ポンコツキカイは興味津々
「………………は?」
「ん? あ、ごめんなさい。ピンと来なかった? 人間はどうやってマーキングするのってそのままの意味なんだけど」
「いや、あの。マーキングって何だよ。そんな事しねえよ人間は。犬が縄張り主張してんじゃねえんだから」
「ニンゲンだって動物ならしてる筈よ。ていうかしてるわ。ミシャーナが貴方に」
「俺に?」
思い当たる節は無いようなあるような。マーキングと呼べるような行為はされていないが、強いて挙げるとするなら先輩が勘違いしてると思えないあれだ。男女の親睦を深めるには―――という奴。だけどそれをされたら俺の男としての部分がとてもとても無事では済まない。
「有珠希が普通のニンゲンじゃないのはこの際関係ないわ。貴方がどんなに特殊でもこの世界で何年か生きて来たなら一般的な方法くらいは知ってるでしょ? 別に難しい質問はしてないと思うけど……」
「難しい質問はしてないな。うん。してないけど、ちょっと待て。確かに今日も未紗那先輩とは関わったよ。関わったけど、不可抗力じゃないか。それはお前と俺が繋がってる限り無くならない問題だ。仮にマーキング……したとしても。どうせ次の日には先輩に塗り潰されてるよ」
「そうかしら? メサイアは私が嫌いでしょ? 私がたっぷりマーキングしたら近寄って来ないんじゃない?」
「お前は虫よけスプレーか」
「何よ、やけに答えを濁すじゃない。有珠希、貴方どっちの味方なのッ? 私の味方じゃ……なくなったの?」
その眉を下げた悲哀の表情をやめて欲しい。俺の腕を握る指を震わせるな。そういう人間臭い所がキカイという認識を阻害させているのだ。
「や、それは違う。違うけど―――大体な、女性優位って訳じゃないんだ人間社会は。男がアプローチする事もあるしお前の認識通りも然り。だからアプローチと一口に言っても」
「逆でも構わないわよ?」
「……え」
「有珠希が私にマーキングするの。どんな事をしても離れないくらい強く。私、知識としては全部知ってたつもりだけど、こういう情緒的な行為は経験がないと駄目ね」
気の早いマキナはベッドに寝転がると、満月のように白い瞳をゆっくり閉じて、ほんのり頬を染めた。
「ほら、早く……してよ。普段なら貴方をぷちっと潰しちゃう所でも、今日だけは抵抗しないであげるんだから」
生唾を呑み込む音は彼女に聞こえなかっただろうか。この角度からだと全身を視界に収める事が出来る。糸一つない綺麗な身体。部屋着であろう白いトレーナ―越しにもそのスタイルが優れているのは一目瞭然だ。胸の膨らみが呼吸で隆起しては沈むだけの光景にさえ目を奪われてしまう。それはまるでお姫様。瞳を閉じて俺からのアプローチを待つ姿はさながら白雪姫の如く。
ていうかその顔はどう考えてもキス待ちをしている気がするのだが。こいつの知識も何か偏ってやいないだろうか。
「もう、有珠希のイジワルッ。何にもしないくせに私の身体はジッと見るんだから」
「なッ……わ、分かるのか?」
「私、キカイだもの。人より感覚器官は優れてるに決まってるでしょ。ほら、はーやーく! 教えないと私の旧い知識でマーキングしちゃうわよ! それで文句言われても絶対に受け付けないんだから」
「ああ…………いやあ、その」
「はい、時間切れー」
マキナがパチリと目を覚ましたかと思うと、次の瞬間にはもう俺の背後に回っていた。今度は宣言した通りに押し倒され、ベッドとマキナとで俺の身体が潰される。
「むぐーふー!」
「こら、大人しくしなさい! 私だって部品を早く探したいのッ。メサイアが余計な事しなかったら……本当に潰してやろうかしら。何の権利があって私の有珠希を……」
視界がベッドに覆われて何も分からないが、マキナがその暴力的な胸を使って背中を何度も撫でている事は分かる。コリコリとした感触がまた絶妙……じゃなくて危ないので抵抗を続けているが、キカイに人間が勝てる道理はない。
「私の味方だもの……指一本もあんな奴等にあげないんだから。有珠希……有珠希……うふふふふ♪」
「むぐぐうううぬぬぬぬー! うぬぬぬおおおお!」
「―――はい、もういいわよ」
背中の弾力もとい圧力が離れてたまらず姿勢を裏返す。ようやく解放されたかと一息吐いたと思えば、マキナにマウントを取られた。眉間に皴が寄っており、月の瞳に鮮血のような朱色が混じりつつある。
―――怒って、る?
「有珠希。貴方にはそろそろ自覚して欲しい所ね。貴方は私の味方なんでしょ?」
「……味方だよ。どんな事があっても味方だってば。そういう取引だし、第一味方じゃなかったらとっくにここをバラしてるじゃないか!」
「む…………」
マキナの勢いが少しだけ弱くなったような気がした。
「そういう事じゃないのッ。私達は取引相手なんだから、その取引に誤解が生じるような真似は避けるべきなんじゃないかって話! マーキングされそうだって思ったら逃げるとか……ないの?」
「だからマーキングなんて知らないよ! 未紗那先輩の超絶最新技術でもあるんじゃねえか。知らんもんは避けられねえんだ少しはこっちのスペック考えろ馬鹿! お前と違って俺は糸しか見えないんだ」
「言ったわねこの馬鹿有珠希! ばーか! あーほ! まぬけー!」
「俺が居ないと部品探せないポンコツに何言われてもきかねーよーだ!」
「私が居なかったら死んでるようなニンゲンに何も言われたくなんかないわ! もういい。マーキング続けるからッ」
「えッ」
終わってなかったのか、と視線で疑問を送る。同じく返ってきた視線にはその答えを多分に含んでいた。「そうだけど?」という声がテレパシーのように脳裏をよぎる。
「ちょ、マーキングはもう終わったって……!」
強制的に俺の口は閉じる事になった。また背中と同じように身体を撫でられるのかと思えば、違う。マキナの胸が降って来たかと思うと顔に覆いかぶさった。俺は今、顔を挟まれているようだ。単純に呼吸が苦しい。窒息しそうだ。こいつの胸で圧死したら葬式でどんなことを言われなくては……と。死体は認識されないんだった。
胸の奥からマキナの心拍が聞こえてくる。人間の心臓ではあり得ない回転数。それは絶え間なく回り続ける歯車、或は工事現場のドリルのように。ドクンと血液を送り出す動きに被せて次の送り出しが始まり、それが何回も何回も何回も重なっているからとても煩わしい。数秒待ったら爆発でもしてしまうのだろうか。
「はい、おしまい」
キカイが身体から離れた時、窒息の危険を逃れた影響で俺の顔は真っ赤になって息を荒げていた。それ以外の意味は無い。無いったらない。マキナは満足そうに俺の顔を見て頷いている。
「うんうん。胡散臭いニオイは消えたわ。気分はどう?」
「………………天国が、見えたような」
「?」
「いや、何でもない」
されるがままに受けてみて満更でもなかったなんて言い出せるか。理性ある人間としてそのような真似は許されない。
「―――もしかして、嫌だった?」
「え? …………いや、そんな事はない、ぞ? メサイアとのゴタゴタはまだしもマーキングしてくれるって事は……その、何だ。縄張りっていうか、俺を守る為なんだろ? だから嫌じゃない」
「ほんとッ?」
「本当。でも未紗那先輩の件を持ち出して変に対立するのはやめてくれ。マーキングしたいって言ってくれたらいつでも付き合うから」
旧い知識とは何処の知識なのだろうと一人心の中で呟いた。マキナの瞳からは色が抜け、綺麗な満月が再臨している。パーッと輝きを取り戻した笑顔も含めて、俺にとっては財宝に劣らぬ見返りだった。
これはこれで後日未紗那先輩に何か言われる可能性はあるが、今はどうでもいい。マキナが笑顔なら全部正解だ。
「ただ―――うん、あれだな。このマーキングは刺激が強すぎる。次からはちょっと控えてほしいかもしれない」
「だって、有珠希が教えないから」
「教えるも何もマーキングの概念がイマイチ分かってないからしょうがねえだろ。ていうかさ、旧い知識って言ってたけどこんなの誰に習ったんだよ。この世界知識偏ってんじゃねえの」
身体を擦り付けるとだけ聞けば確かに原始的だが、この肉体でやられると新手の処刑方法だ。今も軽く脳がショートして意識が飛びそうだった。至福すぎるのも考え物だ。
「貴方から教わったって言ったら、信じる?」
「俺はそんな事を言った覚えがない」
「ちょっと前に、有珠希ってば私の身体をジッと見てたでしょ?」
キカイには何の悪意もないのだろうが、だからこそ掘り返すのはやめて欲しかった。あまりにも容赦がない。年頃の男子に対する配慮というものが皆無だ。これだからポンコツは察しが悪くて仕方がない。
「身体が覚えてるって言うでしょ? 有珠希が私の身体に興味があるなら、身体に感覚を教え込むのが一番いいかなって思って」
「―――俺が悪かったから、その話はやめてくれ。マジで恥ずかしい。死にそう」
「うふふ♪ じゃあお終いね…………所でポケットに入ってる手紙は何?」
「え…………ああ、これは読もうと思って忘れてた奴」
「読んでいい?」
「まあ……いいけど」
差出人の時点で読む気が六割くらい無くなっていたのが真実だ。俺がここまで興味を無くしているの見れば察しの良い人間なら分かるだろう。相手はこゆるさん。指名手配の影響で住所が割れているから、事務所からでも手紙が送れたのだと思う。
興味がないのは、もう関わる理由がないからだ。それ以上でもそれ以下でもない。
マキナは再びその場で寝転がると、俺から受け取った手紙を開き、黙読している。
「…………ねえ、水着って何?」
「水着? は? なんて書いてあるんだよ」
「来年の夏を楽しみにしていてください。有珠君にだけ特別に水着写真集を送りますって」
「ははあ…………いや、水着くらい分かるだろ」
「水中で着る衣服の事よね。それをわざわざ伝えてくるって所が分からないの。どういう事なの?」
「知らん。いや本当に。その人はもう何にも関係ないからな」
マキナを膝の中に迎えて三十分。読む気の無かった手紙を読み返していたら、ふと思い出した事があった。
「こんな事してる場合じゃないだろ。部品探しに行かないと」
「あッ」
そうだ。部品を探しに行かないと聞けそうな情報も得られない。マキナが『気分』で着ているらしい白色のロングコートを羽織る。それを見届けてから俺もベッドから性質が合って大きく伸びをした。
「マキナ。部品探しなんだけど、当てがない事もない。先導していいか?」
「え、有珠希凄い! 貴方の言う当てって、つまりそういう事でいいのよね。いいわ、案内して?」
当たり前のように手を繋ごうとするキカイを制す。不満そうに口を尖らせる彼女を一通り楽しむと、玄関から出たと同時に彼女の手を一緒にポケットへねじ込ませた。
「…………! う、うず、キ?」
「俺は寒がりだからお前で温まらせろ」
指と手首を絡ませて、ひ弱なニンゲンなりに握りしめる。あんなに積極的だったマキナは、人見知りの女の子みたいに俯いて頬を染めていた。
「………………ぅん」




