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第13話 エリシア


 眷属にされたひとたちはみんな元に戻り、明日の朝まであたしの村で休むことになった。

 クロウも無事……だったのだが、もうあたしの知る彼はいない。


『ありがとうございます! ありがとうございます! 怖かった……本当に怖かったぁ……!!』


 〝不死の王(ノーライフキング)〟に出会った時、もう自分は死んだと思ったらしい。

 そこから救われた反動か、あたしたちが助けに来たことを知ると別人のように頭を下げてきた。調子がいいというか何というか……まあ、悪い気はしないけどね。


「冒険者様、ほら、飲んで飲んでっ!」

「おう、悪いなぁ! わはははっ!」

「我々を救っていただき感謝しています! 肩、お揉みいたしましょうか!?」

「許そう! 俺の肩を揉むことを許そう! ついでに足も揉め!」

「喜んで! ……おいそこのお前、飲んでないで手伝え!」

「がははははっ!!」


 村人たちに囲まれ、上機嫌に酒をかっくらうレイデンさん。


 俺の爆乳村はどこ!? とさっきまで泣いていたのに、アルコールが入ったらこの通り。

 村長に酒を注がせ、その息子に肩を揉ませ、別のひとに足までマッサージさせている。クロウ以上の調子のよさに、ここまでくると笑ってしまう。


「お母さん、下げた食器、どこに置けばいい?」

「あぁ、じゃあそこに。……っていうか、何でエリシアまで働いてるの? あっちに混ざって来なさいよ、村を救った英雄なんだから」

「別にいいよ。あたし、お母さんと一緒にいたいから」


 キッチンで手際よく料理を作っていくお母さん。

 あたしは食器を置いて、配膳前の作り立ての料理をつまみ食いする。


「もう、行儀悪いわよ。子どもじゃないんだから」

「美味しいのがいけないんだよ。あたし、悪くないし」


 ふふふー、と笑い合って。

 お母さんも一緒につまみ食いをして。


 ……料理を口へ運ぶその手の火傷に、つい目が行ってしまう。


 爛れ、歪み、弛んだ皮膚に。

 過去のあたしの罪に、内心唇を噛む。


「あの、お、お母さん……」

「ん?」

「眷属にされた時のこと、さ……ど、どれくらい、覚えてる?」

「そうねぇ。あの吸血鬼に噛まれて、しばらくの間は記憶があるわね。それがどうかしたの?」

「い、いや……その、えっと……」


 村に来て眷属にされたお母さんを見た時、あたしはショックだった。

 だけど同時に……こんなことを言っちゃいけないと思うけど、()()()もあった。


 見たんだ。


 襲って来た、お母さんの手を。

 吸血鬼の力で綺麗さっぱり治っていた、あの手を。


 期待していた。

 眷属から解放されても、治ったところはそのままなんじゃないかって。


 でも現実はそう上手くいかず、お母さんの手は元に戻ってしまった。

 あたしが台無しにした手に、戻ってしまった。


「火傷のことなら、気にしなくてもいいのよ?」


 フライパンを振るいながら、こちらの顔も見ずにそう言った。

 あたしは何も言っていないのに、その綺麗な瞳は何もかもを見透かしていた。


「それよりお母さん、嬉しいの。ヴァイオレットさんが、あなたのこと褒めてたのよ? 〈白雪花(スノードロップ)〉に欠かせない存在だ、って。加護だって使いこなせるようになって、本当に誇らしいわ」

「使いこなせるって言っても……ま、まだまだだよっ。まだ、全然……」

「でも今日は、村のひとをたくさん助けたんでしょ?」

「それは……まあ、ちょっとだけ……」


 自信なさげなあたしに、お母さんは「すごいじゃない!」で屈託のない笑顔を向けたきた。

 天日干ししたばかりの布団みたいに温かくてやわらかい視線に、つい恥ずかしくなり顔を伏せてしまう。褒められたことが嬉しくて、口元がニヨニヨしてしまう。


「それじゃ、この料理持って行ってあげて」

「うん、わかった」


 大皿を持って、キッチンを離れた。


 ……お母さんはああ言っていたけど、気にしないとか、そんなのは無理だ。


 だってあたしは、知っているから。

 再婚の話があったのに火傷のせいでダメになったことも、村の子どもから気持ち悪いと言われて傷ついていたことも、こっそり治し方がないか調べていたことも。


 あたしも街に出て色々やってみたが、お母さんレベルに損傷が酷いと完全に元に戻すのは不可能だと、それだけしかわからなかった。


 お金でどうこうできる問題ではないことしか、わからなかった。


「あー、うめぇ! どうして年寄りの偉いやつに注がせた酒ってのは、こんなに美味いんだろうなぁ村長!」

「は、はい! おかわりですね!」

「わかってるじゃねえか!! がははははっ!!」


 村の人たちを召使いのごとく扱うレイデンさん。

 下品でダメな大人で……なのに、たまにカッコよくて、底が知れなくて、冗談みたいに最強なひと。


 彼を見て、ふと初めて会った日のことを思い出した。


『ヴァイオレットは、全身を満遍なく強化(バフ)しておいた。あと、古傷のせいで微妙に左足を引きずって歩いてるだろ。それも治しておいたぞ』


 古傷を治した。

 今日だって、斬られた腕を一瞬で繋げていた。


「あー、うめぇなあ!! これでここが爆乳村だったら、最高だったんだけどなー!!」


 ――……もしかしたら、この人なら。




 ◆




「うぇえ、飲み過ぎた……気持ち悪ぃ……」


 外で胃の中のものを吐いて、好きに使っていいと言われた家に入った。

 椅子に腰を下ろして、水を一杯飲む。いくらか気分が落ち着き、大きく息をつきながら天井を仰ぐ。


「結局なかったなぁ、爆乳村……何だよ、期待させやがって……」


 エリシアの母親が、凄まじいおっぱいの持ち主なのは確か。

 だから、ゼラの母親もすごいのでは……と期待していたのに、あいつはちょっと事情持ちらしい。何でも子どもの時に拾われ、村全体で育てられたのだとか。


 まあ、そりゃそうだよな。

 こんな小さい村から、二人も加護持ちが生まれるわけがない。


「にしても……」


 ポケットに手を突っ込み、あるものを取り出す。


 ランプの灯りに照らされて輝く、小指の先ほどのサイズの黒い結晶。

 賢者の石――魔力を凝縮し、物質化した代物。エネルギーの塊。


 〝不死の王(クソヒル)〟が消滅したあと、こいつが奴の身体から出てきた。

 こいつは、魔術師やモンスターにとってパワー増幅器の役割を果たす。奴の復活がやけに早かったのは、これを取り込んでいた影響だろう。


 ……でも、妙だ。


 俺の全魔力を変換して、ようやくこれの十分の一くらいのサイズ。

 復活にいくらか使用したため、この賢者の石はもっと大きかったはず。

 そんな莫大な魔力がこもった代物を、一体どこの誰がどういう目的で作ったのか。


 それに、こいつを作るには相当量の知識と技術がいる。

 世界中探したって、作れる奴は限られてくる。


 と、なれば――。


()()()だろうな……間違いなく……」


 一人、心当たりがあった。


 あいつなら、このサイズの賢者の石を作れたっておかしくない。

 〝不死の王(クソヒル)〟を復活させたのだってわざとだろう。


 そういうことをする奴だ。

 しかも、無意味に、無邪気に。

 その行動がどういう結果をもたらすかなど、まるで考えずに。


「……まあ、残りは俺がありがたく使わせてもらうか」


 独り言ちて、賢者の石をポケットにしまった。


 さあ、今日はもう寝よう。

 普段より働いたし、何より長旅で身体が痛い。


 まったく、年はとりたくねえもんだな。


「あの……お、起きてる……?」


 扉の外から、エリシアの声がした。

 どうしたのだろうと首を傾げつつ、扉を開く。


 夜闇の中。

 かすかな月明かりに照らされて、ほんのりと頬を朱色に染めるエリシア。


 一瞬俺を見上げて、すぐに視線を伏せて。

 もじもじと手を遊ばせながら口ごもる。


「何だよ。俺、そろそろ寝るつもりなんだけど」

「ご、ごめん……! その、お願いがあって……!」

「お願いだぁ?」


 こんな時間からお願いって、俺のことを何だと思ってるんだ。

 まったく、舐められたもんだな。ふざけやがって。


 あー、そうだ。思い出した。

 こいつには説教してやろうって思ってたんだ。


 お願いとやらが何かは知らないが、ここは一発ガツンと言ってやらなくちゃ。

 年上を敬う精神とかマナーってやつを教えてやるぜ。


「あたし、知ってるの……!」


 顔を真っ赤にしながら、声を絞り出す。


「レイデンさん……ヴァイオレットさんと、その……えっちなこと、してるでしょ? 〈白雪花(うち)〉に入る、見返りとして……」


 俺を見上げて、すぐに伏せて、またチラリと見て……。

 その僅かな動作で、おっぱいが揺れる。


「別にそれに文句があるとかじゃないよ! じゃ、じゃなくてね……え、えっと……あたしも……!」


 濡れそぼった熱い声で、ポツポツと、必死に言葉を紡ぐ。

 Sカップを躍動させながら。


「あたしにもシテいいから……だからお願い事、聞いて……?」

「うん!!」


 エリシアに何か言ってやるつもりだったけど、全部忘れた。

 仕方ないよ、男の子だもん。




 ◆




「まあ、とりあえず座れ」

「は、はいっ!」

「声でけぇよ」


 家の中に入り、椅子に座った。


 ……や、やばい。

 あたし、来ちゃった! えっちなことしてもいいって言っちゃった! 経験ないのに!


 落ち着け、落ち着け、落ち着け……!

 大丈夫、落ち着け、深呼吸っ!


 レイデンさんは経験豊富なひとだ。

 たぶん、全部上手くやってくれる……はず。


 何も心配はない。

 脱いで寝転んで目を瞑って、あとは全部お任せしよう。


「んで、お願い事って?」

「……え?」

「いや、え? じゃなくて。まずはそれが何か話すべきだろ」

「あっ……あぁ、うん! そ、そうだった、そうだよねぇ!」

「お前、ちょっとは落ち着けよ……」


 レイデンさんはテーブルを挟んで向かいに座り、小さく息をつきながら腕を組んだ。


 あ、焦り過ぎだよ、あたし!

 もうちょっと落ち着かないと……ガキっぽくて嫌とか思われたら、全部台無しになっちゃう!


「あ、あのねっ、あのねっ……あたしのお母さんのこと、何だけど……」


 まだ焦りを振り払い切れていないため、今日何度目になるかわからない深呼吸をする。

 いくらか平静を取り戻し、ジッとレイデンさんを見つめる。


「あたし……小さい頃、加護を制御できなくてお母さんにたくさん酷いことしちゃったの。手とか腕の火傷とか本当に酷くて……そのせいで、お母さんに辛い思いさせてて……! でも、治し方がわからなくて……!」


 膝の上に置いた手に、ギュッと力がこもった。

 初めて火傷を負わせてしまった日の記憶がフラッシュバックし、無意識に唇を噛む。


「だから……だからっ、お願いします! あたしに何してもいいので、レイデンさんの力でお母さんの火傷の痕を治してください!」


 頭を下げた。

 目一杯、深々と。


 なぜだか、身体が震える。

 レイデンさんに対して嫌悪感があるわけじゃない。性格に難はあるけど……それを差し引いても、このひとは魅力的だと思う。


 それでも、やっぱり怖さがある。

 男のひとに触られることへの、本能的な忌避感。


 これからのことを想像して、心臓が悪い意味でせわしなく動く。


「はぁ~~~……んだよ、それ……」


 わかった、と快諾されるものだと思っていた。

 それくらいできて当然だと、言ってくれるものだと確信していた。


 なのに、レイデンさんの口から出たのは特大のため息。

 顔をあげて確認すると、彼は呆れた表情で頭を掻いていた。


「えっ……だ、ダメだった!?」

「ダメとか、そういうことじゃなくて……」

「じゃあ、できないの!? レイデンさんでもできないってこと!?」

「いや、それくらいできるけど……」

「じゃあ何で!? あたしじゃ嫌っ!? あたしって魅力ない!?」

「んな乳ぶら下げといて、魅力がないわけがねえだろ」


 意味がわからず、あたしの頭の中は疑問符でいっぱいになった。

 レイデンさんはもう一度嘆息して、「あのなぁ」と口を開く。


「そういうことは、()()()()()()()に言えよ」

「……ん?」

「だから、もう終わってるんだって」

「……? あの、どういう意味か……」


 その時だった。

 外から、「エリシア!」とお母さんの声がした。「どこ!? どこに行ったの!?」と、焦ったようにあたしを探す。


「ほら、行ってやれよ」


 訳がわからないまま、あたしはレイデンさんと一緒に家を出た。


 ちょうどそこにいたお母さんは、困惑と嬉しさが混じったような顔で駆け寄ってきた。「見て! 見て!」と、言葉足らずに両手を見せつける。


 ――なかった。


 火傷の痕が。

 綺麗さっぱり、治っていた。


「レイデンさんがやったの……!? い、いつ……!?」

「飲み会が終わって、家出る時に。ちょちょいと」

「何で!? あたし、そんなこと頼んでない……!」

「頼むも何も、俺、初めて会った時に言っただろ。もう忘れたのか?」


 初めて会った時。

 一体どういう会話があったのか、必死に掘り返す。


『約束する。俺がいる限り、お前の周りがその火で傷つくことは絶対にない』


 ――あっ。

 もしかして、これのこと……?


「その火で傷つくことは絶対にない。それは当然、過去だって含む。……まあ、傷ついたって事実自体は消せねえけどな。そこに文句は言うなよ、流石の俺にも限界がある」


 あたしのお母さんの腕を取り、まだ僅かに残っていた火傷の痕を目視すると、それを軽く指で擦った。たったそれだけで、皮膚は新品同然に蘇る。


 お母さんは目に涙をいっぱいに溜めて、「ありがとうございます!」と頭を下げた。

 それを見て、レイデンさんは得意気に鼻息を漏らす。


「エリシアは、これからもっと強くなる。そのための不安を拭ってやるのも俺の仕事だ。――今日はすげえよかったぞ。また次も頑張ろうな」


 と言って、彼は笑った。

 その爽やかな笑みがやけに眩しくて、無性に手を伸ばしたくなった。


「んじゃ、俺は寝る。もう邪魔すんなよ」


 踵を返して、家へ戻っていく。


 その背中を見て、とっ、と足が勝手に動いた。

 今彼に触れないと後悔する気がして、何かに導かれるように背中に抱き着いた。


「うぉ……ど、どうした?」

「……ありがと」

「あぁ、おう。別にいいって、約束したことだし」

「ありがと……本当にありがと……!」

「だからいいって。それより、もっと母親と話しとけ。明日には村を発つんだから」


 あたしをやや強引に引き剥がして、レイデンさんは家に引っ込んだ。


 閉まった扉を見つめ、息をつく。

 やけに湿った息を、唇から漏らす。


「レイデンさんって、素敵な方ね」


 お母さんに言われて、あたしは頷いた。

 深く深く、頷いた。


 心臓が高鳴る。

 でもこれは、さっきみたいな悪い意味のやつじゃない。


 もっと触りたいっていう、高鳴りだ。


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