06ヘンダーソン・スケール
「セナトール殿下の帰国希望を汲む事にした。君たちにはこのまま殿下の護衛をしてタキシン王国まで行ってもらおう」
所は港街ボーウェンの『山手地区』にそびえ立つ太守城の執務室。
アスカ隊の面々とセナトール小王子を前に、この城の主たるベイカー侯爵がそうのたまった。
やっぱりな、という表情で眉をしかめたのは、隊リーダーのアスカだ。
鈍色の『板金鎧』に大きな『凧型の盾』。腰には『両刃の長剣』を吊るしている。今日も今日とて、フル装備のアスカであった。
「侯爵閣下、その件はアルト隊が引き継いでくれるそうなのだけど」
何食わぬ顔でそう返したのは、アスカ隊の主砲とも言える火力担当『魔術師』のマリオンだ。
隊の中でも貴族社会に最も馴染んでいる割りに、相変らず、位がはるか上である侯爵閣下に対して敬語どころか丁寧語すら使わない。
ちなみにもう1人、銀髪の『精霊使い』ナトリは、ただ無表情に部屋内の調度を眺めていた。
マリオンの言葉にベイカー侯爵は苦い顔をする。
別に彼女の無礼に気を悪くしたわけではない。
そもそもそんな事を気にしたら、自由闊達な気風のこの街では、年がら年中不機嫌にしていなければいけないだろう。
ベイカー侯爵がそんな表情をしたのは、国家機密にもなりかねない「他国王族の護送問題」について、臨時雇用の冒険者間ですでに話がついている、という事態に対してだ。
ただ、ここでそれを咎めたとしても、相手が理解しない、または理解しても気をつけてくれる可能性が低いと判断し、ベイカー侯爵は様々な思いを飲み込んだ。
差別する訳ではないが、相手は所詮、無頼の冒険者どもなのだ。
「わかった。では君たちは財務課で今回の報酬を受け取り、解散して良し。ただ後日、臨時特別捜査官の任を引き継いでもらうからな」
「了解しましたー。ではまた後日」
最後に重々しくそう吐き出したベイカー侯爵の言葉に、アスカ隊の面々は何食わぬ顔でわざとらしく敬礼で返し、颯爽と退出する。
小王子のお守という重責から解放され、各々の表情はとても晴れ晴れとしていた。
ちなみに臨時特別捜査官とは、現在、アルト隊の面々が請け負っているパートタイム的な治安維持業務の役職である。
「誰か」
部屋に残ったセナトール小王子にもうしばらく待つようにと、丁寧に合図してから、ベイカー侯爵は少し大きめの声を上げる。
応えてすぐに、執務室扉の外に控えていた騎士見習いの少年が入ってきた。
少年は無言の敬礼姿勢で止まり、ベイカー侯爵の命を待つ。
「メイプル男爵とアルト隊の連中を呼んでくれ。あとセナトール殿下をお部屋に案内差し上げろ」
「はっ。ではセナトール殿下、こちらへどうぞ」
そうした指示を拝領し、騎士見習いの少年はキビキビとした姿勢でセナトール小王子を連れて退出する。
「ああ、もう一つ」
が、すぐに何か思いついたベイカー侯爵の呼び止め声で、少年はドアから半身だけ覗かせる様に戻った。
「治安維持隊のエスプリ副隊長に、良い胃薬を知らないか訊いて来てくれ」
「はっ。閣下の胃に穴が開く前に、至急訊いて調達してまいります」
戦場から遠く離れた地方の長官ながら、ベイカー侯爵の心労はまだまだ晴れない。
「領収書を、忘れるなよ」
そう言う訳でアルトたちは、タキシン王国王太子が嫡子であるセナトール小王子を護衛して、かの王国まで送り届ける事となった。
「これが『タンホイザー号』か」
港街ボーウェンの貿易港隅にある岸壁で、アルトはそこに停泊した大きな帆船を見上げて目を見張った。
ベイカー侯爵の計らいで、アルトたちは帝都までこの船に便乗させてもらう事となったのだ。
彼が『タンホイザー号』と呼んだのは、全長100メートル、全幅20メートル、4本マストの大型輸送用帆船だ。
特にメインマストは高さ40メートルというから壮観である。
40メートルと言えばマンションで例えるなら10階建て前後の高さだ。
今は停泊中なので、縦横合わせて36枚あるという白い帆はすべて畳まれているが、その骨組みだけのマストの高い所で、数人の船員が命綱も無しに点検整備作業をしているのが見える。
「はー、すごいにゃ。アタシも登ってみて良いにゃ?」
「ダメに決まってとるやん」
並んで見上げたマーベルが尻尾をウズウズさせながら誰に訊くでもなく言うが、それに気付いたモルトは素早く彼女の肩を抑える様に後ろに立った。
こうでもしなければ、このねこ耳童女は言うや否や船に向けて飛び出しそうな雰囲気を持っていた。
「さすがに以前乗った物とは比べ物になりませんな」
「以前と言うのは?」
やはり横一列に並んだレッドグースが、アルトの感心に同意して頷けば、その言葉に疑問を投げるのはカリストだ。
以前乗った物、とは、海の魔物『ロゴロア』との戦いで乗船した、『船員ギルド』所有の小型装甲帆船の事である。
そう説明されると、カリストも納得して頷いた。彼はその頃、まだ清田ヒロムに囚われていたので直接は知らないが、仲間達から話だけは聞いていた。
「あっちは船員20名の近海海防用、こっちは船員80名程で遠洋航海も可能な輸送船ダヨ。比べるまでも無いんだナー」
会話を聞き付けてそう口を挟んだのは、金色混じりの短髪眼鏡少女、『錬金術師』ハリエットだった。
そうは言っても、港にある大陸との交易船のどれと比べても、この『タンホイザー号』は一際大さが目立っている。
「やぁ皆さん、もう乗船準備は出来てますか?」
振り向けば、真っ白のネイビースーツと同色の制帽を身に着けた、人の良さそうな中年紳士がそこにいた。
レギ帝国西部方面軍後方支援隊総長、メイプル男爵だ。
傍らには綺麗な金髪を切り揃えたセナトール小王子もいる。ただ小王子は相変らず無口で行儀良く、メイプル男爵の後ろに控えている。
口の悪い者が「まるで従僕のようだ」と影で言うほど目立たない。
メイプル男爵はというと、この帝国所属輸送船『タンホイザー号』の船長でもあり、この度はすでに出発した遠征軍の補給物資と、タキシン王国へ向けての支援物資を、『タンホイザー号』で輸送する任に着くのであった。
「総長自ら現場指揮とは、難儀な事ですな」
「ええ。なにせ人手不足でね」
中年仲間というわけではないが、そう気安くレッドグースが労う様に言えば、メイプル男爵もまた身分の差など感じさせないくらい気楽に肩をすくめて応えた。
「さぁ、皆さん乗船して下さい」
しばしの苦笑いの後、気を取り直したメイプル男爵に促され、各々は少ない荷物を担いでタラップへと進む。
振り向けば、港には彼らの出発を見送ろうという人々が、幾らか集っていた。
「あんたらの荷物はしっかり預かるから安心しな」
そう言って胸を叩くのは、冒険者の店『金糸雀亭』のおばちゃん店主だ。
一応、帰って来るつもりだったので、アルト隊の面々がこの街で増やしてしまった旅に必要なさそうな私物の大半は、『金糸雀亭』に預ける事になった。
遠征する冒険者もよくいるので、おばちゃん店主もこういうことには慣れっこだ。
ちなみに、預かり年月が1年も過ぎて音沙汰無ければ、預けられた荷物はそのまま『金糸雀亭』の収入となる。
他にも鍛冶屋のレコルト親方やミスリル・メイ、『煌きの畔亭』のアンソニーやセガール、そして同店のメインシェフである『料理姫』マカロンもいる。
「アル坊、帰ってきたらまたいつでも手伝いに来い」
「お金稼いだら、ミスリル銀の刀作ってあげるからねー」
「戻ったらまた顔出して下さい。修行の成果をご馳走しますから」
「がはは、食魔道の冴えを見せてやるぜ」
「それ、あかんヤツや」
「向こうにいるはずのプレツエルが心配ですの。近況を知らせるですの」
「このティラミスに任せるであります」
またマクラン家からは幽霊メイドのリノアが1人だけ来ていた。
「お嬢様は『会えば別れ難くなる』などとそれらしい事を仰っていました」
お嬢様とは、もちろんニート古エルフのアルメニカの事だ。
それぞれがしばしの別れに声をかけ、アルトたちもまたそれに応える。
こうして、アルト隊の面々はレギ帝国所属輸送帆船『タンホイザー号』と共に、洋上の人となった。
「おげぇ」
そして約1時間後、アルトは船縁の人となった。
初冬の良く晴れた青空の下、真っ白い帆を張った船が海原を行く。
はるか左手にアルセリア島南岸を臨みながら、船は一路、東へ進む。
そんな穏やかな旅路の中、ハリエットは船縁からキラキラとした半固形状のモノを撒き散らす『鎖帷子』を着込んだ少年に生暖かい視線を向けた。
「船が大きいから揺れも小さい筈なんだけどナー」
「うん、オレも最初は大丈夫だと思ったんだけど」
そう弱々しく愛想笑いを浮かべるアルトに、ハリエットは自身あり気に胸を張る。
「そんなアルト君に朗報ダヨ。あの『エリクシル服用液』が今ならなんと2本で5千銀貨なんダナー」
ついと懐から取り出したのは、ドドメ色の液体が入った小瓶だ。
これこそは、あらゆる状態異常を追い払う、『錬金術』による奇跡の水薬。『エリクシル服用液』であった。
ちなみにいつもの価格は1本1万銀貨なのでこれは大サービス価格といえるだろう。
また、アルトもいつかの貧乏生活を抜け出し、幾らかの蓄えがある身だったので、思い切れば買える値段でもあった。
だが、アルトはただ首を横に振った。
「いや、さすがに酔い止めに25万円払う気には…」
そう、銀貨で生活していると微妙に金銭感覚が判らなくなるが、あらゆる相場観で算定したレートで言えば、1銀貨は日本円にして100円に相当するわけで、1本当たり2千5百銀貨という事は、彼の言う通り25万円ほどの価値になる。
命に係る状態異常ならともかく、船酔い如きでホイと出せる金額ではない。
「だがしかし。だがしかし!」
そう前提した上で、アルトは頭を抱え葛藤していた。
たかが船酔い、と言うかも知れないが、実際に罹っている者にとってそれは地獄の苦しみだ。
吐く物がある内はまだ良い。
問題は、すぐにやって来る「吐く物が無くなった状態」である。
腐った物を食した時と違い、船酔いの場合、胃の中に未消化の食物が無くなったからと言ってスッキリはしない。
息を吸えば吐き気が迫り、かといって吐きたくても出てくるのは胃液だけ。
水を飲んだってそれはすぐに胃液と一緒に吐き出され、その状態が下船するまで続くのだ。
そして一度出航したこの船が次に寄港するのは、5日後の帝都レギ近隣港である。
これは気の迷いで大金を払ってしまいそうだ、と、アルトは恨めしそうにハリエットを見上げるのだった。
「仕方ないネ」
商売が上手く行かなかった事に落胆しつつも、ハリエットは次善策として、穂の大きな庭箒を2本、どこからか取り出した。
アルトはそれを見て「掃除でもして気を紛らせというのか」と、困惑に眉を寄せた。
「僕たちの行動の『ヘンダーソン値』は、果たしていくつなんだろう」
アルトがヘバっている辺りより後ろの船縁で、リーダーを抜かした残りのアルト隊を前にしたカリストがポツリとつぶやいた。
海の生き物達にコマセを撒き続けるアルトより風上にいるのは、まぁ説明するまでも無いだろう。
「その、なんちゃら値ってなんやの?」
このつぶやきに同時に首を傾げたのは女性陣、モルトとマーベルだ。
モルトは甲板に横座りで膝に黒猫のヤマトを乗せ、マーベルは横から猫の髭にちょっかいを出して遊んでいる所だった。
ちなみに人形姉妹が四女である『機械仕掛け』のティラミス嬢は、黒猫ヤマトの背の上で大の字になって寝ている。
最近彼女は寝ているかお菓子を食べているかどっちか、という印象しかないのは、さほど的外れでもなかったりする。
「またマイナーな単語が飛び出しましたな」
「いやー、海外ではそうでもないと思いますよ?」
そんな女性達と小動物を生暖かい瞳で愛でていた酒樽体型のドワーフ紳士レッドグースが、さも可笑しそうに言い、甲板にて左右にコロコロ転がっている薄茶色の宝珠が合槌を打った。
「『ヘンダーソン値』って言うのはTRPGで使われる言葉の一つだよ。大まかに言えばGMのシナリオや思惑から、どれだけ外れているかを表す指標さ」
「シナリオプロットを0として、より劇的に解決する行動はマイナス値となり、プロットをぶち壊すような行動がプラス値として表されます」
続けて、カリストと元GMの薄茶色の宝珠が解説を入れる。
「ほーん。言うても、ウチらにGMとかおるんかな?」
「そこは、不明としかいえないけど。いたとして、そのGMを例のヴァ様と仮定しての話さ」
仮定に仮定を重ねるカリストだが、これは言わば暇つぶしの思考実験の一種なので、それはそれとして話を進める。
ちなみに彼の言う『ヴァ様』とは、以前に名を明かされたヴァナルガンドの事だ。
この世界でも一部の者しかその存在を知らない真の創造主にして、育った強者を喰らう事を最終目的としていると言う、世界の黒幕とも呼べる存在である。
その正体は、『錬金術師』ハリエットが元いた世界の厄介な破壊神であり、逃亡者だ。
それはともかく、ヴァナルガンドという名が呼び辛く、憶え辛いことから、アルト隊の面々はいつしか『ヴァ様』などと呼ぶようになっていた。
『様』付けなのはもちろん、尊敬ではなく揶揄である。
「そやなー。ウチらをこの世界に連れてきたのもヴァ様、ちゅー事やし? 確かにGMみたいな存在かも知れんけど」
「まぁまぁ、カリスト殿が言いたいのは、『GMが存在するか』ではなく、『強者を喰らいたいヴァ様の思惑に、我々がどれだけ沿ってしまっているか』という辺りですかな」
「ふみゅ」
それぞれがカリストの言に対し頷き、また首を捻る。最後に難しい顔で納得気に唸ったマーベルは、実の所すでに話についていけてない。
それでも幾らかの共通理解が出来たと判断したか、カリストはニコリと笑って話を続けた。
「『強者を作り出す』という意味では、僕たちは着々と進んでいると思う。だけどハリエット君の手伝いをするというのはヴァ様の思惑からは外れている筈だ」
ハリエットの手伝い、とは、この新しい旅の発端の一つだ。
一つには『アルトの義兄弟からの手紙』があるが、ハリエットからは明確に『ヴァナルガンド』を始末する手伝いを依頼されている。
いや依頼と言って良いか、巻き込まれたといって良いか微妙な所ではあるが。
それはともかく、今回の旅路も「帝都に師匠がいるから、ひとまずそこまで来て貰うヨ」という言葉に、半ば従っている訳である。
「するとプラス値ですかの」
「そうだね」
GMをヴァナルガンドとすれば、彼の思惑から脱線しているのでヘンダーソン値はプラス指標という事になる。
「ヴァ様のシナリオ通りになれば僕たちは身の破滅さ。だから僕たちは出来る限りプラス値で事を進めなければならないんだ」
「出来れば、プラス2以上で終わりたいものですね」
彼の言葉に薄茶色の宝珠が賛同し、キラリと硬質なその身をテカらせた。
この元GMの言う「ヘンダーソン値がプラス2」とは、すなわち「シナリオの予定は全てぶち壊しになったのにも係らず、なぜか話が進んでいる状態」と言うことだ。
「で、ヘンダーソンって誰にゃ」
話が纏まった事を悟ったマーベルの一言に、一同は「さぁ?」と肩をすくめるばかりだった。
ヘンダーソン・スケールは日本ではほとんど聞かない言葉で、TRPG関連の翻訳記事なんかを読んだりした人が、偶に知っている程度です。
なので作中の解釈に異論がある方も、もしかしたらいるかもしれません。
まぁその辺は「カリストやGM氏がどこかで読んだ翻訳を、彼らなりに解釈したもの」と理解していただければ幸いです。




