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新月の夜に―精霊と夢見

 夜。闇より生まれいずるモノ。それとも、闇が夜より生まれたものなのか。

 私は夜が怖い。怖かった。

 苦痛の始まりはいつだって夜。前世のお父さんがベッドに忍び込んできたのも真夜中だった。父親の皮を被った暴力と狂気とが結託して、私を辱めた。逃げられないことに絶望したのも夜だった。前々世で両手両足を切り落とされ、それでもまだ生きていて。外につながる扉まで一直線。拘束は一切されていなかった。カギはついていなかった。引き戸で、するすると気持ちいいくらいに滑る扉。見張りはいないし、私の手足をもいだ張本人もいない。でも逃げられなかった。窓から見える月が嫌に輝いて見えたのを覚えている。

 今世でも、拷問じみた行為はいつだって夜だった。昼間の仕事で鬱憤がたまっているのか、私の部屋に来るのが遅い日ほど王の行為は激しく、残酷になった。私の返り血を浴びて、不気味に笑う王は、まさしく狂気の体現者だった。

 夜には人を狂わせる力があるのだろうか。夜だから人は普段押さえている狂気を解放するのだろうか。どちらだろうか。どっちでもいい。される側からしてみれば、痛みは痛みなんだから。


 ああ、今日もやってくる。今日も夜が来た。扉が開く音がする。ぽふ、ぽふ。最高級の絨毯と靴が奏でる、最小限の足音。ぎしり。ああ、彼がやってきた。眠るふりをしていれば許してくれるだろうか。

 頬をはたかれた。目を開ける。全裸で私に覆いかぶさる王が見えた。彼の手には当然のように刃物があった。

「――」

 私が何かを叫ぶ。暴れる。ぎし、ぎしり。押さえつけられて、小指を切り落とされる。絶叫。城中に、とまではいかなくても隣の部屋くらいには普通に届いているはず。それなのに、助けは来ない。

 赦しを乞う私。今度は薬指を、指先から順にスライスされた。ひたすらに謝罪し、もうやめてと叫ぶ。

「じゃあ、これ、舐めて」

 私は、やっと苦痛から解放された。安堵のため息を漏らす。奉仕している間は、きっと危害を加えられない。

 安心していると、背中を刺された。思わず全身に力を込めてしまい、噛んでしまう。

「よくも、噛んでくれたな」

 怒っているふうではなかった。当たり前だ。噛む力なんてほとんど残っていない私の、意図しない痙攣で痛みが生じるはずがない。つまり、これはただの口実。

「罰を、与えないとな」

 私を壊すための、大義名分。

 ぎっ、ぎっ、ぎっ、ごとん。ぼとり、びちゃびちゃ。ぎしぎし、ぎしぎし。ずっ、ずずっ、ぐちゃ。


「きゃああああああああああああああああああ! もういやああああああああああ!」

 飛び起きて叫んだのと同時、脚に草と地面の感触を感じて、ハッとなる。

 ゆ、夢? 夢を、見たの? こ、ここは、本当に現実?

 私の隣にはエヴァがいる。私を守るように本来の姿のロウが丸まっている。少し離れたところに馬車があって、その車輪には槍を持ったラインが眠っていた。

 震える手で、自らをかき抱く。時々見る悪夢。あの時、王のおもちゃだった時のおぞましい記憶。

「はー……。はー……」

 何度も深呼吸をして心を落ち着ける。大丈夫、夢、夢だから。もうあれは終わったこと。

「どうしてあなた、生きてるの?」

 ふと、そんな声をかけられた。

「……え?」

 声のしたほうを見ると、妙齢の女性が私を見下ろしていた。黒一色の装束に、魔女が被るような幅広の帽子。腰まで届く黒髪に、闇をそのまま切り取ったかのような瞳の色。黒の手袋と、服の裾の間でちらりと見える肌は、正反対に白い。

「あなたの夢、子供が見るものじゃないわよね?」

「え、え?」

 なんで私の夢を?

「……どうして戸惑うのかしら。私は夜の精霊。もしかして、精霊って子供しかしないって思ってた?」

 ふふふ、と艶っぽくナイトは笑った。

 ……ナイト? なんで、私は……。

「……ちょっぴり、思ってた」

「ふふふ、冬も恵みも、子供っぽい姿が好きだから。私はこういうお姉さん系じゃないと落ち着かないのよ」

「そう、なの?」

「ええ。それで、御嬢さん。あなたのお名前と、私の名前は?」

 さも当たり前のように、彼女は彼女自身の名前を聞いてきた。

「私の名前は、ミオ。あなたの名前は……ナイト」

 私が言うと、ナイトは嬉しそうに笑った。

「ふふふ、ありがとう、ミオ。私はやっと私として存在することを許されるのよ」

「意味が、分からないよ」

「精霊はね、名前を与えられて初めて『生きる』ということができるの」

「それまでは、どうなの?」

 私が言うと、ナイトは遠い目をした。

「そうね……自分の意識はあるんだけど、それはとてもあやふやなもので……ふとした拍子に消えてしまいそうなほど儚いものなの。力のほうが主体で、意識や心と言ったものは力の副作用……もっと言えば、誤動作に近いわ。それが、あなたという強力な『特異魔力』の持ち主のそばで実体化した時、意識が意識として確立するの。そして名前を与えられて、完全に『個人』として行動することができるようになる」

「……よくわかんない」

 なんで私が特異魔力とかいうものを持っているのか。私でないといけない理由はなんなのだろう。

「わからなくていいの。これは私たち精霊の事情で、あなたには何の関係もない話なんだから。まあ、わかりやすく言うと、あなたはお友達に困らないってことよ」

「そっか」

 それは、純粋にうれしい。でもなんだか心を人質に友人関係を強要しているようにも感じる。

「それで、ミオ。どうしてあんな夢を見たのかしら? あなた、まだ十歳くらいよね?」

「私、十四歳」

 あら、とナイトは不思議そうに首をかしげた。

「そう。まあ、でも四年くらい誤差よ、誤差。私から見れば、あなたはまだまだ子供なんだから」

 そう言って、いきなり抱きしめられた。

「私は新月の夜に最も力が強くなるの。そして夜に近ければ近い人ほど、よく『わかる』の。絶望、恐怖、苦痛……そういったものを大鍋で煮たような感情は、ふつう、子供が抱くものではないわ」

 そんなことを、言われても。

「私にどうしろっていうの……?」

「もう悪夢を見ませんように、って私がおまじないしてあげる。だからね、ミオ。私とお友達になってくれない?」

 ナイトまで、そんな風に言ってくれるんだ。また友達が増える。

「ありがとう。こちらこそ、よろしくね」

「ええ、よろしく、ミオ」

 ちゅっ、と額にキスされた。

「え、ええ?」

「ふふふ、可愛かったから、つい。

 っていうのは冗談で、これで、あなたは悪夢を見なくて済むようになるわ」

「あ、ありがとう」

 ちょっとびっくりした。目も覚めるような美人さんにちゅーなんてされたことないから。

「それでね、びっくりさせちゃうと困るから、あなたのお友達にはちょっとおやすみしてもらってるのよ。あなたの護衛や仲間が弱いわけじゃないから安心してね」

 周りを見ると、確かにみんな不自然なくらい熟睡している。普通なら、ロウやラインは私が叫び声をあげた時点で起きてくれるはずだ。

「私はね、眠りや夢といった夜にまつわる全てを司っているのよ。どんな夢でも思いのまま。でもミオ、あなたにどんな夢でも見せてあげられるわけじゃないのよ」

「そうなの?」

「ええ、夢の見過ぎは大変よ。それこそ死んででも幸せな夢を見たいなんて人、割といるのよ。だからね、ミオ、あなたが夢にハマると困るのよ」

 夢に逃げることができたらどれだけ楽か。否定的にそう思ったけど、ナイトが悪夢を抑えてくれるなら、ちゃんといい夢や心地のよい夢を見れるのか。

「それでね、ミオ。あなたのあの夢。もしかして実際に体験したことなんじゃないかしら」

 ずばり、直球。ごまかすこともできたけど、なぜだか、そうしたくなかった。

「うん」

「いつ、どこで?」

「去年まで、東の国で」

「東の、国」

 どうしたのだろう。ナイトの顔が暗くなった。

「……そう。それでもあなたが生きているのは、どうしてかしら。本当に私、不思議なのよ」

「私、ロードドラゴンの逆鱗を移植されてる」

「あら、まぁ。それで」

 ナイトは驚いたように口を手で覆った。

「……とにかく、ミオ、私は人のことよく知らないから、その悲しい体験について力になれることは、ないわ。せめて、悪夢を見ないようにするだけで精一杯なの」

「そんなことない。それだけしてくれたら、もう十分だよ」

 私はナイトに感謝している。これで私はなんの心配もなく眠れる。悪夢に怯えず眠りにつくことができる。

「そう。そう言ってくれると、助かるわ」

 ナイトは苦笑すると、ふわりと浮いた。

「今日は挨拶。また、おしゃべりしましょう、ミオ」

 闇に溶け込むように、ナイトは消えていった。

 お姉さんみたいな精霊だったなぁ。まさしく年上のお友達、って感じ。仲良くなれるといいなぁ。

 私は横になって目を閉じる。

 悪夢の影を忘れて眠りについたのはいつぶりだっただろうか。

 私はゆっくりと眠った。

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