12.聖女の価値
「あら?」
シヴァンシカの手元にあるノートを見て、リンダが首をかしげた。
「それ、ひょっとして神託ノートですの?」
「え? ああ、はい」
しまった、とシヴァンシカは慌ててノートを閉じた。
「そんなに慌てなくても、盗み見なんてしませんわよ?」
「その……人に見せるものではないので」
あはは〜、と微妙な笑いを浮かべてシヴァンシカはノートを片付けた。書かれていることは「うっふ〜ん♪」な内容に落書きのイラストばかり。もしもリンダに内容を知られたら、生暖かい目で見られるに違いない。
「解釈ひとつで争いになったりしますものね」
「え、ええ、まあ……」
よかった、いいように考えてくれた、とシヴァンシカはホッと胸をなでおろした。
「大変ですわね」
「え?」
「レクスへ帰られたら、聖女様。そのお言葉で、多くの運命を変えてしまうお立場になるのですのね」
「……なんですか、急に?」
「いえ。今はこうしてお話できますけど……もうお会いすることすら難しくなると思うと、寂しいですわ」
「そう……ですね」
聖女は全てを神に捧げる身、国に帰れば外出すらままならず、神殿の奥深くで生涯を過ごすことになる。友達と買い物をしたり言い合いをしたり、そんなことはもうできないだろう。
「なら、私の側仕えになります? そうすれば毎日会えますよ」
「ご冗談を。私に神官が務まると思いまして?」
「無理ですね」
「……即座に否定されるのは、それはそれで複雑ですわね」
「たまには言い返しませんと」
「まあいいですわ。それに私、卒業後の進路は決まってますの」
「あら、どちらに?」
「王国の外交省に採用が決まりました」
「まあ!」
社交的で才気あふれるリンダ。そんな彼女が外交官――とてもお似合いだと思う。神官として神殿の奥に閉じこもって暮らすより、はるかに社会に貢献するだろう。
「おめでとう。活躍をお祈りいたしますわ」
「ありがとう。ふふ、就職活動、大変でしたのよ」
スウェン王国の外交省は学閥が非常に強いらしく、留学生が採用されるのは過去に例がなかったという。
「応募した当初は門前払いに近い扱いでしたわ。だったらこっちもと、コネをフル活用いたしましたわ」
「リンダ様のお父様は……確か子爵で、貴族院の議員でしたね」
「昨年、外交副大臣を拝命しておりまして。思い切り圧力をかけてもらいましたわ」
「……それ、いいんですの?」
「学閥主義に反感を持っておられる方はたくさんおりますし。なんとかしてみせますわ」
ウィンクしながら言い切るリンダ。本当になんとかするだろうなあ、とシヴァンシカは思う。
「まあ、採用の決定打となったのは別の理由ですけど」
「あら、なんですの?」
「レクス国の聖女と親友です、と言ったら即決まりました」
「……へ?」
思わず間抜けな声をあげてしまった。よほど間抜けな顔をしていたのだろう、リンダが「そういうお顔もしますのね」と楽しそうに笑った。
「わ、私たち、親友でしたっけ?」
「友人付きあいをほぼしていないシヴァンシカ様に、気さくに声をかけて会話できる仲。これはもう、親友と言って差し支えないと思いますわ」
「ま、まあ、そう言われたら否定はできませんが……」
「言質とりましたわよ。これで公認ですわね」
おほほ、と勝ち誇るリンダ。自分に有利な発言をあっという間に引き出す会話術、これは凄腕の外交官になりそうだと、シヴァンシカは感心してしまう。
「それにしても、私と親友というのが採用の理由なんて……どうしてですの?」
「シヴァンシカ様は、もう少しご自身の価値を理解されるべきですわね」
リンダが少しあきれた顔になる。
「レクス国は特殊な国家です。どの国も、友好的な関係を結ぶのに苦労していますわ」
導師と呼ばれる宗教家たちが指導するレクス国は、概して保守的で閉鎖的、他国との交流に消極的である。価値観も独特で、現実主義に根ざす外交の場では難交渉の相手として知られる。取るに足りぬ小国と放っておければよいのだが、豊富な鉱物資源があるためそうもいかない。
「交渉の場に引っ張り出すのがまず一苦労。引っ張り出しても、のらりくらりと交渉を引き伸ばされてしまう。本当にやりにくい、と父がよくこぼしてますわ」
「それは……申し訳ございません」
「ですが。そこに突如、神託の聖女が登場したのです」
導師を超える立場の聖女。記録では三百年も前に現れたのが最後で、誰もがおとぎ話の類だと考えていた。
その聖女が現れ、しかも見聞を広めるためとの理由で留学に出た。
これを知った各国首脳は色めき立った。聖女と直接コンタクトできる人材がいれば、後々外交交渉で有利になるかもしれない。各国首脳はそう考え、同世代の女性を留学生として共和国に送り込んだ。
「ですがシヴァンシカ様は、共和国の重鎮ギムレット家の保護下に置かれ、友人づきあいはほぼありません。各国とも目算が狂って頭を抱えたでしょうね」
「あー……なるほど」
「本当に気づいてなかったんですの?」
「まあ……なんだか知らない人に妙に誘われるなあ、とは思っていましたが……」
妙な「フラグ」を立てないよう断り続けていたが、お誘いの数々はそういう背景だったらしい。
「ちなみにアンドルゴ王国は、レクス国との外交交渉そのものをめんどくさがって、武力で併合を目論んでいますけどね」
「困った国ですね」
「ええ本当に。そして我がスウェン王国は、その暴挙を許すつもりはありません」
すっ、とリンダが封筒を差し出した。
「というわけで、本題です。将来に備え、個人的に友誼を深めておきたいと思いまして。お茶会にご招待させていただきますわ」
「お茶会、ですか」
「はい、パーティーではありません。お酒は出ませんし、参加者も女性のみの少人数の予定です」
満面の笑みを浮かべるリンダを見て、なるほど、とシヴァンシカは思う。
「外交官としての初仕事、というわけですね」
「いえいえ、私はまだ学生ですから。シヴァンシカ様と友誼を深めたい、それだけです」
浮かべた笑顔とは裏腹に、シヴァンシカはかなり戸惑っていた。
リンダからお茶会に誘われる。そんな「イベント」は記憶にない。これは吉か、それとも凶か。とっさに判断できず、シヴァンシカは恐る恐る招待状を受け取り、中身を改めた。
「あら、招待状が……二通?」
「ええ、ナズナ様もぜひ」
「ですが私は、ナズナ様とは……」
「はい、仲が悪いフリをしているのは、よーく知っていましてよ」
え゛、と笑顔を引きつらせたシヴァンシカを、リンダは勝ち誇った笑顔で見つめた。
「その辺のところ、色々とお聞きしたいと思っておりますわ。ナズナ様にもよろしくお伝えくださいね」




