第19話 魔術王
父親に手を引かれて歩いた夜のことを、今も鮮明に覚えている。
やけに早足で、手を握る力が強くて、痛くて。
わたしの顔を見もせず、怖かった。
「お前はこれから、すごく楽しいところに行くんだ。神様に祝福されている子だけが行ける場所だよ」
母親がいたのか、父親がどういうひとだったのかは、まるで記憶にない。
だけど、その道すがらに言われたこの台詞だけは頭に刻み込まれていて、当時のわたしは素直に喜んだと思う。このひとと一緒にいるよりはマシだと、そう考えたのだろう。
――そしてわたしは、ウェルベン商会に売られた。
それからの毎日は、暗くて、怖くて、痛くて。
とにかく、どうしようもないほどに苦痛で……。
同じ境遇の子たちが、何人も死ぬのを見た。
ここから逃げ出したら、と昨日まで楽しく話していた子の死体を、この手で片づけた。
何とか逃げ出してエリシアの村に保護されてからも、いつか連れ戻されるんじゃないかという不安と、脳裏に焼き付いて離れない経験と光景に、たびたび苦しめられた。
でも、誰にも言えなかった。
言えるわけがない。
軽蔑されたくないから。
もう捨てられたくないから。
あの暗がりに戻るくらいなら、一人で抱えていた方がずっといいから。
『悪いな、無駄に察しがよくて』
あの男の名前を聞いて動揺し、一人出て行ったわたしを見つけ、レイデンはそう言った。
初めて会った時から覚悟はしていた。
その卓越した観察眼なら、いつかわたしの過去にも気づくだろうと。
『……でも安心しろ、ヴァイオレットたちには何も言ってない。武錆のバカも黙らせた。だから、俺しか知らない』
すごいなと、まるで他人事のように思った。
あの時のわたしのリアクションを見て、すぐにそこまで気を回せてしまうことに、嬉しさを通り越して感動してしまった。
『腹減ってないか? 帰りがけに何か奢ってやるよ。チェルシーちゃんにとられちゃったから、あんま金ねえけど』
そう言って差し出された手を、わたしはとった。
父親以外の男のひとの手を握ったのは久しぶりだったと思う。
レイデンは、頭の中は常に真っピンクで、お金に汚くてお酒の飲み方も品がない。
本当にどうしようもない大人……なのに、
『二度とそんなこというな。お前が何か悪いことしたのか? ん? こちとら、ちょーいい女と手繋ぎデートできてすげえいい気分なんだぞ』
その手は、優しくて温かかった。
わたしが知る、男のひとの手じゃなかった。
このひとは、元々は孤児だったらしい。
たぶんその幼少期は、わたしよりもずっと過酷だっただろう。
なのに、その体温はどうしようもなく心地よかった。
わたしを握る手には、どこへもやらないという安心感があった。
同じ暗がりの中にいたはずなのに、その背中は目が眩むくらい輝いていて、初めて手を伸ばした星みたいに綺麗で。
ついて行きたいなと思った。
『わ、わたし、も……――』
だから、わたしは言った。
レイデンに任せておけば、万事上手くいくだろう。
だが逆に言うと、あの男に復讐する機会は今しかない。
この機を逃せば、一生やって来ない。
一人だったら、怖くて絶対に無理だった。
でも、このひとがそばにいたら、わたしは何だってできる気がする。
それに、今は――、
『……断末魔バトル、参加……したい……っ』
ただ家で震えて待つより、このひとと一緒にいたい。
◆
「出せー!! ここから出しなー!! 絶対に殺してやる!!」
ハワードの在庫保管庫。
アタシは他の商品たちと一緒に、檻に閉じ込められていた。
意味がないことはわかっているが、それでも叫ぶ。
ただ黙って閉じ込められておくのは、負けたみたいで癪だから。
「……ごめんな。父さんのせいで、お前まで……」
隣の檻には、父さんが閉じ込められていた。
久しぶりの再会だが、今のアタシたちにそれを喜ぶ余裕などない。
「まったくだよ!! そもそも、アンタが母さんを放って不倫旅行なんかしなきゃ攫われることもなかったんだ!! ここを出たら、すぐ母さんに謝りに行きな!! そのために、アタシはずっとアンタを――」
「ちょっと、チェルシーさん? さすがにうるさいですよ、そろそろ勘弁してください」
辟易した顔でやって来た、見慣れた顔の糞野郎。
どうにか引っ掻いてやろうと、アタシは檻の隙間から必死に腕を伸ばす。
「すごいなぁ、チェルシーさんは。エルフって、本来は大人しい種族なんですけどね。あなたほど血の気の多いのは初めて見る……商品としての素質、ありますよ」
「黙れデブメガネ!! そのレンズ叩き割って眼球に押し込んでやる!!」
「あはははっ。怖いなー、ちびっちゃうなぁー」
アタシの腕が届かないギリギリの距離で、ヘラヘラと薄ら笑いを浮かべた。
……絶望的な状況だが、まだ助かる可能性はある。
アタシはレイデンの金を盗んだ。あの男も、自分が騙されたとすぐ気がつくはず。これだけの大金、取り戻したいと思うに決まっている。
そうなれば、きっとここを嗅ぎつける。
このデブ奴隷商にどんなバックがついてるか知らないが、傀儡廻のレイデン・ローゼスの敵なわけがない。
「――ハワード君、これが言ってたエルフ!? 本当だ、すっごく活きがいいね!!」
ひょこっと、奴隷商に対してやけに馴れ馴れしい男が顔を出した。
長身痩躯。
赤黒い髪が特徴的な、二十歳にも届かなそうな爽やかな顔立ちの青年。
青年はしゃがみ込み、アタシに目線の高さを合わせた。
女なら誰でも惹かれそうな甘いマスク。
子どものように輝く、敵意も悪意もない純真無垢な黒い瞳。
だが、なぜか全身の毛が逆立つ。
この男は、この生物はやばいと、全身から汗が噴き出し手が震える。
――知っている。
アタシはコイツを知っている。
この顔を見たことがある。
あちこちの国、あちこちの街に貼られている、手配書で。
「ねえハワード君、この子、オレにちょーだいよ! 何でこんなに元気か興味あるなー!」
「いや……ちょ、ちょっとこれは……! オークションで競り落としていただかないと……!」
「えー? オレが欲しいって言ったのくれる約束じゃん」
「あっ……ですが、この商品は、今すごく人気でして……」
「じゃあ、オレん家の加護持ちと交換しよう! ハワード君、加護持ち好きだったよね!」
いつも他人を見下したような態度の奴隷商が、完全に気圧されていた。この青年の機嫌を損ねないようにと、極限まで神経を使っていることが一目でわかる。
「私を買って!!」
突然、他の檻に入れられていた女が叫ぶ。
「どうせ買われるなら、あなたみたいなイケメンがいい! お願い、私を買って!」
その声につられて、他の女も声をあげた。
買ってくれと、自分の方が綺麗だと、我先にと喉を震わせる。
確かにこの男、見てくれはいい。
見てくれだけは極上にいいが……。
「あーもう、うるさいなー!! ――【強制自死】!!」
青年が鬱陶しそうに声をあげた、その時だった。
喚いていた女たちが、急に静かになった。
程なくして、アタシのすぐそばにいた女が喉を掻き毟り始める。自ら血管を掻き切って、大量の血を噴き出しながら絶命する。
他の女たちも同じ状況なのだろう。
室内は阿鼻叫喚と化し、流石のアタシも声が漏れそうになる。
「あ、やべ! うわぁ、やっちゃったー……! ご、ごめん! みんなごめん、本当にごめんなさい!」
殺戮を行った張本人は、アタシたちに対し深々と頭を下げた。
ポーズでも何でもなく、その姿、声、表情には、本心からの反省の念がこもっていた。
これだけのことをして、悪意がない。
その気持ちの悪さに、別次元の生き物と相対しているような感覚に、皆一斉に押し黙る。
「これ、戻るかなぁ? えーっと、ここをこうして……いや、違うか? うーん……まあ、多少はマシか……」
何かしらの魔術を死体に使う青年。
程なくして死体は動き始める……が、どう見てもおかしい。
ピクピクと痙攣し、苦しそうに呻くだけの肉塊が完成する。
「ごめんね、ハワード君。やっぱり、そのエルフはいいや。悪いことしちゃったし……」
「あ、そ、そうですか……」
「その代わりってわけじゃないけど、ちゃんとオークション会場の警備、頑張るから! 任せといてよー!」
青年はもう一度アタシたちに謝って、奴隷商と共に部屋を出て行った。
あの汚いデブメガネが、自信満々な理由がわかった。
そりゃあ、あんな態度にもなる。あんなバックがついていたら、何の心配もなく商売に臨める。
だって、あの青年は。
レイデンの十八番の付与魔術を我が物顔で操り、他人の命を弄び、まったく悪びれもしないあの化け物は。
――通称、魔術王。
世界にたった五人しかいないSランク冒険者。
その、六人目だった男だ。
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