11楽しいファミリーキャンプ
『古代遺跡』は我々の住む世界でも耳慣れた言葉だろう。
モヘンジョ=ダロ、マチュ・ピチ、王家の谷。世界には今でもさまざまな古代遺跡が残っている。
今や我々の世界の古代遺跡は観光資源でしかないが、ファンタジー世界の古代遺跡とは『宝物』を得る為の、危険に満ちた冒険の場である。
古代の巨人やドラゴン、太古に仕掛けられた数々のデストラップ。それらを潜り抜けた冒険者たちが見るのは、山の様な金銀財宝や高度な魔法の品々である。
古代遺跡、それは冒険者にとって、ひとつのロマンの形なのである。
アルトが屋敷の書斎で発見した数枚の地図は、それぞれが別の場所を示しているようだったが、共通する走り書きがされてあった。
曰く「大魔法文明時代の遺跡・未調査」と。
「遺跡楽しみだね! どんなアトラクションがあるかな?」
「テーマパークとちゃうで」
今はその地図にあった遺跡への道中である。
朝食を済まし、簡単な退去前掃除を終えたアルトたちは、屋敷から一路北へ向かった。地図のうち一枚はこの近辺のものらしく、屋敷から徒歩で1日半程の所をバツ印で指し示している。
指し示された古代遺跡がどういう類のモノかわからなかったが、それでも遺跡と言えばお宝である。これから旅をするにしても、街で暮らすにしても、何はともあれ先立つ銭が必要なのである。ゲーム世界とはいえ、リアルに生きている彼らには、それは避けて通れぬ道なのだ。
「大魔法文明ってのは?」
学校の授業でも『文明』についてはいくらか習う。さほど真面目な授業態度でなくとも、高校生ともなればいくつかの文明の名前くらいは言えるだろう。
大魔法文明も、この世界で言うところのそんな古代文明のひとつなのだろう。それはわかる。しかしその特徴や時代背景なんかは知りようもない。
「メリクルリングRPGの世界の古代文明で、緒元魔法によって栄えた文明です。主に大陸の西が中心の文明ですね」
緒元魔法は『魔術師』の使う魔法。世界のさまざまな力を組み合わせて、さまざまな効果を生み出す。
「多くの天才的な『魔術師』によって、数々の、高度な緒元魔法が生み出されました。宮殿は空に浮かび、巨大な迷宮に数多くの怪物を飼い慣らし、世界を一瞬で渡るほどのものだったそうです」
「すごいねぇ、富士キューくらいすごいかな?」
「遊園地ちゃうで」
「文明は蛮族の反乱と巨大な魔法儀式の暴走で滅びた、と、ルールブックの『世界の案内の章』にはありました。まぁぶっちゃけ、シナリオソースの為の設定です。コレならGMが古代遺跡に魔法のアイテムを置きやすいでしょうし」
そう言ってしまうと身も蓋もない。
しかしこの世界がゲーム世界である事を十分理解しているアルトたちは、その辺りの割り切りをどうにか身に付け始めていた。
「すると今から行く所にも『魔法の刀』くらい期待できるのか」
「『魔法の手風琴+1』とかどうですかな? 呪歌使用時にボーナスなどなど」
「いやそこまでピンポイントなのはどうでしょうね。まぁ『何の遺跡かによる』とだけ言っておきましょう」
ゲームなのだから都合のいいアイテムがあったっていい。しかもテーブルトークRPGはGMとプレイヤーのやり取りで物語が生まれるのだから、プレイヤーの望むアイテムが、都合よく登場することもよくあるのだ。
ただ問題は、現在この世界を司るGMが誰なのか、と言う所なのだが。
「やっぱ、このDAはGMのシナリオやないの?」
「違いますねぇ」
DAは古代遺跡や迷宮を舞台にしたシナリオを指す。対して街を舞台にしたCA、荒野、野外を舞台にしたWA、FAという分野もある。
「前回のミッションも大筋は私が書いたシナリオでした。でも黒幕はどうやら全然違うようです」
一同はGMの言葉に深刻さを感じ息を呑む。いよいよ事態は本格的にこの薄茶色の宝珠から離れてしまった訳だ。もう彼はGMではなく、この世界の道先案内人でしかないのかもしれない。
それまで遺跡の宝に思いを馳せ浮き足立っていたが、この世界への不安を思い出したように一様に押し黙った。足取りは重かったが、件の遺跡は一歩一歩確実に近づいていた。
午前中に出発した彼らだったが、20キロ強も進んだ頃には夕方だった。
彼らの身体が元の物より頑強である事を差し引いても、荷物、装備もあり、道の整備もあやふやな世界では、この程度がだいたい相場であるようだった。
もちろん全力で急げばもっと進めるだろう。しかし旅がまだ続く事を考えれば余力は残すべきだろう。
彼らは道中に丁度あった小さな林の脇を今晩の居と定め、各々の荷物を下ろした。
「おふろ入りたいにゃー」
屋敷での生活に味を占めたマーベルが言うが、当然この野宿で入浴など望めない。
「では小川を探して水浴びでもしますかな? 護衛がてらお供しましょう」
「なんだおっさん子供もいける口か」
アルトの冷たい視線がレッドグースに刺さる。
「なっ、ワタクシは純粋にマーベル殿の身をアンジテイルダケデスゾ」
「後半、棒読みなのは何でやねん」
「やっぱやめとく」
あだしごとはさておき、日もそろそろ落ちる。空が藍色に染まる前に、彼らは野営の準備に目を向けなければならない。
「テントはあるんやけど、張り方がわからんわ」
荷物がひときわ大きいかと思えば、モルトの背には畳まれたテントが担がれていた。冒険者用に売り出されている、この世界では一般的な3人用テントだ。
買ってきたは良いが、まさかその手ずから建てる事になろうとは。テーブル上なら『テント張ります』の一言で済んだものを。
「どうれ、ワタクシめにお任せあれ」
荷を降ろし袖まくりをするレッドグースが進み出て、早速セットを検分し始める。当たり前だが今時のワンタッチテントではないので、ちょっとしたコツと知識が要りそうだ。
「こんな古臭いテント建てられるのか?」
「ほほほ、独身中年をあまり舐めない方がいい」
アルトの疑惑の目を軽くかわし、さっそく作業に取り掛かる。すると見る見るうちに三角形の寝所はその形を露にする。
「ただのキモオタ中年やなかったんやなぁ」
「…さすがにちょっと、へこみますぞ」
モルトからの言葉はレッドグースの心をちょっとだけ抉るのだった。
アルトの手も借りて両側からロープでテンションをかけると、立派なテントが建ち上がった。これで寝床の心配は無くなったといえる。女性陣限定の話であるが。
「さてアルト殿、我々のテントは何処ですかな?」
「…え?」
「だから、我々の寝るテント」
突然の問いに目を点にするアルト。慌ててナップサックを漁っても、寝具は携帯毛布しか出てこない。それはレッドグースも然りであった。
男性陣の分のテントは、キャラクタ作成時の話し合いの末、カリストが持つ事になっていた事に思い至ったのは、その直後だった。
「ザ・野宿、確定…」
アルトはがっくりと、地に膝をつくのだった。
「なぁなぁ、おっちゃん、アル君」
ちょうどその時、向こうで夕飯の準備をしていたモルトがやってきた。手には剥きかけの大根が握られている。
「なんですかな、今、ちょっと忙しいところですが。主にアルト殿が精神的に」
「なんやわからんけど…、どっちか調味料持ってこんかった?」
「いえ?」
「持ってない、けど?」
「…ほーか、ほんならええわ」
その日の夕食は野菜の煮込みスープと、大根のサラダだった。味付けは超質素だったと言えよう。
「そ、素材の風味を存分に味わってな?」
それは塩の大切さをしみじみと実感する、ありがたい料理だった。
主に彼らの間抜けが原因ではあったが、それはともかく踏んだり蹴ったりだ。
男性陣2人は、夜はまだ肌寒いこの季節に、満天の星空の下で眠りにつくという、現代人的には大変贅沢な体験をする羽目になった。
防寒寝具は携帯毛布のみ。季節が春でまだ助かった。
おまけに夕飯は野菜たっぷり減塩(無塩)な健康料理だ。こんな贅沢、あっていいのだろうか。
「カップ麺食べたいよう、ハンバーガーが恋しいよう」
「人が自分を一生懸命騙してるのに、煩いですなぁ」
草木も眠る丑三つ時、と言うと午前2時前後のことだが、寒さに耐えかねてアルトが目を覚ましたのは、たぶんそんな時間なんじゃないかと漠然と感じた。実際のところは時計がないからわからない。
彼がおきた理由はただ単に尿意が原因だ。寒いととにかく近くなって困る。彼はすでにこれまで2度、同様に目を覚ましているのだ。
隣で丸くなっているレッドグースは静かに寝息を立てている。レッドグースは携帯毛布の他に防寒用の外套も持っていたので、アルトよりぬくぬくとして見える。
そう言えばこの世界に来たばかりの時、持ち物に『水袋』が無くて困った。
テーブル上でプレイしている限り、キャラクターの喉が渇いてもなんともないし、プレイヤーは潤沢に用意されたジュースを飲めばいい。だからキャラクターを作成した時、うっかり買い忘れたのだ。
結局すぐ街へ行ったので助かったが、あの道中は傷は痛むわ喉は渇くわ、とにかくひどい目にあったように記憶する。
それはともかく、そろそろ物思いにふけるのをやめて尿を放出しないと、寒さが募る一方だ。
アルトは名残惜しくも毛布を置き去りに、少し離れた茂みへと向かった。それは本日の厠と定めた茂みである。
「はー、助かった」
何が助かったのかわからないが、張り詰めた尿意から開放される安堵感からつい口をついた言葉だ。たぶん何かが助かったのだろう。
ほこほこと立ち上る湯気をかわしつつ、アルトは闇に閉ざされた林の奥を眺める。
暗闇は恐ろしいものだ。
いつの時代でもそれは共通した人間の意識だったし、その恐怖は、妖怪、魔物、幽霊などの想像上の化け物を生み出させた。闇の奥で息を潜める者。それを思うと、アルトの背中は小さく震えた。
その時 林の奥で何かがグルルと小さく唸った。
初めは気のせいかとも思った。
暗い林は思ったよりも音がある。虫の鳴き声や鳥や小動物の音。それらが合わさって聞こえた気のせいだと思った。
しかし2度目に聞こえた時、それは間違いなく何かの唸りだとアルトに認識された。
『猛犬注意』の張り紙がある家の庭先で聞いた事のある、イヌ科の獣が出す声だ。
まずい丸腰だ。左手で『無銘の打刀』を探り思い当たる。寝苦しいから『鎖帷子』も『無銘の打刀』も外してあったのだ。
血の気が急速に引いていくのがわかる。サーと言う音が聞こえるようだ。
アルトは急いで手にした『放水の得物』を仕舞って静かに後ずさる。相手の姿は見えないが、なるべく刺激しないように。手にちょっと付いたが気にしている場合でもない。
うかつだった。
野営の支度に気をとられ、夜警のことをすっかり忘れていた。
過去に読んだリプレイ集でも、野営の際には必ず夜番を据えていたし、いくつかの書では実際に夜襲シーンもあったはずだ。
さまざまな後悔の念が脳裏を駆け巡る。と、同時に名も知らぬ神々へ懸命に祈る。『どうか、せめて寝床に戻るまで、相手がその気になりませんように』と。
しかし、至極残念な事だったが、その祈りは届かなかった。いくら神々が実在するこの世界でも、宛名が無ければ届くわけがない。
無常にも彼の後ろ足が、乾いた小枝を踏み折った。
ガウガウガウッ!
林の方で突然あがったイヌ科の鳴き声と争う音でレッドグースは目を覚ました。
「何事ですかな?」
あくびをしながらまずは自分の身を確認する。寝る前から着込んでいた『なめし革の鎧』はきちんと身についているし、愛用の『手風琴』は枕元にあった。
続いて周囲を見回してギョッとした。隣にいた筈のアルトがいない。しかしアルトの愛刀も『鎖帷子』も近くに置かれている。
「おっと、早く行かねばアルト殿が食い散らかされますぞ」
レッドグースは短い足を振り回して立ち上がると、左手に『手風琴』、右手にアルトの『無銘の打刀』を取り、音の方へと駆け出した。
レッドグースが物音に気付いて現場到着するまでおよそ20秒。戦闘時間にして2ラウンドが経過していた。
厠と定めた茂み近くで、アルトは引き倒され四足の獣に覆いかぶさられていた。他にも2匹、同様の獣が控えている。
「不確定名『イヌ科の獣』、アルト殿のステータスは『転倒』。さらに『イヌ科の獣』Aより『格闘』を受けている、と言うところですな」
「暢気に解説すなっ」
そういうアルトはすでに多数の噛み跡をつけ血だらけだ。確かに暢気にしている場合じゃない。
「こいつらダメージは少ないけど、いろいろ厄介だ。早く何とかしてくれ」
そう言っている間にも3匹から噛まれ、アルトは『格闘』脱出ロールに失敗した。どうやらこのラウンドはこれで終了らしい。
「次ラウンドからワタクシも参加ですからの。もう少し耐えてくだされ」
「え? マジで何とかなる?」
実は駆けつけたのがレッドグースでがっかりしたアルトだった。今のところ、戦闘でレッドグースが役に立った事はないのだ。その為、彼の評価は著しく低い。
「さぁ新しいラウンドですぞ。頑張って行きましょうかの」
レッドグースはそう言いざまに、持ってきた『無銘の打刀』をアルトの近くに転がした。
モルトとマーベルが物音に気付いたのがこの時だった。
2人は身なりを軽く整えてテントから這い出ると、すぐに男性陣の姿を探す。
「モル姐さん、2人ともいないにょ!」
状況予測がすぐにモルトの脳裏に導き出される。
「ベルにゃん、行くで、弓持ってな!」
モルトは自らも愛用の『鎧刺し』を佩きながら指示を飛ばした。緊張の冷や汗が額を流れる。
「男2人で連れションかいな。はよ冷やかしに行ったらんと」
しかしその足はすでにラウンドに支配されてか、思い通りに動かなかった。
イヌ科の獣の牙がアルトを襲う。『格闘』中の攻撃は自動的に命中、しかもイヌ科の獣は群れで狩りをする生物と位置づけられ、この状況で同士討ちを起こさない。
その為アルトは3匹から連続的に『噛み付き』を浴びる事になる。もし彼が『鎖帷子』を装備していたら、ここまで血だらけになる事はなかっただろう。その程度のダメージだが、とりあえず見た目は派手だ。
「このやろう、いつまでも好き放題出来ると思うなよっ」
痛みと血にカッとなったアルトは、何度目かの『格闘』脱出を試みるが、やはりロールは失敗に終わる。イヌ科の獣は群れの数が多いほど『格闘』脱出の目標値が高くなのだ。
「それでは行きますぞ。聴け我が調べ!」
胸元に抱えられたレッドグースの『手風琴』が音を風に流す。
ゆっくりとフイゴの部分が延び、そして圧縮される。左手のキーは和音を、右手のキーが旋律を奏でる。
戦闘の緊迫感にそぐわぬ、美しくも伸びやかに、ゆっくりとしたその調べが、徐々に林の闇に浸透する。
ラウンドが明ける。その途端、アルトと3匹の獣を取り巻く空気が変質する。
「さぁこのラウンドから効果が発揮されますぞ。『ノスタルジックバラード』!」
それは彼らの間で初公開となる、『吟遊詩人』の特技『呪歌』だ。
『呪歌』それはメロディに魔力を乗せ、さまざまな効果を発揮する呪いの歌曲。その影響力は『吟遊詩人』レベルと、奏でる者の能力値『精神力』に由来する。
「ドワーフの『超鈍足』と引き換えにした『超精神力』。耐えられますかな?」
さらに言えばレッドグースの『精神力』は、キャラクタ作成時のダイスに恵まれ、最高値に近い値をたたき出していた。獣ごときに耐えられる影響力ではない。
しきりに、そして強制的に望郷への念をかきたてる魔の調べが、獣のピンと立てた耳に染み渡ると、その耳と尻尾は力なく下がり始める。剥き出しになった牙は隠され、黒い瞳は力を失う。
「そーれ、寝床が恋しくなってきた」
リーダー格の獣はアルトを踏みしめていた前足をどけると、しばらく後ずさりする。もう張り詰めた緊迫感は感じられない。
数メートルも下がると、3匹の群れは踵を返し林に消えた。レッドグースはホッと息を吐きつつも曲を続ける。すぐに止めると戻ってきそうな気がしたからだ。
「これで一安心、ですな」
手は『手風琴』から離さず、レッドグースはまだ地に倒れたままの若い仲間を振り返る。早いところ、手当てをしてやらねば。
しかし当のアルトは起き上がるでもなく、うつろな瞳で闇に呟くのだった。
「寝床に、戻ろう…。はやく…」
「おおっと、どうやらアルト殿にもかかってしまった様じゃの」
効果範囲・旋律の届く範囲。効果対象・曲を聴くもの全て。これが恐るべき『呪歌』の持つ特徴だった。
もう少しだけ語ろう。少し離れた女性陣のテントの事。
そこにはアルト救援の為に立ち上ったが、早々に気を変えてテントの寝床に引きこもるモルトとマーベルの姿があった。
レッドグースの歌声は、小さな林の隅々まで響き渡っていたからだ。
『ノスタルジックバラード』。その美しくも静かな旋律は、聴く者の心に郷愁を誘い、『寝ぐらへ帰りたい』と強烈に感じさせる。奏でる者のレベルが高ければ、その思いは『故郷』へと飛ぶ事にもなる。
故郷へ帰る術を持たぬアルトらにとって、『吟遊詩人』のレベルが低かった事が幸いだったとも言えるだろう。




