第29話 レイデン
「アンタ……ちょっといい加減にしなよ。また全裸で街を這って来て……もしアンタがエルフだったら、アタシは同じ種に生まれたことが恥ずかしくて喉を掻き切ってるだろうね。Sランク冒険者ってのは、バカっぷりまでSランクなのかい?」
「…………」
ヴァイオレットたちに死ぬギリギリまで搾り取られ、迎えた翌日の夕方。
俺はSランク冒険者の意地で家を這い出て、チェルシーちゃんに会いに行った。
いつものお店。
全裸でベッドに突っ伏す俺を、チェルシーちゃんは目一杯罵倒する。次いでため息をつきながら水をかけて、干からびた身体をふやかしてくれた。……チェルシーちゃんは優しいなぁ。
「まったく、みっともない……仕方ないから、お店のひとに代わりの服買って来てもらうよ」
「えっ、いいの!?」
「じゃなきゃ、帰りもちんぽプラプラさせてることになるだろ。……無駄に有名人ってのも困ったもんだね、アンタがバカやってても誰も注意しないんだから」
チェルシーちゃんは自分の財布を取り、部屋を出て行った。
すげぇ……チェルシーちゃんに何か奢ってもらうの、これが初めてだ。しかも、服ってやばくね? 着ないで帰って、一生の宝物にしようかな。
「はぁ……まったくもうだよ、まったく……」
嫌々感を隠しもせずに帰って来たチェルシーちゃんは、財布をしまって俺の隣に腰を下ろした。
チラリとこちらを見て、視線をそらして。
特徴的な長い耳がピクリと動いて、また俺を見て俯いて。
ピクピクと、耳が動く。ほんのりと、赤みを帯びながら。
「あっ……」
何かを言いかけて、言葉を飲み込む。
小さく深呼吸し、今度は俺を真っすぐ見つめて、朱色の唇を開いた。
「……あ、ありがとっ」
「え?」
「いや、その……助けてもらったこと、まだちゃんとお礼言ってなかったから。命拾いしたよ、本当にありがとう」
服に続き、お礼を言われたのも初めてで、面食らってしまった。
恥ずかしそうに染まった頬で、この世の美を結集して作られたような顔がいっそう輝き、心の中で感嘆の息が漏れる。下心抜きに、綺麗だなと思う。
「お礼を言うのはこっちの方だよ。俺、チェルシーちゃんはこのまま帰って来ないって思ってたし。またこうやって遊べて嬉しいな!」
「信じないかもしれないけど、元々戻る気ではいたんだ。奪った金、返さなくちゃだし……」
「そうなの? でも、それは前も言ったけど別にいいよ」
「……あぁ、そうだね。アンタは、それでいいだろうね……」
立ち上がり、一歩二歩と前に出て、振り返って。
見つめる。さっきよりもずっと紅潮した顔で、もごもごと口ごもりながら。
「あ、あんなドデカイ借り作って……気にするなとか、アタシには無理だ!」
いつだって余裕があって、こっちを見下しているような目で。
「でもアンタ、金は受け取らないだろうし……だからその……」
それでいて、時折覗かせる陽だまりみたいに明るい笑みが堪らなく可愛いチェルシーちゃんが。
この俺を前にして、かつてないほど真剣な表情を纏う。
「アタシなりに色々考えて――」
何かを紡ごうとしていた、その時だった。
コンコンと、誰かが扉をノックする。チェルシーちゃんが出ると、そこには紙袋が一つ。どうやら店員が大急ぎで服を買って届けてくれたらしい。
「わーっ、ありがとう! この服、大切にするよ!」
「あ、あぁ……」
「んで、色々考えてって、何言うつもりだったの?」
「……いや、忘れておくれ。何でもないから……」
「えー? いやいや、それは嘘でしょ。気になるから教えて――」
「うるさいなぁ! おっぱいで挟むやつやったげるから黙りな!」
お口にチャックした。
そりゃそうだよ、男の子だもん。
◆
レイデンたちに助けてもらったアタシは、父さんを母さんのところまで引っ張っていき、数十年ぶりに家族の時間を過ごした。
このままもう数十年、数百年、家族と過ごそうかと思うくらいには楽しかった。
適当なところをふらついて、適当な仕事に就くことも考えた。
金を返す必要もないのだから。
『俺がここに来たのは、チェルシーちゃんを助けるためだから。あげたものを取り返すとか、そんなカッコ悪いことしないよ』
でも、あのバカの笑顔が妙に頭の中で居座っていて……。
アタシは、気がつくと彼に手紙を書いていた。
金は返さないにしても、借りを作ったままというのは気持ち悪い。
何か……あの男が喜ぶようなことはないか。
そんな時、ふと、彼が〈竜の宿り木〉を脱退した直後のことを思い出した。
『客扱いできるわけがない……ってことはつまり、俺と結婚してもいいってこと……?』
――結婚。
あぁこれだ、と思った。あの男が確実に喜びそうなことは、これだと。
エルフの寿命は途方もなく長い。
ほんの数十年、一人の男に捧げたところでどうってことはない。それにこのバカとなら、呆れることはあっても、少なくとも退屈することはないだろう。
と、軽く考えていたのに――。
『でもアンタ、金は受け取らないだろうし……だからその……』
いざレイデンを前にして用意した台詞を言おうとすると、勝手に喉がせき止めて中々出てこなかった。どうしてこの男に対してこんなに動揺しているのか、自分でもわけがわからなかった。
『アタシなりに色々考えて――』
どうにかこうにか唇をこじ開けて喋ろうとしたが、服が届いたことで張っていた気が切れ、何だかバカバカしくなってしまった。
そもそも、あの時のアイツは金がないからアタシと結婚したがっていただけ。別に本心からアタシが欲しいわけじゃない。いま結婚しようと言っても、どうせ断られてしまう。
この男にフラれることだけは、どうしたって避けたい。
そんな屈辱は他にないから。
「あっ、いいこと思いついた!」
そろそろ帰る時間。
アタシが買ってあげた服を着ながら、レイデンは声をあげた。
「俺に何かお返しするって話、まだ有効?」
「えっ? ま、まあ、構わないが……あ、読めたよ。タダでうちに通わせろとか、そういうのだろ?」
「そんなセコイこと言うわけないじゃん」
シャツのボタンを最後までとめて、鏡の前で髪を整える。
鏡越しに目が合い、彼は小さく笑う。
「俺のことを覚えててよ」
「……どういうこと?」
「チェルシーちゃんは俺の何十倍も長く生きるわけでしょ。だから、ずっと先まで俺のことを覚えてて。百年後も、千年後も、ずっと」
「そりゃいいが……そんなことでいいのかい? たかが、そんなことで?」
「大切なことだと思うよ。人間はすぐに死ぬから、誰かに覚えててもらいたいんだ」
振り返ったその顔はやけに爽やかで、しかしどこか寂しさがにじんでいた。
適当な性格のくせに、その瞳は薄いガラスで作られたような繊細な輝きを放っていた。
不覚にも、自分でもどうしてかわからないが、それを美しいと思ってしまった。
「……頼まれなくたって、アンタほどのバカ、そうそう忘れられやしないよ。アタシの中のバカランキングの頂点は、少なくとも千年先までアンタだろうね」
「ほんと!? やったー!」
「こんなことで喜ぶんじゃないよ……」
頭の中がふわふわのお花畑な男なのに、なぜかたまに儚い目をして、遠くを見るような横顔をする。
バカなくせに、手を伸ばしても霧みたいに掴める気がしなくてムカつく。
そういうところに……なぜか今は胸が熱くなる。
「……アンタ、これから時間あるかい? こんな当然の頼み事引き受けたってアレだし、一杯奢ってあげるよ」
――もう少し一緒にいたい。
そんな気持ちが漏れないよう、極力普段の声音で言う。
レイデンは一瞬表情を輝かせるが、しかし、「ごめんね」と苦々しく笑う。
「実は、これから行かなくちゃいけないところがあってさ。今日は飲みに行けないや」
「それは……そんなに、大事な用事なのかい?」
頷く。揺るぎない意思を込めて、しっかりと。
いつも通りアタシに別れを言って、店を出て行ったレイデン。
何気なく窓辺に座って、夜の街を歩いて行く彼の背中を見つめる。
近くの酒屋に入って、一本買って出てきた。
それを片手に人ごみにまぎれ、どこかへ消えてしまう。
「……どうせ飲むなら、アタシが相手でもいいじゃないか……」
そう独り言ちて、あっと唇を手で覆った。
はぁ、まったく……やれやれ……。
本当に、困った男だよ。
第一章、完結。
本作は一旦、ここで一区切りとさせていただきます……!
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