の面々は「いかにも」と頷いている。
ところが事情がわからないアルト隊は、困惑が深まるばかりだ。
そんな様子に気付いたアッシュが、そっと解説を添えてくれる。
「王弟殿下であらせられるアラグディア様は、ここより北東の『ロシアード』と言う街を拠点に周辺を治める方ですが、国庫の約3分の1を趣味で食いつぶした、と言われています」
聞けば、続けて語るところによると、王弟アラグディアと言う人物は貴族的な趣味思考の強い人物で、煌びやかな芸術や美食をこよなく愛し、ついには北東のロシアード市を、『芸術の都』と変貌させた立役者であった。
ここまでの話なら地方創生の偉人で済むのだが、元々の予算内で遣り繰りして創り上げたわけでなく、農民への重税と、勝手に持ち出した国庫財産を使ったと言うから放蕩者と言われても反論できないだろう。
ただこういう人物が自覚を持っていないと始末におえない。
自分は王侯貴族としての義務を果たしている、と自負しており、逆に金は使わないが彼の思うところの「王族らしくない」振る舞いをするアムロド殿下とは、とにかく仲が悪かったそうだ。
やがて現国王陛下が病に倒れると、「王太子は次期国王に相応しくない」と、元々アムロド殿下をよく思っていなかった臣下たちにたきつけられたこともあり、ロシアード市を拠点に挙兵したと言うわけだ。
ここまで聞いてやっとく納得して、アルトたちは頷いた。
「俺の元に残っているのは、そもそも力無しでは生き残れない下級貴族たちだからな。実力さえあれば傭兵だろうと冒険者だろうと文句は言わん」
ここが、以前に聞きかじった「王太子派は傭兵を使い、王弟派は徴兵を使う」という話の根底だった。
「ところでその方は『人形姉妹』であるか?」
ひとしきり、内戦が始まった経緯に理解を深めた所で、アムロド殿下は自分の隣でチマチマ食事を取っている、身長14センチメートルの少女に視線を落とした。
唐突に話題を振られ、また自分の出自を言い当てられ、ティラミスはキョトンとしてフォークを置く。
「そうでありますが、知ってるでありますか?」
世界に7体しかない人工知能搭載型ゴーレム。
タキシン王国建国より前に大陸で栄えた大魔法帝国の大魔道士パーン・デピスが作り出した作品群だが、彼は大陸からこの島に渡り半隠棲生活をしていた為、その存在を知るものは少ない。
別に隠された存在と言うわけではないので、知っている者も僅かにいるが、それでも超マイナーな存在と言っても過言ではなかろう。
それを知識とは縁が無さそうな盗賊団首領然とした男が言い出したのでなお驚いた。
だが、当のアムロド殿下の次の言葉で、誰もが納得した。
「うむ。しばし前に雇った『魔術師』が、その方の姉妹を連れていたのでな」
すなわち、ミスリル銀の義手義足を手に入れた赤毛のエイリークと、その妹分、『魔操兵士』プレツエルの事だ。
ここで、自らの義兄弟の名が出てアルトはハッと思い出した。
「アムロド殿下。リルガ王国をご存知ですか?」
リルガ王国で待つ、とは、エイリークが残したメッセージであったが、果たして、リルガ王国とやらがどこにあるのか、誰も知らなかった。
待たれても、アルトにしてみればどこに行けばいいのか判らないのだ。
ただ、この名を口にした途端、アムロド殿下の表情は険しくなり、右翼側に着いている『放蕩者たち』たちもまた、視線をせわしなく動かした。
しばらくの沈黙の後、アムロド殿下の政治的、戦略的判断が下ったようで、彼は静かに口を開いた。
その視線は気の弱い者なら射殺してしまいそうなほど鋭かった。
「その名を何処で知ったかは問わぬが、かの王国の件はまだ機密でな。おいそれと教えてやるわけにはいかん」
一同はゴクリと固唾を呑んで、言葉の続きを待つ。
「それでも知りたいのなら交換条件としてこちらの仕事を請けてもらおう。失敗しても当局は一切関知しない。危険な仕事だが、どうする?」
「死して屍拾うものなし、と言うことですな」
エイリークとの合流を目指すアルトたちに、選択の余地は無かった。
会食を終え、作戦概要については後日、となりアルト隊が退出した所で、ふと、アムロド殿下の右席についていた黒髪のドリー少年が疑問を口にした。
「殿下、彼らをあの作戦に使うつもりですか?」
「不満か?」
アムロド殿下は微笑を浮かべながら問い返すが、ドリーに隔意があった訳ではない。ただ、淡々と事実確認を行っただけだ。
アムロド殿下も彼の表情からそれを読み取れたので、返事を待たずに口を開く。
「この局面で冒険者が転がり込んできた。使うしかあるまい。しかも、人手不足で止むを得なくとは言え、帝国がセナトールの護衛につけた腕利きだぞ」
言葉の音調からして、機嫌が良いのがわかるほど弾んでいた。おそらくアルト隊が投入される作戦の成功を確信しているのだろう。
「しかしリルガ王国の情報とは」
「ドリー。おまえの懸念はわかった」
ただ、ドリーは長い黒髪を僅かに揺らしながら首を振る。その様子に、アムロド殿下はフンと息を吐いて頷いた。
「リルガ王国の情報は機密とは言え、すぐ広がる話しだ。だが、それが彼らの耳に入るのはいつだ?」
「3ヵ月後か、いや半年ほど後でしょうか」
「こちらは仕事の対価に時間を売ってやると言う事だ。悪い話ではあるまい」
さすがに言われてハッとした。
すなわち、情報の鮮度の価値と言うものを、アムロド殿下は正しく評価していると言う事だ。
はたして、ドリーは自らの考えの浅さを恥じ、ただ頭を垂れて従った。




