捨てるヒトあれば拾う理あり
章終了です
「……じゃあ、ここに居る人は全員、家を失ったって訳ですか」
兎葵の一言は全くもって的確だ。諒子は『刻』の規定、兎葵は幻影事件、そして俺は家族との不和。三者三様の理由だが、そもそもおかしな事が起きなければキカイだって現れないだろうからいずれにしても原因は幻影事件にある。
「……まあ、そうは言っても妹と暮らす事になるからホームレスって訳でもないんだけど」
「どうやって、連絡をとるつもりなん、だ?」
俺の前に塩焼きの鮭を置いて諒子が隣に座った。エプロンはマキナが使っている物を借りたのだろうが、儚い雰囲気に対して良く似合う。仮に糸を読んでも原因は全くの不明だが、制服の袖を捲っているだけなのにそこから見える素肌にエロスを感じる。こればかりは諒子だけに覚える感情だ。マキナはそもそも袖を捲ったりしない。万が一にも調理中の怪我をするようなキカイなら未紗那先輩にとっくに破壊されている。
「携帯でいいだろ。何もこないって事はあっちもごたごたしてるんだろうな。今は放っておいていい。俺には何も出来ん」
むしろ考えるのはどうやって家に戻るか、ではなくてこれからの事だ。予定がかなり詰まっているというか、遠征しなくてはいけなくなった。それをマキナにどう伝えた物だろう。メサイアの都合に振り回されてくれるとは思えないし、何か彼女用の言い訳を考えないと。
じーと見つめていると、マキナはニコッと笑い返してくれる。ああもしもこいつみたいな女の子が学校に居たら全員が惚れてしまうのだろうなと思う。或は俺の事が好きなのではと勘違いを始める始末か。しかし彼女に学生の素朴なイメージはない。どちらかというとその性格も含めて王女か女王か。見た目の豪華さからも高貴さがつきまとう。
「どうしたの?」
「…………マキナ。今度遠くまでデートしないか?」
俺の脳みそでは口実が一つくらいしか思い浮かばなかった。彼女は珍しく呆けたまま見つめている。ぱちぱちと何度も月の瞳を瞬かせて、目をごしごし擦って視界を調節して。
「―――デート! うん、いいわ!」
乙女の純情を直接出力したかのような高揚が、白い肌をほんのりと染めた。そういうプログラムが仕込まれているのかというくらい綺麗な仕草で鮭を食べ終えると、マキナはステップを踏みながら台所に食器を持って行ってしまった。
そして上半身を二〇〇度程逸らして、俺の方へ振り返った。
「あ、部品探しはどうする? やっぱり後回し?」
「いや、そのついでだ。あっちに拾得者がいる可能性……厳密には、部品を不特定多数にばら撒いてる奴がいる可能性がある」
「そうなんだ。メサイアもたまには役に立つじゃない。じゃあそこの二人も連れて行かないとね。勿論デートは二人きりだけど!」
「……式君。私とはデート、してくれないの、か?」
「―――マキナが満足したら考えるよ」
「それは。後で断られる気がする、な」
そんな悲しそうな瞳で見られても困る。俺だって体力は無尽蔵じゃない。マキナが満足するまで振り回されたら誰かを相手にする気力が残っているかなんて怪しいだろう。デートをすると言い切ってもしそんな事になったら中途半端だ。どうせするなら、満足させたいのは当然だろう。
「諒子さん。私が言うのもあれですけど、有珠さんはマキナさんにご執心なので諦めた方がいいですよ」
「言い方が悪い!」
「……そう、だよね。あの子の方が―――ずっと綺麗だし」
「同じタイプでもないから比べられないぞ。いや本当に。お前にはお前の良さがあってマキナにはマキナの良さがある。兎葵にはない」
「はあ!? 有珠さん、それがいも……知り合いに対する態度ですかッ?」
「そんなに褒めてほしかったら牧寧くらいお淑やかで居るんだな」
「その名前は出さないで!」
「お前がどう思おうとアイツの方がよっぽど褒められるんだよッ」
やはり牧寧の存在は地雷か。軽い口論が始まってしまった。しかし俺の気持ちは荒れていないばかりか、むしろ少しだけ安心している。この気持ちはよく分からない。兎葵の方はというと多分同じ気持ちではなさそうだ。眉間に皴を寄せて今にも殴りかかってきそうなほどこちらを睨んでいる。
「……私の良さ」
「ん?」
「式君の思う私の良さは……なん。だ? 教えて欲しい、ぞ」
「―――強気なのに弱気な所とか。何言ってるか分からないけど、愛嬌があるぞ」
「………………ぅふふ」
咄嗟に出た言葉だったが、喜んでくれたなら良かった。無難に言えば優しい所なのだが、善人を嫌っていた俺がそれを口にするなんてあってはならない。実際優しいかどうかは問題ではなくて、何処が好きかと聞かれた際の答えとして最悪なのだ。
せっかく良い感じに話が収まりそうなのにここで兎葵に水を差されたら最悪だ。『この人は身体しか見てない』とか言われたらまた話がややこしくなる。確かにマキナは人間離れした驚愕のスタイルを持っているし、小学生先輩も年齢が合っていないとしか思えないが、それはあの二人がおかしいからだ。
そもそも秩序の権化であるキカイとメサイアの懐刀に対して一般の高校生を比較するのはどうなのか。諒子だってスタイルは悪くない。一〇人中一〇人が見惚れるような美貌ではないかもしれないが、内の二人か三人が中々性質の悪い拗らせ方をするのは間違いないだろう。触れば壊れてしまいそうなガラス細工、手を伸ばせば消えてしまいそうな白昼夢。そんな儚い印象を抱かせてしまうのは紛れもなく諒子の魅力だ。『俺だけがアイツの良さを分かっている』と思わされても仕方ない。
「……諒子さんは、有珠さんとどうして友達になったんですか? この人格好良くもないし頭も良くないし、優しいのだって貴方が他と違うからですよ?」
「最後のは暴論だなあおい」
「何が暴論ですか」
「諒子だって俺が溶けてたなら友達になってないからな。俺達が他の人間と違う点をわざわざ揃えた上で何故友達になったかを聞くのが良く分からない。牧寧を出したのは悪かったと思ってるけど、とにかくいちゃもんを付けたいのが透けてみえるぞ」
「……だって」
兎葵は何か言いたげに口元を動かしたが、ぷいっとそっぽを向いてしまった。
「何でもないです」
時々、思う事がある。自分がこんなに幸せを感じて良いものなのかと。式宮有珠希はもっと悲惨な目に遭わなければいけないのではないかと。極端な自己否定とかではない。単純に不思議なのだ。この部屋にいる間だけは各人の赤い糸を除いて負担に悩まされない。隣にはとてつもなく頼りになるキカイと守りたくなるトモダチが居て、少々経緯は特殊だがこうして寝具を共にしている。
―――自分の糸は、読めないよな。
そんな物は視えないのだが。
俺の視界に入るのは精々、半脱ぎの制服姿で眠る諒子と、ぱっちり目が開いたままのマキナだけだ。今日はチェックのパジャマを着ており、わざと余し気味にした袖に俺の手を迎え入れて握っている。
「……手が熱い」
「さっきからずっとワクワクが収まらないの。ねえ……有珠希。少しお話ししましょう? 貴方が眠くなるまででいいから」
「あのな。別に明日からデートしようとは言ってないからな?」
「ええ、そうね。でもでも、待ちきれないのッ。貴方にパーツを貰った時から変な感じはしてたけど。今日はもうトクベツッ。ねえ有珠希。貴方は私のどういう所が好き?」
身体を起こしてマキナが押し倒すようにのしかかる。重さはちっとも感じない。柔らかさと温かさだけが全身を包み込んで…………意識が、蕩けそうだ。端的に眠い。
「――――――そういう。元気な。所。お前が元気だと……俺も嬉しくなる。周りに……そういう人が居なかったからかな。お前が笑顔で居ると、癒されるんだ…………人間を視る度、身体がどうかなりそうなストレスがかかる。お前が……いなかったら。おれは」
俺は。
目を閉じて考える。
考える。考える。考える。答えは出ない。眠い時の思考はいつも同じだ。結論が出た瞬間に同じ問いをしてまた結論が出て問いが出る。やがて問いすら出なくなったので答えも出なくなり、そもそも何を考えていたのかと疑問が生まれて、最終的に考えるのをやめる。明日考えればいいじゃないかと放棄して、その場の思考を放り出す。
「……………」
「―――寝ちゃった。もう、酷い人。答えも言わずに眠るなんて」
「貴方の声を聴くだけで身体が熱くなる。貴方の身体に触れるだけで心臓が破裂してしまいそう。貴方の姿を視るだけで部品が動かなくなりそうで、貴方に名前を言われるだけで―――どうしようもなく、欲しくなっちゃう。有珠希……貴方がスキよ、私。大スキ。セカイで一番私がスキ。貴方を苦しめるニンゲンは全員殺してあげるから、もっと私を呼んで。私に触れて、私の事を見て。嫌いな所も全部スキ。ねえ、部品の事なんてどうでもいいって言ったら貴方は怒るかしら? 取引なんてしなきゃ良かったわ。今は何よりも貴方が欲しいの。有珠希、有珠希、有珠希、有珠希、有珠希、有珠希、有珠希、有珠希、有珠希、有珠希、有珠希、有珠希、有珠希、有珠希、有珠希、有珠希、有珠希、有珠希、有珠希、有珠希、有珠希―――二人だけのセカイでも、私はいいんだから」




