因果を翻して
マキナと添い寝をすると、夢を見なくなる副作用でもあるのだろうか。夕方になるまで大人しく彼女の隣で眠ったつもりだったが、ちっとも夢を見なかった。そもそも眠れなかったかもしれない。曖昧なのは眠気を感じていた所までは確かだからだ。
一つはっきりしたのは、こいつと添い寝するのは危険だという事だ。寝返りをこちらにばかり打つせいで犯罪的美しさの寝顔が直面する。夢を見ているのか見ていないのかハッキリしない動きで接近しては何かにつけて抱き着こうとしてくるので拒否するので精いっぱい。少しでも怠けると完全に密着される。もうそれでもいいかと諦めようとして、何度先端の感触がそれを引き留めてくれたか。下着を着けていない事実が常に俺を奮い立たせてくれた。
「うず…………わたし……モノ」
子供みたいに人間を抱え込もうとするのやめろ。凶悪な二つの双丘に挟まれてどんな気持ちになるか少しは考えた事があるのか。無いだろう。何せこいつはキカイだ。人間の常識なぞ知る由もなければ考慮さえしない。
「……そういう問題、でもないけど」
小さかったら大丈夫なのかと言われたら、それは違う。可愛い方の妹や未紗那先輩に同じ事をされても似たような気分になるだろう。自覚はあるつもりだが、俺は受容される事に慣れていない。自分が散々反発し、否定し、拒絶してきたからこそ、そんな自分が受け入れられる訳がないと思っている。
「………………」
あんまり鬱陶しいので、思い切って彼女を抱きしめてみた。眠っているからこそ出来る攻勢だ。起きていたらと思うとこんな真似は出来ない。所詮は俺も無抵抗にしか有利を取れない悲しい人間だ。
「ん…………あッ……はぁ、はぁ…………んぅ」
何故喘ぐ。
しかし言い方を変えれば彼女は全身を拘束されている訳で、寝相の悪さは防げた……やはりこれを寝相と呼ぶのは違う気がする。俺の方にしか近寄って来ないのは何だ。寝相というか夢遊病というか……何だ?
「………………ぁ。有珠希。おはよ」
「…………朝じゃねえ。それだと俺が一晩明かした事になるだろうが」
俺と同じでマキナの寝覚めはかなり良い。寝ぼけ眼も直ぐに覚醒し、自分の状況を冷静に観察し始めた。どちらが抱きしめているかなんて腕の重なり方を見れば明らかだ。布団に入って寝るまでの一時間を雑談に、残りの時間を二人で眠っていたせいか布団の中はちょっとしたストーブのようになっている。
「……もう、帰っちゃうの?」
「そういう約束だろ」
「もっと一緒に居たいわ」
「駄目だ。俺にも生活があるからな」
家に帰るのが怖くないといえば嘘になる。一連の騒動は絶対に両親の耳にも届いているだろうから、何を言われるか不安だ。怖い怖くないとかではなくて、単純に面倒で。それに俺が怒られていたら妹を泣かせてしまうかもしれない。そこだけが気がかりだ。
「どうすれば一緒に居てくれる?」
「…………そんな事言われてもな。出来るだけ時間を割いてるつもりだ。人間としての限界かもしれない」
「キカイにとっては足りないのッ。ずっと、ずっとずっとずっと。永遠でも足りないくらい! こんな感情、初めてなの……手放したくないの」
そんなに手放したくないなら、俺を従わせればいい。幸い、今ある規定だけでも材料は揃っている。
閉じ込めたいというなら『強度の規定』で俺を溶かして瓶詰にでもすればいい。
単に支配したいなら『傷病の規定』で命を人質として奴隷にすればいい。
それをしない優しさが、マキナにはある。未紗那先輩は何も分かっていない。このキカイは優し過ぎて、自分に力がある事さえ忘れるようなポンコツなのだ。人間の倫理で言えば人間を何とも思わない存在は駄目なのかもしれないが、客観的に善行であると認められれば何をしても良いと思う連中よりは余程信用出来てしまう。
せめて最低限の善人であると証明したいなら、そこら中に広がっている死体を片付けてみろと。
「―――あのなあ。マキナ。そういうのは欲張りって言うんだぞ。お前、人の心臓勝手に奪ってる事忘れてないか? 心臓が無いと基本的に人間は生きられないんだ。俺だって……色々あるんだから、今はそれで我慢してくれよ」
「むーその返しは卑怯ね……あれ? そう言えば有珠希はどうして生きられるの?」
「は?」
前言撤回。まだ寝ぼけているのか。いや、寝ぼけているというより健忘したのかと思ってしまった。
俺達の関係は、科学的に考えればあり得ない話だ。人間の身体には適合不適合があって、ドナーを募っているのはそういう事情から。誰かの心臓が誰にでも合うんだったらこんな苦労はしない。予め万能細胞を培養させて代替品を作るという技術も、人間の身体がもっと単純だったら回り道なだけだ。
「お前さあ……俺から散々色々奪っといてそれはないだろ。血液と心臓くらいしか言われてないけど『とか』って言い方じゃ他の部分だって奪ってるよな」
「そう。それが不思議なの。あの時は流れで済ませちゃったけど、例えば人間って肺がなくても死ぬでしょ?」
「肺も盗ったのかお前。まあいいや、心臓よりはマシかも…………ん。いや待て。お前、俺から奪った代わりに代用品を入れてくれたんじゃないのか?」
「え? 代用も何も私だって空っぽだったのよ。どうやって有珠希に変わりのパーツを与えるの」
「…………え」
ちょっと、待て。
それはおかしい。
あれだけ温まっていた身体が冷えていくようだ。死体が己の死を認識したみたいに。或は内側がキカイの冷たさに熱を奪われていくように。他の部位についてはどうだっていい。事実だけを追求した方が議論としては建設的だ。
そして一つだけ納得できない。その怪訝な表情に嘘があるとも思えないが、どうしてもそれだけは説明してもらわないといけない。
「…………じゃあ、お前。俺の心臓については。どう説明するんだ?」
マキナは殊更要領を得ない表情で首を傾げた。
「奪った後に私の入れてたら強奪じゃなくて交換じゃない。何でそんな、わざわざ弱体化する真似を私がするのよ」
そう言われると、その通りだ。マキナの部品―――人間にあたる臓器とは規定に他ならない。特殊能力を持った臓器と何の力もない臓器の交換はまるでリターンが釣り合わず、仮に俺がキカイだったとしても拒否するだろう。そんな事をする存在が居るとすれば余程無敵な力を持て余して死にたがる怪物くらいだ。
しかし、それでも説明はつかない。
事実は事実。事情がどうあれ在るものはあってないものはない。
「…………部品探しに関係ないから黙ってたけど。変な誤解は解いておいた方がいいかしら」
「……変な誤解?」
「心臓って強調してくれた理由に心当たりはないけれど、そう言えば有珠希に私がどうしてこんな所に来たかって説明はしてないでしょ? 貴女との取引は部品を失ってからだし」
マキナは俺の手を握って、自分しか見えていないような面持ちで言った。
「私ね。元々心臓が無いの。ここに来たのは、心臓の持ち主が居るって感じたから」
声が出ない。
元々心臓が無いという言葉に、心当たりがあったから。
『幾らか考えられますが、主に二つの方向性ですね。一つ、キカイをキカイたらしめるこの世界の規定を司る部品を落としてしまったか。ああ、キカイはその身体が規定で構成されているんです。言い忘れていましたがキカイ―――特に顕現した部分は世界全体のバランスを保つ役割を与えられます。バランスを崩しかねない要因があればそれを排除する。その為の規定でもあるので、一つでも落とせば意地でも回収を試みるでしょう。ここまでは大丈夫ですか?』
俺は奪ったという言葉に、勝手な解釈を加えて誤認していた。奪われたままなら人間が生きている筈がないと思ったから。それよりも何よりも、この胸には心臓の代わりに動いている何かがあったから。
紐解けば、簡単な話。未紗那先輩の言ったように、マキナは元々失っていた部品を探していたからここに来ていた。
「貴方の心臓を奪ったのは、悪いと思ってるけど。でも全部失っちゃったし、その時は貴方もキカイだって思ってたから一旦全部補填しちゃおうって考えたのよ。」
「ちょ…………え。ちょっと。ちょっと待て。考えが追いつかない。そういえば何で、キカイだって思ったんだ?」
「死体は認識不可能なのは有珠希も分かってるでしょ? メサイアの奴等にあんな真似は出来ないから消去法でそうかなって思っただけよ。実際は只のヒトだったけど」
物凄く、今はこの部屋から脱出したい。
心当たりもなければ、あの日より以前にマキナと出会っていた事実もない。俺が覚えていなくてもあちらが覚えている筈だ。どう考えても辻褄が合わない。合わない辻褄から現実に存在する事実が導き出され、困惑している。
じゃあ、何だ。
これは、何だ。
歯車の回るような音は。
マキナが傍に居る時のみ、人間の心臓のように振舞うこれは。
もしかして、これが。
「……だから有珠希には余計な仕事を増やすようだけど、部品探し、心臓まで手伝ってね! でも負担はかけさせないわ、私から十年も奪っておいて素直に渡すと思えないし、もし見つけたら直ぐにでも殺してあげないとッ」
お前の心臓、なのか。




