式宮の活人鬼
片時も休む事なく護衛をするというのも骨が折れる。マキナの家で昼寝をしなければどうなっていたか。しかし糸の嫌悪感も相まって俺は寝る事を許されなかった。この糸に繋がったらどんな事になるかを想像するだけでも全身が総毛立つ。何回も何回も何回も、幻覚でも見ているみたいに糸を切り続ける作業は苦痛を通り越して単純に億劫だった。
こゆるさんも最初は警戒心から眠ろうとしなかったが十五分おきで行動せざるを得ない状況にさぞ精神を摩耗させていたのだろう。否応なしに身体は疲労を訴え、気が付けば眠っていた。最初はこのまま夜が明ければいいかと思っていたが、流石にトップアイドルを便所で寝かせるのは抵抗感がある。
触っても起きなかったので、抱き上げて外のベンチで眠らせた。そのベンチも硬かったので苦肉の策で俺の膝枕を急遽用意する事に。流石に木よりは柔らかいと思う。
「デート……行きたかったなあ」
未練たらたらである。
未紗那先輩と連絡先を交換……いや、マキナと絡んだ際にややこしい事になるのではないか。出来れば勝手に察知して勝手に来てくれたら嬉しいのだがそうもいかないか。世界はそこまで俺に都合よく出来ていない。本当に都合が良かったら今からでも許すからこの意味の分からない視界をどうにかしてもらいたいものだ。
「……」
上を見れば熾天の檻。赤い糸は燃えているかのように妖しく輝き、今宵の月を細かく切り刻んでいる。果てが見えないほど大きく膨らみ、今にも月さえ覆ってしまいそうなほど果てしない。ああいっそ、覆ってくれればこんな思いはしなくて済むのに。
糸を切る。彼女を守っている限り繰り返さなきゃいけない。それでも俺はやる。何故なら、そうするだけの理由があるから。
「明日になったら何処に行きゃ見つからねえかな……」
流石に明日もここに閉じ籠っているのはいただけない。たまたまここに誰も来なかっただけで、絶対に人が入ってこない保障はないからだ。そして普段は嫌々大衆に紛れて暮らしているので人目の少ない場所というのもさして心当たりがない。
―――兎葵に頼れるなら、頼りたいけどな。
影響を受けなかった場合、それはそれで問題だ。どういう場合に規定の影響を受けないのかは把握していないが、それだけおかしな存在という意味でもある。それが敵であれ味方であれ、俺の視界を治す為にはやはりもう一苦労掛かる事になる。
カサ。
側頭部に紙飛行機が命中した。痛くも痒くもないがよりにもよってこんな時間に紙飛行機で遊ぶような奴がいるとは考えにくい。飛んできた方向は暗闇で携帯のライトも遠距離には役立たずであった。
中を開いてみると、見覚えがあるようなないような字で俺に向けたメッセージが書かれている。
『行くなら今』
―――何処に?
警察対策で携帯電話を縛っているので時間は良く分からないが、深夜の三時とか四時とかその辺りか。手紙の言う通り、確かに移動していて一番リスクが無いとすればこれくらいの時間帯だろう。都会ならまだしもここは田舎だ。さっきは大事になったが自分の生活を犠牲にしてまで捜索を続けるような善人はいない。警察は……まだ探している可能性はあるものの、数はそうでもないだろう。
「……波園さん」
起きない。当然だ。泥のように眠るとはこういう状況を指す言葉であって、泥はどうやっても起こせる物体ではない。あんまり重い物を持つと―――いや、女性に対するデリカシーとか関係なく死活問題として―――翌日に響いて俺がどうしようもなくなってしまうが、背に腹は代えられない。今から朝日が昇るまでに次の隠れ場所を見つけないとお終いなのだから。
「…………あー重い」
スタイルがどうとかではなくて、単純に血液と肉と骨が重い。お姫様抱っこという持ち方が元凶だなんてわかり切っているが、これ以外に自然な持ち方を思いつかなかった。幸い、波園さんが目覚める展開にはなっていない。俺が我慢すればいいだけの話だ。
「………………『重さ』の規定とか、ねえのか」
糸にやられそうなので眠れないし。一睡も出来ないのは辛いし。信用される為に守り続けるのは面倒だし、いつまで守ればいいのかと思うと苦しいし。全く本当に馬鹿馬鹿しくて下らなくてしょうもなくて。マキナとじゃれてた方がまだマシだった。
それでも、やらなければいけない事だ。
何故なら、そうするだけの理由があるから。
糸の動きを見れば、警察の動きも簡単に把握出来る。普段以上に目を酷使しながら、何とか次の隠れ場所に当たりをつけて移動してきた。商店街の死角とも言うべき場所で、要は閉店した店の中だ。昔は眼鏡屋だったか何だかその辺りは忘れたが、いつもの閉店と違い、この店は一家同士で殺し合った結果全滅したという凄惨な事件があった建物で、取り壊そうにも周囲の建物と密着しているせいで手続きが面倒との事。
そんな手続きはスキップしてしまえばいい話だろうが、書類上の手続きはスキップ出来ても良心は乗り越えられない。『俺を助けると思ってここを取り壊すのやめろ』と言われたらそれまでだ。どうせあっても困る事はないし、どうしても壊したいという人間も居ない。無事にこの店は残ったという訳だ。
ここを見つけられたのは朝の四時半。真性の早起きならとっくに目覚めている時間帯だ。何故警察はまだ起きているのだろう。俺は眠くて眠くて仕方がない。本当なら今すぐ倒れたいが、それ以上に眼が痛いので助かっている。
半開きのシャッターから中へ入ると、争った跡が当時のまま残されている。心霊スポットと呼ばれていた記憶もあるが、今は幽霊なんてものより人間が怖い。埃まみれの椅子を並べてベッドのように見立てると、そこにこゆるさんを寝かせ、一段落。
「住居を兼ねてたら最高だったんだけどな……」
言っても、誰かが願いをかなえてくれたりはしない。目を瞑る代わりに両手で顔を覆うと、湿っぽい感触が掌に伝わってきた。
「………………ん。ん、ん」
こゆるさんが、どうやら目覚めたらしい。
「……あれ、こ、ここは……?」
「俺が連れてきた。流石にあのままトイレに籠ってても未来は無かったんだよ」
シャッターは光源確保のために敢えて半開きのままにしている。彼女からも俺の姿がはっきり見えるだろう。椅子が軋み、床に足をついたような音が聞こえる。
「……有珠希さん? どうしましたか?」
「ああいや、ちょっと目から血が出てるだけ。大丈夫」
「―――え!? ご、ごめんなさい! だ、誰かから守ってくれたとかそういう……え、えっと。もしかし、もしかして私。ずっと呑気に寝てちゃってて!?」
「そこまで取り乱さなくてもいいって。病気……とは違うけど、君を守る為に必要だっただけだ」
「……見せて下さいッ」
強引に手をどけられ、その血塗れの顔でアイドルと見つめ合う。俺が掌を押し付けていたせいで、血は滲んで顔全体に広がってしまった。こゆるさんの見る同い年の高校生は、さぞ殺人鬼のように恐ろしい顔になっているだろう。
「……眼に罅が入ってるなんて。何したんですか?」
「特別な事は何も。君だけに特別な事をした訳じゃない。ちょっと目を酷使しただけだ」
「どんな使い方したらこんな目になるんですか!? これじゃまるで―――」
「静かに」
反射的に手の甲でこゆるさんの口を塞いでしまった。可能な限り優しく触れたつもりだが、掌には血がべっとりついている。これをアイドルに付着させる勇気はない。幾ら知らなくても、流石に。
「……ごめんなさい」
糸が邪魔なので、振り払う。
「よく眠れた?」
「え。あ、はい。おかげさまで……その。申し訳なくも」
「そう。なら良いや。今日は一日ここでやり過ごすから大人しくしててくれ。俺の出血は、その内治ると思うから」
「びょ、病院に行かないんですか!?」
「病院が何でも解決してくれると思わない事だな」
誰か一人でも、真面目に俺の話を聞いてくれた人が居たか。当時はあの人しか聞いてくれなかったものを、何が病院だ。何が健康になる場所だ。こんなに苦しんでいる人を助けられないなんて、少なくとも俺は昔から病院が嫌いだ。
「……あの。何でそこまで私にしてくれるんですか? 好きでも何でもないのに、どうして?」
「そうするだけの理由があるって言ってるだろ」
「だからその、理由を教えてくださいッ。このまま守ってもらっても、私が有珠希さんを殺してしまうみたいになりそうで―――!」
「ああ、そう。それ。それだよ理由」
再び目を瞑って、静養をはかる。瞼の裏までは糸も貫通しない。
「別に君を守らなくても俺の理由ってのはどうにでも出来る。しかしその場合、君は間違いなく殺されてしまう」
「……え。ころ、され。る? ……有珠希、さんに?」
「違うよ、もっと強いの。普段の俺に人を殺す勇気はない。目の前で死なれるのも避けられるなら避けたくて、だから骨を折ってる。それだけ」
手首を切るかも、とは言えない。言葉の切れ目は縁の切れ目。迂闊な発言はもっと信用されるまでしない方がいい。多少気は許してくれたように思うが、こんな男に手首を捧げられるかと言われたら答えはノーだろう。
―――信用されるって、どうやって?
「後さ……難しいかもしれないけど、俺がタメ口で喋ってるんだし、君も堅苦しい言葉は使わなくていいぞ。実際、同い年っぽいから」
「それは…………ちょっと」
「それこそ無理強いはしない。そうだよな、君がどんな目に遭ったかを考えたら無理もないよ。自分の味方だと思っていた人に何回も襲われてるんだ。そりゃ距離を置きたくもなる……ま、出来ればでいい。出来るようになったら、嬉しいってだけだ」
どれくらい逃げればいいかなんて。それは今後次第だ。俺がこゆるさんに信用され、その身体にまあまあの傷を負わせてもいいと言わせられるようになれば、後はマキナの家に行くだけ。
それまではこうして、終わりのない逃走劇を続けないと。
眼を瞑っている間だけ、痛みは存在を失ったように居なくなる。そのせいで俺は、自分が眠ってしまった事にも気が付かなかったのだった。




