水知らずの仲
病院を出ても、待ち伏せはない。待ち伏せする意味もないか。結局元凶は逃げてしまった訳だし。
「それじゃあ今日はここでお別れね。また明日……はないか。私は暫く近づかないでおくから、後は任せちゃうわね」
「…………そう、だな」
名残惜しくないと言えば嘘になる。もしも許されるならマキナの部屋に入り浸って昼夜を問わず一緒に居たいし、もしくは俺の部屋に…………しかし、それを実行してしまう程の力もなければ度胸もなく。覚悟なんてものは最初からない。
だから、言わない。
まだ日常を捨てたいとも思わないから。
「……マキナッ」
小さくなる背中に声を掛ける。キカイは片足を軸に踊るようなターンを返すと、「何?」と言ってこちらを向いた。後ろ手を組んで小さく首を傾げている。
「こ、今回はあれだけどさ。特に用がなくても会いに………………会いに来てもいいんだからなッ」
俺は本当に愚かだ。気持ちを殺す事に慣れているせいで正直な気持ちも打ち明けられない。何処まで考えても嘘を吐く意味なんてないのに。会いに来てもいいなんて何様だ。会いに行きたいのは俺の方だろうに。
何でこんなに俺は捻くれていて、どうしようもなく嘘つきなのか。
マキナは驚いたように立ち尽くしていたが返事は聞かない。逃げるように俺はその場を後にした。その気になれば追いつけても、決して追いかけてくる事はなく、そのまま闇雲に走り続けて三〇分以上。本当に闇雲に走ったせいで道に迷いつつ、何とか自宅に辿り着いた。
―――あ?
どんな暗闇に包まれても、この赤い糸だけは見間違えようがない。家の屋根を貫通して見える糸の数があまりにも多い。何かがおかしい。妹二人と両親一組。それ以外の誰が居るのか。不安になって携帯を覗くと、妹からの着信が何度もあったようだ。時間帯は丁度マキナが被害者を相手に無双していた頃。俺も一応参加していたので全く気が付かなかった。
折り返しの電話を掛けてみたが、繋がらない。代わりに短い文章が返ってきた。
『かえってこにで』
『おねがい』
漢字変換も碌にされていないばかりか、あからさまなタイプミスもある。あの慎重な妹がここまで取り乱しているのはタダゴトじゃない。普通の人間なら何があったかを確認しに家の中に入るかもしれない(知らないものは怖いだろう)、善人的な価値観で考えるなら逃げるという選択肢など無さそうだ。
しかし俺の眼にはとっくに異常が表れている。自分の家に家族以外の誰かが大量に居る事は明白だ。可愛い方の妹はこれについて言及しているに違いない。原因がはっきりした今、俺には逃げる選択肢しかない訳だが。
―――家族を見捨てるのか?
両親はいい。どうでもいい。ただ牧寧だけは心残りだ。しかし来るなと言われているのに突撃するのも、それはそれで何か大切な感情を踏みにじっている。兄弟だからとそんな傲慢な真似が許されるだろうか。
何よりこの異常事態について俺には心当たりがある。『傷病の規定』拾得者によるカチコミだ。未紗那先輩のポカにより俺の苗字は晒された。式宮なんて珍しい名前だ、心優しい善人達に聞き込みをすれば直ぐにだって特定出来る。拾得者本人が直々に来ている可能性は低い。居るとすれば不死身の人間だけだ。それに対してどう抗う。約束とは違うがマキナを呼んで殲滅させるか?
それがいい。それでいい。致命的な問題があるとすれば。
家族に俺が余計なことに首を突っ込んでいる事がバレてしまうという事だ。
そうなれば次回以降のやり取りが難しくなる可能性がある。糸を見えなくする千載一遇のチャンスを身内の手で不意にされるのは理不尽に殺されるよりも腹が立つから、それだけは容認出来ない。
「…………ふざけんな」
無謀な正義感は命を散らすだけ。人助けは善行だが、それで自分が死ぬなら身も蓋もない。自己犠牲はある程度までなら美徳になるかもしれないが、自殺は悪だ。だから誰も認識してくれない。ここに来るまで三体もの野晒しな死体に遭遇した。
『お前は大丈夫なのか?』
『うん』
『本当だな』
『ん』
…………携帯を閉じて、身を翻す。
どうやら俺は、寝床を失ってしまったようだ。
一夜とはいえ衣食住の住を完全に失った。頼るアテはマキナくらいしかないが、あんな発言をした手前頼るに頼れない。
「―――最悪だ」
雨まで振りだしてきた。俺はいよいよこの世界にも嫌われてしまったようだ。その気になれば見ず知らずの人間も頼れるが、俺のプライドがそれを許さない。誰かを恩人に仕立て上げるくらいならずぶ濡れになって風邪を引いた方がマシだ。
まだ小降りの内に雨宿り出来て一夜を過ごせる場所を選定しなければ。
それで何故河川敷近くの橋下に移動したのかは俺にも分からない。確かに雨宿りは出来るがこんな地べたで眠るようなサバイバルは御免被るからだ。しかし他に良さそうな場所は見当たらなかった。悪天候も本降りに突入し、明日の朝までは収まる気配もない。
「こんな事になるなら恥とか捨ててアイツに頼るべきだったかなー」
しょうもない独り言も、雨音にかき消される。まさかとは思うが、徹夜するつもりだろうか。二時間以上も市内をほっつき歩いた挙句に徹夜など正気の沙汰ではない。死ぬとまではいかないが、体力面に多大な負荷が掛かるのは想像に難くない。授業をやり過ごすどころか起きていられるかも怪しいくらいだ。
「こんな深夜に辛気臭い顔で雨宿りしないで下さい。こっちまで落ち込みますから」
「……え?」
暗黒から静かに姿を現したのは羽儀兎葵。見た感じでは牧寧と同い年くらいで、話していると何故か気が置けなくなるものの、どこぞのキカイと違ってちゃんと糸に繋がれているのでかえって不気味だったりもする。
それこそこんな時間に傘を差して一人で歩いている所も怪しい。
「……兎葵。何でこんな時間に歩いてんだ。夜更かしは肌の天敵、善い子は早く寝るもんだ。まして中学生なら徹夜しても良い事とかないだろ。友達に自慢でもするか?」
「は? 出会って早々に説教ですか。貴方も相当変な人ですね。何故も何も、ここは私の拠点です。不法侵入してるのはむしろ貴方の方なんですけど」
「……は? いや、勝手に私有地宣言するなよ。家に帰れって」
「家なんてありませんよ」
躊躇いもなく兎葵は言い切って、俺に黒い傘を押し付けてきた。
「という訳で貴方の方こそさっさと帰って下さい。これを貸すので」
「貸すとか―――じゃなくて。お前今何て」
「何でもいいじゃないですか別に。人間には色々な事情があるんです。ほら行った行った。幾ら不良だからってこんな天候で家に帰らないのは単なるおバカさんですよ」
「帰れない事情があるんだッ。傘を貰ったからって帰れない…………約束なんだよ。そういう」
兎葵は気まずそうに眼を逸らすと、仕方ないとばかりに肩をすくめた。
「じゃあこうしましょうか。後、五分以内に誰も貴方を探しに来なかったら好きにしてください。来たらその人に従ってください」
「…………望むところだ」
賭けとしては俺が有利だろう。別にそこまで好かれている自覚は無い。五分ばかりの時間で俺を探しに来るようなお人好しも居なければ、そもそも探されるような理由もないし。探していたところでこんな場所に来るとは。
「式宮君。こんな所に居ましたかッ!」
橋の上から逆さ吊りの姿勢で未紗那先輩が俺を覗き込んでいた。
「うわあああああ!?」
その間、三四秒。
歴史的瞬殺の憂き目に遭ったようだ。
サブタイは誤字じゃないよ。




