ちてきな先輩
Iq3
先輩はサプライズ性を重視しているようで、何処に行くかという部分については一切教えてくれなかった。「目を瞑っていてもいいですよ」と言われたが、幾ら糸が気持ち悪いからってそこまではいい。
先輩の私服姿をもっと見て居たいなんて言ったら、どんな反応をするだろう。恥ずかしいから言わないが。
「先輩って結構モテますよね? 本当にデートした事ないんですか?」
「ええ。デートは普通の子にとっては気合いを入れるような事柄なのでしょうが、私は仕事柄、どうしても日常生活―――今で言えば高校生活ですね。今の所君以外に正体はバレていませんが、任務が完了するまでは気を抜けません」
「つまり?」
「デートは信頼している人としか出来ません。気が抜けてボロが出てしまいます。式宮君にはもうバレてるので安心という訳です」
俺の立ち位置は中々どうして特殊な所にあるようだ。良いとこどりで言えばマキナからの信頼も得られて、先輩からも一定の信用を持つ被害者としての特権もある。ここだけを切り取れば世界で一番得をする立場にあるが、悪いとこどりをすればマキナからも先輩からも殺される……ないしは、殺されるよりひどい目に遭う可能性を常に持った立場にある。
どういう結末になるかは俺次第。マキナには約束を破る兆候というものがないので俺にその気がないなら今の所は安心だろう。先輩にも俺が自主的に協力している事がバレなければ……卑怯な自覚はあるが、それで死なずに済むなら嘘だって吐く。
死ぬのは誰だって怖いから。
「そういう式宮君も、顔立ちはそう悪くない様に思いますよ」
「そうやって褒めるのも先輩だけですし、仮にそうだったとしても俺は性格で損をしています。こんなロクデナシだからクラスメイト以上の関係に発展する事はないんですよ」
むしろ善人からすればクラスメイトとして付き合ってやってるというつもりなのかもしれない。それならそれでいい。クラスメイトの誰一人として心から俺を助けようとした事は無かった。自分が気持ち良くなりたいがために助けているというか、メシア・シンドロームというか。ああいうのを善意の押し付けとか偽善とか表すのだろう。
「誰かと恋人になりたいとか、青春したいと思った事はないんですか?」
「この視界ですよ。そんなのあり得っこない。未紗那先輩はちょっと特殊ですけどね」
そしてマキナは、もっと特殊。本人の前で言うとしつこそうなので言わないが、アイツと一緒に居ると心の底から楽しいと思える。勿論俺は至って普通の人間なので感情はあるが、感情を得たかのような楽しさを覚えていると言えば伝わるだろうか。
「そういう先輩はあるんですよね? わざわざ聞いて来たって事は」
「ええ、勿論。式宮君はどうして私があの高校に入ったかをご存知ですか?」
「キカイの……なんかじゃないんですか」
「そうですね。確かにキカイの目撃情報があったから来たというのはあります。しかしそれなら学生になる必要はないでしょう? そういう年齢でもないのに、柄にもなく楽しみたくなっちゃったんです! お蔭様で、可愛い後輩が出来ちゃいましたッ」
今夜の未紗那先輩は一味違った。踊るようなステップを踏みながら笑顔を絶やさず。それは先輩の名の示す通り大人の女性のようなリードを。それでいて幼馴染のような距離感を。もしくは初めて気を許せるようになった人に対する年下のような甘えを。
「み、未紗那先輩。何だか今日は楽しそうですね。品行方正な生徒が不良行為に走るとそうなるんですか?」
「ふっふ。そうかもしれませんねえ。悪い後輩に唆されて戻れなくなったのやもしれません。でも、後悔はしてませんよ。今だけは式宮君を独り占めしてるみたいで、本当に楽しいんです。こんなに自分を恨んだ日はないかもしれません」
「……意味が分からないんですけど?」
「本当に高校生だったら良かったのにな、という意味です。私も君も普通の高校生だったら、こんなもどかしい出会いをしなくて済んだのになと……もしもの話ですが」
その可能性はあり得ないだろう。普通の高校生なら俺の嫌う善人になっていただろうし、そんな奴と接点は作らないように細心の注意を払っている。同級生ならいざ知らず、学年違いの先輩など卒業するまで他人のままだ。俺は俺の事を良く分かっている。
「そろそろ着きます」
「え、何処に行くんですか?」
「見てからのお楽しみ―――と言いたい所ですが、これ以上引っ張っても特に新鮮味は無さそうですね。デートと言えばやはり食事ですッ。男女の親睦を深めるならまずは胃袋を掴めと上司がもらしてた記憶があります! 君の事ですから、夕ご飯を済ませた訳ではないのでしょう?」
「いやまあ。まあまあまあ」
デートに緊張してそれどころではなかったという事情もある。見透かされると恥ずかしいから気付かないふりをしてもらいたい所だ。デートにそぐわぬ腹の音も鳴らしてしまったが、未紗那先輩の反応は芳しい。
「ええ。そうこなくては。早速入りましょうかッ」
「は? え、ちょ。先輩。このお店……え、ちょっと!」
未紗那先輩に引っ張られて足を踏み入れたのは、庶民が名前を口に出すのも憚られるくらいの高級レストランだ。
この世界において値段や格式といった敷居は全く意味を為さないが、拘りぬいた内装が煌びやかな物に耐性のない庶民を追い払う事に成功している。それも内装についてあれこれといちゃもんをつければ解決する話だが、庶民の消費者にそこまで執着する理由がない。結果的にここは、本来の想定通りお金持ちしか来ないようなお店になっている。何故そんな事が分かるかって、俺も自主的に追い払われた経験があるからだ。
「未礼様、お待ちしておりました。御席の方にご案内いたします」
「行きましょう、式宮君」
先輩込みでも豪華絢爛な内装は非常に落ち着かない。内装が全て金色なのはどうなんだろうか。天井照明はシャンデリア、ソファの縁に取り付けられているのはクリスタルか。予算などとちっぽけな概念は不要と言わんばかりの無駄遣い。圧倒的なまでに派手さを追求した悪趣味なデザインはやはり庶民には理解出来ない。庶民でなくとも理解出来ない可能性はあるが、静かに過ごしたいという目的ならこんなに良い場所もない。我慢できる人間にとっては天国だろう。
「あの。食事ってまさか、ここでするんですか?」
「その為に連れて来たんです。一体何だと思っていたんですか? 料金は全て私が持つので、君は気にしなくても大丈夫ですよ?」
「……お金、払うんですか」
「経済活動の側面から何の意味もなかったとしても、たった何十万ぽっちで君の信用を買えるなら安いものですよ。嘘は吐きません。君には私を知る権利があって、私は君にもっともっと頼ってもらいたいだけですからッ」
…………どうしよう。
そんな事を言われたら、店の内装なんて気にならなくなってしまう。ここまで正直に思惑を話した人間は初めてだ。あんまりにもあんまりな誠実さに少し戸惑っている。メニュー表を見て気持ちを落ち着けるつもりだったが、明らかにぼったくりじみた値段がそれを許してくれない。こんな物を奢らせるのはやはり悪い―――
「……そういう所、ですよね」
遠慮。
とても便利な言葉で、あらゆる状況に対応させやすい選択肢だが、無限に遠慮し続けるのは遠回しに拒絶しているのと何も変わらない。俺だって未紗那先輩の事は知りたいし、もっと信じられるようならそうなってみたい。俺は最初から一貫して、マキナとも先輩とも敵対したいとは思っていないのだ。二人の不仲はもう仕方のない事として、せめて争わないようにはしてほしい。それくらいの着地点を今も模索しているつもりで。
だから先輩との関係が親密になれば、この着地点に到達出来る可能性はぐっと高くなる。
「―――じゃあお言葉に甘えて、めちゃめちゃ頼みたいと思います」
「そう来なくては!
未紗那先輩が喜びを露わに組んだ掌を胸に当てる。男に二言は無い。頼むと言った以上は彼女もびっくりするくらいの量を食べてやるとしようか。先輩がどうとか一切歓喜なく、庶民として高級な料理には憧れもあった。
「じゃあまずこの―――片面にある奴全部」
料理は人件費を無視したような動員ですぐさま用意された。
「肝が据わってるとは思いましたが、中々豪快な事をするんですね……」
自分の支払いだという事も忘れて未紗那先輩が目を点にして机を覗き込んでいた。人間、他人の財布のみにダメージがいくなら何処までも残酷になれるものだ。
「いや、流石に一人じゃ食べませんけどね」
「え? 一人で食べるのではないんですか?」
「これデートなんでしょ? ならデートらしく二人で仲良く食べましょう。男女の親睦を深めるには二人で食事をしろって上司が言ってたりしませんか?」
「いえ、特には」
彼女の上司の発言は偏っている、と。
「じゃあ、はい」
パイ焼きにした鴨肉を差し出すと、先輩が仰け反った。
「え、え。え。え。え? あのう、何を?」
「食べさせたいなあって思って。もしかして他人のフォークとか箸が触れた食品は食べたくないタイプですか?」
「いいいいいえ!? そんなことは……ないんですけど。…………これも経験ですか、よし。お、お願いします」
一々敬語に戻りたがる未紗那先輩。おずおずと口を開くまでは良かったが、何故目を閉じて頬を赤らめ震えているのか。
もしかして何かイケないものを食べさせてる?
段々こちらの手が震えてきたのでさっさと先輩の口に受け渡すと、音もなく咀嚼する先輩の瞳が正気を取り戻したようにこちらを向いた。
「…………結構美味しいですね?」
「その言い草は完全に初見でここに来た人の意見ですけど」
「ええ、初めて来ましたとも。こういう場所は………………隙を見せてもいいって人としか、来たくないので」
何かを誤魔化すように先輩が料理に手をつけ始めた。俺も手をつけないと全て食べられてしまいそうだ。糸は見えてもこんな豪華な食事はまたとない。俺の方こそ存分に楽しませてもらおう。




