ただの後輩でいたかった
「おはようございます、式宮君」
「……おはようございます。未紗那先輩」
合言葉のような挨拶を交わす。昨日、俺は先輩と別れた後、ハイドさんやカガラさんとは会わなかった事になっている。そうじゃないと不自然だ。出来るだけそのつもりを装い、そう思い込みながら挨拶を返したがどうだろう。違和感はないだろうか。
いや、違和感と言い出せば平然と教室に入っていけた事にもまず感じなければいけないのだけれど。
それはこちらの話。こゆるさんの一件で俺は将来をことごとく潰され、半分出入り禁止を言い渡されたような状態だったが善人は記憶能力が皆無なのでそんな都合の悪い事は忘れている。こゆるさんの一件が穏便に済んだからどうでも良くなったのだろう。
幸い、そこまで変な感じはない。少し前の俺とは違う感覚だ。マキナや未紗那先輩と関わってからというもの……日常がどんどん縁遠いものになっている。それも最初は流されるがままであったが、今となっては自分の意思で留まっているような気さえしている。メサイア・システムについて知るのはそういう事だ。日常に帰りたいなら極力マキナと拘らずに高校生の『未礼紗那』とのみ付き合っていればいい。
それをしなかった時点で、関わりたくないという発言の全ては嘘だ。
「先輩。上の学年なのに平然とここに居て恥ずかしくないんですか?」
「ええ、全く恥ずかしくありませんよ? 後輩が無事に登校してきて私もホッとした所です。聞いた話によると式宮君、君はクラスメイトと喧嘩していたそうじゃないですか。駄目ですよ喧嘩は。誰も得しないんですから」
「そうだぜ有珠希! 喧嘩は善くないこった。仲良く行こうぜ、俺達はクラスメイトなんだからよっ」
「…………はぁ」
苛つく。舌打ちをしなかった俺を褒めてほしい。こういうの調子が良いと言うのだ。未紗那先輩が目の前に居なかったら恐らく殴っていた。優しい先輩が目の前に居るからってこいつは猫の被り方が不気味だ。
どうも俺がいない間は先輩を話の軸に盛り上がっていたようで、今も俺を無視して謎の話題が続いている。只一人接点を繋ぐ先輩はむしろそっちを適当に流し、俺の方に意識を割いている。
「……式宮君、昨日眠れましたか?」
「え?」
「目がとろんとしています。念の為に確認しておきますが、昨日はまっすぐ帰りましたか?」
「そりゃあ……寄り道出来ないでしょ。どうせ誰かが監視してるんですから」
パチッ。
急にデコピンをされて怯む。脳の反応がまだ追いつかない内に未紗那先輩は俺を廊下まで連れ出すと、その唇に自らの人差し指を当てて顔を顰めた。
「式宮君。流石に迂闊です。君に対して情報統制は無意味だから仕方ないとしても、これくらいは協力してください」
「す、すみません」
「普段の君ならもう少し上手く話題を運んでくれるだろうと思ってましたが……もしかして昨夜、本当に何かありましたか? 篝空さんがちょっかいを掛けに来たとか?」
不味い、この先輩は勘が良すぎる。
ハイドさんにまでは思考が至らないようだがきっかけに勘付けるなら十分だ。彼女の意識を逸らせるような発言を考えよう。生半可な逸らし方はかえって怪しまれる。ここまでクリティカルに突っ込まれるとこちらの防御策は相手に反論の余地を与えない事になる。
「え、えーっと。ち、違う。違うんですよ未紗那先輩。迂闊でした。はい。今のは迂闊でした。謝ります」
「それはいいんです。何かあったんですね?」
「…………いや、その。実は」
「……未紗那先輩とまた会えたのが。嬉しくて」
糸が繋がっていても。俺は例外的にこの人を嫌っていない。だってこの人はどうしようもないお人好しで、あんまりにも純粋だから悪い大人に騙されるような、とてもとても年齢という物を感じない純真な先輩なのだ。
だから会えて嬉しいのは本当。糸の不愉快と引き換えにしてもこの人とは何度だって会いたい。
『人情』に訴えた主張に、未紗那先輩は白い肌をほんのり染めて俺から離れた。ホームルームが近い関係で廊下には殆ど誰も出ていない。ある意味誰にも見られたくない現場は密室も同然の目撃者ゼロであった。
「な、な。せ、先輩をからかわないで下さいッ。せっかく真面目に聞いたのに……損しちゃいました」
「先輩は俺と会えて嬉しくないですか?」
「ななななな―――ッ!」
勢いよく仰け反って後頭部が壁に激突する。未紗那先輩は気にも留めていない。
「…………そ、それは。会えて嬉しい……ですけど。大体同じ学校に居るんだから会えるのは当たり前じゃないですか! あーもうこんな時間ですね。そろそろお暇させて頂きます。また昼に会いましょう!」
思った通り、未紗那先輩は基本的な所では初心な女の子だ。俺よりも遥かに雑で怪しい誤魔化し方で話を切り上げて先輩はさっさと階段を上っていってしまった。その足音が教室内にも届いていたらしく、自分の席に戻ると稔彦を含めた数人のクラスメイトの怒りを買っていた。
「何、シャナセン帰してんだよ」
「やっぱお前、しけこんでるのか!?」
「おう殴らせろや。ふざけんなよマジで」
「俺らの天使が……」
「……波園さんがいるだろ、お前等には」
それと口には出さないが平気で友達面をされると殴りたくなるのでやめてほしい。程なくチャイムが鳴り響いて担任教師が入ってくるが、それとはお構いなしに詰め寄られている。頼むから学校のルールくらいは守ってくれ。
窮屈なりにホームルームを受ける姿勢を見せていると、稔彦が耳打ち気味に前傾姿勢を取った。
「なあ有珠希。お前がしけこんでないって言うならさ、俺が先輩の彼氏になれるよう協力してくれよ。逆でもいいけどな。俺がお前を助けるんだ」
「……どっちも嫌だという選択肢はないのか?」
「何でだよ! 別にいいじゃないかそれくらい。俺を助けるとおも」
掌を起点に下顎を握りつぶすように口を塞いだ。他人の顔なんて触りたくもないが、それ以上単語を続けられたら手を出さない保障がない。何度言っても分からない奴等なのは随分前から百も承知だが、それでも何度も言わないといけない。
警官の威嚇射撃みたいなもので、俺なりの線引きなのだから。
「絶対に協力しないって言ってるだろ。それくらいってお前、未紗那先輩の事を何も知らないくせに浅はかな評価下してんじゃねえよ。今後一切何を言われても未紗那先輩関連の話に俺は乗らないからな。お前等なんかに…………先輩を知ってほしくない」
独占欲の様な。
愛情の様な。
俺はあの人を知りたいと思ったから。裏も表も知り尽くして、あの人と仲良くありたいと思ったから。
こんな奴等に義理立てる必要はない。知ってもらう必要はない。先輩は決して俺のモノなんかではないが、こいつらにあの人は渡したくない。一生何も知らないまま、幸福であるがまま、それなりに生きて死んでくれ。
「…………っち。マジクソじゃん。あれだな、お前って最低な野郎だから、きっと地獄に落ちるべきなんだろうな」
「他人の悪口は善行じゃないぞ」
「善くもないお前が俺らについてとやかく言ってんじゃねえ! あーもう切れた。先生! せんせーい!」
何らかの団結力で以て俺を取り囲んでいた奴等が自分の席に戻って挙手をする。担任としてそれを無視しない道理はない。
「何ですか、稔彦君」
「こいつ、中学生と肉体関係持ってるらしいでーす!」




