センパイとの約束
凍結した建物に足を踏み入れると、何処からか仕入れられた銃火器が一斉に火を噴いた。未紗那先輩が汚れ仕事を負っているのは武器を持てないからだと聞いたが、指名手配犯確保の為に自衛隊辺りから拝借したのだろうか。任意でも無理やりでも納得はする。
『生命』を共有した俺と先輩は瞬く間に蜂の巣になったが、残る二人に銃弾が届く事はなかった。黄色いレインコートを翻し、二人は素早く柱の陰に隠れる。
「ひいいいいい~……!」
「いやあ無理ですよこれ……!」
「そっちは防御策あるからマシだろ!」
「人数分用意しなかったんですね?」
「フードのついた服がちょっと!」
諒子と兎葵が着用しているのは『速度』を改定されたレインコート。銃弾が触れた瞬間に慣性を無視して速度の一切が失われるので、銃弾が当たっても無意味だ。ただし生地で隠れていない顔の部分が死角になっているので、オーバーサイズの物を着てもらって、それでフードを深めに被ってもらってカバーしている。唯一の欠点はそのせいで視界が悪い(兎葵は俺の視界を使っているのでこの欠点は存在しない)事なので、二人はゾンビ状態の俺達が率いる事になる。
だが……。
「………………!」
「式宮君、大丈夫ですか?」
「…………大丈夫、です」
全身を食べられたとは言えども、蜂の巣にされる感覚に慣れる訳ではない。未紗那先輩が壁になって引き受けてくれないと、俺はまともに戦術を立てる事も叶わないのだ。
弾幕の張り方は素人のそれではなく、一部がリロードしている間に残りの人間が制圧射撃で時間を稼いでこようとする。途切れる事なく降り注ぐ鉄の雨も、耐えしのげばいつかは止まるだろう。だがそれまで身動きが取れないなら状況は最悪のままだ。例えば側面から別動隊が確保しにかかってきたら、俺達は抵抗出来ない。
「あー…………先輩。このブローチつけて中央に走ってください」
「?」
「いいから!」
手に穴が開いても構わず赤色のブローチを押し付けると、訳が分からない様子のまま、エントランスの中央へ走りこむ。人数の分散は基本的には悪手だがこの時ばかりは全ての弾幕が未紗那先輩に向けて降り注いだ。
「うおおおおおおおおああああああああああああああ!」
その隙間を見逃す俺ではない。『速度』を改定された靴で踏み込み、糸に導かれるがままに動いて敵を無力化していく。白い糸を切って銃火器を奪って全力で後頭部を殴る。音速どころではない速度を制御できるかは不安だったが、赤い糸から先んじて己の位置を把握していけば十分に可能だった。一階は吹き抜けになっており、二階にも小銃を構える人間が居る。即座に階段を上って、ただ目の前の糸を切り続けていくと―――永遠のような一瞬。最初の待ち伏せを突破した。
「うぐ……!」
メガイタイ。
アシガイタイ。
規定の影響のみを外付けで使うのはあまりオススメ出来ないか。防御手段として使うならまだしも、足が千切れそうだ。実際千切れても『生命』がそれを許さないのでただ痛みだけが脚に集まりつつある。たまらず俺はその場に寝転がった。両手で目を覆い、『セカイ視』の負担を和らげる。遂に普段使いする分には何の痛みも感じなくなったが、無理をするとどうしても痛みが蘇る。人間を起点に広がる無数の赤い糸が、自分の体にも広がっていく様な感覚。それは蟻の行列が這う感覚に近い。身体がぞわぞわする。
「式君ッ」
何やら騒がしい足音が近づいてきたかと思えば、諒子だったか。彼女は慌てて俺の身体を抱き起し、顔を覗き込んでくる。
「…………変だ」
「……変?」
「瞳孔の反射が、なんか」
「ちょっと、どいてください!」
『距離』で目の前まで飛んできた兎葵がやたらめったらな至近距離で瞳を覗き込んでくる。足が体感千切れているので動けない。心無しか兎葵のツインテールも元気がなかった。
「…………私が戦いますよ。無理しないでください」
「お前なんて……最初から視界不良みたいなもんだろ。俺が動かなかったらただでさえ視界が悪いのに視界の半分がどっか行っちまって。心配してくれてるのは嬉しいけど……お前こそ無理するな」
「有珠希さん……」
「大体、俺が突破出来たのは先輩のお陰だし。未紗那先輩! 大丈夫ですか?」
お腹に力を込めて身体を跳ね起こす。吹き抜けた一回を見下ろすと、先輩は壊れたブローチを怪訝そうに眺めていた。
「これは一体なんですか?」
「『愛』の規定が込められたブローチですね。このフロアに居た奴は全員、そのブローチを壊したくてたまらない程嫌いになってたので先輩が蜂の巣になりました」
「成程…………壊れたら効力は失われますか?」
「失われないですね。でも他の誰が持ってても死ぬリスクが高いだけなので、捨てても大丈夫です。クデキまでには使い捨てる予定でしたし」
そうでないと逃げる可能性がある。大切なのはマキナを察知させない事だ。相手は人間をなめているとは言ったが、それは過小評価ではなく事実。まともなやり方では奴に傷一つ付けることは叶わない。その状態を維持する事が大切だ。
「さて……えーと。未紗那先輩、クデキさんにはどう会えばいいんですか?」
「……まず上にのぼりましょうか。話はそれからです。その前に……私もハッキリさせておきたいことが出来ました」
「ハッキリさせたい事ですか?」
「戦えないなりに、気になる事はあるんですよ。以前、式宮君のクラスが機能不全に陥った事があるでしょう。当時、私は君の不安を気にも留めずこの組織を盲信していましたが……これでハッキリすると思います。メサイアを離れて以降、私もずっと引っかかってて日本支部を探し回ってました。勿論ここも、捜索済み……でした」
彼女は壁に掛かった案内図を見て、首を捻っている。足の痛みも引いてきた頃だ、俺達は三人で先輩の近くまで駆け寄って、同じように地図を見る。この建物は全部で七階建てらしい。メサイア・システムは部門ごとに階層を分けているようだ。情報技術部門が六階、環境部門が三階……特には違和感を覚えない。
「これがどうしました?」
「あれを」
未紗那先輩は俺が二階へ上る際に使用した階段を指さした。上の階には当然繋がっているが、受付の後ろから、何故か下の階にも続いている。階層表示にはないが、目の前には確かな現実が暗闇へと続いていた。
「ど、どっちに行くんだ? 私は式君が行く方向に行きたいんだけど、な」
「二手に分かれるしかないでしょう。貴方と有珠希さんは上の階を目指せばいい。私と諒子さんが地下を探します。万が一にもこちらにクデキさんが居るなら―――その時は直ぐに合流しますから」
「―――それしかないよな。でもお前、俺のクラスメイトが分かるのか? 何処に居たとしても―――ほかの人間と一まとめにされてるかもしれないぞ」
「…………有珠希さんは、私を何だと思ってるんですか?」
やや不機嫌そうに口を尖らせて、兎葵は地下へと足を進める。乗り気でない諒子を引っ張りながら、最後にちらっとこちらを一瞥して。
「ずっと……見てたんですよ私。貴方のクラスメイトを、見間違える訳ないでしょ」
あれ以来、兎葵とは喧嘩をしていない。彼女は決して兄とは言わなくなったし、態度も棘がなくなった代わりに余所余所しくなった。物寂しく思う自分が居るのも確かだが、これでいい筈だ。まだ俺は有珠ではない。記憶が戻らない限り、兄にはなれない。何もかも受動的。俺が自ら選んだのはマキナの味方でいる事だけ。
だからこのままで、いいのだ。
「……首藤さんから頂いた情報を君に伝えて私も下に降りるのはなしでしょうか」
「兎葵が信用出来ませんか?」
「いえ。元はと言えば君の話を聞こうともしなかった私に責任の一端があるのではと思っただけです。この先、クデキさんの部下が更に控えているでしょう。私を捕えれば後々の派閥闘争で有利になるので、幹部の方も控えているかもしれません。私は戦えませんから、何かあれば人質です。それでしたらいっその事、三人で固まった方が君の邪魔はしないのでは?」
「……ああ、そういう事ですか。だったらこうしましょう。上の階……なんか先輩が居ないと進めなさそうな場所まで来たらそこで待機します。そこで一旦合流しましょう。あるのか分かりませんけど」
「確実にありますね。私が言うのもおかしな話ですが、首藤さんに頼ったのは正解でしたよ。あの人に大切な情報を残しておくのも分かります。気難しい人ですから」
二人の後を追うように先輩は階段まで歩いていく。
「エレベーターは危ないので、二階から続く階段をお勧めします」
「気を付けてくださいね、先輩も」
せめて背中だけでも見送ろうと思ったが、未紗那先輩はじっとこちらを見て固まっていた。この視線を無視するのは至難だ。表情も読み取り辛いし、何か言いたい事があるにしてもハッキリしない。こんな事で眼に負担をかけるのも嫌だし。
「式宮君」
「はい?」
「クデキさんを無事倒す事が出来たら、その時に伝えたい事があります。ですのでどうか、きっと倒してください」
彼女はつかつかと速足で近寄ってくると、俺の額に雪解けのような口づけをした。
「――――――」
「……で、では! 失礼します!」
自分でやっておいて、先輩は赤面しながら今度こそ去っていった。見送る背中も遥か暗闇の彼方。一階に俺だけがポツンと立ち尽くす。
「…………行こう」
キスされた額を触りながら、俺は二階から続く階段を駆け上がっていった。




