安穏な先輩
全く心当たりがないので思い出すも何もないのだが、未紗那先輩の知名度はそこそこあるようで(生徒会の役員というのもあるらしい)。二人きりで歩く様子は嫌でも善人達の気を引いた。好感度を稼ぎたいなら、或はお近づきになりたいなら多少強引にでもいつもの手段を使えばいいのに誰も使おうとしない。
食堂は珍しく満席だったが、
「申し訳ないんですけど、ここを使わせてもらえませんか?」
そう言ったら、生徒達は気安く場所を譲ってくれた。絶対的な効力を持つ免罪符を用いないで言う事を聞かせる彼女には只々頭が下がるばかり――――――そのせいで、どうしても警戒心がぬぐえない。
―――何だ、この人。
勘違いしやすい場所だが、善人達は何もあの言葉を言わなくても助けてくれる時はある。基本的にただ困っているだけならこれでも良い。あの免罪符の使い処はどう考えても損得勘定を超えた無理を押し通したい時だ。ここの学生達は既に食事を始める所だった。幾ら気前が良いと言っても席を譲れという言葉に耳を貸す彼等ではない。あの言葉を使わなければ拒否される可能性さえある。
「学食はいつも賑やかで何だか元気を貰えそうですね。六席あるので、お好きな場所へどうぞ?」
そう言われても、話しやすいのは対面なので事実上の選択肢はそこしかない。横暴な手段で席を奪った先輩に周囲は見向きもしていなかった。
「……えっと、何で退去させたんですか?」
「? 二人きりでって言ったのは式宮君ですよね。他の人が居たら約束を守ってない事になっちゃいますから、仕方のない犠牲です。メニューは決まりましたか?」
「…………ラーメンで」
「分かりましたッ。それでは代わりに取ってきますね。式宮君には申し訳ないんですけど、本当に少しだけ、待ってて下さいな」
まだよく分からない。話している感じでは何かと配慮してくれる先輩というイメージだ。警戒はまだまだしているつもりだが―――いや、何だろう。本当の優しさという奴に弱いのだろうか。何となく、マキナよりも先に出会っていたら心を開いてしまった可能性がなくもない。
「…………」
眼を瞑る。これ以上は気がおかしくなりそうだ。赤い糸と白い糸がこの場に居る人間の何倍もあるから、実際の広さよりも窮屈に感じている。糸は真上にしか伸びていないから赤外線セキュリティよろしく触れてしまうという事はないのだが、結局縦軸が糸で埋め尽くされているなら結果は同じだ。
こういう事にならないから夜は好きだ。人気が少なければそれだけ糸は密集する。上さえ見なければ……否、マキナだけ見ていれば、この妙な光景に頭を悩ませるような事にもならないから。
「お待たせしました!」
自分の視界にどう折り合いを付けようかと悩んでいる内に、未紗那先輩が帰ってきてしまった。手には醤油ラーメンが二つ。特筆すべき事は何も無い。トッピングが何もないのは気になるが学食のトッピング追加料金はぼったくりとして有名なので、頼むような奴は余程のラーメン好きと相場が決まっている……まあ、それもあの言葉を言えば無料で済む訳だが、ラーメン自体が最終手段を使わせる程の人気品でもないというか。
「……先輩もラーメンですか」
「せっかくなら同じ味を共有したいではありませんかッ。ふふ、まあそうお気になさらず。私は式宮君に用があるだけですから」
割り箸が珍しく綺麗に割れたので、用件を促す前に一口目を啜る。久しぶりに食べたがやはり美味しい。金銭的な余裕さえあれば毎日学食でもいいくらいなのに、悲しいかな、両親と仲が悪いので俺の小遣いは減る一方だ。たまに俺の方から受け取り拒否をしているのも問題か。まあ悪いのは金にかこつけて俺を助けようとする両親の方だが。
「…………それで、用件って?」
「まずはそうですね。何処から切り出したものか悩ましいんですが……」
悩む素振りをしながらも、彼女は俺から視線を外そうとしない。まるで様子を窺っているみたいだ。警戒が功を奏して、いよいようさん臭くなってきたか……
「割り箸、綺麗に割れるんですね?」
「…………へ?」
間抜けすぎる言葉に気を取られ未紗那先輩の箸を見ると、確かにお世辞にも綺麗に割れているとは言い難い形をしていた。中間で割れているのではなくやや右寄りから中に戻る形で割れているというべきか、とにかく形が悪かった。
「あ、ああ……たまたまですよたまたま。割り箸って綺麗に割れると気持ちいいんですよね」
「それは全面的に同意ですッ。いつも綺麗に割れた事がないから言えるのかもしれませんが……コツとかあるんでしょうか」
「それは俺も聞きたい所ですね……あれ?」
用件は?
「先輩。用件を教えてください」
「え? ああそうでしたね! ごめんなさい、つい羨ましくなって。実は最近妙な噂が流れてまして。その事で一人一人に尋ねてるんです」
「昼食を奢るんですか? そんな事しなくても大体協力してくれるだろうし、そうじゃなくてもさせる方法はあるでしょうに」
「―――あんまり、好きじゃないんですよ。強制って」
糸に繋がれた善人が、何やらまともな事を言いだした。
「人に親切をするなら、親切をする側もされる側も自分の意思であるべきだと思うんですよ私。今ってほら、親切は義務みたいな感じがあるじゃないですか。法律で取り締まってるって訳でもないですけど、善くあるべき、正しくあるべきって」
「……世界が平和なのは良い事ですよ」
飽くまで一般論を語っている。俺がどう思っているかについては今まで散々言って語彙力が尽きたので割愛。
「確かにそうですね。でもなんか……見逃してるような気がしなくもないんですよ。とても重要な何かを」
「―――」
糸の動きを、俺は見逃さない。
未紗那先輩の白い糸が、俺の脳みそに繋がったのだ。ハリガネムシの様な軌道を描いた糸は不愉快を通り越して殺意が湧く。理解の範疇に置きたくもない。以前までの俺なら感情の思うままに発狂して机をひっくり返してでも暴れただろうが―――今はそれよりも、彼女の発言が気になった。
糸は邪魔なので取っ払っておく。赤い糸と違って白い糸は手でも切れるくらい柔らかいようだ。
「…………………何かって、何ですか?」
糸の見えない人間にとって今の動作は不自然だったらしい。未紗那先輩の眼が食い入るように俺を見つめている。この動作の説明を求められたらどうしようか。虫がいた、で誤魔化せればいいが。
「…………え。あ。はい。そうですね。例えば、世の中には良い人しか居ませんよね。でも、善意だけで回る社会でないのも確かですよね。善意とか悪意とか関係なく世の中には仕事があって、そこには生活上の強制力がある筈。なのに何故か、今は善行が優先されているような気がするんです」
奇しくもそれは家族で外食をした際に俺が抱いた違和感と同様の疑問だった。そういう問題じゃない部分にも持ち込まれる善意の道徳。まさか同じ疑問を抱く人間がいるとは思いもしなかった。言葉を失いそうになるも、それは顔に表れる。
「……すみません。本筋からズレました」
「いえ、構いませんよ。用件にも繋がってる事なんです。何も知らなくてもそれはそれで構いませんから、聞くだけ聞いてくださいませんか?」
…………言葉通り、あの免罪符は使わないと。
「……聞くだけなら」
「ここ最近、病院が潰れているのをご存知ですか? 話を聞いた所によると入院患者が人知れず姿を消すようになり、診察に来る人も日ごとに減っているんだとか」
話が読めた。つまりはあれだ。おかしいのだ。レストランは閉店しているのに平然と営業していたのに、病院だけが道理のままに潰れていく。こんなおかしい事はない。否、考えられるケースは全くない訳でもない。
レストランは食事を摂る場所だが、その用途は様々だ。単にその店の料理が好きだからかもしれないし、誕生日なのかもしれない。家族団らんの一環かもしれなければ、何となく入ったのかもしれない。理由は人によって様々で、だからこそ人的供給は店が潰れない限りは……いや、今は潰れても営業するので、本当に絶える日はないだろう。
ところが病院の用途は治療か診察の二択だ。分かりやすく言いかえよう。体調不良になったら行く場所なのだ。裏を返せば、体調不良の人間がいないなら、病院の役割はどんなに善意があろうと存在しえない。
「人として、こんな分からない話は放っておけないんです。式宮君は何かご存じありませんかッ?」
ご存知。ある訳がない。
ないし、未紗那先輩の言い分は明らかに不自然だった。そこを理由に断っても良いが、今は見逃そうと思っている。確証はないが、もしかしなくてもそれは『部品』が関与している事件ではないかと睨んでいるからだ。
もしもまた誰かが部品を拾っているなら、マキナが殺す事になりかねない。俺の交渉力のへぼさは見せつけたばかりだ。殺人を容認するのは人として心苦しいものの、全員が結々芽のようになるならばいずれにせよ誰かが止めないといけない。
マキナにそれを押し付けるなら、せめて前段階までは役に立たなければ。とにもかくにも俺に求められているのは、未紗那先輩の関心を引く事だ。
麺が伸びない内にと再び啜り、名案と呼べそうな理屈を探す。
「…………それなんですけど。ご存知あるにはあるんですけど。記憶が曖昧なんです。病院が潰れてるって先輩は言いましたけど、昨日は確か病院に行った筈……? あれ…………?」
穏やかな雰囲気を崩さなかった先輩の眼がほんの一瞬、切れ味を持った。それと同時に白い糸が再び伸びて来たので、また払う。他の人にも糸があるので先輩の特殊能力という訳ではなさそうだが、さっきから非常に鬱陶しい。
「先輩、放課後空いてますか?」
「―――はい。空いてますよ」
「良かった。じゃあ現場に連れて行ってください。そうしたら何か思い出すかも」
未紗那先輩は仄かに頬を染めて、恥ずかしそうに口元を緩めた。
「勿論構いませんけど……デートみたいですね? ふふ」
……そう言われると、ちょっと恥ずかしい。
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