どこかで、誰かが泣いています(三)
その日の夜、政吉は仕掛屋の面々を呼び出した。以蔵、龍、多助の三人が地下室の椅子に座り、政吉は立ったまま腕を組んでいる。
「今回の相手は、木戸屋の善兵衛と息子の茂三、そして同心の村田庄之助の三人だ。そして、仕掛料はたったの十両だが……お前ら、どうするんだよ?」
言いながら、政吉は机の上に小判を五枚並べる。前金だ。
「ちょっと待てよ。じゃあ、清太が調べられてる夜鷹殺しは……その茂三の仕業だってのか?」
龍の言葉に、政吉は頷いた。
「ああ、そうらしい」
「だったら、そのことを奉行所に言えば、清太は助かる――」
「そいつは出来ねえな」
冷たく言い放つ政吉。すると、龍の目つきが変わった。
「じゃ、じゃあ……清太の奴を見殺しにするのかよ? そいつは、あんまりじゃねえか」
龍の言葉には、怒気が含まれている。
政吉の目が、すっと細くなった。しかし――
「まあまあ、ちょっと待ちなよ龍さん……まずは、私の話を聞くんだ」
場の空気の変化を察した以蔵が、さりげなく言葉を発する。同時にふっと立ち上がり、龍の肩を軽く叩いた。
「いいかい、清太さんを調べているのは同心の村田だよ。村田は、清太さんを下手人に仕立てあげようとしている……その村田を殺せば、清太さんの担当は別の同心になる。そうなれば、いくら何でも無実の清太さんに罪を着せるような真似はしないさ。清太さんは、すぐに解き放ちになるよ。少なくとも、その可能性が高い」
「そ、そうか……」
以蔵の言葉に、納得した表情になる龍。
そして、机の小判を一枚手に取った。
「しかし、材木問屋と同心かい……それで一人あたり二両とは、割に合わないねえ」
そう言ったのは多助だった。すると、龍がじろりと睨む。
「おい、めくら……やる気がねえなら降りろ。おめえらが殺らねえってんなら、俺が三人とも殺ってやる。政吉さん、俺の取り分は六両でいいな?」
その龍の言葉に、にやりと笑い手を振って見せる多助。
「いえいえ龍さん、申し訳ないですが、引き受けさせてもらいますよ。あっしもお松も、食うに困る貧乏人ですからね……来る仕事は拒みませんや」
そう言いながら、多助は手のひらを突き出す。すると以蔵が、その手のひらに小判を二枚乗せた。
「へへ、こりゃどうも……じゃあ、あっしらが善兵衛と茂三の親子を殺りましょう。それで構わないですかい、龍さん?」
「ああ、俺は誰でも構わないぜ」
言いながら、龍は残忍な表情で胡桃の殻を握り潰した。
翌日の夜。
善兵衛と茂三の親子は、二人で並んで歩いていた。その表情は堅い。だが、それも仕方ないだろう。何せ、こんな手紙が届いたのだから。
(あんたら親子の秘密を知っている。夜鷹が茂三の面を見た。話をしよう。円悠寺の裏まで来てくれ)
そして二人は円悠寺の裏に到着し、辺りを見回す。背の高い草が、一面を覆う野原である。ましてや夜ともなると、物の怪でも出そうな雰囲気だ。さすがの二人も、緊張の色は隠せない。
「善兵衛さんと、茂三さんかい」
不意に声がしたかと思うと、草むらから坊主頭の男が姿を現した。男は杖を突きながら、ゆっくりとこちらに歩いてくる。どうやら盲人らしい。その様子を見た善兵衛は、冷酷な笑みを浮かべた。
・・・
多助はゆっくり、慎重に近づいて行く。
その様子をじっと見つめる二人。やがて、善兵衛が口を開いた。
「あの手紙の主はあんたかい……いや、あんたのはずは無いな。めくらのあんたに、あんな流暢な字が書けるはずがない。黒幕は誰なんだい?」
「それは言えませんね」
多助は平然とした表情で、言葉を返した。すると、今度は茂三が進み出る。
「おい、めくら……嫌だと言うなら、痛い目に遭うことになるぜ」
そう言うと、茂三は剃刀を取り出した。にたりと笑いながら、そっと近づいて行く。
だが、茂三が間合いに入った瞬間、多助の仕込み杖が抜かれた。
目にも止まらぬ速さで、刀を振るう多助。たちまち体を切り刻まれ、血まみれの体で膝を着く茂三……。
「し、茂三!」
悲痛な叫び声を上げる善兵衛。同時に、親子の後から付いて来ていた用心棒が姿を現す。万が一の事態に備え連れて来ていたのだ。用心棒は刀を抜き、身構える。
一方、多助はじっとしたまま動かない。用心棒は刀を構え、じりじりと間合いを詰めていく。
しかし善兵衛が、二人の間に乱入して来た。死体と化した茂三に駆け寄り、抱き起こす。
「茂三! 茂三!」
何度も叫ぶ善兵衛……だが、多助の刃が迫る。
「やめんか貴様!」
用心棒が怒鳴り、刀を振り上げる。
その時、落雷のような音が響き渡った――
用心棒は後頭部を撃ち抜かれ、うつ伏せに倒れる。
その後ろには、黒こげになった竹筒を抱えたお松が立っていた。
そして善兵衛は、多助の刃で切り刻まれ、茂三の死体に折り重なるように倒れた。
「この爺、死んでからも馬鹿息子をかばう気なのかねえ……」
お松が吐き捨てるように言う。多助は苦笑し、彼女の背中に手を回した。
「ああ、そうらしいな。それより、さっさと引き上げようや」
・・・
その頃、村田も一人で歩いていた。足早に、とある場所へと向かっている。彼は焦っていた。このまま放っておいたら、とんだ大損になるのだ……。
しかし、村田が到着した頃には、全てが終わっていた。
木戸善兵衛と息子の茂三、そして用心棒らしき浪人……その三人が、死体と化して横たわっている。
「ぜ、善兵衛! 茂三! しっかりしろ!」
叫びながら、善兵衛たちの元に駆け寄る村田。だが返事はない。完全に事切れている。
呆然となり、思わずその場に崩れ落ちる村田……すると、後ろから声が聞こえてきた。
「村田庄之助だな。死んでもらうぜ」
村田は慌てて、後ろを振り返る。
そこに立っていたのは龍だった。
「な、何だ貴様! 私は同心だぞ!」
「んなもん、見りゃ分かるよ」
怯んだ様子もなく、平然とした表情で答える龍。村田は刀を抜いた。
「ふざけるな! 死ぬのは貴様だ!」
叫びながら、村田は切りつけていった。龍は自分より背は高く、体格もいい。だが、武器らしき物は何も持っていないのだ。
それならば、自分にも勝ち目はある……村田は先手必勝とばかりに切りかかって行った。
しかし、村田がその太刀を振り下ろす寸前――
龍の体が、くるりと回った。その背中が、こちらを向く。そして、鋭く延びて来る龍の右の踵――
次の瞬間、村田の鳩尾に龍の踵が突き刺さる。村田は刀を落とし、うつ伏せに倒れた。
直後、今度は上から踵が降り下ろされる――
村田は首の骨を砕かれ、完全に絶命した。
そして数日後、清太は無事に解き放ちとなった。しかし――
「龍さん、あんたには本当に世話になりました。短い間でしたが、ありがとうございます。あっしは、この長屋を引き払うことになりましたので……」
龍に向かい、頭を下げる清太。龍は複雑な表情になった。
「そうか……お前、江戸を離れるのか――」
「いや、あっしは江戸を離れませんよ」
「え……じゃあ、どこで何やるんだよ?」
龍が尋ねると、清太の目に光が宿る。
そして言った。
「あっしは、やくざになります。今日、親分さんから盃を貰えることになりやした」
清太の表情は真剣そのものだった。龍は思わず下を向き、目を逸らした。やくざに怯えたのではない。やくざになる清太に対し、やりきれなさを感じたのだ。口では何だかんだと言ったが、心のどこかでは、清太に真人間になって欲しかった……。
「そうか……お前、後悔だけはするなよ」
「後悔なんざ、しやしません。龍さん、あんたの言ったことは正しかったですよ……島帰りは、しょせん島帰りなんですね。あっしはね、あの同心に取り調べられた時に、骨身に染みましたよ」
「……」
黙りこむ龍。清太の鼻は曲がり、前歯は全部へし折られている。さらに体のあちこちには、痣や傷があった。間違いなく、村田の仕業だ。村田に濡れ衣を着せられ、ひどい拷問を受け、それでも罪を認めなかった清太。龍にも、同じ経験があるのだ……。
やってもいない罪で拷問された代償が、ただ解き放たれただけ……こんなふざけた話があるだろうか。龍はそれ以来、まともに生きるのをやめた。
裏稼業で生きていくことを決意したのだ。
(世間の奴らは、腹ん中では俺たち島帰りを見下し、蔑んでやがるのさ)
自らの言葉が甦る。そう、島帰りでまともに生きられる者など、ほとんどいない。真人間になるためにどんなに努力しても、世間の人々とは越えられぬ境界線がある。彼らの島帰りを差別する気持ちは、消えたりはしないのだ。
「清太、お前の人生だ。お前の好きにやれよ。ただし、もう一度だけ言っとく。後悔だけはするなよ」
そう言って、龍は無理に微笑んだ。
・・・
その頃、政吉は一人で町を散策していた。今日の目当ては、博打場に関する情報収集である。
しかし――
「政吉さん、ちょっといいかな……あんたに話があるんだよ」
穏やかな、それでいて狂気を秘めているような声……間違いなく鳶辰だ。政吉は愛想笑いを浮かべながら、声のした方を向く。
「おや、これは鳶辰さん……どうしなさったんで?」
「うん、別に大したことじゃないんだがな……先日、俺の知り合いが殺されたんだよ。よくはわからねえんだが、同心の村田庄之助ってのと、何やらいざこざがあったらしくてな」
言いながら、鳶辰は顔をしかめた。だが、その目は冷たい……冷酷な目付きで、じっと政吉を見つめている。
「そうですか。それはお気の毒な話ですね……近頃は、江戸も物騒になりましたよ」
政吉は愛想笑いを浮かべながら、さりげなく目線を逸らす。鳶辰は感づいているのだ……善兵衛たちを殺ったのが何者なのかを。
「まあ、村田は評判の良くない同心だったからな。あちこちで賄賂はせびるは、若い娘を手込めにするは、今回も、大方そんなことだろうとは思う。あいつがくたばっても、泣く奴よりは笑う奴の方が多い」
「おやおや、村田ってのはとんでもない奴ですね」
あくまで、とぼけた口調の政吉……鳶辰は笑みを浮かべたが、その目は冷たいままだ。
「ああ、村田はろくでなしだ。しかしな、善兵衛が死んだのは困るんだよ。島帰りを受け入れるような度量のある商人は、なかなか居ないからな。現に今、善兵衛の雇っていた島帰りの人足たちは、みんな暇を出されたんだよ。そいつらがこの先、何をしでかすか……善兵衛が死んだせいで、いろいろと面倒なことになるなあ」
鳶辰はそう言って、くっくっくと笑った。それに合わせて、政吉もへらへら笑う。はたから見れば、友人同士の和やかなやり取りだろう。
しかし、政吉の内心には和やかさなど欠片もない。彼は今、鳶辰の腹を探っている。相手の口から、何が飛び出して来るかをじっと待っていた。
「政吉さん、善兵衛の息子は確かにろくでなしだ。しかしね、善兵衛に死なれると困る人が大勢いるんだよ……俺も、その一人だ。まあ、死んじまった今となってはどうしようもないが」
「はあ、そうですか……困りましたね」
「そうなんだよ。だがな、今も言ったように、死んじまった者は仕方ない。それよりも、だ。政吉さん、あんたに一つ提案がある」
「提案、ですか……何でしょう?」
政吉が尋ねると、鳶辰は顔を近づけてくる。
そして言った。
「政吉さん……これからは、俺たちも協力し合わないと駄目だと思うんだよ」
「協力、ですか……」
訝しげな表情になる政吉……だが、鳶辰はお構い無しに話を続ける。
「最近、おかしな連中が出て来ている。俺や政吉さんみたいな、裏の世界で何年も飯を食ってきたような人間とは違う、素人に毛の生えたような連中がな。だから俺たちは、ここいらで団結すべきじゃねえのかな。素人連中に縄張りを荒らされちゃ、黙ってられねえだろ」
「それもそうですね」
政吉がそう答えた瞬間、鳶辰の表情に変化が生じる……政吉は一瞬、自分の言葉のせいかと思ったが、そうではなかった。
「おうおう、おめえら天下の往来で良からぬ相談か……話の続きは番屋でするってのはどうだよ?」
その声の主は、目明かしの岩蔵だった。十手をちらつかせながら、こちらに近づいて来る……鳶辰は、露骨に不快そうな表情を浮かべた。
「余計な奴が現れたよ……政吉さん、また今度な」
それだけ言い残し、その場を去って行く鳶辰。しかし、岩蔵はその後を追いかけて行った。
「おい、待ってくれねえかな辰三……いや鳶辰さん、あんたにゃ聞きてえことがあんだよ」
一方、残された政吉は不敵な笑みを浮かべた。どうやら、自分の計算通りに事は運んでいるらしい……政吉は言い争う鳶辰と岩蔵、そして仲裁に入る中村左内を尻目に、その場を離れて行った。




