ベレン動乱
ハセガワ達が街で噂話を広めている同時刻、商業ギルドのデビットとマティアスは、此処ベレン領商業ギルドのギルド長と再び顔を合わせていた。
「それで、答えは出ましたか?」
デビットが優しげに問いかける。
ギルド長は、早くも額に汗を滲ませながら、やっとの事で頷いた。
「ベレン辺境伯や、財政担当官などと協議しましたが、あなた方の望む金額は出せない、と」
「そうですか」
デビットは、静かにギルド長の言葉を肯定した。
ギルド長は僅かに胸を撫で下ろす。まだ、交渉の余地があるのだと。
だが、その希望は一瞬で塵と消える。そう、デビットの言葉によって。
「実は、我々に帰郷命令が届きまして、ベレン領との一切の取引を中止してカーディナルに戻れ、と」
「な、何ですと?」
ギルド長のこめかみに、冷たい汗が流れた。
「我らとの取引を、一切中止する、と?」
ギルド長の言葉に、デビットは一瞬天井に視線を巡らせると、再度口を開いた。
「申し訳無い、少し誤りがありました。ケルミナス王国の北側との交易の一切を中止する、との事です」
「ま、薪だけでは無く、小麦などの穀物も、ですか?」
「そう言う事になります」
ギルド長の思考は真っ白に染まった。
一体何故この様な結果になったのか?
解らない。
解らない。
解らない。
ケルミナス王国ベレン領は、一体どんな理由でカーディナル卿の怒りを買ったのだろうか?
いや、解らなでは無い。商業ギルドとして、ベレン辺境伯の不穏な動きは察知していた。
きっと、いや、間違い無くそれが原因であろう。
しかし、カーディナルから穀物や薪が届かなければ、確実にケルミナス王国の北側は冬を越せない。
ケルミナス王国の中央付近には巨大な湾がある。だが、中央付近とは言っているが、これは比喩なのである。実際には、中央よりもずっと北側に湾は存在している。
つまり南側は、北側よりも遙かに大きな国土を持っているのだ。そして、気候等の関係で、ケルミナス王国での農作物の主な生産拠点は南側となっている。
もし、ベレン辺境伯の狙いが、クーデターによる王権の簒奪であるならば、戦によって田畑が荒れ、同時に襲う統治の空洞化。他国からの輸入無しに、民の生活は成り立たないだろうとギルド長は推測した。
悲しいかな、実際この推測は当たっているのだ。
何としてもカーディナル側から譲歩を引き出さなければならない。
ギルド長は、必死に頭脳を回転させ知恵を絞る。
だが、たかが商業ギルドのギルド長に打てる手は無いのが現状であった。
唯一方法があるとすれば、領民達を先導してベレン辺境伯を引きずり降ろす事なのだが、現実的ではないだろう。
例え国王に直訴したとしても、証拠不十分で騎士隊は何も出来ない可能性が高い。
今、ギルド長に出来る事は、悔しさの中黙って拳を握る事のみであった。
うつむくギルド長を尻目に、マティアスは窓へと視線を移動させる。
昼過ぎ頃から始まったギルド長との会談。現在窓から差し込む日差しは、赤く染まっていた。
随分と時間をかけた。マティアスは内心そう思いながら、囁く様に言葉を紡ぐ。
「明日あたりに、何か起こるかもしれませんね」
この言葉に、ギルド長は肩を揺らした。
そして気付いたのだ。カーディナル候は、すでに何かしら仕掛けて来ているのだと。
この取引の停止も、その一環なのだと。そして、その全ては、ここケルミナス王国の正常化に繋がるのだと。
そして、自分はこう言われているのだ。出来る限りクーデターを引き延ばせ、と。
それが自分の役目であり、唯一国を荒れさせない方法だ、と。
「解りました。どこまで出来るのか解りませんが、やってみましょう。いや! やりましょう! カーディナル候にそう御伝え下さい」
ギルド長の覚悟を聞いたデビットは
「何の事か解りかねますが、必ず御伝え致します」
そう言って席を立つのであった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
ギルド長とデビット達の会談の翌日。商業ギルドは、いや、ベレン領は上や下への大騒ぎとなっていた。
「薪が手に入らないって話は本当なのか!」
「この冬はどうしたら良いんだ!」
「商業ギルドは、俺達を殺す気か!」
大勢の人間が口々に真実を問う言葉を叫ぶ。
ギルド内だけでは無い。街中でもそんな不安が渦を巻いていた。少しの火種で暴発しそうな程に。
不満で沸き立つ一階を余所に、ギルド長は二階の自室で目を閉じ溜息を一つ吐いた。お膳立ては整った、と。
ギルド長は意を決して立ちあがると、静かに動き出した。ゆっくりと階段を降り、騒ぎの矢面に立つ。
ギルド長の姿を目にした領民達は、さらに声を上げ詰め寄った。
ギルド長は、両手を僅かに上下させ、鎮まる様に呼びかける。そう、最大の火種を投下する為に。
「皆の心配は、今冬の薪の事だな?」
ギルド長のこの言葉に、場の領民税員が同意の声を上げた。
この返事を聞き、ギルド長は一度頷くと真実を開示する。
「すまぬ事だが、それは事実だ。今冬の薪は、カーディナルから入っては来ない」
この言葉を聞き、場は騒然となった。怒声を上げる者。冬に恐怖し膝を付く者。理解が追い付かず頭を抱える者。領民の反応は様々であった。
しかし、ギルド長は皆に語りかける。絶望は始まったばかりなのだ、と。
「皆よ、悪い知らせがもう一つある。いや、こちらの方が本番と言っても良い」
領民達は喉をゴクリと鳴らした。
極寒の冬を暖房無しで暮らす事よりも悪い知らせ。一体ギルド長は何を言わんとしているのだろうか?
「カーディナルとの交易だが、今後一切の取引は無し、との事だ」
ギルド長の言葉で、場は一瞬の静寂に包まれた。
その直後……。
「どう言う事だ! 一切の交易が停止されたと言う事は、薪だけで無く、麦も山の幸も入って来ないと言う事か?!」
「商業ギルドは、俺達に寒さと飢えで死ねというのか?!」
「一体何でそんな事になっているんだ?!」
先程とは比べ物にならない程のどよめきが、民衆から溢れ出した。
その罵倒するかの様な怒声を聞きながら、ギルド長は思う。
解っているだろう? と。
お前達の言葉の端々に出ているじゃないか、と。
解っているのに、解らない振りをしているのだろう、と。
「これから領主様にあって、事の指示を仰ぐ。何とか最悪の事態を避ける様に、な。だから、暫く待ってくれないか」
ギルド長の言葉に、誰も言葉を返さなかった。
解っているのだ。
知っているのだ。
この行為が、無駄に終わる事を。
あの嫉妬に狂った領主が、クーデターを止めない事を。
自分が王になる事を、信じて疑わない道化の事を。
皆一様にうつむき、暗い目をしていた。この絶望から逃れる為に、一体どうしたら良いのだと悩みながら。
そんな表情を見せる者達を見つめながら、ギルド長は静かに立ち上がった。
無駄と解っている交渉をする為に。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「姫様。ハセガワ達から結果が届きました」
ヒムロの落ち着いた態度に、シャルロットは胸を撫で下ろす。どうやら陰謀は成功した様だ、と。
だが、話を聞かなければ始まらないのも事実。
「そう。それで、何だって?」
だから、尋ねるのである。
しかし、呑気な態度を取るシャルロットを見て、ヒムロの眉は八の字を描く。あんな物騒で陰険極まりない陰謀を仕掛けておいて、何故目の前の少女はこんなに呑気なのだろう、と。
「ヒムロ。ヒムロ。ヒームーロー」
シャルロットに呼びかけられ、ヒムロは我に返った。
「申し訳ありません」
ボーっとしていたのを恥じる様に、ヒムロは謝罪の言葉を口にした。
「それで? ハセガワはなんて?」
シャルロットは改めて報告を聞こうと呼びかける。
「姫様の目論見通り、ベレン領は大混乱に陥っているそうです」
そう言ってヒムロは笑みを浮かべた。“良かったですね”とでも言わんばかりに。
そんなヒムロの態度に、シャルロットは僅かに気分を害したが、すぐに元の呑気な雰囲気を取り戻す。シャルロットは良き領主様なのだ。
「ヒムロ、ちょっと待っててもらえる?」
そう言うとシャルロットは、羊皮紙を取り出し何か書きはじめた。
時間にして十五分。シャルロットはインクが乾燥した事を確認すると、封筒に入れて蝋で封印した。
そして、その手紙をヒムロへと差し出す。
「ヴァネッサかイレーネに渡してくれる。早馬でバーングラス王に届けるようにって」
邪気の無い笑顔でそう言うのだった。




